第三話 後編
― 三 後編 ―
真冬は春の言葉を聞いてしばらく動く事が出来なかった。まさかあの夢がこうも早く現実のものとなるとは思わなかったからである。
「驚いたよね? でも、本当だよ」
春はうつむいてつぶやく。こんな状態で嘘を言うとは思えない。そして、今日しか機会がないからこそあそこまで大胆な行動が出来たのだろう。死んでしまえば気持ちを伝える事は出来ないのだから。
真冬は本当に何も知らなかったのである。ずっと一緒にいたというのに。それが悔しかった。それと共にこんな所で呆然としている暇はないように思えた。事が起こるのは明日なのだから。
「どうすれば回避できる?」
真冬は拳を強く握って問う。そんな現実は受け入れるつもりはない。どんな相手であろうとも必ず助かる道はあるはずなのである。
「分からない。次に戦う穢れに負ける夢しか見た事がないから」
春は頭を振ってつぶやく。真冬自身も見た事がある夢である。
「穢れというのは……あの化け物か?」
「うん。それに抗う事が出来るのが僕や雫さんみたいな巫女。その巫女を守るのが護士」
真冬の問いに春がゆっくりと語っていく。昨日、雫の口から護士という言葉が出たのは記憶している。どうやら真冬は護士という役目を与えられた存在であるらしい。
「護士はあの刀に触れている時しか力を発揮出来ないのか?」
まずは自らが扱える力を把握するために問う。昨日は勢いで狼のような穢れと戦っていたが、真冬にあれだけ凶暴な獣を倒すだけの身体能力はないのである。だとすればやはりあの刀のおかげなのだろう。それを証明するかのように刀が消失すると同時に力を失ったのだから。
「そうだね。あれは僕の神力の塊だよ。巫女は護士に刃を渡して護ってもらう。その代わりに痛みを引き受けるの」
春は自らの右胸に触れる。今は塞がれているが昨日、真冬の犯したミスのせいで傷つけてしまった場所。真冬の心に再び後悔の念が浮かぶ。だが、今はそれよりも先にやるべき事がある。事実を確かめなければこの先戦う事など出来ないのだから。
「狼の爪が突き刺さった時に俺も痛みを感じた。どういう事だ?」
巫女が痛みを引き受けるというのなら、真冬は、護士は無事ではないのだろうか。
「さすがに全てを引き受ける事は出来ないよ。でも、あの刀に触れている時の護士は人外を超えた力を得る。大抵の傷ならば倒れる事はないよ」
春は必要な事を応えていく。その反応を見る限り、かなり前からこのような危険な事を真冬の知らない所で行っていたらしい。
そう思った瞬間。再び真冬の心に昨日と同じ怒りが満たしていく。
溢れる怒りを必死で抑えた真冬は――
「どうして話さなかった?」
ついに一番聞きたかった事を切り出す。護士や巫女の事よりも、こちらの方が重要なのである。巫女や護士について、他に知りたい事があれば後で雨月雫に聞けばいいのだから。これは春にしか聞けない事である。
「それは、真冬を――」
春はそこで言葉を切る。この先の言葉を慎重に選んでいるようだった。
だが、ここまで聞けば分かってしまうのが兄というものである。いや、春と関わった事がある人間ならすぐに分かってしまうだろう。
「俺を巻き込みたくなかったのか?」
真冬は努めて平静を装って語り掛ける。春の気持ちの全てを受け止めるために。
「――うん。周りの人が死んでいくだけの戦い。こんな酷い戦いに巻き込みたくなかった。穢れという存在から真冬を引き離したかった。監視者の描くシナリオで一番苦しむのは真冬だから」
春はゆっくりと胸の内を語っていく。やはり真冬を思って遠ざけてくれたのである。それだけを聞ければ真冬には十分だった。もう責めたり、怒ったりする必要はないのだ。
「春」
真冬は短く妹の名前を呼ぶ。春は怯えて潤んだ瞳を真冬へと向ける。真冬が怒るとでも思っているのだろう。
まるで怯えた小動物のように小さくなった妹の頭に手を置いた真冬は――
「ありがとう」
優しくつぶやくと共に柔らかい髪を撫でていく。
「どうして?」
春は戸惑っているようだった。訳が分からないという顔をしている。そんな妹が愛しくて堪らない真冬は黒髪をさらに撫で続ける。
「分からないなら。俺をもっと理解してくれ、春」
真冬は戸惑う妹の瞳をしっかりと見つめてつぶやく。
「そうだね。そのためには生きないと」
春の瞳に光が宿る。それは決意の瞳。今まで見た事がない戦う者としての瞳だった。
(俺も春について知らない事ばかりなんだな)
真冬は自らが知らない春の瞳を見て戸惑う自分を感じた。それは表情に出てしまったらしく、春はどこか悪戯な笑顔を浮かべた。
「僕……ううん、私の事もちゃんと理解してね、真冬」
