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第二話 後編

― 二 後編 ―


「お待たせ、カイン」

 明るい声が背後から響く。その声を聞いたカインは閉じていた瞳を薄っすらと開いて振り向く。

 背後に立っていたのは身長百四十センチほどの小柄な少女。腰まで伸びたよく手入れされた金髪と、常に浮かべている不敵な笑顔が印象的な少女である。仕事仲間のフリージアだ。

「五分の遅刻だな」

 カインは腕を組んで遅刻した仕事仲間を軽く睨む。共に働く以上、時間厳守で行動してほしいものだとカインは思う。実際にこの時間に間に合うために、雪が舞うこの場所で十五分ほど立ち尽くしているこちらの身にもなってほしいのである。

「本当に固いわね。合わせるこちらの身にもなってよ」

 もう小言は十分と言いだけな顔で一度溜息をつくフリージア。

 溜息をつきたいのはこちらの方だ、と言いたいカインではあるが余計な事を言えばさらに文句を言われるだけであるのはこれまでの付き合いで十分に分かっている。そのため余計な事は言わないのが最善の道である。

「行くぞ」

「待った。正装までしたんだから――何かあるの?」

 今にも歩き出しそうなカインの背にフリージアが問う。

 二人が身に纏っているのは修道服。所属している教会から与えられる仕事を行うための正式な服装である。

「安心しろ。穢れが出た訳ではない」

 カインは岩を敷き詰めた道を進みながらつぶやく。

「なら――どうして?」

 問うフリージアは歩を進めない。背後を振り返らずとも震えている事はすぐに分かる。彼女はまだ穢れに対する恐怖を拭えないままなのだから。

「俺達の派遣先が変わる。場所は冬月。もっとも凶悪な穢れが出現する地だ」

 歩まないフリージアに合わせてカインは立ち止まる。

「冬月! なにそれ? 教会は私達を殺す気なの!」

 フリージアの言葉は悲鳴に近かった。

 なぜフリージアがここまで叫ぶのかはカインにもよく分かる。あの地はそれだけ危険なのである。だからこそ、この地で腕が立つ者の派遣が決まったのだから。

「生きて帰る」

 カインは舞う雪を見上げてつぶやく。フリージアを元気付けるために。そして、恐怖で震える自らを鼓舞するために。

「そうね。生きて――またこの地へ」

 フリージアの声はもう震えてはいなかった。いつもの強気な彼女のものである事に安心したカインは一歩を踏み出す。逃れられない運命に立ち向かうために。



 三人が足を踏み入れたのは冬月高校から北に十分ほど進んだ先にある森だった。

(こんな所に化け物が?)

 真冬は周囲の木々に視線を向けながら心中でつぶやく。あまりにも真冬達が生活している場に近いからである。これほど近場にいるのであれば、今まで見た事がない方が不思議なくらいである。

 実際にこの森は高校が近い事もあり真冬は足を運んだ事がある。周囲に立ち並んでいるのはヒノキであり、三十分もあれば森中を見て回る事が可能である。

「ここです」

 先頭を歩いていた雫が急に立ち止まる。雫の声を聞いて春が表情を引き締める。真冬も緊張したい所だが、前方に見えるのは周囲を木々で囲まれた開けた空間のみ。そこには化け物はおろか、動物一匹すらいないのである。

 どうすればいいのか分からない。それが素直な感想だった。

「私がサポートするので、春と真冬で蹴散らして下さい」

 雫が静かに語り一歩進む。

 その瞬間。

 真冬はそこに何があるのかを理解する事になる。雫を飲み込んだのは漆黒の空間だった。そして、その空間を真冬は知っている。

(あれは夢の中の……監視者と名乗った少女と出会った空間!)

 事実を知った瞬間に真冬の体は硬直していく。またあの恐怖が真冬を襲うというのだろうか。そう思うと体は金縛りにあったかのように動かなかった。

「真冬はそこにいて」

 そんな真冬に春は優しく語り掛ける。そして、次の瞬間には迷わず漆黒の空間へとその身を投じていく。

(俺は何をするためにここに来た?)

