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第二話 前編

輪廻の鎖 改訂版


― 二 前編 ―


 静まり返った空間に鳴り響くのはページをめくる音と、ノートに何かを記入する音。その他に聞こえてくる音と言えば囁くような小声くらいだろうか。

(今は駄目だな)

 真冬は心中でつぶやきページをめくる手を止める。

 現在、真冬が読んでいたのはクラスメイトの間で人気のライトノベル。ただの高校生が異世界へと飛ばされ、その世界を救う事で英雄となる王道ストーリーだった。クラスメイトには口外していないが、内心では読む事を楽しみにしていた本でもある。だが、今のざわついた心では楽しむ余裕などありはしなかった。

「ふぅ」

 一つ溜息をついて椅子を引いて立ち上がる。

 現在、真冬がいるのは冬月高校の図書館。時間を潰すためにふらりと立ち寄ったのである。

 腕時計を見ると、現在の時刻は午後五時十分。授業終了から約十分。ちょうど頃合いだろうか。

(行こう)

 表情を引き締めて真冬は一歩を踏み出す。もう意味もなく怠惰な時間を過ごすのは終わりである。雨月雫が、そして春が何を隠しているのか。この目で確かめるのだ。

 真冬の心を満たしているのは、唯一の肉親に対する疑念。春に限って真冬を裏切るという事はないと信じている。だが、どうしても心は落ち着いてはくれなかった。実際に真冬の乱れた心を示すかのように歩調は荒々しく、そして落ち着きがない。

 普段は受付の前を通り過ぎれば、必ず声を掛けてくれる図書委員もどこか怯えた瞳を真冬へと向けている。だが、構っている余裕は真冬にはない。視野が狭まっているような気もするが、今はただ進む事しか出来なかった。

 ずかずかと歩を進めて正面に見える本棚へと真っ直ぐに進んでいく。そして、ライトノベルが置かれている本棚に無造作に手を伸ばした瞬間。ふと色白の細い指が視界に入る。

「それ、どうでした?」

 視界に入った指が示しているのは真冬が握っているライトノベル。どうやらこの本を次に読むのはこの人らしい。

「時間がなくて……感想を述べられるほど読めていない」

 真冬は努めて平静を装って言葉を返す。ぶっきらぼうに返しても良かったが、自らの事情でこれ以上八つ当たりをするのは気が引けた。

「あ! もしかして春のお兄さん!」

 本を指で示した人物が図書館には不釣り合いの大声を出す。その声に驚いて瞳を向けると、ウェーブかかった茶色の髪に、赤縁のメガネが印象的な少女が目を大きく見開いてこちらを見ていた。

(確か春の友達で本堂さん、だったか?)

 真冬はこの少女に見覚えがある。春と共に行動している所をよく見かけるからである。

「ああ、織部真冬。春の兄だ」

 真冬は手にしている本を渡しながらつぶやく。

「やっぱり。あれ? でも、今日は一緒に帰るって言っていましたよ?」

 真冬が渡した本を抱きしめて本堂がつぶやく。

(なるほど)

 真冬はとある確信を得る。そして、ここで話している時間はどうやらないらしい。

「あ。そうだったな。忘れていたよ」

 苦笑いを浮かべて真冬は背を向ける。今まさに約束を思い出したかのように。

「春によろしく!」

 本堂はまるで疑った様子もなく、真冬を送り出してくれた。

 そんな彼女に気付かれないように、真冬は制服のポケットに収まっている財布を取り出してカードを取り出す。右端にある起動ボタンを押し、学生間の連絡用に用意されたメール機能を呼び起こす。

 ただの平らな板から、タッチパネル式の情報端末へと切り替わったカードを指先で突いて受信されたメールを開いていく。

(今日は本堂さんと買い物に行くから、先に帰っていて……か)

 それは本日の授業の終わりに送られてきた春からのメールである。疑いが確信へと変わった瞬間だった。

(何かある。そして――一緒にいるのは。彼女だ)

