第1話 邂逅
夜の中華街は、昼とはまるで別の顔を見せていた。
赤い提灯の灯りが揺れる通りを、黒い霧のようなものがゆっくりと覆っていく。人々はそれを知らない。ただ「今日はやけに暗い夜だ」と感じるだけだ。
――夜の帳。
それが降りるとき、世界は静かに裏側へと滑り込む。
「出たな……」
ソウは低く呟き、剣を構えた。目の前には、歪んだ影のような存在――虚無獣が、建物の壁を這うように姿を現している。
「市民は?」
ソウの背後で、落ち着いた声が返る。
「結界圏外にはもういない。逃がしたよ」
答えたのは、タジだった。年季の入った動きで盾を構え、仲間の背を守るように立っている。
「じゃ、ちゃっちゃと終わらせよっか」
ルイが軽く笑いながら前に出る。気だるそうな口調とは裏腹に、その動きは鋭かった。
虚無獣が咆哮し、地面を揺らす。
ソウは一歩踏み込み、剣を振り抜いた。
光が走る。
影が裂ける。
戦いは、始まった。
*
数分後。
虚無獣を追い詰めたその瞬間、空気が変わった。
どこからともなく歌声が流れ込んでくる。
透き通るような声。
温度のない、けれど確かに力を持った旋律。
霧が一瞬だけ揺らぎ、市民たちの姿が淡く光に包まれた。
「……なんだ、今の」
ソウが眉をひそめる。
そのとき。
路地の奥から、別の気配が現れた。
赤い灯りの下に立つ三つの影。
黒い外套をまとった青年――セイヤ。
その隣には、落ち着いた目をした女性、リョウコ。
そして苛立ちを隠さない様子の少年、アキト。
「虚無獣の処理は、こちらが引き継ぎます」
セイヤが静かに言った。
「は? 誰だよあんたら」
ソウが警戒を強める。
「……敵だ」
タジが短く告げた。
互いの視線がぶつかる。
理由はない。だが確信だけがあった。
――こいつらは、敵だ。
記憶の奥底で、何かがざわめいた気がしたが、誰もそれを掴めなかった。
ルイが一歩前に出て、にやりと笑う。
「おねぇさん、こんな素敵な夜なのに血なまぐさいことしてさ。モテないでしょ?」
リョウコが眉を寄せる。
「あら、失礼な子ね」
「そんなに男の尻追っかけて、独りでさみしいの〜?」
「てめぇ、リョウコさんに何言ってんだ!」
アキトが飛び出し、拳を握る。
ルイは肩をすくめた。
「へぇ、君はお友達かなぁ?」
軽い口調。だが視線は鋭く、相手の反応を探っているようだった。
一方、中央ではセイヤとソウ、そしてタジが向き合っていた。
「退いてください」
セイヤの声は穏やかだった。
「ここは我々の管轄です」
「ふざけるな。虚無獣は僕たちが――」
言い終わる前に、光が弾けた。
能力同士がぶつかり、空気が震える。
剣と結界が交差し、火花が夜を裂いた。
完全な敵対。
互いに一歩も譲らない。
戦いは短いが激しかった。
だが虚無獣が崩れ落ち、霧が薄れると同時に、両者は距離を取った。
「……今日はここまでにしましょう」
セイヤが静かに告げる。
その言葉に、敵側の三人は影の中へと消えていった。
*
夜の帳が薄れ、街は再び静かな灯りを取り戻す。
ソウは剣を下ろし、遠ざかる背中を見つめていた。
「なんなんだよ……あいつら」
「さぁな」
タジが低く答える。
ルイはふっと笑った。
「でもさぁ、面白くなってきたじゃん?」
その軽い声を聞き流しながら、ソウは胸元を押さえる。
――敵のはずなのに。
なぜか、胸がざわつく。
懐かしいような、痛むような感覚。
理由はわからない。
ただ、確かに何かが始まったのだと、ソウは感じていた。
赤い提灯の灯りが揺れ、夜は静かに更けていく。
邂逅は、まだ始まったばかりだった。




