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第三話 前編

輪廻の鎖 改訂版


― 三 前編 ―


 夜の冷え切った空気を頬に感じながら真冬は一定のペースで歩いていく。背に感じているのは確かな重さと、温かさだった。

「真冬、一人で歩けるよ?」

 背に背負っている妹がか細い声を出す。雫のおかげで二人の傷は瞬く間に塞がり、今では痛みすら感じてはいない。だが、朝から熱っぽい春にこれ以上無理はさせたくない。そのため真冬は有無を言わさずに背負っているのである。

 そんな事はただ自分を正当化するための言い訳である事は真冬自身も気づいている。実際は春の温かさに触れていたいだけなのである。

「今日は背負わせてくれ」

 真冬は素直な気持ちを妹へと伝える。

「うん」

 春は一度頷いて真冬の冷え切った頬へと赤みを増した頬を押し当ててくる。夜の寒さを跳ね返すほどに熱く火照った春の頬は触れているだけでどこか心地良かった。春の気持ちが流れてくるようで。

 一瞬の沈黙。

 もしかすれば寮に着くまでこのまま無言になるかと真冬は思っていたが、背負う妹は何かを決意したかのようにゆっくりと口を開いた。

「明日は時間ある?」

 表情を引き締めてどこか遠い場所を見つめている春。ついに話す気になったのだろう。

「ああ。幸い明日は祝日だからな」

 今すぐにでも聞きたいという気持ちを抑えてつぶやく真冬。幸い時間はたくさんある。焦る事はもうないのだ。何かの偶然で祝日と重なったのか、それともあの漆黒の空間で出会った少女が用意した必然なのか。それは分からない。

 だが、ようやく真冬はスタート地点に立てる。春と共に歩んでいける。それが素直に嬉しかった。

「時間あるんだ。それなら明日はデートをしよう……私と」

 真冬の首に巻きつけている手にさらなる力を込めて春がつぶやく。冗談で言っている訳ではないのは固さを感じる声音ですぐに分かるだろう。

(デート? 私?)

 真冬は妹の言葉に戸惑う。ただ話を聞くだけならば寮でお茶でも飲みながらでいいのである。話を終えたら、ついでにどこかで遊ぼうという事なのだろうか。気になるのは生死を左右するような話の後で遊ぶ気など起きるのだろうかという事だった。春が望むのであれが断る理由ははないが突然の提案に戸惑う気持ちを抑える事は出来なかった。

 そして、さらに真冬を戸惑わせているのは春の一人称が変わった事である。小学生くらいまでは「私」という一人称を使っていたためにその名残なのだろうか。現在は、なぜ「僕」という一人称を使っているのかは聞いた事はないが、おそらく真冬のせいなのではないかという事は薄々気づいている。

「構わないが。急にどうした?」

 一人で考えていても答えは出そうにないため真冬は妹へと問う。

「何も特別な事はないよ。ただ焦っているだけ」

 春の答えはただ真冬を不安にさせるだけだった。何に焦っていると言うのだろうか。やはり春はあの化け物に殺されてしまうとでも言うのだろうか。もうこの温もりを感じる事は叶わないとでも言うのだろうか。

 そんな不安を打ち消すために――

「明日は楽しもう」

 真冬は努めて明るい声でつぶやく。

「うん!」

 そんな真冬の気持ちに応えるかのように春は元気よく頷いた。



 真冬と春が訪れたのは冬月高校から南に十分ほど歩いた先にある商店街である。学生でも手が出せる安価な服屋、アクセサリーの店、各種雑貨品の店まであり、ここに来れば大抵の物は揃う。冬月高校の学生が帰りに立ち寄る事が最も多い場所でもある。実際に真冬と春はもう何十回とこの地に足を運んでいる。

 だが、本日は祝日という事もありどこか新鮮だった。

 理由は二人の服装にある。春の身を包んでいるのはいつもの制服姿ではなく、真っ白なセーターに、赤と黒を基調としたチェックのロングスカート。そして、隣を歩く真冬の身を包むのは深緑のダッフルコートに、ベージュのチノパンである。ただ私服を着て出歩いているだけなのだが、春にはまるでデートをしているかのようで幸せだった。

 時刻はすでに午後三時過ぎ。服やアクセサリーなどの店をあらかた見尽くし、一日歩き続けた足には若干の疲労が出始めた頃である。

「座ろう」

 手に持った紙袋を左手に持ち替えた真冬は、空いた右手で春の左手をしっかりと握ると共に軽く引く。春の洋服が詰まった紙袋を嫌な顔をせずに持ち、それでいて疲労を感じればすぐに気づいてくれる真冬。

(他の人なんて見れないよ)

 春は火照る頬を感じながら心中でつぶやく。これだけ優しくしてくれる兄に勝る男性を春は知らない。高校生に成り立ての同級生などただの子供にしか見えないのである。

(どうして兄妹なのかな?)

