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第十話 後編

― 十 後編 ―


「分かったか? 君達がどれだけ愚かしい事をしていたか?」

 確認するように問うたのは監視者。

 漆黒の空間で一糸まとわぬ姿で漂う春は全てを知ってしまった。

 なぜ、監視者などという存在がいるのか。

 なぜ、あんな酷い事を自分達にしていたのか。

 その答えを。そして彼女を殺してしまった春が成すべき事を。

「うん。このままだと世界は滅ぶんだね。でも、僕は抗いたいな。皆と一緒に」

 春は薄っすらと瞳を開ける。そこに漂うのは鮮血のように赤い霧。その正体は姿を失った監視者である。

「それは不可能だ。勝てる訳はない。世界を救うには――私が描いたシナリオの最終段階に移行する必要がある」

 春の言葉を否定すると共に、淡々と語る監視者。言葉こそは平坦だが、その声音から確かな覚悟を受け取った春は表情を強張らせる。

 最終段階。

 それを実行するのは、当然、次の監視者である春なのだから。

「冬月の地に穢れを導き――罪深い人に罰を与える。人の心を律するために」

 まるで暗記したかのように、スラスラと言葉を呟く春。

「そうだ。このままでは彼が外に出てしまう。それは世界の終わり。あれを止める方法はないのだからな」

 監視者が教えを諭すように語る。

 その瞬間。

 彼女の言葉を証明するかのように氷が砕ける音が響き渡る。それは世界の終わりの音。

 怒り、不満、嫉妬、全ての負の感情によって成り立つ、おぞましき存在の産声である。もはや猶予はない。いつ封印が解かれても、何の不思議もないのだから。もうこの世界は限界を迎えているのだ。あまりにも力を得た巫女が、エクソシストが穢れを倒し過ぎてしまったから。穢れと人のバランスが崩壊しているのである。穢れを、自身の心が生み出した醜き獣に人が正される事もなく経過してしまった日々があまりにも長すぎたのだ。

 バランスが崩れれば最後は崩壊する。今まで溜めた負の感情の集合体たる彼によって。

 春が選ぶのは、新たな監視者として立つか、真冬達と共に彼に抗うか。

 二つに一つ。

「少し考えさせて」

 春は瞳を閉じて呟く。

 世界の命運を託されてしまったのだ。即決する訳にはいかない。迷っている理由が個人的な問題であるのは申し訳なく思うのだが。

「何を迷う! 世界を救う方が先決だろう!」

 監視者の言葉はどこか耳に痛かった。正論だからだ。彼女は監視者となり仲間をその手にかけた。世界を維持、管理するために。以後はどれだけの人に憎まれようとも揺らがず、ずっと一人で戦い続けたのだろう。

 全ては世界のために。誰に強制された訳でもなく、彼女の意思で。誰でも出来る事ではないと春は思う。彼女だからこそ可能な事だったのだろう。

 春はもう彼女を恨むつもりはない。正しいと断定する事は出来ないが。彼女は、彼女なりに世界を思い、戦ってきたのだ。そこに善悪はないと春には分かるから。

 しばし思考に集中していると。

「お前の大切な人も――この世界が失われれば終わりだ。殺してからは選び直せ。私のように」

 どこか弱々しい声。彼女はそうしたのだろう。何度も仲間の生まれ変わりを殺すなど出来る訳はないのだから。そして、選ばれたのが真冬達。酷い話ではあるが、仕方のない事だったのだろう。これが人の限界なのだ。彼女は決して神ではないのだから。

「次に生まれ変わったら幸せになれるかな?」

 涙を流して春は問う。ただ真冬の内に眠る魂の幸せを願って。

「それは保障出来ない。だが、彼には彼女がいる。大丈夫ではないか?」

 監視者が挙げた彼女とは「雨月雫」の事だろう。

「そうだね。僕がいなくても――雫さんがいる。僕は真冬が幸せならいいかな」

 春は頬を涙で濡らして微笑む。ただ一人の幸せを願って。

 刹那、光が溢れる。

「――すまない。私はこれまでだ。選ぶ相手がいないのなら。私と征四郎を選ぶがいい。幾重にも転生して恨み、そして殺してやる。再び監視者となるためにな」

 その言葉を最後に、穢れを示す霧は春の体に沁みこむ。

 体が、存在そのものが変わっていく不快感がしたのは一瞬の事だった。

 薄っすらと瞳を開けると。

 立ち尽くしているのは漆黒の空間。幾重にも穢れと戦ったあの場所だった。

 一つ深呼吸をして心を落ち着かせていく。

「僕は監視者。この世界を管理する者」

 言葉を紡いだ瞬間。身を纏うのは監視者の存在を示す漆黒のローブ。身に触れているのは動きやすい漆黒のウェアだった。

 そして、広がるのは春の世界。

 水晶色の木は色を変え、淡いピンクへと。そして舞うのは桜の花びら。春の、そして新しい監視者の絶対なる力である。

「せめて――苦しまずに」

 春は力を試すために両手を胸の高さまで上げる。

「倒せますように」

 言葉を紡いだ瞬間。桜の花びらは踊るように鮮やかに舞う。思うように、まるで自らの手足のように舞う花びら。確かな手応えを感じた春は背に聳える木の枝を宙へと浮かせて標的にする。

