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第九話 中編

― 九 中編 ―


「時間か」

 独語して視線を前方へと向けたのは監視者。

 表情はいつもの余裕に満ちた不敵な笑みではない。まるで人形のような感情のない表情だった。もう何も考えない。ただ邪魔者を排除するのみ。

(この世界の均衡を保つために。私は監視者。ただそれだけのためにいる)

 そう心に言い聞かせる。人間らしい感情を殺すために。

 阻むのは過去の記憶。一人の巫女として、いや一人の女性として抗い続けた記憶。何度も、何度も自身を守ろうとする護士を失い続けた記憶だった。

「私は監視者を殺し――自身の過ちに気づいた哀れな人間」

 記憶が言葉を吐かせる。監視者を殺し、過ちに気づき、監視者となったのが自分。もう自身の名前すら覚えていない。どれだけ生きているのかも分からない。

 ただこの世界の穢れと人を管理するだけの存在。

「あれはこの世界に出してはいけないから」

 呟いて背を向く。

 水晶色の木に照らされた空間のさらに奥。その場にあるのは氷の壁。高さ六メートルはある氷壁。その中にいる存在は、人の憎しみ、怒り、妬みなど負の感情の集合体。

 穢れは人を恐怖させるために姿形を柔軟に変化させる。そんな中で、彼らが人という罪深き存在を排除するために選んだ姿は、人の子供。九歳、または十歳程度の子供であった。

 人形のように整った顔に、常月よりもどちらかと言えばフェレアスの者に近い白い肌、そして薄い金髪の少年。氷漬けの彼は無表情だが、おそらく笑えば愛らしさすら感じそうな、そんな少年だった。

 だが、善悪の判断を持たずに流れ込んでくる負の感情のみに従って力を振るう存在は脅威でしかないだろう。しかも何か遊戯でもしているかのように。心底楽しそうに殺戮の限りを尽くすのである。監視者すら凌駕する力で。

 想像するだけでおぞましく、それでいて全身が震えるほどに寒気がする存在。それが彼である。

 だからこそ管理してきたのだ。以前の監視者も、そして自分も。彼を止める方法などないのだから。彼がこの世界へと出れば、全てが終わりを告げてしまう。それだけは何としても阻止せねばならないのである。

 そのための監視者。そのための力。

(だが――もう終わりかもしれないな)

 監視者は自身の終わりが訪れるような気がしている。それはただの予感。だが、まるで定められた運命のようにはっきりと監視者には感じられた。

 自身は死に、そしてまた新たな監視者が生まれる。彼女達の力を見ていればそう思えてしまう。新たな監視者は維持管理を望むのか、それともこのおぞましい存在にすら抗うのか。その答えを知る事が出来るのか、それとも存在を消されてしまうのか。

 その答えは分からない。さらに思考を進めようとすると。

 突如、閃光が空間を満たす。

「来たか。では――始めようか」

 呟いた瞬間に視界を埋めたのは白き花。そして、宙へと浮くのは全てを貫く氷の刃である。もう手を抜く事はしない。ただ全力で立ち向かうのみである。この世界を管理するために。

(私も抗わせてもらおう。力ある君達に。全力で)

 心中でつぶやいた監視者は駆ける。己の信じる道を突き進むために。



 溢れる光が晴れた先。

 広がった景色はいつもとはどこか違った。いつもはただ暗く、寂しいだけの世界だったというのに。

(明るい?)

 真冬は違和感の正体を心中で呟く。

 漆黒の世界は青銀の葉で覆われ、まるで月明かりに照らされた夜道のように仄かな明かりで埋め尽くされていたのである。これが。こんなにも美しい物が、監視者の世界であり、武器だという事だろう。

 現地に向かいながら聞いた話では、前方に見える水晶色の木から射出される枝は氷刃のように鋭く、そして監視者自身は純白の花びらを舞わせ武器として扱うとの事だった。現在はその程度の情報しかない。一度の戦闘経験しかないのだから仕方がない、と言われればそれまでなのだが。明らかに情報が不足している事は言うまでもないだろう。

