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墜落の途中  作者: 香月鐘二郎
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第四章 過去の闇


 鬼島隈吉警部補。通称、オニクマ。

 警視庁麻生警察署地域課組織犯罪対策係。いわいるマルボーの名物デカだ。悪徳刑事である。

 ゆすり、恐喝、証拠品の横流し。あらいる不法行為に平然と手を染める。署内でも札付きの鼻つまみ者だ。

 それでも表立って処分出来ないのは、彼の握っている切り札が怖いからだ。

 鬼島はその弱点を巧みに突く。

 一体暴力団専用の捜査課ともなれば、担当暴力団に近づくため、あるいは情報を得るために多少の接近は避けられない。その際に不法とはいえないまでも、少々の不正を働くことは誰しもが経験することだ。

 組織の中で上に行けば行くほど、脛に持つ傷跡を気にする者は多い。

 鬼島が金で情報を買っていることは公然の事実だけど、彼がどんな情報を握っているかは判らない。

 疑心暗鬼である。

 例え少々の不正を咎められようと、

「課長、ちょっと小耳に挟んだ情報があるんですがね」

 と凄まれると何も言えなくなってしまうのだ。

 本当に鬼島が自分に不利な情報を握っているかどうかはこの際関係ない。そう思わせるだけの雰囲気が彼にはあるということだ。

 鬼島隈吉。

 そういう刑事であった。


 その刑事がやってきたのは、瀬名京太の自殺から1週間程経ってからだ。

 店の開店準備に忙しい時分であった。

 程よい宵闇が街を覆い始める時刻である。

 クラブ「響」には響子ママをはじめ、キャストのキュート。銀髪のバーテンダー。そしてバイトとして雇ってもらった、ボーイのシンジの全員が揃っていた。

 シンジはあれから妙に考え込むことが多くなった。

 キュートが背中を叩いて。

「何、深刻な顔してんの。初めての現場でテンパるのはわかるけど、悩むなんてキミのキャラじゃないよ」

 と茶化しても、

「うん。どうにもスッキリしないんだよな」

 と腕組みをするばかりだ。

「スッキリしない? 何が?」

「いやね。俺たちが最初に駆けつけた駐車場と、おっさんが飛び降りた後の駐車場。何かが違っているような気がすんだよ」

「何かって?」

「だからよう。それが解んないから、スッキリしねえんじゃねえかよ」

 そんな会話をしている時だった。

 開店前の扉がいきなり開いた。開店前の店の扉を平然と開いて、鬼島刑事は当然のように店の中に踏み込んできたのだ。

 つるりと剃り上げたスキンヘッド。墨を浸したような顎ひげ。モスグリーンのサングラス。

 ゴツイ熊のような体格。

 無言でカウンターに向かった。

「あら、鬼島さん。お店はまだよ」

 響子ママが声を掛ける。

 刑事は無視して、そこに居る全員の顔に顔を近づけ、臭い息を吐きかける。

 暴走族であったシンジは、ただでさえ警官が苦手だ。そばに寄るだけで蕁麻疹の出るタイプである。鬼島の接近に思わず顔を背けた。

「ふん」

 鬼島がニヤリと笑った。

「一匹見慣れないのがいるじゃねえかよ。え、ママ?」

「アルバイトのシンジ君よ。よろしくね」

「犬飼信二っす」

 仕方なく挨拶をする。

「ふん、相変わらず野良犬を拾うのが上手いな」

「なんすか」

 頭に来たシンジの腕をキュートが抑える。

「ところでよ。相変わらずいい女っぷりじゃねえかよ、ママ。どうだいそろそろ俺のものになんねえか」

「ボクで良ければ、何時でも相手するけどね。オニクマさん」

 鬼島はキュートの全身をジロリと眺め上げて、ふんと鼻で笑った。

「俺にはそっちの趣味はねえからよ」

「ところで、何の用かしら。鬼島刑事」

 響子ママが言った。

「おう、そこなんだがな。実は半月ほど前、ミッドタウンで一匹のチンピラの死体が上がったんだ。どうやら組関係の仕業らしい。知ってるかい?」

 ドキリとした。タケシの事件の事を言っているのだ。

「そうね、テレビで観た覚えはあるわ」

 鬼島は鼻で笑った。

「テレビね。ま、それもいいわな。でな、ガイシャは岡元武史。元暴走族のチンピラだ」

 刑事はシンジの顔をジロリと眺めて言葉を続ける。

「俺の調べたところ、こいつはどこの組にも属していねえ。どっかの組に頼まれてその日暮らしの仕事をする、ちんけなチンピラフリーターだ。だがしかし、そのコロシに組が関わってるとなりゃ、俺んところに鉢が回ってくんだよ。俺は嫌われモンだからな」