妹ではなくて、一人の少女として笑う春。そんな春は一体何を考えているのか真冬にはまるで分からなかった。
「そうだな。俺も知らない事ばかりだ」
素直に降参した真冬は一度肩をすくめる。
そして、二人は可笑しそうに笑う。その姿は仲の良い兄妹のようでいて、初々しい恋人のようであった。
*
雨月神社の境内には一つの大木が立っている。その大木に背を預けているのは巫女服を着た雫である。辺りはすでに薄暗く、唯一の光源と言えば月明かりくらいだろうか。
「明日ですか」
雫は空に浮かぶ月を見つめて独語する。言葉を発する際に取り込んだ冷えた空気が雫をさらに冷静にしていく。今、心を乱すようでは明日の戦いでは何か重大な失敗をしてしまうような気がするのである。
夢の通りであれば明日の戦いで一人命を落とす。そうならないために雫は春に教えられる事は全て教えた。だが、この程度で運命を変えられるのだろうか。変えたいと思っただけで変えられるのであれば、雫ではない誰かがすでに変えているのではないかと思えてならない。
「所詮は無駄な足掻きだよ」
涼やかな声が境内へと響く。聞こえてきたのは雫の前方。当然、そこには誰もいない。だが、誰が何の目的で語り掛けているのかはいちいち確認せずとも理解している。見えずともその先に彼女が、監視者がいるのだろう。
「そうやって心を折る事でシナリオを進めていくのですか?」
雫は鋭い瞳を向けてつぶやく。
「そうだな。お前達にはある程度の穢れを倒してもらえればそれでいい。後は用済みだ」
監視者は先ほどと同じ涼やかな声で答える。やはり彼女にとって雫達は駒でしかないようだ。そして、彼女が語る未来は絶対的な物なのだろう。今、聞いた言葉はある種の死刑宣告のようなものだった。
「諦めてしまった方が楽という事ですか」
雫は一つ溜息をつく。そんなつもりは毛頭ないが、ここまで徹底していれば諦めてしまう者もいるのではないかと思えた。
「今回のお前は諦めが早いな。織部真冬が手に入らないからか?」
嘲笑交じりの監視者の言葉。その言葉には明らかな侮蔑の感情が含まれているように思える。
「誰が諦めると言いました。私は一人になろうとも抗い続けます!」
雫は叫ぶと共に両手に細長い針を形成する。監視者が新たな言葉を発するよりも速く、雫は鋭利な針を投擲する。おそらく当たる事はない。だが、彼女に嘲笑される事だけは耐えられなかった。
境内に月明かりを浴びて輝く針が駆け抜ける。だが、空を切り裂いた針はある一点で歪み、すぐさまその形を歪ませる。おそらくそこに彼女がいるのだろう。
雫はすかさず身に宿る神力を用いて、右手に鉄扇を形成させる。叶うのであれば一撃を浴びせるために。
監視者までの距離は二歩。雫であれば一息で間合いを詰められる距離。
「そう焦るな」
声が響いた瞬間に前方に見えた歪みが動く。
すかさず振り下ろした鉄扇は歪みを捉える事はなく空を切る。その間に視界を掠めた歪みは雫の背後へと回り込んでいく。これだけ近くにいたというのに鉄扇を掠らせる事すら叶わなかったのである。これが監視者と、ただの巫女との間の差。決して埋められない実力の差だった。
「まだお前には戦ってもらわないといけないのだからな」
監視者の声が耳へと届いた瞬間。鋭い痛みが手首へと走る。幸い折れてはいないが手に握っていた鉄扇は地へと落ちていく。
武器を失った雫は鋭い視線を背後へと向ける。これが唯一出来る最後の抵抗だった。
「ではな。いい夢を見るといい。雨月雫」
監視者は短くつぶやくと共にあっさりとその姿を消す。背後にはもう歪みも、何かが立っている気配すらなかった。まるで今まで何もなかったかのように。
雫は監視者の都合によって生かされたのである。まるで抗おうが簡単に殺せるのだと教え込まれたような気分だった。
「――どこまで無力なのですか、私は」
痛む手首を抑えて雫はつぶやく。これでは春を救うなど夢物語に等しいのではないかと思えてしまう。だが、諦める訳にはいかないのである。織部真冬には春が必要なのだから。前世ならまだしも今の雫では彼を支える事は出来ないのだから。
そんな時に微かな振動を胸元に感じた。訝しんで胸元に触れると高校指定のカードが振動している事に気づく。
「これ。苦手なんですよね」
雫は溜息をついて胸元から取り出したカードを見つめる。おそらくメールだろうと予測を立てた雫はカードの右端のボタンを押す。予想は正しかったようでタッチパネル式の液晶ディスプレイと、その姿を変えたカードがメールの着信を知らせていた。いつもならすぐに閉じる雫ではあるが、メールの送信者の名前を見て目を見開く。
(真冬から?)