 一つ息を吐いて意思を送ると。

 花びらは標的にした枝を切り裂く。

 その瞬間。

 切断面に出来たのは花の結晶。内側から破壊するように膨れ上がり咲いた、一輪の淡いピンク色の花だった。

 これが新しい力。以前の監視者すら凌駕する絶対者たる力である。

「――苦しいのは一度だけ。一度だけだから」

 迷う心に春は言い聞かせて来るべき決戦の時を静かに待つ。

 その間に、一度、二度。氷が砕ける音が鳴り響いた。



 荒い息と共に商店街を駆け抜けるのは真冬である。

 すでに時刻は午前十一時。平日に学生がうろつくには不自然な時間帯である。

 平日という事もあり商店街ではあるが人はまばらだった。わざわざ避けなくても、難なく走る事が可能であるほどに。

 だが、見知った者もちらほらといる事も確かであり不審な目が向けられている。中には真冬を指差し、隣人同士で耳打ちをしている者もさえいる始末である。

 だが、気にしてはいられない。

 手にした物を届けるために。ただそのために。

 真冬が手にしているのは指輪が入った手の平に収まる一つのケース。これを入手するまでに時間がかかってしまったのである。そもそも店が開かねば入手すら出来ないのだから。

(馬鹿みたいだよな)

 自嘲の笑みを浮かべて、真冬は心中で呟く。

 真冬が今からしようとしている事は、一体どれだけの者が理解を示してくれるだろうか。藤堂と雫は背中を押してくれた。だが、一般の者が見れば重いだの、気持ち悪いだの思うのかもしれない。

 いや、人によっては一週間所か、二日、三日は嘆き悲しむがすぐに新しい相手を見つけようと躍起になるのかもしれない。例えば真冬の場合で言えば、前世の恋人である雨月雫になびく、などである。

 だが、真冬の心にその選択肢はない。真冬が選ぶのは春一択である。雫が魅力的だとか、魅力的ではないかという話ではない。

 失ってもまだ突き動かしてくれる春。そんな存在を忘れる事など出来ないのである。

 だから真冬は誓いに行く。想いを伝えるために。

(告白も春からだったからな)

 最初に好意を伝えてくれたのは春だった。それを受け取ったのは真冬。今思えば真冬は卑怯者だ。順番なんてどうでもいい、そう言われればそれまでなのだが。

「もう少し」

 駆ける真冬は春と共におやつを食べたドーナツ屋を横切り、本屋を抜けて、十字路へ。

 真冬は駆ける足を止める事なく、固い石で出来た道を右へと曲がる。この先は住宅地。だが、その場に用はない。

 正面に見えるアパート群を超えて、並ぶ民家を超えて目的地へと。

 目的地は住宅街を超えた先にある、五分ほど登った先にある死者が眠りし場所である。正確に言えばその場に春は眠っていない。春は監視者と共に消えてしまったのだから。

 それでも手に握る物を渡す場所としては、この場所しかないのだ。

 春は来てくれるだろうか。今でなくても、いつか。

(幽霊なんている訳ないのに)

 本当に馬鹿な事をしている。でも、気持ちは止まらないのだ。どこまでも自己中心的で我がまま。でも、これしか生きる方法が見つからないのだから仕方ない。

 立ち並ぶ墓を横切りながら進むと。

 見えたのは両親と、そして春の墓。真冬の胸の高さまである一つ墓だった。

 荒い息を整えた真冬はゆっくりとした足取りで墓前に立ち尽くす。胸の内を全て吐き出すために。人生で一度しかしない事を成すために。

「俺はとんでもない愚か者だった。藤堂と雫がいなければ俺は今頃――死んでたかもしれない」

 真冬はゆっくりと語り出す。遠目に見れば独り言を呟いている怪しい人だろう。

 だが、幸いにも他に人はいない。好きなだけ独語しても構わないだろう。仮に誰がいても続けるつもりではあるのだが。

「せっかく春が守ってくれた命なのにな。春が頑張らなかったら……さ。春がいなかったら藤堂も、雫も死んでた。他にはエクソシストの二人も」

 一度、言葉を切る。

 凍てついた風が一度吹く。冷えた風が真冬の髪を揺らすと共に全身を冷やしていく。だが、この胸に溢れる熱は冷える事はない。

「俺は春を誇りに思う。そしてお前の温もりが……優しさが大好きだ。だからさ」

 呟いてゆっくりと屈む。真冬が固い地へと置き、開いたのは指輪が収まったケース。

「春を想い続ける。そして生き続ける。精一杯――お前に誇れる兄でいるために」

 優しく呟いて墓前に置いたのは白銀に輝く一つの指輪。そして、真冬の首に輝くのは対になる金色の指輪をつけたアクセサリー。

「確かに伝えだぞ。次……生まれ変わったら、今度は離さないからな。ずっと、永遠に」

 真冬は涙を堪えて言い切る。この場に春がいたら心配させてしまうから。崩れそうになる両足に全ての力を込めて、真冬は立ち上がる。新しい道を進むために。

 自身の道に春はいない。もう依存は出来ない。だがら進み続ける。密かな想いを胸に抱いて。



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