「何が言いたいんです?」

 そう言う響子ママの前に数枚の写真を投げつける。防犯カメラに写った写真だ。

 そこにはミッドタウン脇の歩道を歩くシンジの姿が写っていた。

「こいつが撮られた時間は、タケシが殺された時間に一致する。これはどういうことかな? クレージードックのシンジ君」

 鬼島がシンジの肩に手を回した。

「あんた、俺のことを知っているのか?」

「調べたんだよ。俺はマルボーだぜ」

「シンジにはアリバイがある」

 キュートが叫んだ。

「あの時間。シンジはボクと一緒に居たんだ」

 嘘である。正確には、キュートとシンジが出会ったのはタケシが死んだ時間よりやや遅い。しかし嘘と言えば、鬼島の言も少し違っていた。その写真が撮られたのは、やはりそれより後。シンジがキュートを見掛けて後を追った時間だった。

「そう熱くなるなよ、お嬢ちゃん。何もこいつが犯人とは言ってねえ。ホシの見当はついてんだよ」

「須王会ですわね」

 ママが言った。

「ふん。テレビで観たにしては、良く判っているようじゃねえか。しかし、三多摩あたりの組がなんでこんな場所まで出向いてくるのか、そのあたりが解せねえ。え、どうなってんのかね」

「さあ。私に訊かれても解りかねますわ」

「そうかい。所で先週丸の内のタワーマンションで起きた投身自殺なんだが、もちろん知っているよな」

 鬼島は突然、話題を変えてきた。

「はい」

 キュートやシンジがその事件の関係者であることは、当然承知しているだろう。

「俺はな、このふたつの事件が、水面下で繋がっていると踏んでいるんだ。金の臭いがプンプンするぜ。こいつは俺好みの事件だ」

「それは良かったですわね」

「ふん、喰えねえな。まあ、いいや。ひとつ耳寄りな情報を教えてやるぜ。タワーマンションから投身自殺した、瀬名京太という男の死亡時間だがよ、午後9時前後だってえ話だ。つまり奴がそちらのお二人さんの目の前で、飛び降りた直後だったってわけだ。え、この意味が分かるかよ。奴は確かにあの時間に飛び降りて地面に激突したんだが、その後の8時間は誰の目にも留まらなかったってことなんだよ」

「・・・」

 誰も何も言わない。それぞれが鬼島の言葉の意味を噛み締めているのだ。

「いいか、そこが30年前の事件とは決定的に違う点だ。30年前の事件ではガイシャは飛び降りてから6時間後に死亡した。今回は飛び降りた直後に死亡したが、8時間その姿は消えたままだった。これが何を示しているのか、ゆっくり考えるんだな。え、名探偵さんよ」

 響子ママはにこりと笑った。それを見て、鬼島はちっと唾を吐いた。

「何だ、その面は。そんな事はとうの昔に知ってますよ、ってな面しやがって。このネタは捜査会議でも、トップクラスの秘密事項だってえのによ。まったくやりにくい女だぜ」

「鬼島さん」

 響子ママは言った。

「そんなことはありませんわ。いつも貴重な情報をありがとうございます」

「まあいい。いずれはお前も、叩けばホコリの出る身体だ。その内必ずその身体、俺の物にして見せるぜ」

「はい。ホコリを払ってお待ちしておりますわ」

 鬼島は後ろ手に振って店を出ていった。

「何だ、あの親父は。この俺様が冷や汗をかかされたぜ」

 シンジが額の汗を拭きながら、キュートに言った。

「この街一番の嫌われ者。腐肉にむらがるゴミ虫だよ」

「そんなこと言うもんじゃないわ」

 響子ママはやんわり足し睨めた。

「あの人もそれなりに役に立つものよ。この世界、持ちつ持たれずですものね」

「ママは大人ね」

「それにしてもあの人が出張ってきた以上、こちらも少し急いだ方がいいかもね」

 響子ママは腕を組んでそう言った。


 

