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第四話 前編

輪廻の鎖 改訂版


― 四 前編 ―


 視界を埋めるのは鮮血のように赤い霧。その霧の中心にある真紅の瞳が不気味に動く。瞳が見つめるのは黒い髪をセミロングに伸ばしたほっそりとした体躯の少女。

 そして、その少女を守るように立ちふさがるのは袴を着た男性だった。前世の真冬と春である。

(やはり私が狙いなんだよね)

 二人を遠目で見つめた春は心中でつぶやく。もう何度この夢を見ただろうか。春がどれだけ叫ぼうが、嘆こうが、この夢は変わらない。結末はもう分かっている。分かりきっているが、やはりこの夢を見る度に春の心はまるで握りつぶされたかのように痛む。

 赤い霧から射出されたのは無数の騎士剣と金属槍。銀色に輝く数多の刃は溜息が出るほどに綺麗だった。まるである種の芸術品を見ているかのように。

 だが、その刃は彼らを八つ裂きにするのだ。

 彼が飛来する剣をどれだけ弾こうが、どれだけ抗おうが結果は変わらない。数える事も馬鹿らしいと思える刃は容赦なく彼を傷つけていくのだから。そして、痛みを引き受けるのは彼に力を与えている少女。

(酷いよね)

 春は溢れる涙を拭う。伝わってくるのは彼らの悲しみ。そして、心の痛み。

 彼が戦おうと前に進めば進むほどに守りたいいと願う少女は傷ついていくのだ。少女の絶叫を聞きながらの前進。ただの高校生だった者が耐えられる訳はない。いや、この状況で何も感じないような者はすでに人として問題だろう。確かな勝機があるのであれば話は別だが、彼らの頭の中にあるのは敗北のイメージだけなのだから。

 一度、ガラスが粉々に砕けるような音が空間に響く。それは彼の心が壊れる音。

 春は耐えられずにきつく瞳を閉じた。もう見たくなどないのだ。次の戦いのヒントがあるかもしれない。だが、もう限界だった。これ以上見れば春は戦う前におかしくなってしまうだろうから。

「――もっと一緒にいたかった」

 掠れた声が響く。それが少女の最後の言葉。

 刹那、鋭利な刃が空間を切り裂く。突風に似た全てを吹き飛ばすかのような風を感じ、春はゆっくりと瞳を開く。

 瞳を開けた先に佇むのは鋭利な槍に串刺しにされた少女。次に見たものは串刺しにされた少女を目の当たりにした彼の姿。彼は少女へと手を伸ばす事も、戦う事ももうない。彼は壊れた人形のように虚ろな瞳を向けているだけだった。

 これは前世の彼らが経験した敗北の夢。そして、これからも彼らには終わらない絶望が続いていく。まるで容赦なく降り続ける雨のように、痛みが絶望がその身に降りかかるのだ。それでも彼らは戦わなければならない。穢れという化け物から彼らの身近にいる人を守るために。誰も知らない所でひっそりと。

 ――そして、これは春達が経験する出来事でもある。春達は同じ事を何度も繰り返す輪廻の鎖で縛られているのだから。

 春は震える肩を強く抱く。自らが死ぬ事よりも真冬が彼のようになってしまうのが嫌だった。真冬をずっと支えたいと強く思う。だが、今日で春は死んでしまう。あの温もりに触れる事はもう叶わないのである。

(もういいでしょう? こんな夢……早く終わってよ)

 春は再びきつく瞳を閉じて全てを拒絶する。あとは閃光に包まれてこの夢は終わる。いつもそうなのだから。

 だが、いつまで立っても春を閃光が包む事はなかった。まだ何かを見せるつもりなのだろうか。

 そう思った瞬間。

「あなたはまだ諦めてないよね?」

 落ち着いた声が響く。

 その声を耳にした春は慌てて背後を振り向く。するとそこには薄っすらと微笑む前世の春がいた。声を掛けられただけでも驚愕に値するが、さらに驚いた事は彼女の身が血で汚れていない事だった。先ほど串刺しにされたというのに。

