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墜落の途中  作者: 香月鐘二郎
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第二章 不動明心法


 犬飼信二。28歳。

 出身地:東京。 現住所:東京都小平市。

 キュートはシンジの運転免許証をぼんやり眺めていた。

 クラブ「響」。先日、瀬名あさみが座っていた、あのボックス席である。

 深夜というよりは、もはや早朝と呼んでもいい。早起きの雀が路上の花びらを喋んでいる。桜の花びらだ。

 店を閉めた「響」の店内。

 キュートはシンジと向き合い、ボックス席のソファに膝を抱えている。響子ママはカウンターのスチールに腰を降ろし、その向かいでは初老のバーテンダーが洗い物をしている。

「へえ、ここがキュートの職場か、なかなかいい店じゃん」

 シンジは呑気にキョロキョロ店内を見回している。

「おまけにママさんも超美人だし。なあ、俺もこの店で働こうかな」

「何言ってんのキミ。勘違いしてるようだけど、キミはボクたちに拉致されたんだよ。拉致、誘拐。わかる?」

「そうなん?」

「当たり前じゃん、あの男たちの代わりなんだから。本来なら縄でグルグル巻きにしてもいい所だよ」

「ドSか?」

「ママぁ、コイツ埋めちゃってもいい?」

 ふたりのやり取りを眺めていた響子ママが、バーテンダーと顔を見合わせてクスクス笑いだした。

「まったく。あなたのお友達はおかしな子ばっかりね」

「友達じゃないし」

「彼氏だし」

「キミは黙るように」

 キュートはふくれた。

「はいはい、わかったから。えっと、シンジ君だっけ」

 響子ママは笑いを堪えながらシンジに向かった。

「さっき檜町公園でこの子を襲った黒服の男たち、あなたのお仲間?」

「まさか。公園の入口でキュートを見掛け声をかけようとしたところ、後を付けている男たちを見掛けたから、これはヤバいと思って後を追ったんだよ」

「とか言って、ヤバくなった連中を逃がすために乱入したんじゃないの?」

 キュートがジロリと睨んだ。

「本当だよ。あんな連中、見たこともない」

「でもあなたは先日、瀬名あさみちゃんという女子高生を拐おうとしたでしょう」

 響子ママは強い視線でシンジを見詰めた。

「あの子、あさみって言うのか。彼女には悪いことしたと思っているよ」

 シンジは俯いて語尾を濁した。

「そのあたりの事情を話してくれない。あなた暴力団ではないわよね」

「頼まれたんだよ、先輩に」

「権藤とかいうヤクザ者?」

「ああ、権藤さんは暴走族の先輩なんだ」

「イエローバディね」

 響子ママが言った。

「知っているのか、あんた?」

 シンジは驚いて顔を上げた。キュートも目を見開いた。

「彼の顔の疵を見て思い出したのよ。10年ほど前、調布にイエローバディという暴走族のチームがあったの」

「ああ、権藤さんはイエローバディの四代目総長を勤めていた。最盛期には100人からの構成員を従えた、三多摩最強の族だったんだぜ。池袋のチーマー「キング」城田とのタイマンは、今でも脳裏に焼きつている。当時、俺とタケシはそこの特攻隊だったんだ」

「それがある日、突然消滅してしまった」

 ギリっとシンジは歯を噛み締めた。

「ああ、たったひとりの女子高生に壊滅させられたんだよ。20人からの族員が全滅。半数が病院送りだ。権藤さんの顔の疵も、その時につけられたものだ」

「へえ、凄いねそいつ。なんという名前?」

「当時渋谷最強のレディース。渋谷クィーンズの「雷鳴のいちか」って女だ」

 シンジは悔しそうに言った。

「俺とタケシはその時、名古屋の集会に出ていて留守にしていたけど、帰ってきてびっくりしたよ。何しろたった一晩で帰る場所がなくなっちまったんだからな。それから俺は、必死になってそのいちかって女を捜した。もちろんブッ殺すためさ」

