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第四話 後編

― 四 後編 ―


 空間を切り裂くように飛ぶのは一本の薙刀。春の神力によって形成された刃である。

(これで終わって!)

 春は肩を上下させながら荒い息を整える。これで戦いが終わらなければもう打つ手はない。真冬は既に意識はなく、雫はもう戦う事は出来ないだろう。

 春とて真冬の痛みを引き受けまともに動ける状態ではない。限界を迎えた春は両手を前方へと掲げる。

 周囲へと展開したのは無数の式神。舞う式神に与えた命令は射出された刃を障壁で防ぐ事だった。春の背後には気絶した真冬がいる。真冬をこれ以上傷つけさせる訳にはいかないのである。

 ガラスが割れるような音が背後で響く。それは式神が展開した障壁が割れる音。そして、無数の刃が無防備な春の白い肌を赤く染め上げていく。

 やはり勝てないのかと諦めた瞬間。

 周囲を満たしたのは鮮血のように赤い霧。

 一度、生唾を飲み込んだ春は掠れた瞳を赤い瞳へと向ける。春を見続けていた不気味な赤き瞳に突き刺さっていた物は春が投擲した薙刀。そして、突き刺さった先から溢れ出るものは霧だった。まるで血を流すかのように溢れ出る霧。

「止めを……刺さないと!」

 春は右手に力を込める。春の意思を受け取った式神が赤き瞳へと弾かれたように飛んでいく。穢れの抵抗は見るからに薄れ、意思を受け取った式神は射出される刃を掻い潜って赤き瞳へと張り付く。

「解放!」

 春は叫ぶと共に右手を握り締める。指示を受けた式神はすぐさまその身に宿る神力を解き放つ。溢れ出た神力は穢れの身を形成する霧を吹き飛ばしその形を削り取っていく。

 一度、閃光が漆黒の空間を照らす。

 溢れた光が収まった先に残ったものは赤い霧のみだった。

「勝ったの?」

 春はゆっくりと掲げた手を下ろす。

 もはや射出される刃も、あの不気味な赤い瞳もそこにはない。春自身が止めを刺したのだが、まるでその実感がなかった。春は今日死ぬはずだったのだから。

「やった。生きてる」

 春はつぶやいた瞬間に全身の力が抜けていくのを感じた。気づいた時には春は地へと膝をついていた。冷えた地面が春の膝を冷やすが立ち上がる事は不可能だった。

 今生きている事が信じられないのだ。

「私も最後まで抗えば……あなたのように生きられたかな」

 春の内側から声が響く。それは前世の春の言葉。

 その瞬間に春の体から光の粒子が溢れる。溢れた光はまるで天へと昇るかのように徐々に漆黒の空間を昇っていく。

「待って!」

 春は光へと手を伸ばす。行かなくても一緒にいればいいのだ。真冬はおそらく春と一緒に前世の彼女にも優しくしてくれるだろうから。

「私はいいの。もう自由だから」

 声が響く。

 その瞬間に何かが千切れる音が響いた。それは鎖が千切れる音。前世の春が解き放たれた瞬間の音だった。

「さようなら」

 それが最後の言葉だった。

 言葉を受け取った春は両肩を抱いてうつむく。彼女を解放した春が落ち込む事はないという事は分かっている。だが、想い人を諦め、若くして命を散らした彼女は本当に救われたのだろうか。その答えは春には分からなかった。

「私はどうすればいい?」

 春は昇っていく光へと問う。私だけ幸せになってもいいのかと問うたのだ。だが、当然答えは返ってこない。その答えは今を生きているものが出すべきものだから。

「彼女の分まで幸せになればいいと思います」

 代わりに答えてくれたのは涼やかな声だった。振り向くと痛む左肩を庇いながら歩く雫がいた。歩く事すら辛そうではあるが、まずは雫が無事であったことが春には嬉しかった。

「いいのかな?」

「そのために力を貸してくれたのだと思いますけど」

 問う春に雫は淡々とつぶやく。やはりこの巫女は表情を見ただけでは何を考えているのか分からない。今述べた言葉が本心であるかすら春には分からなかった。

「春、あなたは生きているのです。だから生きたいように生きればいい。他の誰かに遠慮などせずに」

 言葉を返さない春に雫は薄っすらと微笑んでつぶやいた。雫の言葉は不思議なくらいに春の心へと沁みていく。そして、不安な心を綺麗に洗い流してくれた。

「そうだね。彼女の分まで精一杯生きるよ。真冬の側で」

 春は精一杯の笑顔を雫へと向ける。

 巫女二人はそれぞれ頷き合い、新たな一歩を踏み出していった。



「ここは……?」

 真冬は見た事もない真っ白な天井を見つめて疑問の声を上げる。それと共に自らが置かれた状況を把握するために周囲へと視線を走らせていく。真冬を包んでいるのは天井と同じ真っ白な布団だった。