 真冬はカードのメール機能を停止させて早足に図書館を去った。



「良かったのですか? 嘘までついて」

 涼やかな声が春へと問う。その瞬間にまるで針で突かれたように心が痛む。

「これでいいの。真冬は戦う必要はない。いつも私を守ってくれるから。今度は私が真冬を守りたい」

 春は胸の前で拳を握り絞めてつぶやく。あんな化け物と戦う残酷な運命などに優しい兄を巻き込みたくないのである。例え自らが傷ついたとしても。

「そう。やはり私達は今を生きているのですね」

 誰に話し掛けているのか分からない声。今は雫と春しかいない。当然、春に掛けられた言葉なのだろう。だが、同時にただ独語しただけにも思えた。

「うん。前世の真冬は――前世の雫さんが好きだった。そんな姿を見た前世の僕はすぐに諦めた」

 春は遠い目をして語る。

 両想いの二人。そして、自らよりも綺麗で女性らしい前世の雫。いかに綺麗だったかは隣を見ればすぐに分かる。

 道を照らす街灯を受けて輝く艶やかな黒髪に、大人しいながらも確かな意志を感じさせる凛とした漆黒の瞳。そして、体が弱いせいかほっそりとした春と比べて、雫は女性らしい柔らかな肉付きに確かな膨らみを得ている。童顔で体も成熟していない春が敵うとは到底思えない美しさだった。極めつけは妹という負い目もあり、前世の自分が諦めてしまうのは仕方がない事なのだろう。

 だが、今は違う。この胸に抱く想いは前世のものとは違うのだ。

 そして、真冬と春の関係性もまた違う。それは雫と真冬の関係性が違うという事も意味しているのである。

「私の心は――いえ、私の魂は織部真冬を求めています。結ばれるのが運命だと教えるかのように」

 雫は静かに語る。横目で見た彼女の表情からは何の感情も読み取れない。

(なに?)

 春の心はざわつく。先ほどまでは、ある種の余裕みたいなものが確かにあったというのに。真冬は自分を見てくれていると思えたというのに。

「それでも私は彼を好きにはなりません。魂は惹かれても、私は織部真冬という人物を運命の人だと想うだけ彼を知らないですから」

 雫は春のざわつく心を見透かしているようだった。薄っすらと微笑む事で、春を落ち着かせようとしてくれているのが分かる。

(敵わないな)

 春は内心で思う。もし真冬が雫に惹かれたら敵わない。自分が何をしようとも。

「これ以上暗くなる前に神社に」

 雫は春から視線を外し、右手でとある場所を示す。

 その場にあるのは長い階段。ざっと六十段以上はあるだろうか。

(何度見ても慣れないな)

 春は内心でつぶやいて周囲を見渡す。

 階段の左右にあるのは背の高い木々。そして、木々には確かな緑が生茂っている。今の季節は雪月。街灯を囲む木々の葉は全て地へと落ち、寂しさすら感じる季節である。

 だが、ここだけは違う。一年中、葉が変わる事がないのである。紅葉もしなければ、葉が地へと落ちる事もない。この地には何か特別な力が働いているのか、それとも世界から取り残されているのか。そうでなければ説明がつかない異様な景色だった。

「春?」

 一段目に足をかけた雫が訝しんだ瞳を向ける。さすがにぼうっと立ち尽くして木々を見上げていれば不審に思うだろう。

「ごめんなさい」

 我に返った春は小走りに雫の後を追った。



 荒い息を整えながら歩道を走っているのは真冬である。

(何か運動部に入った方がいいのか?)

 日頃の運動不足を恨めしく思いながら心中でつぶやく。

 彼女達を尾行するという手段もあったのだが、雨月神社に向かう道の間には視界を遮る物は何もない。身を隠さずに後をつければすぐにばれてしまうだろう。そうなればあの二人は神社に向かう事を断念し、その場は解散。以降は別の日に変更、または会う時間をずらす事だろう。仮に時間をずらされた場合、真冬に確かめる術はない。兄とは言え春の行動全てを把握するなど出来る訳はないのだから。そして、そんなストーカーのような事をするつもりは真冬にはないのである。

 ならば、とれる手段はただ一つ。彼女達が雨月神社に入った瞬間に、正面から乗り込めばいいのである。真相は分からずとも何かヒントが得られる可能性は十分にあるのだから。

 真冬達が通学で使う道を駆け抜けて、普段は真っ直ぐに進む道を左へと曲がる。この先にあるのが雨月神社である。

(春。お前は何がしたい?)