「で、どうなったの?」

「それから暫くして「渋谷抗争」が勃発した。渋谷抗争の名前くらいは聞いたことがあるだろう?」

「ああ、当時ボクはまだ子供でよくは知らないけど、なんか渋谷駅前のスクランブル交差点で、東西のヤクザ同士がバンバン撃ち合った事件だろ。東京って怖いなって、子供心に思ったことは覚えているよ」

「けッ。まあそれでな、渋谷クィーンズもその抗争に巻き込まれて解散消滅。いちかって女も行方不明だ。死んだって噂もあるが、俺は信じちゃいねえ。いつか必ず見つけ出す」

「で、殺すの?」

「当たり前だろ。そのためだけに俺は生きてるんだ」

「ほんと、バカ」

 キュートは呆れたように言った。

「思い出したわ。確かイエローバディには、暴れだしたら手の付けられない狂犬がいるって聴いたことがあるわね」

「それがこの俺、クレージードックのシンジ様だ。ってあんた何者だ?」

 シンジは驚いて響子ママの顔を見詰めた。

「ママはね。その手の情報にはやたら詳しいのよ。ママの知らないヤクザ者は、この街にひとりも居ないんだから」

「さて、そんな昔の話より本題にもどるわね。あなたの先輩の権藤さんは、どこのヤクザさんなの?」

「府中から調布一帯を締める暴力団須王会の組頭だ。言っとくが俺は組には関係ないからな。あくまで先輩後輩の間柄から仕事を請け負っただけだ」

「請負いで少女誘拐か。最低だね」

 キュートはプイとそっぽを向いた。

「しょうがねえだろ。この世界上下関係は厳しいんだ」

「ねえ、ママどう思う?」

「嘘を付いているとも思えないわね。組員を使わず使い捨てのチンピラを使ったというのは、余程事件の痕跡を残したくなかったからでしょう」

「ということはコイツ」

「何も知らされてはないでしょうね。檜町公園であなたに会ったというのも、案外本当に偶然なのかも」

「マジ? じゃ、やっぱ埋める?」

「埋めるな」

「ねえ、キュート。あなた、この子にキスしたんでしょ。その時、術は掛けなかったの?」

 響子ママはキュートを見詰めて小首を傾げてみせた。

「え、ああ。一応は掛けて置いたかな」

「じゃあ、わかるはずよ。この子が嘘を付いているかどうか」

「そうだね」

 キュートの唇に不適な笑みが浮かんでいた。


 

 不動明心法。

 それは闘いのさなか相手の動きをコントロールする武術の流派だ。戦闘の最中に仕掛ける催眠術の一種といっても過言ではない。

 催眠とは人間の意識レベルを、正常な批判能力が消失する潜在意識レベルにまで誘導することである。そのために必要な事柄は、極度な緊張と集中である。戦闘という非日常の精神状態のもとでは、人は常に催眠状態にあると言えよう。「心法」ではその状況を利用して相手に術を仕掛けるのである。

「東の金剛、西のお不動」

 キュートは言いながら、シンジの隣に席を移しその腕を抱え込む。

「東西心法の家元の名前だよ。ボクらの使うのはそのうちの不動明心法」

 言いながらキュートの手がシンジの背筋をすうっと撫でる。

 ぞくり。

 とする快感がシンジの背筋を駆け上がる。

 ああ、この感覚だ。

 とシンジは思う。あの時のキュートの唇の感覚。魂が引っこ抜かれるような、意識が遠のくような感覚。

「ボクらの一族はそれぞれが五感の中にひとつ、特異な能力を秘めていてね。ボクはそのうちのひとつ、触覚に秀でた感覚をもってるの。つまりボクは触れることによって相手の思いを感じたり、逆に自分の思いを相手に伝えたり出来るんだよ」

