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《・・・フフ、ハハハ、いい気味だわ》
《リシェンダ、声を抑えろ》
《抑えろですって、無理に決まってるわ。これが抑えておけるものですか》
かつての契約者であったジバラが契約したはずの精霊を呼び出そうとして失敗した。
ただ、それだけなのだが、リシェンダが笑っているのは、強制的に呼び出されていた支配から逃れたことが理由だ。
召喚に失敗していることで笑いが抑えられない。
窘めているメディリアも顔に笑みが浮かんでいる。
《いい気味だわ。今までの苦労を思い知れば良いわ》
《召喚に応じなくて良いということがここまで小気味良いとは》
《本当に解除してもらって感謝よね。言わないけど》
《うむ》
《少し観察しましょ》
《賛成だ》
ジバラは背後からかつて契約した精霊から見られているとも知らずに失態を犯していく。
「ジバラ先生、試験の採点終わりました?」
「まだだ」
「まだって、もう三日は経つんですよ。早くしてくださいね」
試験問題はリシェンダが作った物だ。
答え合わせのための資料など作っていない。
《いい気味だわ、本当にいい気味》
《あの問題は難しいのか?》
《難しい訳ないじゃない。全部授業で板書した内容から出してるわよ》
《なら、あの男なら簡単に採点できるのに何故、時間がかかっている?》
《試験問題数が多すぎで単純に時間がかかるだけよ》
難問と呼ばれる問題を数問用意しているが、大半は授業で教えた内容だけだ。
採点に時間がかかるのは多いだけだ。
リシェンダは精霊のため睡眠を必要としないから徹夜で仕上げることに苦労はない。
だが、ジバラは睡眠が必要だ。
さらに試験が終われば、通常授業が待っている。
作業時間不足で遅れている。
「何故だ。何故、契約が切れた。あの陣なら精霊を奴隷にできたというのに」
採点が終わらなければ成績が出せない。
他の教師の手前、急ぐしか他なかった。
適当な精霊に手伝わせようとしても誰も呼びかけに答えない。
《別に試験を受ける学生に罪は無いもの。問題数が多いだけで授業で板書したことだけで問題を作ったのよ。あの男は口頭でも色々言ってたけど、そこを問題にしたら可哀想でしょ》
《板書なら休んでも誰かに教えてもらうことができるからな。リシェンダは良き教師であったのではないか?》
《そうだと良いけど》
《ぬ、あれはエヴィではないか?》
《あら?そうね。あの男に好き好んで近寄る感じじゃなかったのだけど?》
もちろんエヴィは近寄るつもりは無かった。
ただアカデミーの中に張った網の点検だ。
「おい、そこの風の精霊!」
《はい?》
「今すぐ契約しろ」
《嫌ですよ。もうマスターはいます。だいたい、魔力も何もないのに契約しろと命令するなんて非常識にもほどがあります》
「何だと!」
《非常識な人に非常識と言って何が悪いんですか?》
「そっちもだが、それじゃない。私に魔力が無いとはどういうことだ」
《どうもこうも知りませんよ。無いものは無いだけのことです。忙しいんです。どうでも良いことで引き留めないでください》
エヴィはもともとフィリアに意地悪をするジバラのことを嫌っている。
それでも会話をするのは生来のお節介な性質のせいだろう。
《エヴィ》
《あら、リシェンダにメディリアまで、どうしたんです?》
《あの男、わたし達の契約者だったのよ》
《えっ?どうして魔力の欠片も無い男と契約していたんです?》
昨日、ルーモンドに話していたがエヴィはリシェンダと話していて全く聞いていなかった。
再度、同じ説明をすることになった。
《何てことを》
《それで契約解除をお願いしたのよ》