 新宿。高層ビル街に囲まれた小さな公園である。

 小さなブランコと滑り台が置いてある。その脇には申し訳程度のベンチがあり、ひとりの男が腰を降ろしていた。

 スキンヘッドの頭に濃い顎ひげ。モスグリーンのサングラス。

 鬼島刑事であった。

 薄汚れた茶褐色のコートには、無造作に週刊誌が突っ込まれている。

 丸の内の墜落事件を特集したものだ。どこで嗅ぎ付けたのか、30年前の事件と比較して面白おかしく書き立てている。

 夜である。午後10時は過ぎているだろう。

 生暖かな夜風がコートの裾をなぶっている。

 鬼島はちびれた煙草を吹かしながら、誰かを待っているようだった。

 高層ビルの窓から漏れる明かりが、その横顔を照らしているのだが、彼が吸殻を捨てようとしたその時、ビルの明かりを遮る人影に気が付いた。

 前かがみの姿勢のまま、鬼島は顔を上げる。

 ずんぐりとした男が立っていた。巨大な岩の塊がふいに現れたかのようだ。

 サングラスがずれて鼻に掛かるのも気に留めず、上目遣いにその人物を見上げた。

 男も無言で鬼島を見下ろしている。

 かなりの時間、ふたりはそうして睨み合ったままだった。

 互いにお互いを値踏みしているような目つきだった。2頭のハイエナがお互いの縄張りを主張して、睨み合っているようにも見えた。

「噂は聴いてるぜ。ステゴロの権藤さんよ」

 ややあって鬼島は言った。

「俺も噂は聴いている」

 パンチパーマの男はモゴモゴした声で言った。

黒いニットのネックガードが鼻先まで隠している。それでもガードの上の目つきは刃物のように鋭い。

 ネックガードの下には、頬から額にかけて引き攣ったような火傷の痕があるはずだ。

手負いの野獣そのままであった。

「ふん。どうせ碌な噂じゃねえんだろ」

「済まねえな、鬼島さんよ。まだ、良く口が効けねえんだ」

 権藤は先日、キュートによって顎の骨を砕かれている。その傷がまだ癒えないのだといった。

「まあ、仕方がねえわな。あのガキは特別だ」

「で、何の用だ? ギロッポンのオニクマが、この俺を呼び出すとはな」

 権藤は鬼島の横に腰を降ろした。

「タケシってのは、てめえんとこのガキだろ。あの事件を追ってんだが」

「知らねえな」

「とぼけてもらっちゃ困るぜ、権藤さんよ。シンジってガキに会ったぜ。知ってるかいあんた。あのガキ、あんたの顎を割ったメスガキの犬っころに成り下がってるぜ」

「だから知らないって言ってるだろう」

 権藤は立ち上がろうとした。その腕を鬼島が止める。

「まあ、待ちなよ。話はこれからだ。あんたタケシの落とし前を取る気じゃねえのかい?」

 権藤の足が停まった。

「図星かい。やめときな、こいつはおめえなんかの手に負えるヤマじゃねえよ」

「どういう事だ?」

「1週間前に丸の内で起こった飛び降り自殺だ。タケシの件はこのヤマに関わっている。ま、俺の勘だがな」

「タケシの死とあの事件と、どういう繋がりがあるってんだ」

 鬼島はニヤリと笑った。食いつきやがったなという表情だ。

「お前、タケシに命じて瀬名あさみって女をさらおうとしただろう。ありゃ、丸の内で死んだ男の娘だ」

「知っている」

「お前んところの組は、なんであの娘をさらうとしたか、その理由を知っているのか?」

「知るわけがない。組織とはそういうものだ」

「そうかい。だがよ、その組織はてめえを狙っているぜ。てめえが何かを知ってるんじゃねえかと疑ってるんだ」

「言ったろう。俺は何も知らないんだよ」

「そういう理屈が、やつらに通ると思っているのか」

 鬼島はジロリと権藤を睨みつけた。

「あんた、死ぬぜ」

「余計なお世話だ」

 鬼島は苦笑する。

「そんなに尖るなよ。いい方法があるぜ」

「何だよ」

「なあ、あんた。俺と組まねえか」

 権藤は言葉を飲み込んだ。この男、本気か?