 キュートはその耳に息を吹きかけるように囁く。

「普通、心法は言葉によって術にはめるんだけど、ボクは触ることによって仕掛けることが出来るんだよ。ほら、キミはもうボクらに隠し事をすることは出来ない」

「だから」

 シンジは目を閉じながら言った。

「俺は嘘なんかついてないって」

 キュートは驚いてママの顔を見上げた。響子ママはにっこり笑って頷いた。

「この子は嘘とかつけるタイプじゃないわね」

「だから言ったろ。俺にはそんな術は利かねえよ」

「気をつけ。礼。着席!」

 にやりと笑ったキュートはいきなりこう叫んだ。

 すると不意にシンジは立ち上がり、いち礼してすぐに座り直した。

「え? えッー。俺、いま何した?」

 キュートは腹を抱えて笑いころげた。

「言ったろ。キミはまだ術に掛かっているの。「重ね衣」といってね、心法は重ねて掛けるほど、その効果は大きくなっていくんだよ」

「俺、催眠術にかかっているのか?」

「厳密には違うけど、まあそんなところだね。キミは放って置くと何すんか分かんないから、しばらくそのままで居てね」

「ママぁ」

 情けない声で響子ママにすがり付く。ママはにっこり笑った。

「でも、ママ。コイツが使えないんじゃ、どうする? また、振り出しに戻った感じだし」

「まあ、相手が須王会と解っただけでも収穫と思わなくっちゃ」

「この使えない男どうする? 捨てる? 埋める?」

「ちょちょっと、待ってよ。何でもするから、ここに置いてくんない」

 シンジが話に割り込んできた。

「はぁ? 何言ってんの。キミはボクらの敵なの、敵。仲良く出来る訳ないじゃん」

「いやいやいや、俺はあいつらとは何の関係もないんだぜ。それに俺は、ここが気に入ったんだ。何でもするから、ここに置いてよ。それにさ。ほら、俺はお前らに拉致されたんだろ? 拉致された以上、ここからは出られない」