 真冬は歩道を駆けながら妹へと問う。その答えを求めて両足にさらなる力を込める。

 見えてきたのは神社へと上るための階段。普段であれば億劫に感じる階段も今の真冬を止める障害とはなり得ない。

 さらに加速して二段飛ばしで階段を駆け上がる。過度の負担をかけられた体は悲鳴を上げ、全身が痛い。だが、決して足の力は緩めない。妹を、春を失う事の方が痛いのだから。

 一気に階段を駆け上がった先にあったのは雨月神社。

 階段と同じ白い石で出来た固い道を真冬は呼吸を整えながらゆっくりと進んでいく。ここまで来れば後は出たとこ勝負である。

 確かな意思を込めた瞳を前方へと向けた瞬間。

「真冬?」

 聞き慣れた声が耳へと届く。それは今から真相を問い詰める相手の声だった。

 だが、問い詰めるよりも先に、その相手が身に纏う服を見て――

「その恰好は!」

 真冬は叫んでいた。

 春が着ていたのは巫女服だったのだ。ただ巫女服を着ているだけであればそれでいい。しかし、真冬の頭に浮かぶのは自らが見る夢の中の出来事。

 前世の自分は袴を着て、そして春に似た少女が身に纏っていたのは巫女服である。やはりあの夢は現実だとでも言うのだろうか。

「えっと……アルバイトじゃない。ここで神楽舞を習っているんだ」

 春は苦し紛れの言い訳をつぶやく。

 そんな春を真冬は鋭く睨む。なぜここで嘘をつくのだろうか。心を満たしたのは抑えられない怒りだった。春に対してここまで怒った事はおそらくこれが初めてだろう。

「嘘なんかつくなよ」

 真冬はうつむくと共に、自分でも驚くような低い声が出た。だが、そんな些細な事を気にしている余裕はない。そして、自らを止められる自信は今の真冬にはなかった。

「真冬……」

 春の泣きそうな、か弱い声が届く。

「全部話してくれ」

 真冬は全ての感情を殺して、必要な言葉を吐く。春に対して声を荒げて叫びたくはないから。怒りに任せて醜い姿を晒したくはないから。

「それなら一緒に来ますか?」

 感情を殺している真冬に向けられたのは涼しげな声。視線を向けた先には春と同じように巫女服に身を包んだ雨月雫が立っていた。

「雫さん!」

 春が悲痛な叫びを上げ、雫の両肩を掴む。春も必死なのだろうか。上手く力を抑える事が出来なかったらしく雫は一度端正な表情を歪ませる。

「好むと好まざるとも……私達は行かなければなりません。穢れを外へと出す訳にはいきませんから。それが、監視者が描いたシナリオ通りだとしても」

 雫は静かに語る。その言葉を聞いた春はゆっくりと雫の肩から手を離していく。

「一緒に行けば、全て分かるのか?」

 真冬の問いに無言で頷く雫。

 ならば迷う理由など真冬にはない。例え化け物と戦う事になろうとも、春がどれだけ拒もうとも真冬の足を止める理由にはならなかった。

「頼む」

 真冬はクラスメイトに一度頭を下げる。

「頭を下げる必要はありません。あなたも私も……神を気取った者に踊らされているだけなのですから」

 そう語る雫の感情は読めなかった。まるで意思のない人形と対話しているかのような不気味さすら感じるほどに。

「真冬。僕は……」

 春が怯えた瞳を向けてくる。震える両肩は見ているだけでも痛々しい。そして、そうさせているのは他ならぬ真冬なのである。心を満たしていた怒りはいつの間にか霧散し、次に浮かんだのは後悔。春に対して怒りを向けてしまった事に対して自らを責める心だった。

(これでは駄目だ)

 一度深呼吸をして心を落ち着かせた真冬は――

「後で全部話してくれ」

 春へと優しく語り掛ける。いつも通りの兄妹に戻れる事を願って。

「うん。全部話すよ。だから今は……許して」

 瞳に涙を溜めて上目遣いに見つめる春。今にも泣き出しそうなか弱い妹。

「行くぞ」

 真冬はいつもと何も変わらない愛しい妹の黒髪を優しく撫でる。真冬を満たしたのは至福だった。

「あまり時間はないですよ」

 至福の時を過ごす二人へと向けられたのはどこか刺々しい声。驚いて視線を向けると無表情で睨む雫がいた。いつも何を考えているのか分からない雫ではあるが、今ははっきりと怒りを感じとる事ができた。何に対して怒っているのかは真冬には分からないのだが。

 その理由を問うよりも速く、雫は何事もなかったかのように無言で真冬が来た道を進んでいく。

 その背中に何か声を掛けようと思ったが、結局二人は何も掛ける言葉を見つけられずに、早足に後を追うのであった。


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