「冗談はヒゲだけにしろ。てめえと組むくらいなら、虎の口に頭を突っ込むほうがマシだ」

「言ってくれんじゃねえかよ。ま、そのくらいじゃなけりゃ、俺の相方は務まらねえか。じゃ、仕方ねえ。もう少しわかり易い言い方をしてやる。金で売ってくんないか?」

「売る?」

「情報だよ。あんた、本当は知ってんじゃないか? タケシが殺された本当の理由をよ。殺される前に奴から聴かされた。そうだろう?」

「・・・・」

「図星だな。あんたんところの親父は、ある大物都議会議員と裏で繋がってるって噂がある。今回のヤマは大方その辺りの絡みだと、俺は踏んでいるんだがな」

「ふざけた事を・・・」

 鬼島はニヤリと口元を緩めた。

「ほう、驚いた。こいつもビンゴか。半信半疑でカマかけたってのによ」

「てめえ、ブッ殺すぞ!」

「だから熱くなるなよ。てめえだって今更組を守るつもりは、さらさら無いんだろ。俺だって別段、事を荒立てるつもりはねえよ。あんたの目的は復讐。俺の目的は金だ。それでいいだろうがよ」

「ちっ」

 権藤はベンチに腰を降ろした。

「で、何をしろってんだ」

「だから情報を売って欲しいんだよ。あんたの手に入れた情報を、いい値で買ってやるぜ。それなら文句ねえだろう?」

「金か」

「世の中、万事金次第だからな」

 鬼島はペロリと汚い舌で唇を舐め回した。

 悪徳刑事とはぐれ者のヤクザ。

 こうして世にも奇妙なコンビが誕生したのである。



 私立西国戸田高校。

 東京の西・国分寺市にある、都内でも有数の進学校である。

偏差値71。毎年東大に何人もの卒業生を送り込んでいる。

 もとは男子校だったのだが、10年ほど前から男女共学になっている。少子化の影響を受けてのことだろう。

 30年前この学校で、奇妙な墜落事件が発生した。

 屋上から飛び降りたその学生は、なんと6時間後に地面に激突し、その生涯を閉じたのである。

 その学生の遺体を発見した、当時の宿直教諭は名古屋晋平という男で、現在はこの学校の校長に収まっている。

 当時の状況を知る、唯一の人物であった。

 その名古屋校長はその事件のことで、連日の取材に追われていた。というのも、10日程前に丸の内の高層マンションで起こった不可思議な墜落事件が、30年前に起こった墜落事件に酷似しているということで、新聞や雑誌・テレビなどで大いに取り上げられているからである。

 更に今回丸の内で発生した墜落事件の被害者は、30年前の墜落事件の目撃者であったということも注目の一点であった。新聞やテレビであはふたつの事件の関連性を、面白おかしく書き立てた。

 30年前の事件を知る唯一の人物として、校長は連日の取材を受ける羽目となり、その忙しさは日常の業務に支障をきたす程だった。

 さすがに事件後10日も経てば少しは事件の余韻も溶けてくるが、それでも今だに取材の申し込みは絶えない。

 今日もそうである。

 名古屋校長はいい加減うんざりしていた。体調も良くない。持病の心臓がどうにも具合良く働かないのだ。

 本来なら断るところだが、今回の取材はどうしても断れない筋からの紹介だった。

 約束の時間にやって来たのは、若い男女の記者であった。

 一応はスーツ姿で髪も下ろしてはいるが、どう見ても胡散臭い。

 男性の方は年の頃は20代後半、なかなかの男前ではあるが、スーツの着こなしといえオールバックに固めたヘヤースタイルといえ、どことなく不自然さが漂う。お前、普段はそんな格好をしていないだろ、と突っ込みたくなる。

 女性の方はもっと不釣り合いだ。22歳というがどうしても未成年としか思えない。長い黒髪をポニーテールにまとめて理知的に見えるようにメガネを掛けているが、どうしてもコスプレ週間のキャバ嬢にしか見えないのだ。

 差し出された名刺には「週刊情報時代」と書かれている。一度も目にした事のない雑誌であった。

「それで、取材の目的はやはり30年前の事件ですか?」

 名古屋はでっぷり太った身体を、応接室のソファーに沈めた。最近持病の不整脈が頻発して立っているのが辛い。

 質問は主にコスプレの女性記者がして、男性の方は後ろに突っ立っているだけだった。

「はい。先生は当時その場所にいらっしゃたとか」

「確かに私はその生徒の遺体を発見した現場に立会いました。しかし、よく間違えられるのですが、私が遺体の第一発見者ではありません。私はただ、その場に居合わせただけなんです」