 敵の戦力は夢で見た西洋甲冑の穢れと、純白の花びらを舞わせる監視者。前情報の通り白き花びらはまるで意思を持ったかのように、まるで真冬達を切り裂く事を待ち望んでいるかのように舞う。一枚、一枚がエクソシストの形成した大剣を破壊可能なほどの切断力を誇る唯一にして絶対の武器。真冬が、この場にいる者全てが恐怖するには十分な光景だった。

 ただ一人を除いての話ではあるが。

「どうするんだ!」

 数瞬の間を置いて、動かない皆へと叫び声を上げたのは藤堂。自身の死すら覚悟して、この場に立っている彼はもはや何事にも臆するつもりはないのだろう。

 藤堂の声を聞いて我に返った皆が一斉に視線を向けたのは一人の少女。この中で一番冷静で、それでいて穢れという存在に対して豊富な知識を持つ彼女である。

「真冬と藤堂さんは私と。春は監視者を――」

 短く指示を出して雫は駆ける。瞬時に彼女の後へと続くのは真冬と藤堂。指示を確認する事も、疑問に思う時間もすでにない。戦いはもう始まっているのだから。一秒の遅れが自身を、仲間を危機へと晒してしまう事は皆、分かっているのだから。

「――全てを切り裂く刃を」

 雫が立ち止まり、まるで張った糸のように左右の手を伸ばすと共に力ある言葉を発する。それは護士へと刃を与える解放の言葉。

 二人の護士はお互いに頷き合い、一斉に地面を蹴って走り抜ける。前へ、前へと。

 視界に移るのは西洋甲冑を纏った穢れ。他にも監視者という、どんな事があろうとも決して目を離してはいけない相手もいる。だが、そちらは春と一刀斎が止めてくれる事だろう。

 真冬と藤堂が成すべき事は、目の前の穢れの撃破である。

「――我を護る者に与えたまえ!」

 雫が言葉を紡いだ瞬間。

 二人の護士に与えられた物は神力を帯びた刃。海のように青い柄を持つ槍と、同色の鞘を持つ一振りの刀である。

「よっしゃ! 行くぜ」

 気合と共に先行したのは藤堂。槍を地面と平行に構え、高速で駆けていく。

 対する穢れの取った行動は夢の通り。ただ黙して立ち尽くすのみである。間合いへと飛び込んだ相手への奇襲。ただそれだけである。

「藤堂、まだ寄るな!」

 真冬は警告を放つ。夢の内容は伝えてあるが、万が一という事もある。勝つには攻めるしかないが、慎重に行かねばならないだろう。

 ――穢れまで残り五歩。

 藤堂はすでに三歩の間合い。槍の間合いへと入ったのか、藤堂が一度槍を構え直す。構え直された槍は青銀の輝きに照らされ鋭く光輝く。

 刹那。西洋甲冑の胸部に亀裂が走る。亀裂は徐々に開かれていき、目の前にいる存在が穢れである事を示す証拠を見開く。それは真紅の瞳だった。

 鳴り響いたのは甲高い金属音。

 穢れが左手に握る両刃の騎士剣で、藤堂の槍を上空へと弾いたのである。穢れの次の行動はがら空きの胴への横薙ぎの一閃。

「真冬、左に回り込め!」

 自身がピンチであるにも関わらず藤堂は指示を飛ばす。鍛錬の成果なのか実戦経験がある真冬よりもどこか戦い慣れているような気さえした。

 ――穢れまでは最短で二歩。

 ここで進路を変更する事は再び間合いを開けてしまうという事。

 だが、真冬は藤堂を信じて進路を変更する。流れゆく視界の端で藤堂を見ると。透明なガラスのような壁が突如出現し、青い霧で覆われた騎士剣を軽々しく弾き飛ばしていた。

 おそらくこれが春に聞いた雫の力。障壁なのだろう。

 だが、さすがは巫女殺しの力を帯びた騎士剣。霧が触れた障壁は、まるで高熱に晒された飴のように溶けていく。

(障壁には頼れない……か)

