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第五話 前編

輪廻の鎖 改訂版


― 五 前編 ―


「久しぶりだな」

 ぽつりと独語したのは真冬。

 何が久しぶりなのかと問われれば料理である。普段は掃除、洗濯、料理と家事全般は妹である春がやってくれている。そのため真冬が台所に立ち料理を作るなどという事は稀である。二人の共同生活において真冬がやる事などゴミ出しくらいだろうか。

(なんだか奥さんがいるみたいだよな)

 真冬は心中でつぶやく。

 その瞬間、自らの頬が徐々に火照っていく事を感じる。そして、耳に届くのは早鐘のように鳴る心臓の鼓動。心を満たしていくのは言いようのない幸福感だった。以前のような痛みはすでにない。

 痛みを感じない理由は春の想いを受け取ったからである。春の想いが真冬と同じものである事が心を落ち着かせてくれるのである。兄妹であるという事は今でも考える事はある。だが、今は二人の気持ちが同じである事の方が不安な気持ちよりも勝っているのだ。

(考え事ばかりしていてはいけないか)

 油断すれば緩んでしまいそうな頬を引き締めた真冬は自らがやるべき事に集中していく。といってもただ見つめているだけなのだが。

 真冬が見つめている物は先ほどから音を鳴らしている土鍋。蓋は少しずらしてあり、後は弱火で炊き続ければ完成である。他にする事のない真冬が土鍋とにらめっこをする事二十分。そろそろ頃合いと判断し、土鍋の蓋を開けて中身を確認する。

 土鍋の中には病人に優しい健康食であるお粥が無事に完成していた。一度安堵の息を吐いた真冬は火を消した後に、予め身近に置いておいた茶碗へとお粥を盛っていく。茶碗と土鍋の距離は拳二つ分。その間をお粥が盛られたおたまが移動していく。お粥を、今まさにおたまから垂れようとしている水分を落とさぬようにと慎重に。左腕が動かないという事がここまで不便だという事を改めて思い知らされた瞬間だった。両手であれば何という事もない作業も倍以上の時間が掛かってしまうのだから溜息の一つも吐きたくなる。

 だが、真冬は決して溜息は吐かない。片腕一本失っただけで大切な人を守れたのだから。

「春。起きてるか?」

 無事に茶碗へと移し終えた真冬は振り向くと共に妹へと声を掛ける。自由が効く右手に茶碗と木製のスプーンを持って。

 だが、声は返ってはこない。いや、正確に言えば返したけれど、ここまで聞こえなかったのだろう。急に心配になった真冬は二人兼用の部屋へと向かう足を早めていく。

 真冬は予め開けておいたドアを潜り視線を二段ベッドの下段へと向ける。ベッドで眠っているのは熱によって顔を赤らめている春である。昨日、真冬の看病をしていた春は必要以上に体を冷やし、熱を出してしまったのである。もともと体調を崩しやすい春ではあるが、ここ最近は熱を出す事はあっても寝込むような事は稀であった。そのため今もベッドで眠る妹が心配で堪らない真冬である。しかもその原因が真冬にあるのだからなおさら落ち着かないのである。叶うのであれば変わってあげたいと思えてならないほどに。こんなに心がざわつくくらいならば風邪を引いた方がましなのである。

「ごめ……んね」

 重そうな瞳を開けて春が掠れた声を絞り出す。穢れと呼ぶ化け物と戦っていた凛々しい姿はどこにもなく、今すぐにでも抱きしめて支えてあげたいと思える弱々しい姿がそこにはあった。そんな春の弱々しい姿は真冬の心を締め付けるには十分だった。

 だが、いつまでも傷心して立ち尽くしている訳にはいかない真冬は――

「食べられるか?」

 妹の様子を注意深く観察しながら問う。少しでも食べて元気になってほしい。食べられないのであれば側で手でも握っていたい。溢れる想いを抑えて真冬は妹の言葉を待つ。

「うん。少しなら」

 過保護が過ぎる真冬の様子に薄っすらと微笑んで妹は半身を起していく。春の動きは思っていたよりも鈍くはなく、真冬が予想していたよりも元気なのかもしれない。だが、油断が出来ないのが風邪というものである。まずはお粥を食べさせた後に、午前中に医者から処方された薬を飲ませて様子を見るというのが妥当な所だろう。