「しかし遺体はご覧になった?」

「はい。観ております」

「遺体は俯せに倒れていたとか?」

「その通りです」

「その時、遺体の頭部は血で真っ赤だったと仰しゃいましたが」

「そうです。真っ赤でした」

「頭の後ろから、血は流れていたのですね?」

「その通りですが、なんでそんな事を訊くのですか?」

 屋上から飛び降りた高木春夫が、実は殺害された後で突き落とされたものであることは、まだ一般的には知られていない。

「ところで先日、丸の内のマンションで自殺した瀬名京太さんは、当時高木春夫さんが屋上から飛び降りるのを目撃した人物だという話しですが」

「はい。不思議なめぐり合わせだと、私も驚いています」

「めぐり合わせですか。これは偶然ではなく、ふたつの事件には何やら関連性があるのではという話がありますが、どう思いますか?」

「どうと言われましても。そういう話は色々な方から聴かされてはいますが、当時私は赴任してきたばかりで、高木という生徒のことも瀬名という生徒のことも良くは知らないのですよ」

「その瀬名さんのお嬢さんも、この学校の在校生ですよね」

「はい。現在は休学扱いですが。お父さんがあのような事になられて、無理はないと思いますが」

「瀬名さんのお嬢さんが学校を休まれたのは、お父さんの事件のある前と伺っておりますが、何か他に理由があったのではないですか?」

「さあ、そのような話は・・・確認いたします」

 女性は記者は無表情でメモを捲っている。

「話は変わりますが、津田健吾さんという当時の生徒さんを知ってますか?」

「津田・・・」

 校長は遠くを見詰める目つきをした。

「ああ、覚えています。確か東大法学部に進学した優秀な生徒でした。当時東大の法学部に進学したのは珍しい事でしたからね。それで覚えていたのです」

「その津田さん。現在は白岩さんと仰るのですが、30年前の事件で瀬名さんと一緒に飛び降りの現場を目撃しております。そして今回の事件でも、やはり事件の目撃者になっております。これも偶然と言えますか?」

「そう仰しゃられても、何とも答えようがないですな」

「亡くなられた高木さんですが、当時いじめを受けていたとか?」

「そういう噂は聴いたことがあります。しかし確認されたわけではないので」

「高木さんをいじめていたのは3年生の不良グループですよね。確か首謀者は当時3年の須藤正輝という生徒ですが、現在彼はどうしているか知っていますか?」

「さあ、知りません」

 名古屋校長は額の汗を拭きながら答えた。この女性記者はどこまで知っているのだろう。明らかにこれまでのどの取材とも異なっている。

「現在彼は指定暴力団・須王会の会長になっています」

「・・・まさか」

「ご存知ありませんでしたか。その須王会主導で瀬名あさみさんが誘拐されかけたという事実がありますが、あさみさんが休学をしたのはそれが原因ではありませんか?」

「記者さん」

 校長は堪えきれずに立ち上がった。額から汗が滴り落ちる。

「申し訳ありませんが、気分が優れません。今日の所はこれくらいにしていただけませんか?」

「最後にひとつだけ、伺わせてください」

 女性記者は言った。

「向川幸二郎という人物に心あたりはないですか?」

 突然視界が狭くなった。天井が大きく揺らぐ。

 名古屋校長はその場に崩れるように倒れ伏した。



 喫茶「せせらぎ」のカウンター席に、キュートは響子ママと並んで腰を降ろしている。

 輸入雑貨店の店主の成りをした響子は、もはや一流クラブのママの面影はない。ちょっといかした販売員だ。

 隣に座るキュートはどこから見ても渋谷のギャルにしか見えない。

 名古屋校長倒れた、その翌日のことである。

 穏やかな昼下がり、午後のティータイムといった雰囲気であった。

 カウンターの奥では銀髪のバーテンダーが、「有明探偵事務所」のレリーフを背にサイホンを入れている。

 時たまそのレリーフについて質問してくる客もいるが、その都度ただの飾りですよと笑って答える。それが本物の看板であること、その名を持つ探偵事務所が未だに存在している事を知っている者は殆どいないのだ。