 おかしな理屈だ。

「あのね、使えない捕虜は要らないの。解放するから、どこにでも行って」

「いや、それはいけませんな」

 冷たく言い放ったキュートに、銀髪の老バーテンダーが声を掛けた。

「どういうことよ、徳さん」

「これをご覧ください」

 バーテンダーはタブレット端末の画面を開いて見せた。そこには最新のラインニュースが載っている。

 そこに載っているのはこんなニュースだった。


 昨日午後11時30分頃 東京ミッドタウン脇の茂みの中で、東京都在住の派遣社員岡元武史(28)さんの死体が発見された。

 全身数十箇所の暴行を受けた形跡があったため、当局では殺人事件として捜査を始めている。


「た、タケシ。こいつタケシだよ」

 シンジが大きな声を上げた。

「ママ、どういうこと?」

「口封じね。タケシ君は何かを知ってしまったというところかしら」

「午後11時半、ミッドタウン。ボクらがあの近辺を通り掛かる少し前だ。まさか、あの時にこんな事が起こっていたなんて」

「あいつらか、ちくしょう!」

「お待ちなさい!!」

 シンジが吼えた。上着を取って出口へ向かおうとするのへ、響子ママの鋭い声が飛んだ。あまりの迫力にシンジの足が止まった。

「タケシ君が殺されたということは、あなたも狙われる可能性があるということよ」

「関係ないね。俺は親友を殺されて黙っているような男じゃない」

 狂犬のように歯を剥くシンジに、響子ママは強い視線を向ける。

「あなたは私たちに拉致されていることを忘れないように。・・・キュート」

「ん? はい」

 関係のないキュートまで、ママの迫力に押されているようだ。

「となると、次に心配なのは権藤さんの身の上ね。あなた、見てきて頂戴」

「わかった」

「俺も行くよ」

 シンジが言った。

「あなたはここに居なさい。狙われているの分かるでしょ」

「自分の身は自分で守る。それに権藤さんの入院している病院を知ってるのは俺だけだ」

 響子ママは暫くシンジの目を見詰めていたが、やがて諦めたようにフッと笑った。

「わかったわ。キュート。シンジ君のガードをお願い」

「えー。なんでボクが、こんなヤツのガードなんか」

「俺が守ってやるよ。彼女の身を守るのは彼氏の役目だ」

「彼氏いうな。ほれ、お座り」

 シンジはその場に座り込んだ。

「わんわんわんって、何晒すんじゃい!」

 アッハハハハ。

 ふたりは楽しそうに笑いあいながら外へ出ていった。


「よかったんですか、あれで?」

 ふたりを見送る響子ママの背に声を掛けた。

「あの子ってあんなでしょ。触っただけで人を催眠術に掛けられる。そんなの気味が悪くて、誰も友達になんかなれないわよ。だからあの子はいつでもひとりだった。ずっとね」

「お嬢様に出会う以前は、でしょう」

「そうね。でも、私はあくまでママ。友達にはなれないわ」

「あのシンジさまなら、それが出来ると?」

「かもね。あの子に心法を掛けられて、あんなに楽しそうに笑っていられる人を初めて見たわ」

「そうですね」

 そしてバーテンダーはくすりと微笑んだ。

「何よ」

「いえ。あの方はどなたかに、似ていると思ったからです」

 響子ママは思わず頬を赤らめた。

「似てないわよ、タイプは真逆」

「そうですね。でも心の中身は、たぶんご一緒」

「馬鹿ね」

 響子ママは遠い昔に思いを馳せる目をしていた。



 新宿百人町の外れにある寂れた雑居ビルの2階。

「栗原クリニック」はその一角にあった。

 この近辺には外国人が多い。韓国人、中国人、タイやフィリピンの女性。インドや中東の人間も珍しくはない。

 クリニックの医院長は故あって保険医の資格を失っていた。従って自然訪れる患者も外国人が多くなる。

 もしくは正規の医者には見せられないような、理由ありの患者。シンジのグループは、まだ暴走族の時代からよくこのクリニックを利用していた。

 権藤が怪我を負ったとき、これを組に知られるのはマズイとのタケシの判断で、彼の身体をこのクリニックに運び込んだのだ。

 このクリニックの存在を組は知らない。

 栗原院長はモグリだが、腕のいい医師であった。

 昔馴染みということもあって、栗原医師は理由も聞かずに手当をしてくれた。もっとも彼の元を訪れる患者は訳ありが殆どなので、いちいち理由を問わないのが普通である。

 雑居ビルの前には1台のバイクが停まっていた。

 カワサキ、GPZ400R。通称、ニンジャ。

 暴走族時代からのシンジの愛機である。息も絶え絶えの老機ではあるが、そこがまた愛着があって手放せない。

「よう、シンジ。珍しくイイ女連れてるじゃねえか。一発ヤラせろよ」

「安くしとくわ、センセ」

 酒焼けの赤ら顔をした栗原医師に、キュートは鮮やかな笑みを向ける。老医師は腹を抱えた。

「それどころじゃねえぜ、先生。権藤さんは無事か?」

 老医師は眠そうな目をカーテンの向こうにやった。

 モグリの違法クリニックに、もとより入院設備などはない。カーテンで仕切った診察室の奥に、古びたベットがあるだけだ。

 頭部位を持ち上げたベットの上には、ネックガードに首を固めた権藤が座って、ポータブルのテレビを観ていた。彼はシンジに続いて入ってきたキュートの姿を認めて目を剥いた。