慌ててメールを開き内容を確認していく雫。内容は明日の戦いについての確認事項。春以外の巫女から力を受け取る事が出来るかという問いだった。
メールにて返信しようと思った雫はすぐに断念して、ディスプレイを数回突いて通話が可能なモードへと切り替えていく。だが、使い慣れていない雫がもたついている間にカードがもう一度振動する。
次は真冬からの通話だった。雫からすればまさに好都合である。一度深呼吸をしてからディスプレイに表示された通話ボタンを押すと共に耳へと当てる。
『こんばんは。メールは見た?』
真冬の第一声はそれだった。今日はおそらく春から話を聞いて余裕がないのだろう。こちらの都合などお構いなしの真冬にとりあえず突っ込む事はせず必要な言葉を返す。
「ええ。結論から言えば可能です。巫女は自らの命を掛かっていますから基本的には一人の相手に託します。ですが、必要であれば別の組み合わせで戦う事も必要になるでしょうね」
雫は冷静に言葉を返す。おそらく彼は次の戦いで雫の力を貸してほしいのだろう。
『そうか。なら明日の戦い一声掛けたら力を貸してほしい』
真冬は迷わずつぶやく。ここまできっぱりとつぶやくという事は何か考えでもあるというのだろうか。
「別に構いませんが――」
『すまない。おそらくかなりの負担をかける事になると思う。それでも俺は春を守りたい』
雫の言葉を遮って、真冬はつぶやく。
「春のために命を掛けてほしいと?」
雫は低い声でつぶやく。さすがにそれはあまりにも勝手ではなかろうか。真冬の声を無視して通話を切ろうとした瞬間に、固い石を踏む乾いた音が響く。その音と共に聞こえたのは決意に満ちた声。
「命を掛けるのは俺だ」
雫の言葉に応えたのは通話の声ではなかった。驚いて視線を階段へと向けると肩で息をした私服姿の真冬が立っていた。通話をしながらここまで走ってきたのだろう。
「どうするつもりですか?」
雫は通話を終了させて真冬の瞳を鋭く睨む。答え次第では協力はするが、頬を張るくらいはさせてほしい気分である。
「可能な限りは春と共に戦う。だが、明らかに致命傷となる攻撃を受ける可能性がある場合は刀を離すつもりだ」
真冬は睨むような瞳を受け止めてつぶやく。春を守るために自らの体で受け止めるというのである。下手をすれば即死もあり得るというのに。その後は雫の力を受け取って戦うつもりらしい。当然、その痛みを背負い支えるのは雫。考えられないような痛みが全身を駆け抜ける事だろう。
「ずいぶんと勝手ですね。ですがその案に一つ協力しましょう。敵の狙いは春だと分かっているのですから。春を万全な状態で保ちます。何があっても対応出来るように」
雫は一つ頷いてつぶやく。
最初から真冬と雫の組み合わせで戦うという方法もあるが、そんな分かりやすい手などとっくに対策が練られているだろう。ならば素人の思いつきのような案に乗るのも悪くはないと思ったのである。熟練すれば熟練するほど、素人が行う予想も出来ないような行動には戸惑うものである。
「ああ。春を守って。全ての運命を変える」
真冬はどこか清々しい笑顔をしていた。おそらく彼らの関係が一歩前進したのだろう。一度、心が痛む。だが、この痛みは前世の自分の痛み。今の雫には全く関係のない痛みなのだ。
「ええ。私もこの意味の分からない不快感から早く解放されたいですから」
雫は真冬に背を向けてつぶやく。とてもではないが見ていられない。震える右手を抑えるだけでも精一杯だった。
「何かあるのか?」
その原因を作っている男は首を傾げる。
その姿にさらなる怒りを感じた雫は――
「知りません!」
一度叫ぶと共に早足に神社へと向かっていったのだった。