 震える体に真冬は問い掛ける。真相を確かめるためではなかっただろうか。そして、もし戦う事になるのだとしたら春を守るつもりだったはずだ。こんな所で震えている暇などないのである。

「迷うな! 俺は守るんだ! 春を!」

 真冬は叫んで空間へと飛び込む。

 視界を埋めたのは溢れる閃光。

 そして、徐々に閃光が晴れた先に飛び込んできたものは、以前監視者によって招待された真っ暗な空間。人も、動物も、物も、全てが存在しない空間のはずだった。

 だが、そこには以前は見なかったものがいた。赤い瞳をした白銀の毛並みをもつ狼によく似た化け物が。

「春。武器を」

 雫の声が響く。

「――全てを切り裂く刃を」

 春が両手を前方に掲げて言葉を紡ぐ。

「真冬。春を信じて駆けて!」

 前方にいる雫が叫ぶ。

 冷静に考えれば雫は丸腰で狼に似た化け物と戦えと言っているのである。普段であれば無視している所だろう。いや、逃げ出してもおかしくない状況である。

 だが、真冬は指示通りに平らな空間を駆け抜ける。春へと向けて絶対の信頼を示すために。そして、春なら応えてくれるのだと信じて。

「我を護る者に与えたまえ!」

 春が叫んだ瞬間。

 駆ける真冬の前方に、周囲を包み込む漆黒を跳ね除けて輝く長細い何かが見えた。

 刹那。

 前方を駆ける狼が、真冬の首を食い千切るために飛び上がる。戦闘経験などない真冬には避ける事など不可能と思える一撃。

 とれる手段はただ一つ。武器だと思われる目の前の物を掴んで迎撃するしか他に道はないのである。

 真冬が左手で掴んだのは、所々に桜の花びらが散りばめられた真紅の鞘。そして、飛び掛かる狼を切り裂いたのは鞘から解放された一振りの刀。

 舞ったのは血を連想させる真っ赤な霧だった。どうやら穢れと呼ばれる化け物はこの霧が集まり形を形成しているらしい。

 その事実を前もって知らない真冬は濃い霧によって視界を塞がれる。耳に届くのは獣の鳴き声。

(左右!)

 一体だけでも何とか倒したという言葉が合いそうな状況の次は左右からの挟撃。素人にはあまりにも酷な状況だった。

 一度深呼吸をして右手に握る刀と、左手に握る鞘に力を込めた瞬間。

 背後から飛来したものは鋭利な細長い針だった。

「下がって!」

 おそらくその武器を投擲したであろう雫が叫ぶ。その叫び声を聞いた真冬は反射的に後方へと跳躍して距離を取る。背後へと視界が移っていく中で見たものは、鋭利な針によって首を貫かれた狼の姿だった。真冬を左右から襲った狼である。

「真冬を守って!」

 着地と同時に春の叫び声が届く。目の前に飛んで来たのは人の形に切り取られた手の平サイズの紙。おそらく式神と呼ばれるものだろうか。

 ようやく状況に慣れてきた真冬は春が何をするのかを注意深く見守る。前方に見えるのは鮮血のように赤い霧。他には何も見えない。

 真冬がもう一度刀を強く握るのと、状況が変化したのはまさに同時だった。

 霧から一匹の狼が飛び出して来たのである。

「一撃は防ぐから止めを刺して!」

 春が真冬へと次の行動を示す。

 声を聞いた真冬はまるで弾かれたように式神と共に駆け抜ける。

 狼は刀を警戒したのか、軽い足取りで飛び上がり鋭利な爪を真冬の胸部に向けて振り下ろす。

 溢れたのは閃光だった。

 刀と爪がぶつかった際に出来た閃光ではない。振り下ろされた爪と、式神が展開したガラスのような壁が衝突した際に出来た光だった。

「今なら!」

 真冬の一閃が漆黒の空間を駆け抜ける。高速の刃は正確に狼の腹部を切り裂き霧へと変える。

 それと共に真冬は地面を駆ける。この場に留まればまた霧によって視界を塞がれるのは目に見えているからである。

 霧を抜けた先に見えたのは三匹の狼。他には姿が見えない。下がるか、進むか。霧によって視界が確保出来ないのか二人からの指示はない。

 判断するのは真冬自身。

 真冬が悩んだのは一瞬だった。選んだのは進む事。この程度の相手で苦戦していれば、この先の戦いで生き残る事は不可能だと思ったからである。

 春が与えてくれた力を信じて、真冬は真紅の瞳を向ける化け物を睨みつける。

 ――一撃目。

 右足で踏み込むと同時に振り上げた銀閃が、正面にいる狼の頭部を切り裂き霧へと変える。そのまま右足を軸にして回転を開始。

 ――二撃目。

 左手に握った鞘の先端で飛び掛かって来た狼の喉元を正確に潰し、その形を消失させる。

(いける!)

