表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/32

第一話 後編

― 一 後編 ―


 春と校舎の一階で別れた真冬は自らの教室がある二階に向けて足を向ける。冬月高校は学年が上がる度に階が上がるという仕組みなのである。

 特に見知った顔はなく淡々と階段を上っていく真冬。そして階段を上り終え、左へと進路を取る。あとはただ真っ直ぐ進むだけである。

 そして、自らの教室である「2―C」という標識を見つめた瞬間に、ふと背後に人が立ったような気がする。

 それは勘違いなどではなく、陽気な声と共に鋭い痛みが左肩を駆け抜けていく。

「朝から見せつけてくれたなぁ」

 瞬時に肩を叩かれたのだと判断した真冬はうっとうしそうな瞳を背後へと向ける。

 背後に立っていたのは予想通り真っ赤な髪を肩まで伸ばした陽気そうな印象の男だった。真冬の友達、もとい仲の良い顔見知りの一人である藤堂久隆とうどうひさたかであった。

「やはりお前か」

 溜息混じりにつぶやく真冬。登校中に気づいているのであれば声を掛ければいいものをと思えて仕方がない。彼なりに気にしたとでもいうのだろうか。

「春ちゃん、どんどん可愛くなっているよなぁ。贅沢を言うならもう少し体が成長すれ――グボエ」

 最後まで言い切る前に、真冬の肘が藤堂の腹部へとめり込む。渾身の一撃を受けた藤堂の体がくの字に折り曲がったのは一瞬の事で、すぐに仰向けに倒れていく。もはや昇天でもしそうな様子ではあるが真冬は手加減しない。

「次、春にそんな卑猥な視線を向けたら――消す」

 まるで獣を見るような瞳で仲の良い顔見知りを見下ろす真冬。

「ちょっ――冗談だって」

 さらなる追撃を恐れた藤堂は引きつった笑みを浮かべて真冬を見上げる。実際に考えを改めないようならば腹部を踏みつけるつもりだった真冬は、仲の良い顔見知りの声を聞いて我に返る。こんな所で獣一匹踏み殺しても仕方がないのである。

「ならいい」

 真冬は短くつぶやいて自らの教室を目指していく。

 その瞬間に、まるで見計らったように予鈴のチャイムが鳴り響く。

「ぐ……動けねぇ。本当に春ちゃんが関わると冗談が通じねぇ」

 真冬の背へと掛けられた藤堂の何気ない一言。何の悪気もなく、特に意味もない言葉。

(分かってるよ。春は妹なんだ)

 だが、そんな些細な言葉で真冬の心は揺れていた。本当に軟弱な心だと思えてならない。こんなに大切に思っているのであれは堂々としていればいいのである。振り向いて「俺は妹が大切で、大好きなんだ!」と叫べばいいだけだというのに。

 そんな簡単な事が今の真冬には出来なかった。



「また再び……この冬月の地を選ぶか。これも運命かな」

 涼やかな声が響く。

 声が響いた瞬間に枯れた木々に止まり羽を休めていた鳥達が一斉に飛び立つ。そんな様子を感情のない真紅の瞳で見つめた少女は一つ溜息をつく。

(何度、あの魂を……あの男の心をへし折ればいいのだろうな)

 少女はゆっくりと右手を掲げる。

 刹那、一つの門が開く。

 その先に写っているのは黒髪の少年。あまりにも見続けてきたために見飽きてしまった少年がそこにはいた。

 だが、彼は自らが知っている少年ではない。自らが心をへし折り、地へとねじ伏せた少年の生まれ変わり。そして、今回も同じように地へとねじ伏せる。

 全てはこの世界のために。この世界を正しい形へと保つために。ただそのためだけに自らは存在するのである。

「我は監視者。これは世界が望んだ答え」

 監視者は感情のない言葉を吐いて歪に歪んだ門へと手を入れる。

 その瞬間に世界が変わる。生命も、有機物も、無機物も存在しない虚無の世界へと。監視者はこの力を扱える事が、世界が自らを受け入れてくれている証拠だと信じている。

 だから迷わなかった。ただ淡々と成すべき事を、平然と成す事が出来るのだった。

 この虚無の世界に立ち尽くしているのは監視者と、救いのない話に付き合わせる哀れな少年だけ。その少年に真紅の瞳を向けた監視者はゆっくりと口を開く。始まりを告げるために。

「ようこそ、織部真冬。この悲しき世界に」

 監視者は恭しく礼をする。自らが心をへし折るであろう相手へと最大限の礼儀を尽くすために。

「ここは――どこだ?」

 真冬は何もない真っ暗な世界を見渡してつぶやく。

(やはり同じなのだな)

