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異空の盟約 うつし世の誓い  作者: ZAKI
第3章 すぐそこに迫る危機
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(4)

 いったい、どういうことだろう。


 隣のクラスとの合同体育を終えて教室に戻ってみれば、たしかに湯川と呼ばれた先程の男子生徒はおなじクラスに在籍していた。座席は廊下側のまえのほう。窓ぎわ寄りの、真ん中よりやや後ろに位置する遙飛の席からは、右斜め前方にあたる。女子と違って更衣室がない男連中は、体育の授業の前後は基本、自席で着替えを済ませるのがつねであった。


 3年に進級してから、まださほど日数は経っていない。そのため、クラスメイトの全員を把握しきれていないのはたしかである。だが、1年からずっと、おなじクラスだった?

 親しげに周囲の級友たちと言葉を交わしながら制服に着替える湯川という人物を見ても、まるでピンとこなかった。


 夢のことといい一条漣たちのことといい、もしかして、どうかしてしまったのは自分のほうなのだろうか……。


 不安がもたげる一方で、3限の授業がはじまると、ふたたび猛烈な眠気に襲われた。もっさりとくぐもった現国教師の声は、子守歌のようだった。


 うつらうつらとしながら船を漕ぐ遙飛の脳裡で、見慣れた景色が浮かび上がる。北部に山脈が連なり、豊かな山林がひろがる地形。南東部は海に面し、そのあいだに位置する広大な扇状地に、殷賑を極める大規模な街並みが展開していた。石造りの重厚な城郭がひろがるのは、山の麓付近。やや小高い場所から、街とその向こうにひろがる彼方の海とを一望できるようになっていた。


 ああ、例の物語だ。頭のどこかで遙飛はぼんやりと思った。


 城門の左右に設けられた塔から、この景色を眺めるのが好きだった――あたりまえのように考えて、ふと気づく。『好きだった』と思えるほどに、その景観は、自分にとって馴染んだ眺めだったのだと。

 まるで、その世界に入りこんだ登場人物そのものであるかのような、生々しい感覚――


 穏やかなこの景色を護りたい。この国を、護りたい。心にあるのは、ただそれだけ。

 直面する危機が、つねにその願いを脅かす。平穏は、いつ崩れ去ったのだったろう。なにが、きっかけだっただろう。ほんのいっときでさえ警戒を怠ることはできない。昼夜を問わず、ヤツら・・・は攻めてくる。海からも、山からも。空からも、地中からも……。

 不意に、衛兵たちの動きが慌ただしさを増した。

 ああ、また戦いがはじまる。

 周囲の様子から、それとさとった遙飛は覚悟を決める。自分の許へ駆けつけてくる顔触れのなかに、それでも特別な思いを抱くふたりを見いだして、わずかに安堵した。

 大丈夫だ。決して負けはしない。ラグール、ディルレイン。おまえたちがともにあるかぎり。

 だが、そうして心安くいられた時期にも限りがあった。このあと自分たち・・・・は――



 ……ルちゃん…………ハ……ちゃ……――



「ハルちゃんっ」


 横合いから小声で何度も呼ばれていたことに気がついて、遙飛はハッと目を開けた。

 顔を上げると、思わせぶりな表情で沙優海がこちらを見ている。その様子で我に返った遙飛は、あらためて教壇のほうを見やって途端に首を竦めた。分厚い眼鏡の奥の小さな目が、冷ややかにこちらを見据えていた。

 咎めるような視線を遙飛に据えたまま、どれだけのあいだ沈黙していたのだろう。クラス中がシンと静まりかえるなか、居眠りから目覚めた遙飛が居竦んだことをもって納得した現国教諭の田嶋は、ひと言の注意を発することもなく授業を再開した。


 凍りついた空気がふたたび流れ出す。遙飛はホッと胸を撫で下ろした。様子を見ながら、立てた教科書の陰に隠れるように顔を伏せる。そして、傍らの沙優海に「ごめん。ありがと」と礼を言った。


「うううん、大丈夫。……寝不足?」


 控えめに尋ねてくる沙優海に、遙飛は曖昧に笑って「うん、ちょっと」と言葉を濁した。理由を話せないのだから、ここでそれを言ってもはじまらない。なにより、これ以上田嶋に目をつけられるのは避けたかった。

 おかげで眠気は吹き飛んだが、なにをやっているんだと情けなくなった。と同時に、たったいま見た夢の感覚があまりにリアルで、その生々しさに言い知れぬ当惑をおぼえた。


 ただの夢とするには、五感のすべてで体感したあらゆるものが具体的で、思考や感情までもが、いまだ胸の裡で燻っている。まるで夢ではなく、実体験したことそのものであるかのように――


 思ったところで、バカな、と遙飛はかぶりを振る。浮かびかけた考えを打ち消し、余計な雑念を払いのけた。夢は夢にすぎない。寝不足と混乱のせいで神経が必要以上に高ぶっている。ただそれだけのことなのだ。