 清潔感を感じさせる白で統一された室内。

 この状況から察するとおそらく病院なのだろう。真冬はさらなる情報を求めて上半身に力を込める。だが、自らの体に覆い被さっている何かによって上手く動く事が出来なかった。

「う……真冬?」

 覆い被さっている何かの正体は春だった。おそらく真冬が目覚めるのを待つ間に眠ってしまったのだろう。春はとろけた瞳を真冬へと向けて眠そうな様子だった。

(生きてる。変わったんだ……いや、変えたんだ)

 真冬は妹が変わらず生きている事に言いようのない幸福感を得る。それと共に今すぐにでも抱きしめたい衝動にかられた真冬は左腕に力を込めようとする。

 その瞬間、真冬はとある異変に気が付いた。

(嘘だろ?)

 真冬はゆっくりと左腕に視線を向ける。それと共に左腕を動かそうと試みる。

 だが。

 真冬の左腕は動かなかった。いや、正確に言えば左肩すらまともに動かす事が出来なかったのだ。状況を理解した瞬間に真冬は血の気が引くと同時に、強烈な吐き気が込み上げてきた。すぐさま嘔吐しなかったのは近くに春がいたからだろう。

「真冬?」

 異変を察知した春が慌てて真冬を覗き込む。その瞬間に真冬は全ての意識を集中させる。無意識に今は気づかれたらいけないと思ったのだ。全ては春を心配させないためである。

「少し吐き気がしたんだ。大丈夫だ」

 真冬は何とか声を絞り出す。だが、そんな嘘は春には通用しなかった。ここまで血の気が引いた顔をしていれば、その程度である筈がないと誰でも分かってしまうのは当然の事だった。そんな当たり前の事すら今の真冬は判断出来ていない。それだけ余裕がないのだ。

「何かおかしいの?」

 春は無表情で問う。何の感情も感じられないような無表情をしているが、明らかに春が怒っている事はすぐに分かった。今回はすかさず隠してしまった真冬が全面的に悪いのだろう。先日、春に対してなぜ話さなかったのかと問い詰めた自分が、隠し事をしようとしていると言うのだから言い訳のしようもない真冬である。

「左肩が動かない。右は動くな」

 真冬は一度深呼吸をしてゆっくりと確かめるように体を動かしていく。春からの返答は何もなかった。ただ顔を真っ青にして見つめ返すのみだった。

「春の命と比べれば安いものかな」

 真冬は薄っすらと微笑む。左肩が動かない事は残念に思うが、春を失うよりかはましである。春を失えば真冬の全身に耐えがたい苦痛が駆け抜けた事だろう。笑うなどという事はもう二度と叶わなかったかもしれない。

「どうして?」

 ようやく春の口から出た言葉は疑問の声。大きな瞳を涙で濡らして問う妹。そんな姿を真冬は見たくはなかった。今、生きている事を共に祝いたかったのだから。

「俺は……春をもう一度この腕で抱きしめる事が出来る事が嬉しいんだ」

 真冬は右腕に力を込めて上体を起こす。そして、右腕だけで妹の細い体を抱きしめる。伝わってきたのはもう二度と触れる事は叶わないと思った温もりだった。この温もりを感じられるのであればどんな体になろうとも真冬は幸せだった。

「真冬」

 春は泣きながらも真冬を抱きしめてくれた。

「泣き止んだら。笑顔を見せてくれ。お願いだから」

 真冬はつぶやくと共に春にすがる。唯一、自らに至福を与えてくれる少女を真冬は求め続けた。少しでも離してしまえば左腕を失った恐怖に押しつぶされてしまいそうだったから。

 その心を感じ取ったのか春はずっと真冬の側にいてくれた。それだけが真冬にとって唯一の救いだった。



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