 監視者は前世と全く同じ反応を見せた彼を見つめて薄っすらと微笑む。彼は特別な存在ではない。ただの十七歳の少年なのである。だからこそ選んだ少年だった。

 容易に心をへし折る事が出来るから。そして、好きなタイミングで地へとねじ伏せる事が出来るのだから。まるで赤子の手を捻るかのように。

「問いに答える必要があるのか? 分かっているのではないのか?」

 監視者は彼にせめての情けをかける。なぜこんな事をつぶやいてしまったのかは分からなかった。もしかすれば彼に対して何かしらの罪悪感でもあるというのだろうか。仮にそうであるならばまだ自らにも人間らしい感情が残っていたという事かもしれない。今さらそんな事が分かったとしてもどうしようもないのだが。

「あの夢の事か! 何か知っているのか! 春はどうなる!」

 真冬はまるで獣のように監視者に向けて浮かんだ言葉を叫び続ける。それはあまりにも稚拙で、対話の価値すら感じさせない。

 だが、招いたのは他ならぬ監視者。必要な事だけは語るべきだろう。それが意味のない事であっても。

「さてな。問えば全て答えてもらえるとは思わない事だ。それでは続きを見るがいい。前世のお前が見た……絶望を。そして感じるがいい。貴様は運命に、輪廻の鎖に縛られているのだという事を」

 監視者は必要最低限の言葉をつぶやく。これ以上、語るつもりはない。わざわざ敵に情報を渡した所でこちらには何の利益はないのだから。

「待て!」

 真冬は手を伸ばす。そんな彼へと背を向けた監視者は元来た場所へと戻っていく。

「いい夢を見れるといいな。織部真冬」

 決していい夢など見られる訳はない。それは監視者自身が一番良く知っているが、それでもせめてもの慰めは必要だと思って述べた言葉だった。

(まるで人間だな)

 監視者は薄い笑みを浮かべて虚無の世界から、その姿を消した。



 黒いローブを纏った真紅の瞳の少女が去り、この何もない真っ暗な空間に取り残されたのは真冬だけだった。

(あの瞳は?)

 あの真紅の瞳はどこかで見た覚えがあるのである。現実に赤い瞳などは存在しない。という事は人ではない何かの瞳だったのだろう。

「あの化け物か?」

 真冬は自らが見続けた夢を思い出す。姿形はバラバラだったが、真紅の瞳をしていた事ははっきりと覚えている。

 まるで鮮血のように赤く、それでいて不気味な瞳。あの瞳と少女の瞳は一緒だったのである。という事は、彼女はあの化け物の仲間だというのだろうか。

(あの少女は俺に何を伝えたい。何がしたい)

 真冬は一人で頭を抱える。

 だが、答えなど出る訳もない。心を埋めたのは恐怖と、理不尽な出来事に対する怒りだけだった。

「また見せるんだろう? だったら早くしろ」

 真冬は鋭い瞳を前方へと向けて吐き捨てるようにつぶやく。

 刹那。

 真冬のつぶやきに応えるように溢れ出した光が真冬を包み込む。これはいつもの夢の始まりに訪れる瞬間。

 だが、光を受け止める真冬は今までとは違った。夢を自らの意思で見て、そして何かを掴み取ろうする心が確かにそこにはあるのだから。

 数瞬の間を置いて溢れた光が徐々に収まっていく。

 視界を確保した真冬の瞳に飛び込んできたのは、大木に背を預けた一人の少年だった。その姿は真冬と瓜二つ。唯一の違いと言えば彼が袴を着ている事くらいだろうか。真冬は袴などを普段から着るような事はないのだから。

「守れなかった」

 うつむいたまま少年がつぶやく。頬に伝っていたのは一つの涙。彼から伝わってくるのは喪失感、絶望、後悔、自らの無力さに対する怒りだった。

(なんだよ。この痛みは)

 真冬は自らの心に流れ込んでくる感情を堰き止めるように胸を強く押さえる。だが、流れ込む感情は止まらなかった。身を引き裂くような痛みは全身を駆け巡り、身に宿る全ての力を奪い去っていく。

 真冬が気づいた時には虚無の空間に無様に膝をついていた。

「俺のせいで……は」

 少年がつぶやく。彼の声は良くは聞こえなかったが、おそらく少年の妹の名前をつぶやいたのだろう。そして、先ほど感じた痛みは、彼が感じた痛みなのだと瞬時に理解していく。