 思っていたよりも厄介な相手である。そう再認識した真冬は穢れの側面へと、そして叶うなら背後へと回り込むために駆ける。

 一度、二度。火花が散った瞬間。

 ようやく真冬は穢れの背後へと回り込む事に成功する。穢れは藤堂の連撃を捌くので手一杯なのか背後への防御は皆無。

 ――一撃目。

 絶好の好機と言っても過言ではない一瞬を掴み取るために、一息に刀の間合いへと入った真冬は唯一動く右腕のみで刀を振るう。両手での一閃と比べれば威力も、鋭さも足りないだろう。だが、人外を超えた護士の力でなら穢れとて無事では済まない。そう信じての一閃。

 だが。

 振り下ろした一閃は甲冑に傷をつける所か、まるで走り抜ける車に衝突したかのような衝撃が真冬の右腕に伝わる。まるで腕と一緒に肩まで吹き飛んでしまうのではいか、そう思える程の恐怖が全身を駆け巡る。数歩後ずさる程度で止まれたのは護士の力ゆえである。

 だが――

「あぐっ――!」

 力を得た真冬は無事でも、痛みを引き受ける雫は生身。予想するのも恐ろしい痛みが右腕に、右肩に走った事だろう。真冬は正確な痛みが分からない。そんな真冬ですら恐怖する痛み。彼女は一体どれだけの苦痛と戦っていると言うのだろうか。

 真冬が思考を中断し、痛みに耐えて距離を取ると。

「どうした!」

 異変を察知した藤堂が叫ぶ。

「攻撃が通用しない。甲冑には手を出すな!」

 真冬はすかさず喉が潰れるのではないかと思うような大声を上げて返す。自身の軽率な行動のせいで苦しむ雫の姿が、真冬を焦らせているのである。どんな力を持っているのかも分からない相手をとりあえず攻撃してみただけであるので、責められる事はないとは理解している。だが、真冬の行動で雫が苦しんでいるのもまた事実なのである。常に共にいる春であればどう思っているのかはすぐに分かる。だが、今回護るべき巫女は春ではないのだ。

(どこまでなら――引き受けてくれる?)

 真冬は額に汗を浮かべる雫を見つめて心中で問う。

 春を助けるために共に命を掛けてくれた雨月雫。だが、彼女と真冬は仲間ではあるが他人。腕が吹き飛ばされるかのような痛みを、何度も引き受けてくれるとは到底思えないのである。

「どれだけでも受けます。勝てるのなら!」

 雫は真冬の迷いを感じ取ったのか毅然と立ち上がり、空間を震わせるような凛とした声を発する。その様はいつもの冷静な雨月雫だった。

「真冬。彼女は覚悟を決めた。あの目玉――ぶっ潰す!」

 先に覚悟を決めたのは藤堂。槍を器用に右手で回転させながら距離を測っていく。正面に見える瞳を貫くために。

 あの目玉を潰せば勝てるという確信はない。だが、霧で形成された穢れの弱点もまた真紅の瞳だった。今回もあの一点が弱点である可能性は高いだろう。むしろその場しか攻撃可能な部位がないのである。

「援護する」

 真冬は短く答え、今度は戻るように反時計回りに側面へと移動を開始。狙いは穢れが右手で握る両刃の剣。両手に握る剣の内、一本でも止める事が出来れば、それだけ藤堂にチャンスが訪れるのだから。

 ――駆け抜けたのは真冬が放つ高速の銀閃。狙い違わず空間を切り裂いた一閃は、穢れが握る剣を地へと叩き落とす。

 それと同時に穢れも動く。迫るもう一人の護士を迎え撃つために。

 鳴り響いたのは甲高い金属音。音を響かせたのは藤堂の槍と、穢れの騎士剣である。真紅の瞳、ただ一点のみを狙った藤堂の突きと、迎撃のために振り上げた一閃が奏でた音だった。