「現場、観てきたよ。ママ」

 とキュートは言った。

「で、どうだったの?」

「ママの言う通りだった」


 キュート達の目の前で意識を失った名古屋校長。

 職員室から多くの教諭が集まって、大変な騒ぎになった。救急車のサイレンが鳴り響き、救急隊が到着する。

 もともと心臓に持病を持っているので、日々の激務から発作を起こしたのだろうと考えられる。

 キュートは後始末をシンジに任せて、これを機に校内を探ることにした。

 元々はそれが目的だったのだ。

 救急車の騒ぎに紛れてキュートは校庭を走った。

 西国戸田高校は20年前に改築されている。基本的に事件当時の旧校舎は残ってはいない。

 ただ、当時使われていた椅子や机の一部は、今だに体育館奥の倉庫に眠っている。キュートは予めそれを確認して置いたのだ。

 守衛室の前でキュートはメガネを外し、黒く染め直した髪を下ろした。

「おじさん。こんちー」

「何だ、また来たのか」

 用務員のオヤジの眠そうな目が輝いた。年齢は60過ぎ、定年退職した後の再雇用という感じか。

 つるりと禿げ上がった頭に、好色そうな小さな眼が、リクルートスーツに包まれたキュートのプロポーションを舐めまわす。

 校長室での会見前に立ち寄った守衛室で、すぐに確信したのである。

 コイツはカモである、と。

「えー傷つくなあ。ボクのこと嫌い?」

 少し拗ねた声を出す。オヤジは顔を赤らめた。

「そんなことはないけどよ。・・・取材は終わったのか?」

「うん、だからね。帰る前におじさんに挨拶してこって思って。おじさんもヒマ?」

 そう言ってオヤジの隣にピッタリくっついて座る。

 オヤジは好色そうな笑みを浮かべた。

「ボク、この後やることないんだ」

「そう言われてもな」

 そう言いながらオヤジは、恐る恐るキュートのくびれた腰に手を回す。彼女が嫌がる素振りを見せないのを確認すると、その手をそろりと丸く引き締まったお尻の方にずらす。

 それを見たキュートは素知らぬ顔で、少しお尻を浮かせて下に入った掌の上に腰を落とした。

 オヤジは何とも言えない嬉しそうな笑みを浮かべて、弾むようなお尻を揉み始めた。

「ねえ、おじさん。ここじゃ何だから、もう少し静かな所へ行かない?」

 にっこり笑って体育館の倉庫のほうを指さした。

 ここじゃ人が来るかも知れないから、だれも来ない場所でゆっくり楽しもうと誘うのだ。

 助平オヤジに断る理由はない。慌てて鍵箱から倉庫の鍵を取り出すと、キュートの腰を抱くようにして体育館の方に向かった。

 それから数分後、倉庫のマットの上では、幸せそうな顔をしたオヤジが肩で息をしていた。


「大丈夫」

 とキュートは響子に言った。

「用務員のおじさんにはちゃんとお礼しといたから」

「それで確認はしたのね?」

「うん。あそこにあった長テーブルは30年前からあった物だって。ママが予想した通りあのテーブル、脚が内側に折りたたむのよね」

「それで机は積み重ねられる訳ね」

「そう。脚を折りたためば一枚の長い板のようになるわ。その先端を4階の窓から外に伸ばす」

 響子は頷いた。

「高木君は屋上からその机の上に飛び降りたの。その後机ごと中に収納してしまえば、誰にも解らないわ」

「屋上には金網が張ってあって、屋上からでは窓から伸ばした机までは見えないからね。金網を登って下を視る頃には、机ごと高木君を回収した後だから、上から覗いた時にはすでに何もなかったということよね。それにしても・・・」

 キュートは唇を噛む。

「4階とはいえ伸ばした机の先端までは、2メートル以上の高さがあるわ。幅も狭い。落ちたら即死、よく飛び降りたわね。ま、ボクなら楽勝だけど」

「飛び降りたというよりは、飛び降りさせられたのね」

 響子は煎れられたコーヒーを口に含む。

「誰に?」

「机の上に人を飛び移らせるなら、机の端を抑えていた人達が必要よね」

「高木クンをいじめていた連中ね」

「たぶんね。やらなければもっと酷い目に遭う。高木君は必死の思いで飛んだと思うわ」

「酷いことするね」

 キュートは吐き捨てるように言った。

「でも何でそんなことさせたんだろう?」

「そう、そこよ。前にも言ったけど、手品の種なんて解ってみれば、大した問題ではないわ。大切なのは何でそんな事をしたのかよ」

「いじめの一環としては悪質よね」

「まあ、いじめというのはエスカレートすれば、ひとの常識なんて簡単に飛び越えるものだけど、今回のケースはちょっと違うわね」

「実際に殺されているもんね」

 響子は頷いた。

「それに遺書まで書かされている。彼らは本気で自殺に見せかけて殺すつもりだったのよ」

「でもそれなら、前にも言ったように屋上から突き落とすだけでケリは着くはずじゃない。何であんな面倒なことするの?」

「そうよね、問題はそこ。多分あのノートには、その理由が書かれていた」

「ノートかあ」

 キュートは膝を抱えてスティールの上で1回転した。

「でもなあ、ノートは燃えちゃったし」

「ノートを燃やしたのは瀬名さんが、これさえなければ自分も娘のあさみちゃんも、狙われる事はないと思ったからじゃないかしら。でもね、普通そういう大事な物を預かる時は、大抵コピーを用意するものなの」

