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三話

 



「……ニッコ・スー」

「え? は、はい……」

「合図をしたら元来た道へ向かって走るぞ」

「え? えっ?」

「いち、にの……さん!」

「待っ……」

 オーマは駆け出し、硬い岩壁や天井に何度もぶつかりながら洞窟の奥を目指す。がむしゃらに疾走するうち、追随する足音へ意識を向けて、おもむろに足を止めた。

「なぜ……ごほっ」

「オーマさま、大丈夫ですか?」

「……少し……待て」

 オーマは弾む息を整える傍ら、右手に意識を集中させる。人差し指にはめた指輪が光り、手の中から発光する球が出現すると、最初にオーマの目に映るのはニッコだ。

彼は淡い緑髪に藤色の瞳と、頭には二本の牛のツノ、薄茶色の牛耳と、下半身は耳と同色の牛の後ろ脚、腰からは尻尾が垂れていた。

 魔族としては取り立てて珍しくもない外見だが、歳のわりに背が高いことと、印象的な垂れ目に、目尻のほくろもあいまって、十三歳にしては大人びた印象を受けた。

「それで、げほっ……お前、たち……なぜ、こちらに……?」

 息切れの合間にオーマが何とか紡いだ問いかけは、ニッコの背後に立つユウと、見知らぬ少女へ向けたものだった。

「オーマ、すごい疲れてるみたいだけど、体調悪い? オレに何かできることある?」

「質問に……答えろ……」

「オレは、また魔物が出るかもしれないから、固まっていないと危ないと思って。アンナさんも?」

「ん」

「ということは、あっちは今、ミア一人か……。可哀想なことしちゃったな」

 ユウの口ぶりからして、少女の方は先ほどアンナと名乗った少女だと察せられる。

 アンナは腰まで届く水色の長い髪に赤い瞳をした、驚くほど美しい顔立ちの少女で、子どもながら儚げな雰囲気をまとっていた。小柄な体に合わない大きな帽子を被っており、よほど大事な品なのか、低い天井にひっかけないよう、しっかりと手で押さえていた。

「ええと、光る玉を出してる方がオーマでいいんだよね? じゃあ、そっちがニッコ?」

「……っな……何、な……」

「落ち着け、ニッコ・スー。この者たちは人間族だ。我ら魔族とは種族を異にするが、意思疎通が可能な相手だ」

「ツ、ツノがない……丸い耳……? そんな、そんなこと……、か、神さま……っ」

 次第に速く、浅くなっていくニッコの呼吸に異変を感じはしても、どう声をかけるべきか分からないでいるオーマをよそに、ユウが光を手のひらで遮り、ニッコに語りかけた。

「ニッコ、目を閉じて」

「は……っ、近づくな、に……にんげ……っ」

「何も考えないで。大丈夫。よくあることだよ。すぐに良くなる」

「……っ人間、なんかに……」

「うん、そうだね。さあ、息を吐いて。ゆっくり」

「……ふ、ふー……っ」

「良いね、上手だよ。その調子」

 ユウの言葉に励まされつつ、やがてニッコは落ち着きを取り戻したようだ。

 呼吸が正常に戻るにつれ、彼の顔から苦痛の色が取り除かれるのが見て取れた。

「もう大丈夫そう?」

「……オーマさま、僕の後ろへ……」

「なぜ」

「安全のためです」

「ニッコ・スー、心情はどうあれ、施しを受けたのだから礼は言っておけ」

「人間相手にですか⁉」

「そうだ。お前がそういった態度を貫くのなら、余はお前を道義的責任も果たせない幼稚な者とみなすが、構わないな」

「な、何です? どうして僕を責めるのですか? だって、相手は人間ではないですか」

「……よく分かった。好きにしろ。その代わり、これから余は彼らと対話を試みる。その間、お前は大人しく待っていろ」

「い、いけません! 御身を敵の牙の前にさらすだなんて……。貴方はご自身のお立場を分かっておいでなのですか?」

「承知している。その上で、お前に余の要求を飲めと言っている」

「飲めません、危険です!」

「相手は子どもだ」

「でも、人間ですよ! 僕たちとは姿形がまるで異なる、異形の怪物! 神に愛された僕たち魔族に嫉妬し、恐れ知らずにも神すら呪うその心根は、生まれながらにして邪悪に染まりきっていると聞きます!」

「神学校ではそう教わるのか」

「ええ、そうです。真実を教わります」

「もういい、もう充分だ。……では、余は余自身の立場を自覚し、その上で臣下であるお前に命じる。――口を挟むな」

「……っ、畏まりました」

 光球に照らし出されるオーマの姿は、白髪の癖毛に冴え冴えとした黄金の瞳、それに、頭部には大きな山羊のツノ。耳と下半身も髪と同じ白色の山羊のものだった。顔の造形は美術品のように整っており、十歳にして、すでに威厳を漂わせる佇まいと言える。