「どうして?」

 春は呆気に取られて問う。

 いったい何が起きているというのだろうか。もう夢はとっくに終わっているというのに。注意して周囲を見渡すと地面を抉った刃はすでになかった。まるで今までが幻であったかのように。

「あなたは私とは違う。まだ進める。だから」

 前世の春はゆっくりと歩を進める。春に向かって進んでいるのはすぐに理解した。だが、何の目的で近寄ってくるのかは分からなかった。呆然と見つめていると目の前まで来た彼女はゆっくりと春を抱きしめる。彼女から感じた温かさはどこか不思議だった。まるで自分で自分を抱きしめているかのような感覚。前世といえどもやはり彼女は自分なのだ。

 春が何をしたいのかと問おうと思った瞬間。

 彼女は光へと変わっていく。その光は巫女の力の源である神力だった。

(力が溢れてくる?)

 春は身に沁みていく力を全身で感じ取る。まるで内側から器である春を破壊してしまいそうなほどに溢れ出る力。今ならどんな相手であろうと負ける気はしないと思えるほどに強い力だった。例えあの監視者が相手だろうとも。

 おそらくこの力で抗えというのだろう。言葉などは聞かなくても正確に彼女の意図を理解した春は決意を言葉に変える。自らを鼓舞するために。

「私は変える。運命も、真冬の想いも」

 春は胸の前で拳を握り締めて宣言する。自らが進むべき道を。内に眠る彼女も同意してくれたのか、一度春の全身から光が溢れる。その力を感じて春は一歩を進む。自らが戻るべき場所へと戻るために。春の心にはもう迷いはなかった。



 真冬は汗ばむ額を一度拭う。額に汗が浮かんでいるのは監視者の用意した悪趣味な夢を見たからではない。この身にぴったりと寄り添っている人肌の温かさが原因である。

(さすがにこの季節でも熱いな)

 真冬は内心で苦笑し、決して真冬から身を離す事のない妹を見つめる。そして真冬自身もどれだけ熱かろうが春を離すつもりはない。今日だけは春を抱きしめて眠りたいのだ。そして、叶うのであればずっとこの温もりを感じていたいのである。それ以外に真冬が望む事はない。

「真冬」

 春が何とか聞き取れるような微かな声で名を呼んだ。起きているのか、それとも寝言なのか。真冬は注意深く妹を見つめる。寝言であるのならまだ眠っていてほしい。残酷な現実ではなくて、何か幸せな夢でも見ていてほしいのだ。

(震えている?)

 ほどなくすると春の両肩が震え出す。まるで何かに怯えるかのように。

 そんな妹の細い肩を抱いて――

「夢を見たのか?」

 真冬は優しく問いかける。春の不安を、恐怖を少しでも消し去るために。

「うん」

 問われた妹は一度頷いた。おそらく春が見たものは今日起こる戦いの夢だったのだろう。

 真冬は慎重に言葉を選ぶ。今日死ぬかもしれない相手にどう言葉を掛ければいいのかなど分かる訳はないのだから。

 だが、震える妹に何か力になる言葉を掛けてあげたい。それが真冬の素直な気持ちだった。

「春、大丈夫だから。俺が――」

「僕は大丈夫だよ」

 真冬の言葉を遮って妹が発した声は驚くほどに落ち着いていた。真冬は訝しんで胸に抱く妹を見つめる。一体春の中で何が変わったというのだろうか。

「力を分けてもらったから」

 真冬の視線を受け取った春は薄っすらと微笑む。春の両肩はすでに震えておらず、黒い瞳には確かな意志が感じられた。言葉通り、もう大丈夫なのだろう。

「力?」

 とりあえず妹が落ち着いた事に安心した真冬は浮かんだ疑問を解決させるために問う。一体、誰が力を分けてくれるというのだろうか。この事実を知っている者が他にいるとでもいうのだろうか。仮にいるとしてもどのような手段で力を得るのだろうか。浮かんだ疑問は尽きる事はなかった。

「うん。前世の僕が力をくれたの。だから大丈夫」

 春が言葉を発した瞬間に淡い光の粒子が舞う。その粒子はまるで意思があるかのように真冬の周囲で踊る。まるで真冬に出会えた事を喜ぶかのように。

(これが前世の春?)