 一瞬の攻防の勝者は穢れ。藤堂の槍は頭上高くまで打ち上げられ、再び胴はがら空き。例え護士であっても胴を両断されれば助からない。むろん巫女は即死である。

「藤堂!」

 真冬は血の気が引いていく自らの体を感じながら叫ぶ。

 だが、その瞬間。

 脳裏に浮かんだのは二人で鍛錬をした一時。藤堂の槍を地へと叩き落としたあの一瞬。真冬は間合いには踏み込まずに、後方へと跳躍する事で距離を置いたあの一瞬である。

 その一瞬と同じ不敵な笑みを浮かべた藤堂は――

「潰れろ!」

 すかさず右回りに回転する。回転の力を受け取り、加速したのは海のように青い槍。穢れが後退するよりも速く、振り上げた剣を構え直すよりも速く。槍が横薙ぎに走る。

 避ける事など不可能な一撃。勝利を確信出来る完璧な一撃だった。

 だが。

 藤堂の槍は弾かれる。真冬と同じようにまるで吹き飛ばされるかの如く。

「ぐぅ――!」

 二度目の苦しみに満ちた雫の叫び。

 叫び声を耳にした二人は冷静に穢れを見つける。藤堂の一撃は正確に瞳を捉えたかのように見えた。側面から見ている真冬は正確な状況は分からない。穢れはまだ何か隠し持っているとでも言うのだろうか。

「閉じやがったのか――この野郎」

 痛む体を確かめながら藤堂が呟く。

 訝しんで穢れを注視すると。先ほどまで弱点として認識していた真紅の瞳はどこにも見当たらない。正面から見ている藤堂の言葉から察するに、どうやら弱点である瞳を咄嗟に閉じる事も出来るらしい。元々閉じていたのだから、十分に予想出来る話ではあるだろう。

 二人が対応に困っていると。

 瞳は穢れの右側面へ。ちょうど脇腹辺りに見開かれる。当然、見つめているのは真冬である。どうやらこの瞳は閉じるだけではなく、移す事も可能なようだ。

 真冬は込み上げる吐き気を堪えて、再度刀の柄を握り締める。こんな化け物を自らの日常に出す訳にはいかないのだ。護士の力を持ってしても苦戦する相手。一度冬月の地へと繰り出せば数える事も馬鹿らしいほどの者が倒れる事だろう。

「――藤堂。二人で決めるぞ」

 真冬は緊張のために乱れる荒い息を整えて、藤堂へと視線を向ける。

「分かってるって。友情パワーの見せ所だな」

 不敵に笑い藤堂が槍を構え直す。先ほどからの軽口は震える自身を鼓舞するためのものなのだろう。緊張して今にも震え出しそうなのは見ていて分かる。頬へと伝う汗が何よりの証拠である。

(俺だって。恐いさ)

 真冬は心中で呟いて地面を蹴る。傷つく事も、失う事も恐くて仕方がない。

 だが、守るためには戦わなくてはならない。例え左腕以外の物を失ったとしてもだ。

 ――二人が間合いに入った、その瞬間。

 穢れは空間の裂け目から再び剣を引き抜く。瞳が移動したのは背中。距離が近いのは真冬である。視線のみでお互いの役目を確認した真冬はすかさず穢れの背後へと移動する。

「前ががら空きだぜ。化け物!」

 援護をしたのは藤堂。素早い槍捌きで両手の剣を地へと叩き落とす。さすがの化け物も見えないのであれば防ぎようはないのだろう。

 武器を失った穢れにもはや防ぐ手段はない。避ける方法は閉じる事のもであろう。

(――閉じるよりも速く)

 真冬は焦る心を静めて刀を真っ直ぐに構え。戦いを終わらせるために全ての力を込めて突き出す。

 ――三度目の挑戦。

 突き出された一撃を信じるのは藤堂と、そして真冬に力を与える巫女。

 迫る刀を睨み続けるのは真紅の瞳。瞳は決して逃げない。まるで飛び出すのではいかと思われるほどに見開く瞳。その様はまるで真冬が迫るのを待っているかのようで、どこか不気味だった。だが、今さら退く事は出来ないのである。

 刹那。

 舞ったのは白銀の刃。それは粉々に砕かれた刀だった。

(――どうして?)

 真冬は目の前で無残にも砕ける刀が理解出来なかった。そして、身に纏う袴がなぜ赤く染めあがっているのかも理解出来なかった。

 遠くで聞こえるのは耳を塞ぎたくなるような悲鳴。遅れて真冬は現状に追いついていく。

 真冬が突き出した刃を破壊した物。真冬の全身を貫いた物は穢れの全身から針のように飛び出した騎士剣だった。当然、剣に纏うのは不気味な青い霧。

 巫女殺しの霧だった。


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