「うわ……」

 思わずといったように漏れた声の方向へ視線を向ければ、ニッコの肩越しにユウと目が合った。

「何だ」

「う、ううん、何でもない。もういいの?」

「ああ、待たせたな。それから、ニッコ・スーに代わり、暴言の非礼を詫びよう」

「オレは気にしてない。平気だよ。アンナさんは大丈夫?」

「いいよ」

「でも、オーマたちはどうして急に走り出したの? あの場で話せばよかったのに」

「それは、お前が武装しているからだ」

「武装……あっ! これ?」

 今、気がついたという様子で木の枝を持ち上げ、ユウは首を横に振る。

「違うよ! これは洞窟の外でいい感じのを拾って……じゃなくて、また魔物が出た時のためにと思って! オーマが嫌なら捨てるから!」

 ユウは木の枝を洞窟の奥へ放り投げ、ほら、と空の手を見せる。

「でも、嬉しいな。オーマがオレたちと話そうと思ってくれて」

「お前を喜ばせようとしたわけではない。対話の可能性を感じたのは、追ってきたお前たちに交戦の意思が見られなかったためだ。そうでなければ、あのまま、お前たちの手の届かない場所まで逃げていた」

「それでも、やっぱり嬉しいんだよ。ありがとう、オーマ。せっかくお隣さんなんだから、仲良くした方がいいよね」

「お隣さん、とは……?」

「隣じゃないか。国が」

「それはそうだが……」

「ニッコとも、できれば仲良くしたいよ。ニッコは嫌だろうけど」

「……」

 ニッコは押し黙っている。オーマの命令を守っているのか、人間を無視しているのかは判断がつかなかった。

「オーマ」

 名を呼ぶ声に顔を向ければ、思ったより至近距離にアンナの顔があった。

 オーマの前にニッコが立ち塞がっているため、アンナはニッコに触れそうな位置に立っている。ニッコは悲鳴をこらえるように口を真一文字に引き結ぶが、それでも彼は退くつもりはないらしく、己の蹄で、しっかりと地面を踏み締めていた。

「これ、光。魔法? 近くで見ていい?」

「もう充分に近いと思うが。興味があるのか」

「ん。アカニだと、魔法見られるの魔物避けの結界だけ。けど、近づくと怒られる」

「構わない。人間の魔法体系とは異なるかもしれんが」

「ありがと」

 オーマが光球を渡すと、赤い瞳は宝石のように輝いて光球の観察を始める。

 その顔を見ていると、オーマの好奇心も首をもたげた。

「アンナ、お前は魔族が恐ろしくはないのか?」

「……あたし、どっちか分かんない」

「分からないとは?」

「あたし、魔族のヒトに怖いこと、されてない。それに町の大人たち、誰も魔族のヒトが怖い理由、言えない。誰も魔族のヒトに会ったことないから」

 アンナの言葉遣いは少々つたないらしく、伝わりにくい部分があるようだ。もっとも、九歳という年齢を考えれば、頭の内部で組み立てた思考を出力する技術が未発達でも不思議はないのだが。

「洞窟の出口へ戻るぞ。おそらくミアはその付近に居るだろう」

「ねえ、オーマ。聞いてもいいかな?」

「何だ」

「オレたちが魔族を嫌ってない理由は分かってもらえたと思うんだけど、オーマはどうしてオレたち人間を嫌ってないの? 確かにオレたちには喧嘩するつもりはなかったけど、それだけじゃないでしょ。オーマにも仲良くしたいって気持ちがあったと思っていい?」

「悪いが、期待には添えない。余は、種族や血の繋がりと相互理解には因果関係がないと知っているだけだ。ならば最低限、一度は対話を試みてから見限ってやるのが道理だろう」

「そうご……いんが? 難しいな。えーと、つまり、種族なんて関係なく仲良くできるってこと?」

「見限ること前提の話に、よくもそこまで独自解釈を入れられるものだな。いっそ感心するが……まあいい、好きに取れ」

「分かった。好きに取るね」

 来た道を引き返すと、薄明かりを背に落ち着かなく行ったり来たりを繰り返す少女の姿が確認出来た。肩を超えるほどの栗色の髪の彼女は、オーマたちに気づくと琥珀色の双眸を向け、小さく悲鳴を上げる。