《そうだったのですね。分かりました。このエヴィ、微力ながらお手伝いしますわ》
《何を?》
《急ぎすることがあるので、これで》
エヴィは風になって消えた。
気配が消えたわけではないから目的があったのだろうが、エヴィが動く理由がどこにあったのか理解できなかった。
《エヴィ、何をするつもりかしら?》
《我らでは止められん。帰って聞こう》
《そうね。そうしましょ》
ふとジバラに視線を向けると喉元を触っていた。
それでエヴィがしたことに気づいた。
《死なない程度に苦しめるつもりだな》
《エヴィの行動力に驚かされたわ》
空気を薄くしたのだ。
中級の精霊では出来ないことであるのは分かるからきっとこの辺りを縄張りにしている上級精霊に頼みに行ったのだろう。
「何だ急に、空調が壊れたのか?」
管理室に電話をかける。
「空調が壊れた。修理しろ」
管理室では壊れていないと返答される。
「息苦しいのだ。いいから早くしろ。役立たずが、何?年のせいだと?ふざけるな」
適当にあしらわれて電話を切られた。
空調は壊れていない。
さらに言えば、移動しても変わらない。
きっと死ぬまで続く。
原因が分からないままに。
《あとのことは関係ないわね。フィリア様のところに戻りましょ》
《うむ、帰りに精霊酒でも買って帰るか》
《良いわね》
※※※
「ついに奥様、精神を病まれたそうだよ」
「恋人は吸血鬼に殺されたってやつだろ?」
「そうじゃないのよ。今度は、その恋人が生きて目の前に帰って来たって」
「そんなはず無いでしょ。十五年も前に死んでるんだから」
「息子とかじゃないの?」
「でも十五年分年取った姿らしいわよ」
「らしいって」
「奥様以外に見たことないのよ」
「それはもう、幻覚だね」
「旦那様は初めから分かって娶ったけど、もう少し考えて欲しいね」
「ほんと、ほんと、貴族の娘なら実家に帰せるのに、平民だから出戻りも出来やしない」
「長男様がしっかりされているから家は大丈夫だろうけどね」
「次男様だろ?」
「奥様の妄言を信じて血迷っていらっしゃるから」
「双子なのに随分と違うねぇ」
「それで、次男様が奥様に実の父親は死んだから帰ってきていないって忠告されたそうよ」
「次男様は母親が精神を病んだなんて信じたくないでしょうねぇ」
「奥様は信じてくれていた次男様をぶったそうよ」
「あらまぁ」
「ずっと信じてくれてたのにねぇ」
「二度と母などと呼ぶな、実の父を殺すような息子は要らぬ。ですって」
「最初に死んだと言ったのは奥様なのにねぇ」
「奥様の心変わりの早さは今に始まったことじゃないさ」
「次男様は旦那様から好かれていないから今更よね」
「でも長男様にもしものことがあったら代わりにするんじゃないの?」
「それなら親族や孤児院から養子を貰えば良いさ。妄言女が育てた子なんて跡継ぎにしたいと思わないさ」
「私らは働き口があれば問題ないけどね」
「奥様には恋人が帰って来たと口裏合わせときゃ何とでもなるしね」
「それよりも奥様が毎月送られている手紙、誰宛か分かった?」
「ようやっと分かったよ。書き損じた手紙を見て魂消たよ」
「なになに?」
「あの旦那様がいるハンター協会の枢機卿様だよ」
「なんて恐れ多い」
「いくら底辺貴族だからと言って、元平民の奥様がおいそれと手紙を送って良い相手じゃないよ」
「それも恋文じゃないのさ」
「何て書いてあったんだい?」
「恨みごとさ」
「恨みごと?」
「あぁ、恋人は枢機卿に殺されたっていう言いがかりも甚だしい内容だよ」
「その手紙どうしたんだい?」
「燃やしたよ。あんなものがあったら旦那様だけじゃなく私達まで処罰されちまうからね」
「それが正しい判断だ。さぁ仕事仕事」
※※※
「・・・寝たか?」
《お休みになりましたよ。今日はエヴィが添い寝するそうです》