 無理もない。自分の顎を砕いた張本人が、にこやかな笑顔を浮かべて現れたのだ。

「おひさぁ。元気ー? なわけないか。あの時はゴメンね。ちょっとやり過ぎた」

 砕けた下顎骨を人工骨片で補強してボルトで留めている。潰れた鼻にも人工鼻骨が入っている。当然喋れる訳がなかった。

 権藤はもの凄い目をしてキュートを睨みつけた。

「まあまあ、権藤さん。理由がありましてね。こいつ、今は俺のツレなんすよ」

 キュートはそう言ったシンジの尻を蹴飛ばした。

「んな事より権藤サン。状況は今テレビで観た通りなんだけど、これってどういう事かな?」

 キュートが言った。

 ポータブルのテレビにはタケシの事件が、朝の情報番組として流れている。

 権藤は殺気さえ帯びた瞳で、暫くの間シンジとキュートの顔を睨んでいたが、ふとその視線から力を抜くと枕元の鞄を指さした。

 シンジが鞄を開くと、中からは3枚の写真とホワイトボードが現れた。聖夜と瀬名京太、そしてあさみの写真である。

 権藤はホワイトボードを手に取った。喋れない以上、筆談しか情報交換の方法はない。

(状況は理解している。話を聞こう)

 見た目とは違って、かなり理性的な男のようだ。

「キミ、なんであさみちゃんを襲ったの?」

 キュートはあさみの写真を見せて言った。

(上からの命令でな。拐えと言われれば拐う。殺せと言われれば殺す。それが俺らの世界だ)

「理由は聞かず、ってか」

 権藤は無言だった。

「ま、いいわ。質問を変える。キミたちの目的は何?」

(知らんな。俺らは考える必要はない。余計な考えを持てば殺されるだけだ、あのタケシみたいにな。ただ、俺たちが受けた最初の命令は、あの娘の誘拐じゃない。この男の捜索だ)

 そうして聖夜の写真を取り上げた。

「聖夜ね」

(知っているのか? この男、というよりはこの男の持っているはずの、ある物を見つけ出すのが最初の仕事だった)

 ピンと来た。来栖の言っていた「母親の遺産」であろう。

「ノートだね」

(そこまで知っているか。しかしそれが何のノートかは知らない。俺たちはただ、聖夜が持っているはずのノートを探せと命令されただけだ)

「それでノートは見つかったの?」

(さあな。しかし聖夜という男は他の人間が確保したらしい。それで俺たちには新しい指令が飛んだ)

「このふたりを探せ、ということね」

(ああ。しかし俺たちが探索を始める前に、瀬名京太は姿を消した。だから、俺たちはその娘を狙ったんだ)

「つまり、まだノートは見つかってはいない、ということね?」

(だろうな。多分ノートは瀬名京太が持ってるんだろ。そうでなければ、ふたりを確保する理由がない)

「瀬名サンは確保したの?」

(いや。少なくとも俺が知っている範囲内では見つかってはいないな)

「聖夜はどうしたの?」

(知らん。生きていることを祈るんだな)

「聖夜と瀬名サンの関係は?」

(それも知らん。言ったろう、俺らはただ言われたことをするだけだ)

 キュートは大きな瞳で、権藤の目を覗き込んだ。

「ねえ。基本的な質問をするけど、なんでそんなにベラベラ喋っちゃうの?」

 権藤は少しの間キュートの顔を見つめ、ふうとため息をついた。

(俺は余計な興味を持ってしまったんだ。さっきも言ったように、余計な興味を持てば殺されるだけだ。しかし俺は興味を持った。勘違いするな、聖夜や瀬名京太やノートに興味を持ったんじゃない。俺が興味を持ったのはお前だ)

「ボク?」

 キュートは自分の顔を指さした。

(ああ。仮にも「ステゴロ」の異名をとるこの俺を、こんな目に合わせる小娘がいる。興味を持つのも当然だろ)

「で、タケシ君か」

(まあな。お前ほどの女が係わる事件だ、どんなものかそのあたりから調べようと思った。それでタケシに頼んで、その辺りを探らせたんだ。こいつらは組員じゃない。俺の舎弟というわけでもない。ただの後輩だ。そういう奴のほうが動きやすいと思ったからだ)