 真冬はゆっくりと光の粒子へと手を伸ばす。前世の春の想いに触れるために。彼女が何を思っていたのかを知るために。

 だが、光は真冬の行動に驚いたのだろうか。すぐに春の体へと再び戻ってしまった。

(やはり距離があるよな)

 真冬は消えてしまった光を思いながら心中でつぶやく。前世の春と言っても、真冬とは全く面識などないのである。例え来世の兄だとしても距離を取るのは当然だろう。

「前世の僕は兄と結ばれる事を諦めてしまったから……余計に距離を取りたいのだと思うよ」

 春は苦笑いを浮かべてつぶやく。

 苦笑いを浮かべる春に若干の寂しさを感じた真冬は――

「それでも力を貸してくれるのであれば嬉しいよ。ありがとう」

 優しくつぶやくと共に春を抱きしめる。春を通じて感謝の想いを伝えるために。伝わるかどうかは分からないが、伝わればいいと強く願う。

 その想いが伝わったのかもう一度光の粒子は春の体が溢れ出す。そして、まるで二人を抱きしめるように包み込んでくれた。これ以上不安も絶望もその身に降りかからないようにと。

「今日は勝とう。皆で」

 春は真冬を抱き返すと共につぶやく。その言葉に一つ頷いた真冬は腕に抱く妹を如何なる手段を用いてでも守ると強く決意した。



 教室についた真冬はすぐに長い黒髪が目印の少女を探す。教室に着く時間は彼女の方が少し早い。今の時間なら席について本を読んでいるか、隣席のクラスメイトと話しているだろう。

(いた)

 教室の廊下側の席で雨月雫は男性の手の平ほどはありそうな分厚い本を読んでいた。おそらく真冬の視線には気づいているのだろうが、雫は顔を上げる事はない。教室にいる間はただのクラスメイトでいるつもりなのだろう。真冬もその点について異論はない。クラス中に変な噂が立つのはさすがに避けたいからだ。

 数歩進み雫の前に立った真冬が口を開く。ここまでは慣れた動作をするかのように自然だった。だが、口を開いた真冬はどう声を掛けていいのか迷ってしまった。ここ数日は特殊な事態に振り回されていたために気にもしなかったが、真冬と雫はほとんど接点がないのである。

 このまま口を半開きで固まっている訳にもいかない真冬は迷った挙句に、最も当たり障りの形で声を掛ける事にする。

「雨月さん、少しいいかな?」

 どこか遠慮がちに声を掛けると雫は一度鋭い視線を向けてきた。その他人行儀は何ですか、と言いたげな瞳である。だが、そんな瞳を向けてきたのは一瞬の事。

「何か用ですか? 織部君」

 すかさず雫はクラスメイトに優しく語り掛ける女子生徒を装って言葉を返す。遠目で見れば何の違和感もないだろう。だが、彼女が何を思っているのかを知っている真冬にとっては不気味でしかないのは言うまでもないだろう。

「少し部活動の事で話したい事があって」

 真冬は周囲に聞こえても差し障りのない言葉へと変換して語り掛ける。周りに視線を向けると口々に「何か部活動やってたっけ?」と首を傾げる者がいる程度で注目はされてはいなかった。

「前に言っていた話ですね。場所を移しましょう」

 雫はこちらの意図を悟って立ち上がる。その後に続いて真冬は教室の外へと出た。



「それで何ですか?」

 屋上へと場所を移した瞬間に雫はそう切り出した。この変わり様は一体何だと言うのだろうか。時折、こちらに向けてくる敵意の理由が分からない真冬はただただ困惑するだけである。