「そうか。メディリア、リシェンダ」
《はい》
《なんだ》
「明日、すべてが終わる。頼んだぞ」
《わたし達は何があってもフィリア様を守ります》
「そうか。頼もしいな」
《主殿はどうなる?》
「分からん。成功する確率は半分だ。リシェンダ、当日に森の周りの住人たちに夢を見させてくれ」
《嫌だと言っても命令するんでしょ?》
「分かってるじゃないか。最後に騒がれては守り切れないからな」
《良いわよ。ちょっと準備があるから離れるわよ》
「あぁ」
リシェンダが離れて気配を感じなくなるまで待った。
フィリアの傍にいるようになってから不必要に気配を消すことが無くなった。
簡単に追えるようになった。
《主殿、リシェンダは明日の定刻まで戻らぬ》
「メディリア、頼みだ。都合の良い真実を枢機卿に喋らせろ」
《それは命令と言うものだ。だが、合意の元に結ばれた主からの命令は何よりも心地良く感じるもの。心得た》
「これで待つのみだ。永かったな」
《我ら精霊は時間の感覚が鈍い。同意をしてやれぬ》
「そこまで求めていないさ。明日、頼むぞ」
《御意》
※※※
《フィリア様、枢機卿のところに行きましょう。今日しかありません》
「うん」
《ご家族がどうして殺されたのか。直接聞くのは今日です。今日なら協会内も手薄です》
「うん」
リシェンダはずっと枢機卿に直接確認することをフィリアに勧めていた。
そのようにメディリアが影で動いたが、リシェンダは気づくことなく話していた。
人に気づかれることなく協会に潜入するなどリシェンダの力なら朝飯前だ。
誰とも会わずに枢機卿のもとに辿り着いた。
「誰だ!侵入者だ」
《今日は誰も来ないわよ。百年に一度の大襲来なんだから》
「何が目的だ」
《決まってるじゃない。フィリア様の家族を殺した理由よ》
「フィリア?・・・っ貴様、シーズベルト家か!生きていたのか」
《話して貰うわよ》
「知らん知らん、だいたい今更こんな手紙を送って来よって」
引き出しから何十通という手紙を出し投げつける。
年月が経っている物から新しい物まで揃っている。
リシェンダは手紙を拾うと宛名を確かめた。
《これはフィリア様の筆跡じゃないわ。だいたい十五年前ならフィリア様は五歳だもの。冷静に考えて手紙は書けないわ》
「だったら誰が他に書けるというのだ。一族そろってハンターで忌々しい以外ないだろうが、だいたい一家殲滅させたくらいで文句を言うな」
《どういうこと?》
「ヒトは我らのエサになっておれば良いのだ。それを飼い主に楯突くから処分したまで、何が悪い」
《もしかして、吸血鬼》
「それがどうした。崇高な我らを狩ることを生業にしていると世迷言を抜かしたエサを処分する。まぁ吸血鬼に滅ぼされたのは外聞が悪いからな人は人同士で共食いしてもらったことにしたわ」
《この下種が、永遠に苦しむが良いわ》
「ヒトに隷属した精霊ごときに何が出来る。馬鹿め」
《・・・フィリア様?》
「もう、良いよ。帰ろ」
《分かりました》
《先に戻っていてくれ。この下種な男が何もしないように見張っておく》
《頼んだわよ。フィリア様、行きましょう》
枢機卿から聞き、そして、枢機卿が吸血鬼で、自分の家族が邪魔だからと殺された。
ハンターが殺したのではなく、そう偽造されただけのことだった。
自分が憎しみを抱いていた人はいなかった。
《フィリア様、大丈夫ですか?》
「うん、仲間が殺したんじゃなかったんだね」
《そのようですね。わたしは十五年前のことはエヴィに聞いただけです。おそらくは枢機卿が語った内容が真実かと》
「ルゥは知っていたのかな?」
《おそらくは御存知だったと思います。だからフィリア様をアカデミーに入学させたのですから》
「うん」