 小さく嘆息した遙飛は、目に見えない吐息の流れを追うように視線を流す。その視線の到達点で、思いがけずこちらを見ていた人物と目が合い、ギクリとした。

 右斜め前方。遙飛をじっと見ていた湯川の口許に、ふっと笑みが浮かんだ。ごく何気ない反応。だが、遙飛の心臓は、なぜか乱暴に鷲掴まれような衝撃を受けて大きく収縮した。


 ――え、なに……。


 たったいま、授業中に居眠りしていたことを現国教師に無言で咎め立てられたばかりである。その田嶋よりなお冷ややかで、明確な意図を含んだ眼差し。

 そこに含まれる感情がなんであるのかに思いを巡らせ、該当するシグナルの意味に気づいた途端、遙飛の背筋を冷たいものが滑り落ちた。それは、疑いようもないほど明確な、強い憎悪だった。


 な、なんで……。


 混乱する頭で、一度逸らした視線をもう一度湯川に向ける。だが、そのときにはもう、遙飛に向けられていた目線は前方に戻されていた。

 いつのまにか冷たく汗ばんでいた掌を、遙飛はギュッと握りしめた。


 記憶から完全に抜け落ちていたクラスメイト。その人物から向けられた、突き刺すような悪意。先程のあれは、飛んできたボールから遙飛を庇ったのではなく、自分の存在を遙飛に知らしめるための行為だったのではないか。そんな邪推までが頭を掠めた。


 なにかあれば、どんな些末なことでも自分か千草のいずれかに連絡をしろ。昨日、連絡先を交換した際に漣にはそう言われた。だが、これはその『なにか』に該当するだろうか。判断基準が曖昧で、自分では見極めが難しい。そもそも、なにをどう説明すればいいのかもわからなかった。

 とはいえ、2年以上同窓だった存在が自分のなかから欠落しているというのは、あきらかに異常である。ほかに、おなじような存在が何人もいるなら記憶障害か病気ということも考えられるが、少なくとも、いまのクラスで去年までおなじクラスだった級友たちには皆、憶えがあった。それどころか、別のクラスにいた連中でさえ、それなりに把握している。まったく憶えがないのは、湯川なる存在ただひとりだった。


 休み時間になったら、漣にメッセージを入れてみようか。


 そこまで思ったところで、いましがたの夢の内容の一部がふたたびひっかかった。


 そういえば、夢の最後でなにか、肝腎なことを思い出しかけなかったか。


 いつものメンバーによる、いつもの展開。あのまま夢がつづいていれば、化け物たちの襲撃を受けて兵らとともに立ち向かい、防御を固め、こちらからも攻撃を仕掛けて激戦へとなだれこんだはずだった。だがその直前で、たしか、重要ななにかを思ったはずだった。

 自分の思考だったか、それとも自分が同調した登場人物の述懐だったか。そしてそれは、具体的になんだったか……。


 思い出そうと思考の海に潜りかけたところで、遙飛は唐突にパッと顔を上げた。その目が、自分でもよくわからないうちに、なぜか窓の外に向く。


「ハルちゃん?」


 気づいた沙優海が、不審そうに声をかけてきた。だが、それに返事をする余裕さえなかった。

 唐突に、そして猛烈に襲われた嫌な予感。

 遙飛は無意識のうちに立ち上がっていた。


「……なんだ、篠生?」


 田嶋が、先程の延長のような陰気な目を向けてくる。遙飛は、それへ向かって口を開いた。


「すみません、先生。あの、気分が悪いので早退させてくださいっ」


 気分が悪いのなら先に保健室へ行ってきなさい。途中まで言いかけた田嶋の言葉を振りきり、教科書類をディパックのなかに放りこむと、遙飛はそのまま教室を飛び出した。

 なぜなのかわからない。だが、あのままあそこにいてはいけない気がした。


 早く離れなければ。早く。早くっ。ほんの少しでも遠いところへ!


 焦燥に掻き立てられるまま、昇降口で脱ぎ捨てた上履きを手早く履き替えた遙飛は学校から勢いよく飛び出した。

 自分にも、いったいなにが起こったのかわからない。けれど、本能で嗅ぎとったものを無視してはいけない気がした。


 どうしよう。どこか途中からでも漣に連絡を入れたほうがいい気がする。だがなにを。どんなふうに。自分でもわからないが、とにかくなにかが変だから聞いてほしい。そんな理由で、果たして通用するものだろうか。相手は多忙を極める一流芸能人である。とても呼び出しの理由になるとは思えなかった。しかし、このままでは確実にマズい。それだけははっきりわかる。


 胸にひろがるのは、とてつもない不安。


「遙飛くん!」


 突如名を呼ばれて、遙飛はビクッと全身を大きく慄わせた。

 夢中で走っていた足に、急ブレーキがかかる。まえにつんのめるようにして立ち止まった遙飛は、なんとか体勢を整えると声が聞こえたほうに顔を向け、視線を彷徨さまよわせた。

 車道わきに、1台の黒塗りの外車が停まっている。その車の横に、見覚えのある人物が立って遙飛に向かい、手を挙げていた。


「……千草、さん」


 遙飛はその姿を茫然と見たまま、ポツリ、と呟いた。


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