「何で俺じゃなくてタケシなんだよ」

 シンジが噛み付いた。

(タケシはすばしっこくて頭の回転も速い。こういう仕事には打ってつけだ)

「わかる。コイツ、バカだもんね」

(で、2日前にタケシから連絡があった。妙に興奮していて、「権藤さん、これは相当ヤバいヤマですよ」と言ったんだ)

「何がヤバいの?」

(わからん。そしたら昨日ああいうことになった。無理はするなと俺は言ったんだが)

「結局はあんたが、タケシを殺したんだ。自分では興味をもてば殺されるだけだとか言って置きながら、タケシを使って事件を探ろうとした、だから奴は殺されたんだ」

 シンジは涙を流して権藤のパジャマを掴んだ。

「やめなって」

 キュートがその腕を抑える。

(お前の言う通りだ。俺がタケシを殺した。言い訳をする気はねえよ)

「権藤サン、ヘンなこと考えてるでしょ?」

 キュートはニコリと笑った。

「キミの気持ちも分かるけど、ここはボクらに任せてくんない。こう見えてもプロなんで」

(任せるもなにも、この通り俺は動けないんだ)

「だよね。あとさ、忘れちゃいけない。キミだって狙われてるかも知んないんだよ」

(余計なお世話だ。自分の身くらいは自分で守れる)

「だよね。じゃ、行こうか。シンジ」

「おいおい、俺はまだ言う事が」

 更に噛み付こうとするシンジの腕を取って、部屋の外に連れ出した。

 大声で言い争いながら遠ざかって行く足音を聞きながら、権藤は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。



 新宿西口のファミリーレストラン。

 摩天楼のような高層ビルの一角にある小さなレストランである。

 入り口近くの壁に宗教団体「陽だまりの国」の大きなポスターが張ってあった。

 キュートとシンジは4人掛けのソファーに向き合っていた。

 ランチタイムである。シンジは「日替わりランチ」を大口を開けて頬張っている。

 キュートはそんな様子を頬杖を付いて眺めている。

「キミってホントにお気楽だよねえ」

「なんでだよ」

「権藤サンの胸の内わかんないの?」

「わかるよ。俺だって同じ思いさ」

「じゃなんで」

「それはそれ、これはこれだ。タケシの仇は必ずとる」

 シンジは強く言い切った。

「それより、今回の件はいったいどういうことなんだ」

 ふん。

 キュートは鼻を鳴らした。

「じゃ、頭の悪いキミのも判るように説明してあげるかな。まずは聖夜というホストの件なんだけど。彼が拉致られた原因は、彼の持っていたノートにある。これは明らかな事でしょう」