 これが前世の自分だとでもいうのだろうか。これだけの痛みを受けて彼は一体どうしたというのだろう。答えを求めて真冬は再び彼へと視線を向ける。

「行かないと」

 少年は折れた刀を支えにして立ち上がる。だが、瞳には光は宿っていない。立っている事すらもやっとだというのに強く刀を握り締め一歩、また一歩と進んでいく。それはまさに壊れた人形のようだった。

 真冬は言葉を発する事が出来ない。これを自らが経験するというのだろうか。こんな残酷な運命に縛られているとでも言うのだろうか。

 あれは自分ではない。そう言い聞かせるが心は落ち着く事はない。むしろ前世の彼と同じように自らの心が壊れていく様をはっきりと感じる事が出来る。

(痛い)

 心の中で何かが軋む音が響く。それは心が壊れていく音だったのかもしれない。

(これで終わるのか?)

 真冬の心を絶望が満たす。抗いたいとは思うが、その術が見つからなかった。瞳を閉じても痛みは止めどなく流れてくるのだから。

 そんな真冬を救ったのは聞き慣れた声だった。

「真冬! 真冬!」

 それは自らの名を呼ぶ春の声。真冬が守ると約束した少女の声だった。

(こんな所で勝手に壊れたらいけないよな)

 真冬は再び全身に力を込めて立ち上がる。向かう先はすでに決まっているのだから。

「真冬!」

 春の叫び声。その声に向けて真冬は震える手を伸ばしていく。

 触れたのはいつもの温もりだった。決して離したくない温もり。真冬が求める唯一の救いがそこにはあった。

「俺はまだ失っていない」

 確かな温もりを離さぬようにしっかりと握り絞めて真冬はつぶやく。

「だから行くよ。俺は春を失いたくないから」

 真冬は決意に満ちた瞳を前方へと向けて歩み出す。道に迷う事はなかった。真冬が帰るべき場所ははっきりと分かっているから。仮に迷ったとしても春が真冬を導いてくれるから。

 光が真っ暗な空間を満たす。

 溢れる光を全身に受け止めた真冬はゆっくりと瞳を開く。

「真冬。寝すぎだよ……心配したんだから」

 瞳を開けた先には真冬を心配そうに眺める春がいた。場所は真冬の教室。毎日、腰を下ろす窓際の席であった。授業を受けている時に急にあの空間に導かれたのだから当然といえば当然だろう。

(帰ってこられたみたいだな)

 真冬は安堵の息を吐いて、再び妹を見つめる。春がいなければ帰って来られたとしても無事ではなかったかもしれない。あの場で心を砕かれて、あの少女の描いたシナリオ通りに進んでいた事だろう。

「真冬?」

「長い夢を見ていたんだ。とっても残酷な」

 心配する妹に向けて真冬は努めて明るくつぶやく。心の内を悟られたくはない。今はどんな事でも話してしまいそうだから。

「そうなんだ。もう隠しておけないのかな」

 真冬の言葉を聞いた春はか細い声を発する。春の黒い瞳に浮かんでいるのは明らかな迷いだった。

「何か知っているのか!」

 真冬は勢いよく立ち上がり妹の肩を強く掴む。周りが奇異の視線を向けるが構ってなどいられなかった。もう何も知らないままではいられないから。踏み込む事であの化け物と戦う事になるにしても、春を守れるのならば構わない。

「何も知らないよ。嫌だなぁ」

 真冬は真剣な瞳を向けるが、春はぎこちない笑みを浮かべるだけだった。だが、明らかに何かを隠しているであろう事は真冬にも分かった。話す事が出来ない理由があるのか、それか話すつもりがないのか。それは分からないが、このままにするつもりは真冬にはない。

(話す気がないなら確かめるだけだ)

 真冬は密かに決意して細い肩からゆっくりと手を離す。

「もう。寝るのはいいけれど寝ぼけないでね。もうお昼の時間なんだから。恥ずかしい」

 春が場を誤魔化すために手作りの弁当を手提げバックから取り出すと共に押し付けてくる。

「一時間くらい寝てたからな」

 クラスメイトの一人が真冬を見て笑う。その瞬間にクラス中が笑いで満たされていく。

「はは……すまない」

 真冬は理由もなく一つ謝り、この場は笑って誤魔化す。そして、こっそりと春を盗み見る。

 春は胸の前で拳を握り、まるで助けを求めるかのような瞳をとある人物に向けている。その瞳の先は確かめなくても分かる。

(雨月雫か。彼女も春も何かを知っている。俺は――もうこのまま止まってはいられない)

 強く拳を握って真冬は心中で決意する。真相を確かめて、あの化け物と同じ瞳をした少女に抗い続けると。

 その先にあるのは心が折れた少年とは違う未来が広がっている事を切に願った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