「コピー? そうか、コピーがあるのね」

「恐らくね。瀬名さんは万一を考えてノートのコピーを用意したはずよ」

「でも瀬名パパは本当に自殺しちゃった。ノートを燃やして、自分の安全を確保した意味がないわ」

「確かにそうね。そう考えるとノートを燃やす意味がないわね」

「まさか」

 キュートは顔を上げた。

「瀬名パパも高木サンと同じように殺されちゃったの?」

「その可能性も無くはないわね」

 響子は頬杖をついて言った。

「でもさあ、今回はボクとシンジが素早く確認したよ。窓の外でそんなトリックをしているヒマはなかったはずだわ」

「それに落下した瀬名さんの死体。あれはどうみても100メートル以上の高さから落下したものだわ。彼は確かにあそこから飛び降りたのよ」

「じゃ、何で?」

「まさか同じタネの手品を2回も使うとは思えないしね」

「それってふたつの事件の犯人は同一人物ってこと?」

「さあ、どうかしらね」

 うふふふ。

 キュートの質問に意味深な笑顔を向けた響子のスマホが音をたてた。

「あ、シンジ君? そう、例のひとが動き出したのね。わかったわ。引き続きお願いね」

 そう言いながらキュートを見る。

 キュートは無言で頷いた。



 調布市深大寺の寺前通り、その中程に小さな喫茶店があった。

 貸しビルの2階である。1階は名物のそば屋であった。

 深大寺への参拝客が帰りに立ち寄るようなささやかな店だ。

 夕暮れ間際の店内は程よく混んでいた。

 学校帰りの学生が多い。彼らはテーブルごとに顔を見合わせ、窓際に陣取った真っ赤なスカジャン姿の男に眉をひそめている。

 グリースで固めたリーゼント。スカジャンの背中には、互いに食らい合う虎と龍の刺繍が縫い込んである。どうみてもひと昔前のヤンキーか、絶滅危惧種の暴走族だ。

 男はテーブルの上に足を乗せ、レスカのストローを咥えて、しきりと窓の外を気にしている。

 窓の外、喫茶店の斜め前方には、建築事務所の入居したビルが見える。カモフラージュはしているが、指定暴力団須王会の事務所である。

 と。

 喫茶店の扉が開いて爽やかな風が吹き込んできた。途端に店内がざわめき出す。

 ツィンテールの金髪。大人の手のひら大の小さな顔。パステルピンクのパーカーにホットパンツ。長い美脚にはニーハイソックス。

 某有名アイドルグループでも、楽々センターを張れそうな美少女が現れたからだ。

 美少女は絡みつく視線を無視して、スカジャンヤンキーの前に座り込んだ。


「ご苦労さん」

 と美少女がスカジャンのヤンキーに声を掛ける。

「おう」

 ヤンキーは美少女の方を見もしないで応えた。

「状況は?」

 美少女キュートはシンジに習って、窓の外を眺めながら訪ねた。

「病院を退院すると、その足でこちらに急行して、もう一時間にもなる。そろそろヤバいんじゃないか」

「そうかも。でも何かやるにしたって、この街中じゃあね。やるんならもっと目立たない場所に移動してからじゃない? あ、ボク。アイスコーヒーね」

 キュートは恐る恐る注文を取りに来たウエイトレスに笑顔を振りまいた。

「に、してもよう」

 シンジは窓からキュートに視線を移す。

「響子ママは凄えよな。言ってることがいちいち的中している。まるで預言者だ」

「名探偵だからね、ママは」

 キュートはニコリとして言った。

「しかし何で校長がヤクザ事務所なんかに来るって、ママに分かったんだ?」

「うん。名古屋校長と須王会とは繋がりがあるみたいよ。須王会の現会長・須藤正輝は彼の教え子だったの。この前の会見ではとぼけていたけどね」

「だからって、繋がってるなんて、普通は考えないだろう?」

「高木春夫サンの死体が発見された時、校舎の裏口の鍵が空いていた。覚えてない? 守衛サンの証言にでてる」

「さあ、覚えてないね」

「てか、覚える気ないでしょ。まあ、いいいわ。つまりその鍵を開けて置いたのが若い頃の名古屋校長で、不良グループはそこから校内に侵入して、高木サンを殺害したってのがママの推理よ」