「ああ、でもそのノートには何が書かれているんだ?」

「誰かにとって非常に不味いことが書かれていたんだろうね」

「誰かって?」

「須王会の上の方の人か、あるいはもっと上の人物」

 キュートは考えながら言った。

「もっと上って?」

「須王会を陰で操る人物ね」

「ピンと来ないな」

 シンジはコップの水を飲み干しながら言った。

「どの世界でも企業間競争は激しいから、少しでも自分たちに有利に働くよう、力のある人間に近づきたいんじゃないの」

「力のある人間?」

「例えば大物代議士とか政財界の大物とか」

「なるほどな」

「そういう連中は叩けばホコリの出るのが多いから、いざという時のために危ない連中を飼って置くってのもあるでしょうしね」

「需要と供給ってことね」

「へえ、難しい言葉も知ってんのね」

「そのくらいはね」

 シンジは胸を張った。

「つまりそのノートには、そいつらに取って命取りになるような事柄が書かれていたってことか」

「それを聖夜は「遺産」と表現したわ」

 キュートは意味深な言い方をした。シンジは腕を組んで考える。

「待て待て。すると聖夜って奴は、それをネタにその大物って奴を脅迫したってことか」

「まあ、そうね。遺産を現金化するには、それが最もてっとり早いわ」

「それって相当ヤバいだろう」

「ヤバいでしょうね。事実彼は拉致されちゃってるしね。その辺りの状況を認識せずに、行動を起こしちゃうところは素人よね」

「しかしなあ」

 シンジは食後のコーヒに手を伸ばして言った。

「それと、あの娘の誘拐と何の関係があるんだ?」

「そこが問題よね」

 キュートはデザートのパフェを口に運ぶ。

「あさみちゃんのパパに接触したのは、多分聖夜のほうからよ。あさみちゃんのパパ、瀬名パパは聖夜の写真を持っていた。つまり彼は聖夜の顔を知らなかったのよ。だからお店のホームページかなんかで彼のことを調べた」

「おっさんは聖夜から連絡があるまで、聖夜の存在を知らなかったってことか。しかし聖夜の方はおっさんのことを知っていた」

 キュートはホイップクリームを付けたままの鼻先を突き出した。

「という事はノートの内容について、瀬名パパは何かを知っているってことになるわね。例えばノートの中に瀬名パパの名前が乗っているとか」

「どういう事だよ?」

 シンジは目を見張る。

「ホストクラブの同僚の話だと、そのノートには聖夜のお父さんのお兄さんつまりおじさんに当たる人が、高校生の頃に自殺した顛末が書かれているらしいのよね。恐らく瀬名パパはその事件の関係者で、事件の秘密を握るキーパーソン。だから聖夜は連絡を取った」

「それでおっさんは聖夜の店を訪れたんだな」

「うん。瀬名パパの部屋に聖夜の名刺が残されていたからね。んー、大分わかってきたぞ」

 どうやらキュートはシンジに話しながら、自分の考えをまとめているらしい。。

「でもよ、おっさんの高校時代ってことは、少なくとも30年は昔の話しだろうよ。そんな昔の高校生の自殺が、なんで暴力団須王会を動かせる程の大物の命取りになるんだよ」

「そう、問題はそこよね。ノートには何が書かれていたのか?」

 キュートは腕を組んだ。

「くそう、めちゃめちゃ知りたいぜ」

「ボクもだよ。しかし今もっとも大切なことは、瀬名パパの安全を確保すること。多分、ノートは瀬名パパが持っているわ。瀬名パパを保護することは、ノートを手に入れることにも繋がるの」

「乗ったぜ、キュート!」

 ドン! とシンジはテーブルを叩いた。

「俺にも手伝わさせろ。事件の謎は俺が解く。何故なら俺は三代目有明精二だからな。なんつうて」

 シンジは臆面もなく、アニメの「三代目有明精二」有明比斗志の決めセリフを吐いた。

 キュートはプッと吹き出した。

「何言ってんのキミ。キミなんかに何ができるのよ。キミの相棒がどうなったのか、忘れたわけじゃないでしょう」

「やかましい。俺はタケシの仇を取るって決めたんだ。お前が拒否しても、俺はひとりでもやってやるからな」

 シンジは激昂して席を立った。

「仇、仇ってうるさいのよ。時代劇の身過ぎじゃない?」

 キュートも席を立って睨み合う。

「話はこれまでだ。俺は勝手にやらせてもらうからな」

「ちょっと、キミ本気? 殺されるわよ」

「俺の勝手だ」

「しょうがないな」

 キュートはふうとため息を吐いた。

「まあ、犬コロでも投げた棒くらいは拾ってくるか」

「人を犬扱いするな」

「はい。お手」

 スッと差し出したキュートの掌に、反射的にシンジは手を重ねる。キュートはその手をしっかり握り締めた。

「仕方ない、手を組むわ。よろしくね、シンジくん」

 キュートは大きな瞳でシンジの顔を覗き込んだ。

 か、可愛いい。

 シンジは耳まで真っ赤になった。

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