 真冬は確かな手応えを感じていた。理由は分からないがこの刀から確かな力を感じるのである。体は思うように動き、まるで自らの体ではないかのように動きにはキレがあるのだ。これなら相手が化け物であろうとも難なく殲滅出来るかに思えた。

 だが、その油断が真冬を危機へと陥れる。

 ――三撃目。

 これで戦いは終わりだと確信した刀での一閃。回転の力を得た高速の一閃である。

 だが、絶対の自信に満ちた一閃は狼を切り裂く事はなかった。咄嗟に空中で身を屈めた狼は一閃を逃れ、そのままの勢いで真冬に飛び掛かってきたのである。

 鋭利な爪が真冬の右胸を貫き、焼けるような痛みが全身を駆け巡る。

 上がったのは二人の絶叫。

(なんで?)

 真冬は自らの絶叫と共に聞こえた叫び声に愕然とする。それはもっとも聞きたくない絶叫だった。我が身に突き刺さる爪が与える痛みよりも鋭い痛みが心を傷つける。

(どうして春が?)

 敵はこの狼一匹のはず。焦る思考が真冬の行動を鈍らせる。

「戦いに集中して!」

 そんな真冬を現実に引き戻したのは雫の叫び声。気づいた時には標的を押し倒した狼は口を大きく開き、真冬の首をかみ砕こうとしていた。

「くっそ!」

 真冬は左手に握る鞘を狼の口に叩きつけるつもりで振り上げる。狼は咄嗟に口を閉じ、鞘の一撃を防ぐ。

 次の瞬間。真冬は痛む右胸を無視して、全ての力を込める。放たれたのは高速の突きだった。

 放たれた突きは狙い違わず狼の首を貫き、その姿を霧へと変えていく。

 だが、安堵している場合ではない。状況を、春の無事を確かめねば安心など出来る筈はないのである。

「ぐっ――。春は。敵は!」

 真冬は貫かれた右胸を押さえながら立ち上がる。

 慌てて視線を向けた先にいたのは雫と春だった。雫は春に駆けより様子を確かめているようだった。そして、春が押さえているのは真冬と同じ右胸。遠目ではあるが真っ白な巫女服は春の血で汚れているようであった。顔は真っ青であり、明らかに真冬よりも苦しそうである。

 その瞬間に真冬はある疑問に辿り付く。どうして自分は立っていられるのかと。傷の深さは同等であるだろうに。

「春。武器を消して」

 雫が静かにつぶやく。春が首肯した瞬間に真冬が握っていた武器は光へと変わり霧散していく。

 その瞬間。まるで思い出したかのように、貫かれた右胸の痛みがその鋭さを増していく。

「がぁ――!」

 真冬はすかさず右胸を押さえ、固い床へと膝をつける。それと共に無理な動きを繰り返した体が悲鳴を上げる。

(そうか。やはりあの刀と春のおかげだったんだ)

 真冬は今まで戦えたのはどうやら春の力によるものだったという事を瞬時に理解する。そして、自らの犯した過ちのせいで春が苦しんだという事も何となく理解出来た。

「巫女は自らを守る護士に力を与える。それと同時に痛みも背負う」

 膝をついた真冬を見下ろして雫が語る。おそらく勝手に先行した真冬を責めているのだろう。そんな事は知らなかったと叫ぶつもりは真冬にはない。自らのミスで春を苦しめてしまったのは紛れもない事実なのだから。

「すまない」

 真冬は見下ろす少女を見上げてつぶやく。

「謝る相手が違います」

 雫は短く言ってのけ、真冬の元まで近づくと共に手をかざす。その瞬間に貫かれた傷はまるでなかったかのように塞がっていく。

「そうだな。この痛みは忘れない。絶対に」

 真冬は鮮血で染まった右胸を押さえる。痛みはもうないが、あの焼けるような痛みは決して忘れてはならないと思う。守るべき者として。

「それでいいと思います。巫女に痛みを押し付けてばかりの護士と共に戦おうなどとは思いませんから」

 雫はうっすらと微笑んで立ち上がる。先ほどの見下ろすような冷たさは微塵もなく、どこか真冬を受けて入れてくれたように感じるのは気のせいだろうか。

「俺はいろいろと知らないとな」

 真冬はつぶやいて立ち上がる。春の口から全てを知るために。この戦いから春を守りきるために。真冬は守るべき少女に向けて一歩を踏み出した。


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