「ま、魔族!」

「ミア、大丈夫? 置いて行ってごめん」

「ユウとアンナを人質に取っているのね! 二人とも! こっちへいらっしゃい! そいつらは危ないのよ!」

 ユウとアンナは互いに顔を見合わせ、ミアの方へ歩み出す。アンナは大人しくミアの腕の中に招き入れられたが、ユウはオーマとミアの中間地点で立ち止まった。

「ユウ……? まさか、脅されているとか? 大丈夫よ。わたしたちが助けるわ!」

「ミア、オレは――」

「誰がそんな卑劣なことをするものか! 彼らが勝手に僕たちについて来たんです!」

「魔族は残虐で、卑劣な手を躊躇なく使うと聞いているわ! 魔族と魔物は同じ生物だから、心がないんだって!」

「な……何たる侮辱……! 無礼者!」

「ニッコ・スー。余の命令を忘れたか」

「で、ですが、僕は魔族の名誉のため、黙ってなどいられません!」

「それは余の言葉より重いのか」

「ですが、魔王さま!」

「黙れ!」

「……あ……」

 ニッコが口を手で覆う。周囲の刺さるような視線を受け、彼の顔は真っ青になった。

「まおう……? オーマ、まおうっていうのは……?」

「……あだ名だ」

「う、うん……そ、そう?」

「いや、誤魔化すのは無理があるでしょ……。そもそも、魔王だとか呼ぶ前に、貴方、一人称が余だもの。ちょっと変わった子だとは思っていたけれど、とんだ大物だったわ……」

「ち、違います! やめてください! ええと、だから、その、これは……」

「ニッコ・スー、いい。今更どう言い繕っても無駄なようだ」

「……ぼ、僕……すみません、どんな罰でもお受けします」

「今回は余にも非があった。失言と命令違反については特別に不問に付する」

「で、ですが、人間どもにオーマさまの素性が知られたら……」

「知られたら、何だと言うのだ。長く戦争を続けてきたとは言え、現在は休戦中。何より、この者たちに余を害するだけの武力があるように見えるか?」

「それは……確かに。貴方さまでしたら人間の子どもなど、物の数ではないでしょうが……」

「えっと、二人とも、説明してもらっていいかな? 話を聞いていると何だか、まるでオーマが魔王みたいに聞こえるんだけど」

「いかにも」

「……? つまり、どういうこと?」

「こいつが将来、わたしたち人間を殺す陣頭指揮を執るということ、みたいよ」

「……は? え? だって……子ども……」

「魔王だろうが勇者だろうが、大人になるまでは子どもだろう」

「そ、それに、どうして魔王が、こんなところに? 魔王って魔王城に待ち構えてるもんじゃないの?」

「先ほど言った通り、母を探すためだ」

「あ、そっか、そうだった。……だけど、魔王の母さんなら偉いんじゃ? そんなヒトが居なくなったなんて、大ごとじゃない?」

「必ずしも地位の高い者が魔王の母となるわけではないが、余の母は国の政を取り仕切る大臣職を取りまとめる役に就いている。魔族という種族の事実上の長だ。その長が失踪して半年、ろくな手がかりもなかったからな。代理で引っ張り出された叔父も含めて、しばらくの間、城内は大ごとなどという上品な言葉では言い表せない狂乱ぶりだった」

「そんなことになっていたなんて、全然知らなかったわ……」

「敵国相手に情報を知られないようにするのは当然です。大臣不在の混乱の隙をついて、野蛮な人間どもに攻め込まれるようなことがあっては堪りませんから」

「あ、あ~ら、さすが卑劣な魔族らしい発想ですこと。心根の美しいわたしたち人間にはできない思考ですわね」

「は? 何ですか?」

「何よ! そっちが先でしょ!」

「ミア、もうやめようよ」

「ニッコ・スー、いい加減に――」

「あたし、暗いの飽きた。外、出たい」

「そうだよ。話すにしたって、いつまでも暗い場所で話さなくてもいいじゃないか」

「……それもそうね」

 明るくなってきたとは言え、依然として暗がりから魔物が襲ってくる脅威は残っている。

 双方、ひとまず矛を収め、洞窟の外へ出ることを優先する。

「だけど、オーマは魔族の……大臣の息子で、魔王なんだよね? どうやって人間の国の、しかもアカニの町みたいな田舎に来たの? 魔族の領地からも、かなり距離があるよね」

「それは……」

 言いかけた時、視界の端に痛いほどの眩しさを覚える。

ようやく洞窟を抜けたのだ。明暗の調整が出来るようになったオーマの目に映ったのは、深い森と、それから見渡す限りの海だった。オーマたちが立っているのは、それらを見下ろす形で形成された崖の上だ。

「どういうこと……? ここ、アカニじゃ……わたしたちの町じゃないわ」

 驚愕の表情を浮かべたミアが助けを求めるようにユウとアンナの顔を見やる。彼らもミアと同じく混乱しているらしく、ユウは目を見開き言葉を失い、アンナも――

(いや、これは……)

 アンナだけは特に表情が変化しているようには見えなかった。扇状に広がる砂浜を、眉一つ動かさずに見つめる横顔は、その整った顔の造りもあって、出来の良い人形を思わせた。

「……アンナ、お前は驚いている、のか?」

「超びっくり。口から心臓、飛び出そう」

「……そうか」

 微動だにしないアンナの表情から感情のひとかけらでも滲んではいないかと観察していると、すぐ隣で抑揚のない呟きが落とされた。

「僕、ここを知っています……」

「ニッコ・スー……?」

「イニアノック島……。首都のずっと東に位置する離島で……ある日、住民が忽然と姿を消した島です」


 

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