「なるほど。須藤正輝と名古屋校長の腐れ縁は、その時分から続いているって訳だな。しかし、そんなの当てずっぽうだろ?」

「ところがそうでもないのよ。名古屋センセが校長になるとき、須王会から金が動いていたらしいの。ママはそれを嗅ぎつけたみたい」

「なるほどな」

「結局ボクらを学校に行かせた目的のひとつは、校長に揺さ振りを掛けることだったらしいわ。動揺した校長が動き出すのを待っていたのね」

「ふう~ん。確かに名探偵だな」

 シンジはレモンスカッシュを飲み干して言った。

「ママはボクの憧れ。何時かはママみたいな探偵になりたいんだけど、まだまだママが何を考えているのかは、さっぱり分かんない」

 キュートはいじけるように唇を尖らせた。

「そう悲観するな。お前だって十分に化け物だ」

「何、それ。褒めてるつもり?」

「待て。来やがったぞ」

 頭を叩こうとしたキュートに、シンジが鋭く叫んだ。

 建築事務所の前には、何時の間にかこれみよがしなベンツが横付けされ、名古屋校長らしき人物が数人の柄の悪い男達に囲まれて、車の中に押し込まれようとしていた。

「やべえ」

 シンジは声を上げて、喫茶店の外にダッシュした。


 GPZに火を入れる。フルスロット。前輪が浮き上がる。

 ウィリーのままシンジのバイクは猛進し、黒塗りのベンツの後部トランクに乗り上げた。

 もの凄い音を残してベンツの後部トランクが潰れていた。

「何しやがんだ、てめえ!」

 助手席からいかにもというチンピラが、怒鳴り声をあげながら躍り出てきた。

 誰がどう見てもヤクザ者の車である。ちょっと傷つけただけでも大変な事になる。それを正面から堂々と踏みつけてきたのだ。舐めているのにも程がある。

 ヤクザにとって何より許せないのが、この「舐められる」という行為であった。彼らヤクザ者達は「恐れられて」なんぼの世界で生きている。舐められたらそこで終わりなのだ。

「済んませーん。ゲームしてて、前見てませんでしたあ」

 笑いながら更に前輪でトランクをこじる。

「このガキ、ふざけやがって」

 シンジの襟首を掴み上げたチンピラの腕を、がっしりとした手が抑えた。

「ご、権藤さん?」

 シンジとチンピラの口から、同時に同じ人物の名前が飛び出した。

 チンピラの腕を捩じ上げた権藤は、その顔面に強烈な頭突きをぶちかました。

 メキッ。

 という鼻頭の潰れる音がした。悲鳴を上げて地面に倒れこむチンピラの腹を踏み潰す。

 チンピラは胃液をまき散らしながら地面をのたうち回った。

「てめえ、権藤。裏切りやがって」

 ベンツの後部座席から現れた中年のヤクザが凄まじい顔で言った。

「昨夜、そう言いませんでしたかね、千賀さん」

 ベンツの中から事務所の中から、わらわらとヤクザ達が湧き出てくる。一行はあっという間に暴力集団に囲まれた。

 名古屋校長は、集団の一番奥で震えている。

 その最前列で権藤と千賀は睨み合っているのだ。

「どうします、千賀さん。これ以上騒ぎを大きくしないほうがいいでしょう」

 権藤は落ち着いた声で言った。気が付くと集団の周りには、多くの野次馬たちが集まりつつある。

 千賀は苦虫を噛み潰した顔をしている。

「てめえら。こんなことをして、タダで済むと思ってんのか」

 組員の一人がドスの効いた声で脅した。

「済むわけないじゃん。馬ッ鹿じゃないの」

 シンジの後ろでキュートが声を張り上げる。

「ま、慰謝料払うってんなら、考えてやんないことも無いけどね。じゃなきゃ・・・」

 ジロリと睨みつけた。そのへんのヤクザ顔負けのメンチを切る。

「潰すよ、組」

「まあ、そういうことですので、千賀さん。校長先生はこちらで預からせてもらいますよ」

 権藤はにやりと笑って言った。

 

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