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その令嬢、隠密なり〜白薔薇の公爵は黒薔薇の令嬢へ求愛する〜  作者: ぶるどっく


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第七十六話



 エドワード王のなんの問題もないという絶対的な言葉に、広間は安堵の息で満たされた。


「陛下のお言葉の通り、全ては既に収束に向かっております!」


 バルセロナ将軍が床に叩きつけた剣を収め、広間の貴族達に向けて力強く宣言した。


「我が国に侵攻するために集められたリンダス帝国の軍は、アルカンシエル王国の大地を踏むことは無い。」


 その言葉に、貴族たちは再びざわめいた。

 

「作戦名は"夜明けの薔薇"とのことですわ」


「薔薇の蕾が花開くように、夜明けと共にリンダス帝国の軍は崩壊に向かう。」


セレスティナ王女が、静かながらも誇り高い声で告げ、フェリクスが自信に満ちた声音で捕捉した。


「作戦の第一目標は、敵軍の士気と指揮系統の破壊。

 ノワール情報によれば、敵軍総大将はダンガン・ワイズという将軍。

 帝国第一主義を掲げ、典型的なリンダス帝国の軍人だね。

 そこにいる彼女の義父であり、この国へ彼女を間者として送り込んだ張本人。

 すなわち、妹君という人質を取り彼女を"道具"として冷酷に扱った男だよ。」


 妹君は血を分けた己の娘というのにね、と言うフェリクスの言葉に、既に事切れたクラリスを抱き締めるフィリップの腕の力が増す。


「その男を含め、リンダス帝国の兵士達には階級を問わずに災厄に見舞われる事となるだろう。

 彼らは夜明けと共に報いを受け、進軍どころでは無くなる。

 それは、既に決まった運命なのだ。」


 セレスティナとフェリクスの言葉を肯定し、続けて紡がれた絶対的なエドワード王の声が広間に響いたのだった……。



 ……そう、すべてが既に動き出していたのである。



 アルカンシエル王国の王城で開かれている舞踏会と同時刻。

 国境間近に設置された リンダス帝国軍の進軍本陣は、戦勝を確信した熱気に包まれていた。


 本陣の中心には豪華な天幕が張られ、周囲に柵を張り巡らせ、選りすぐりの護衛の兵士達が巡回する。

 その天幕の持ち主である総大将のダンガンは、軍人が食べるには豪勢なご馳走を食べ、高価な酒を水のように飲んでいた。


 総大将程ではないとはいえ、高位の軍人達は近くの娼館から呼び付けた女達を相手に宴会を開いている。


 平の兵士達すらも普段は飲めない金額の酒を片手に酔い、近くの街から寄せ集めた若い女達に酌をさせている。


 それぞれの兵士、軍人達が自分達の立場に見合った宴を楽しんでいたのである。


 そんな松明や焚き火の明かりに照らされた本陣の中を闇に紛れて動く者たちがいた。



 

 総大将が使用する豪奢な天幕の入り口。


 本陣の宴から漏れる笑い声と香ばしい肉の匂いが、夜風に混じって流れてくる。


「……なぁ、俺たち、つくづく損な役回りだな」

「まったくだ。酒の匂いだけ嗅がされて、酔えもしねぇ」

「せめて一口、酒が飲みてぇ……」

「うまい肉も食いてぇな……」


 見張りにつく二人の屈強な兵士は、勝利の美酒を夢見て、わずかに警戒を緩めていた。

 お互いに宴の最中の立ち番という損な役回りに愚痴がこぼれる。


 それが、死神を招く一瞬となった。


 足音さえ生じない、熟練の動きで闇から現れた黒い影。

 分厚い雲の合間から微かに漏れた月明かりに照らされたのは、眇められた翡翠の瞳と大きな傷の走る白い顔。


 スッ……夜の帳を裂いて、影が二つの喉元を撫でた。


 何が起きたか、兵士達は知る暇もない。

 糸が光る。

 細く、鋭く、冷たい弦。


 気道を締める鋼鉄の糸にグ、と喉を鳴らした兵士たち。

 抵抗する間もなく、まるで人形のように暗闇に引きずり込まれた。


 二つの命は音もなく闇に沈んだ。


「騎士としての父や兄の背中に私は光を信じた。

 だが、光だけでは照らせぬ命があることを知った。

 顔の傷を後悔などしない。

 顔の傷を受けたからこそ、守れた光がある。」


 イザベラは、かつての騎士の剣ではなく、暗部の鋼鉄の糸という冷徹な技で仕事を終えた。


「ならばこそ、表の騎士では守れぬ光を私が守ろう。

 貴族令嬢としては無価値でも、闇に沈めば裏返る。」


 黒い影ことイザベラの顔の傷は、その強い心を証明するように、闇の中で凛と光っていた。


「光が救えぬものを、闇が救う。

 それが、私の正義だ。」


 イザベラの表情には、哀れも慈悲も浮かびはしない。


「……貴様らに喋る口も、味わう舌も必要ない。

 血も、声も、残さぬが私の流儀だ。」



 イザベラは糸を軽く引き抜き、天幕へ背を向ける。


 闇が、また闇を呑み込み消し去った……。





※※※※※※※※※※





 宴は続いていた。


 火の粉が舞い、肉の匂いと笑いが混じる。

 焚き火に照らされた豊かに波打つ髪が豊満な身体を彩り、目尻の涙ボクロと蠱惑的な微笑みが匂い立つように色気を醸し出す女。


「あら、頼もしい素敵な将軍様。

 是非、私めに貴方様へお酒を注がせて下さいませ。」


「おおっ!

 こんな辺鄙な場所にお前のような美しい女がいるとはっ!

 ふははっ、お前がそこまで言うならば、この俺に酒をつぐことを許してやろう!」


 一際その美しい女は指先一つで男を惑わし、流し目一つで男を虜にするかのようだった。


「ふはぁっ!

 うむ、勝利目前の酒はまた格別!

 さあ、どんどん注げっ!

 お前たちもっどんどん飲むがいいっっ!!」


 その喧騒の中、美しい女は杯を掲げる将校に微笑みかけた。


「あら、将軍様。

 勝利目前だなんて言わずに、勝利の酒とおっしゃって?

 だって、勝利の美酒はどんな毒より甘いものですもの。

 (……そう…………毒も薬も紙一重。

 飲みすぎれば命取り、ですのよ?

 刃など使わなくても、言葉で人を殺せるわ。

 毒とは不安、猜疑心、欲……心や言葉にも盛れるもの。

 私はただ、それを少し濃く、強くしただけ。

 死ぬのは身体だけじゃない。

 信じた希望と心もよ。)」


 杯の縁をなぞる爪先から、ヴィオレッタは光のように微かな滴を落としていく。

 疫病に似せた毒……全ては恐怖と噂を拡散させるための“種”だった。




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