 勝手に内心で結論付けた真冬は即座に行動に移っていく。

「待ってろよ」

 春に背を向けてベッドへと腰掛けた真冬はゆっくりと茶碗を右隣へと置く。それと共に体を捻り春へと体を向ける。

 体を捻った瞬間に頬の赤みを増した春と目が合った。おそらく真冬がやろうとしている事を想像したのだろう。真冬自身もどこかくすぐったさを感じるが手を止める事はない。

「いつもやるよね、それ」

 春はついに耐えられなくなったようで真冬へと突っ込む。その声を無視して真冬は木製のスプーンでお粥を掬い自らの息で冷ましていく。成すべき事を達成するために。

「恥ずかしいけれど……幸せだからいいかな」

 つぶやいて春がゆっくりと口を開く。

 真冬は開いた小さな口からお粥が溢れないようにと細心の注意を払って――

「あーん」

 お粥を妹の口へと運ぶ。

 春は小さな口で全てを受け止めてゆっくりと味わう。その間に真冬はもう一度スプーンでお粥を掬い冷ましていく。

「ふふ」

 作業に没頭していた真冬の耳に届いたのは微かな笑い声。気になって視線を向けると春はお腹を抱えて笑っていた。おそらくお粥を冷ます事に没頭している真冬が可笑しかったのだろう。こちらは真剣だというのに。

「笑う事ないだろう」

 真冬は薄っすらと微笑んでつぶやく。

 だが、春は笑う事を止めない。よほど可笑しかったのだろう。だが、笑っていてくれるのであれば真冬は構わなかった。それが真冬自身の愚かな行動であっても。春が笑顔ならばそれでいいのだ。

「ごめんね。この歳になっても変わらないよね、僕達」

「そうだな。ずっと変わらないさ」

 妹の言葉に即答する真冬。春を想う気持ちが変わる事などないのだ。何があっても。それだけは自信を持って断言出来る真冬である。

「そっか。幸せだな」

「その幸せを満喫するためには元気にならないとな」

 一度遠い目をした妹へと再びお粥入りのスプーンを向ける真冬。

「あと二口くらいしか食べられないかも」

 春は残念そうな瞳で向けられるお粥を見つめる。恥ずかしそうな顔をしていたが、食べさせてもらう事はやはり嬉しいらしい。食欲が回復していない事が残念で仕方がないといった様子だった。

 そんな妹がやはり可愛い真冬は――

「元気になったら……またやってやるさ。ほら」

 一つ約束すると共に再び小さな口へとお粥を運んでいく。こんな些細な事で喜ぶというのであればいつでもしてあげたいと思うのが素直な所である。真冬は春の笑顔のために生きているのだから。

「約束だからね」

 春は一度瞳を輝かせて差し出されたお粥を口へと含む。これだけ嬉しそうにしてくれれば約束した方も救われるというものである。

「ほら。最後だ」

「うん。食べたら薬を飲んで……もう一度眠るね」

 春はつぶやくと共にどこか期待した眼差しを向けてくる。おそらく眠るまで側にいて欲しいのだろう。頼まれずともそうするつもりだった真冬には異論などある訳もなく、すかさず一つ頷く。春を安心させるために。

「ありがと、真冬」

 春は満面の笑みを浮かべて最後の一口を口へと含む。まるで真冬の想いを噛み締めるかのようにゆっくりとお粥を味わう春。そんな妹を優しく見つめた真冬はゆっくりと立ち上がる。

「置いてくるよ」

「うん。薬飲んでる」

 真冬は妹の言葉を背に聞きつつ自らの机へと歩んで行く。茶碗を台所まで持っていこうとも思ったが、そんな時間すら今の真冬には惜しかった。机に無造作に茶碗を置き、振り向いた時にはすでに春は薬を飲み終えているようで水の入ったペットボトルの蓋を閉じようとしている所だった。

「ずっと一緒にいるから。いい夢を見てくれ」

 真冬は再びベッドに入り眠ろうとする妹へと声を掛ける。春は一度頷くだけで言葉を返す事はなかった。だが、気持ちは伝わっているのか幸せそうな笑顔を浮かべている。その笑顔がいつまでも続くようにと祈りながら真冬はずっと妹の手を握り続けた。


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