 春は真冬の手を強く握りながら心中で問う。義理の妹であれば堂々としていられたというのに。

「春? ドーナッツでいいか?」

 春が考え事をしている内に真冬は昼のおやつを決定したらしい。目の前に見えるのは「ドーナツさん」という名前の全国展開している店だった。

「うん。ここは好きだから」

 春は薄っすらと微笑んで頷く。春の了承を得た兄はさらに手を引いて店へと入っていく。

 列に並んでいる間は二人とも無言だった。何気ない話をすればいいのだが、春にはそれが出来なかった。真冬は何も言わないが、春が語るのをじっと待っているのだろうから。

「席、確保しとくね」

 この場にいる事が耐えられなくなった春は兄から一歩離れる。真冬はいつものように薄っすらと笑うだけだった。そんな姿がさらに春の心を苦しめる。

 その苦しみから逃げるように春は背を向けて進んでいく。午後三時という時間もあり席はほぼ満席状態。その中で春が見つけた席は、店の入り口から左へと進んだ先にある四人掛けの席。奥の席へと腰掛けた春は視線を右へと移す。

(幸せそう)

 ガラス越しに見た世界は楽しそうだった。若い男女が手を握り楽しそうに歩いている。少し前まで春と真冬も彼らのように楽しそうに歩いていたのだろうか。おそらく楽しかった事は間違いない。だが、同時に感じるのは鋭い痛み。この痛みをあとどれだけ感じればいいのだろうか。その疑問が春の心を沈ませていく。

 一体どれだけその景色を見ていただろうか。今にも泣き出してしまいそうだった。そんな春へと掛けられたのは、いつもの優しい声だった。

「お待たせ」

 そうつぶやいて目の前の席に腰を下ろしたのは兄である真冬。手に持ったトレーにはチョコレートでコーティングされた甘そうなドーナッツと、何のコーティングもないシンプルなドーナッツ。他には飲み物としてカフェオレとミルクが置かれていた。

「ありがとう」

 春はつぶやくと共にミルクとシンプルなドーナッツを掴む。対して真冬が手に取ったのは甘そうなもの二つ。真冬は甘い物が好きなのである。対する春は甘すぎる物は好まない。兄妹でここまで差が出るのだから面白いものである。

「何を見ていたんだ」

 真冬はドーナッツを齧りながら、ガラス越しの世界を見つめる。その瞬間にもう一度心が痛む。

(もう無理だ)

 これ以上隠しているのは不可能だと判断した春はゆっくりと口を開く。この想いも、秘密もこれ以上隠していれば身が持たないと思ったのである。

「楽しそうに笑うカップルを見ていたの。私と真冬もああなれたらいいなって」

 春は真冬を見つめてつぶやく。

 言葉を受け取った真冬は驚いて目を見開くと共に視線を春へと向ける。

「それって?」

 真冬は言葉の意味を正確に理解したらしい。この兄にしては珍しく頬が赤らんでいるような気がする。その様子に確かな手応えを感じた春はもう迷わなかった。

「私は妹だけど……真冬が好き。どんな男性よりも」

 春は視線を木目調のテーブルへと落としてつぶやく。もう戻れない事は分かっている。それでも伝えたかった。この想いを。

「そうか。ありがとう」

 真冬は春を見つめて優しくつぶやくだけだった。いつもの温かい瞳が春へと注がれているのは分かる。これは兄としてなのか、それとも一人の男性としてなのか。どちらなのかは分からなかった。もしかすればこちらが真剣だという事が伝わっていないのかもしれない。初恋がたまたま兄となっただけで、叶わない恋に気づいて諦めるとでも思っているのかもしれなかった。

(それなら分からせる)

 春は手にした物を置いて、すかさず左腕を首へと回し、右手は真冬の肩に置く。周りが奇異の視線を向けてくるがそんな事に構っている余裕は今の春にはない。

「春?」

「雫さんには渡さない」

 戸惑う真冬に向けて春は唇を重ねる。真冬がキスをしたという話は聞かない。おそらくこれがファーストキスだろう。もちろん春もキスをした事はない。初めてのキスの味は甘酸っぱい味ではなかった。その真逆の甘ったるいチョコレートの味。おそらく真冬が食べているドーナッツの味だろう。

「私は真剣だよ」

 真冬の黒い瞳を見つめて春はつぶやく。ここまですればどんな男でも真剣なのだと気づくだろう。例え妹からのキスであっても。

 真冬の答えを待ったのはたったの数秒。拍子抜けするほどに短い時間だった。

「春、何を焦っているんだ?」

 春の瞳を見つめ返して問う真冬。真冬の黒い瞳はどこか悲しげに揺れていた。

(私では駄目なの?)