「ああ。今日の戦いだけど……少し好転した」

 屋上のフェンスに体を預けて真冬がつぶやく。ドアを背に佇む雫は言葉を受け取った瞬間に目を見開く。何でも知っていそうな顔をしていたが、どうやら彼女でも知らない事はあるらしい。そんな様子を見た真冬は驚くと共に、雫に頼っていれば大丈夫だという甘い考えを捨てなければいけないという事を理解する。今後は春を守るためには真冬自身が行動し、答えを出していかなければならないのだ。当然の事ではあるのだが。

「話して下さい」

 雫は一度深呼吸をして真冬の言葉を待つ。ここで焦らない所はさすがだと思う。もし真冬が聞く立場であれば雫に詰め寄っている所だろう。今思えばほぼ接点がない雫に対してずいぶん無理を言っていたような気がする真冬である。それはお互い様ではあるのだが。

「前世の春が力を貸してくれるらしい。今朝、春の体から溢れる光を確かに見た」

 真冬は事実だけを伝える。素人の勝手な解釈を伝えて雫を混乱させないためである。

 言葉を聞いた雫は一度瞳を閉じ、端正な表情を歪ませる。現在は頭の中で情報を整理しているのだろう。真冬はただ言葉を待つ。

 沈黙が屋上を満たす。

 どれだけ待っていただろうか。ようやく雫は瞳を開いた。おそらく一分にも満たない時間だったのだろうが、真冬には数十分は待っていたかのような疲労感が全身を襲う。

「その話が本当であるなら。春にあの穢れを倒してもらいます」

 雫が発した言葉が確かな重さを持って真冬の心に落ちる。だが、すぐに内容を理解する事は真冬には出来なかった。

「え?」

 その証拠に口に出たのは間抜けな疑問の声。そんな真冬を雫は鋭く睨む。

「しっかりして下さい。戦いは今日なのですよ」

 突き放すかのように冷たい言葉。殺気すら感じそうな冷たさを身に感じた真冬は何度も雫の言葉を反芻する。

 二人が命を掛けてでも守ると決めた対象である春。その春がこの戦いを終わらせるというのである。真冬は出来れば穢れの牙が届かない場所で立っていて欲しいとすら思っていた。だが、雫の案はその真逆で最前線に送ろうと言うのである。

「駄目だ」

 真冬は頭を振ってつぶやく。今回の戦いで春を危険な目には合わせたくないのだ。それが真冬の素直な気持ちだった。

 だが、そんな真冬に雫は諦めずに言葉を掛ける。

「あなたが提案した案には従います。ぎりぎりまでは真冬が前線で。そして、受け止めて下さい。前世の春を貫いた槍を。そして、信じて――あなたの妹を」

 両手を胸の前で組み必死で語る雫。彼女の瞳はまだ諦めていない。最後まで可能性を探そうとしている。もっとも生き残る可能性の高い手段を選ぶために。ただ春を助けるために。

 雫の強い意志を感じた真冬は両手の拳を強く握る。爪が食い込んで血でも出そうなほどに強く。春を危険な目には合わせたくはない。だが、真冬の勝手な想いのせいで春が助かる未来を奪ってはいけないのである。

(俺が邪魔してどうするんだ!)

 真冬は心中で吐き捨てる。それは臆病な自分に対する怒りの声。春の無事を一番に臨む真冬が迷っていては何も始まらないのだ。そして、春を信じる心は他の誰よりも強いはずなのだ。

(――俺は春が好きなんだから)

 真冬の中で答えは出た。

 真冬はうつむいていた顔を上げる。もう地面など見る必要はないのだから。前だけを見て進めばいいのだから。

 真冬の意志を感じ取った雫は綺麗に笑う。雫の笑顔は自然と真冬の心に沁みていく。心を満たしていた不安はもうなかった。

「分かった。俺は雫を信じる。そして、春を信じ続ける。何があっても」

 真冬は共に命を掛ける相手に微笑む。雫は一度頷くだけでもう何も言わなかった。

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