 春は真冬の悲しげな瞳を見た瞬間に全身の力が抜けていくのを感じた。やはり真冬の運命は決まっているとでも言うのだろうか。結局は自分ではなくて、雫と結ばれる運命なのだろうか。もはや立っている事も不可能な春はバランスを崩して倒れていく。

 そんな春を支えてくれたのはやはり真冬だった。

「春が真剣なのは分かっている。そして、その気持ちも嬉しい。俺も同じ気持ちだから」

 真冬は春を座らせながら早口でつぶやく。

 耳へと届いた言葉の意味を正確に把握する事に十分な時間が必要な春は呆然と兄を見つめる。

「その気持ちに応えたいとは思う。だけど、今の春はどこかおかしい。何かに急かされて、言わざるを得ない状況に追い込まれているように思える」

 呆然と見つめる春へと掛けられた言葉。その言葉に春は何も言い返す事が出来なかった。実際にその通りであるのだから。

「そんな状態で気持ちを伝えて欲しくはなかった」

 真冬はうつむいて最後の言葉を絞り出す。

 言葉よりも先に出たのは溢れる涙だった。どうして自分は焦ってしまったのだろうか。真冬はこれだけ想ってくれていたというのに。

「ごめん。真冬」

「構わない。ちゃんと話せ。お前の背負っている物を分けてくれ」

 謝る春に向けられたのはいつもの優しい声。この優しさだけで今の春は十分だった。今は気持ちに応えてくれなくても、今はこの優しさを胸にしっかりと抱いていたいから。

 一度、深呼吸をして心を落ち着かせていく春。兄を密かに思う妹へと戻るために。

「僕は――明日、死ぬの」

 春はようやく溜めに溜めた言葉を吐き出す。吐き出された言葉はすぐに伝えるべき相手へと伝わり、その効果を発揮した。

(もう戻れない)

 春は言葉を受けて徐々に青ざめていく真冬を見つめる。おそらく長く説明せずとも、なぜ春がここまで焦ったのかは理解した事だろう。春にとっては今日この日が気持ちを伝えられる最後の日だったのである。

 驚愕に震える兄へと、春はゆっくりと全てを語っていった。



 不定期な振動を感じて身を固くしているのはフリージアである。チラリと視線を隣へと向けると、淡い金髪を短く伸ばした男が腕を組んで瞳を閉じている。この揺れにもまるで動じない鋼のような男。

(やはり男性なのよね)

 仕事仲間であるカインの雄々しさを感じ、フリージアは心中でつぶやく。少々、性格が固い所があるのは難点だが、大雑把な性格であるフリージアの短所を補う上ではありがたい存在でもある。

「ねえ」

 普段であれば話し掛ける事など滅多にはないが、今はこの鋼のような男に少しだけ力を分けてほしいと思ったのだ。普段は強気でいるが、何かあればやはり頼ってしまう所は自らが女性であるという所を思い知らされてしまう。

「飛行機は苦手か?」

 カインは薄っすらと透き通った青い瞳を開けてつぶやく。どうやらこちらの心などすでにお見通しらしい。

 落ちたら即死であるにも関わらず時折軋むような音を響かせる飛行機という乗り物。とてもではないが慣れる事など不可能なのである。

「そうよ。悪い」

 フリージアは頬を膨らませてつぶやく。頼ったのはフリージア自身ではあるが、心を見透かされている事には若干の抵抗があった。こんな事で八つ当たりされるカインは何を思うのかは知らないが感情を止める事が出来ないのだから仕方がないとも思う。

「いいのではないか。人には苦手なものくらいある」

 そんな心境を知ってか知らずか、カインが薄っすらと微笑んでつぶやく。どうやらこの鋼のように頑丈な男にも恐れるものがあるらしい。途端に興味を抱いたフリージアは身を乗り出して問う。

「あなたの苦手なものってなに?」

「姉だな」

 フリージアの質問に対してカインは一度厳つい顔を歪ませる。どうやら姉の姿を鮮明に思い出したらしい。

「え? 優しいじゃない、セシリア姉さん」

 フリージアに対してまるで自らの妹を可愛がるかのように接してくれるセシリア。そんな彼女をフリージアは姉のように慕っている。あんな優しい女性が苦手だとはまるで理解ができなかった。何か訳でもあるのだろうか。

「彼女が本気を出せば……俺など何かの片手間で倒せるのだぞ?」

 カインは溜息をついて語る。

「まあ、そうね。誰も勝てないのではないのかな、あの人に」

 フリージアはある意味で納得した。能力でも、立場でも常に上にいる姉に対してどう接していいのか分からないのだろう。

「そうだろうな。出来のいい姉を持つと苦労する」

 カインはシートに体を預けてつぶやく。

「しっかりしてよ。私の仕事仲間で……前世では恋人だったんだから」

 フリージアは悪戯な笑みを浮かべてカインを見つめる。前世のカインとフリージアはどうやら恋人だったらしい。その末路はとても思い出したくはないが。

「それは前世の話だろう」

 カインは飛行機の天井を見つめながらつぶやく。如何にもカインらしい言葉だった。前世は前世、今は今。ここまできっぱりと分ける事が出来る者はこのカインくらいではなかろうか。

「ふーん。カインらしいわね」

 溜息をついてカインと同じ景色を見つめるフリージア。

 前世で結ばれた二人がまた再び結ばれる。それはある意味では素敵な事だとフリージアは思う。相手の性格にもよるが、カインほどしっかりした男性であれば特に問題はないように思うのである。

 再び横目でカインを見つめると、また再び瞳を閉じて目的地への到着を待ち望んでいるようである。

(興味なしか。まあ、いいか)

 フリージアは一度微笑んで瞳を閉じる。自らの道はまだ決まってはいない。ならばゆっくりと自らの進路を決めていけばいい。ただそれだけなのだから。


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