第七十話
卒業式後の夜。
王城内の広間ではシャンデリアの華やかな光と、貴族たちの思惑が渦巻く重厚な空気が混ざり合っていた。
無事に学園を卒業し、期待と希望を胸に膨らませた子息令嬢達が、初めて王城へと足を踏み入れるのだ。
精一杯に着飾った彼らは、立場によっては王城で開催される舞踏会への参加は最初で最後かもしれないと、緊張と興奮で胸を高鳴らせていた。
二度と足を踏み入れることはないかもしれない王城の壮麗な広間を、その目に焼き付ける。
華やかで美しい舞踏会の広間では既にエドワード王が玉座に座り、順番に入場してくる卒業生達を穏やかな眼差しで見詰めていた。
本来ならば王妃が座るべき椅子にはセレスティナ王女が毅然とした表情で座り、その斜め後ろには婚約者のバルセロナ将軍が静かに控えていた。
更に一段下の椅子には第一側妃であるアニエス側妃が座り、満面の、しかしどこか冷ややかな微笑みを浮かべている。
他にも宰相であるルージュ公爵を初めとした薔薇の家紋を持つ家の当主達。
それ以外の貴族の当主達が、静かに成り行きを見守るように並んでいた。
「ルージュ公爵令嬢フレイヤ様!」
それぞれの家名を呼ばれ、爵位の低いものから順番に現れる卒業生たち。
その中で、フレイヤの名前が呼ばれた瞬間に、会場のざわめきが一瞬で静寂に変わる。
「(ルージュ公爵令嬢……まさか一人で……?)」
「(あのフィリップ王子が来ないとは……)」
「(やはり王位の行方は、この舞踏会で決まるのか)」
本来ならば婚約者と共に入場するはずの舞踏会の慣例。
しかし、フレイヤが一人で現れたことで、静寂はすぐに消え去り、小さなざわめきが再び広場を覆った。
それは好奇心と緊張が混じり合ったざわめきだった。
「…………」
舞踏会の会場への入り口より、フレイヤが一切の迷いなく絨毯の上を歩いて行く。
貴族達の好奇の視線など歯牙にもかけず、フレイヤは炎のように鮮やかな緋色のドレスを纏い、凛とした出で立ちで進む。
真っ直ぐに下を向くことなく、王と王女の席へ向かって歩くその毅然とした姿は、まるで戦いに臨む女神のようだった。
婚約者であるフィリップが横にいないにも関わらず、フレイヤの瞳には一切の動揺や涙が見られない。
「(精一杯に強がって、愚かしいこと。
フィリップに愛されたいならば、縋ってでも頼めば良いものを。
あのように強がって、可愛らしさの欠片も有りませんわね)」
そんなフレイヤの覚悟の姿に扇の影でアニエス側妃は静かに、そして冷笑するように嗤った。
「(それにしても憎たらしい……!
あの女と瓜二つの小娘が私の愛しいエドワード様の隣を占拠するなんて……!
もうすぐ、もうすぐよ……あの方の隣は私のものとなる……!
あぁ……エドワード様っ!
きっと貴方様も本当は私を隣に座らせたかったのですよね?
えぇ、えぇ、アニエスはわかっております!
お優しいエドワード様は、その小娘や宰相に脅されているのでしょう……!!
ふふふ……もうすぐですわ。
もうすぐアニエスが隣に参ります。
そうすれば、私とエドワード様の愛を邪魔する輩は全てアニエスが排除致します!)」
アニエス側妃はフレイヤから視線をセレスティナへと移し、そして最後は玉座に座るエドワード王へ熱に浮かされたような眼差しを送る。
既にアニエスの心はエドワード王の隣、王妃の席に座る己の未来しか見えていなかった。
「御前を失礼します!」
そして、会場の空気を一変させる騒々しい者たちが現れる。
「フレイヤ・ルージュ公爵令嬢っっ!!
貴様の悪事もここまでだ!」
まるで始まりの鐘が鳴り響くように、フィリップ王子の声が広間に響き渡った。
側近候補だった取り巻き達を従え、舞踏会の会場へと鼻息荒く現れたフィリップ。
フィリップの隣には当然のようにクラリスが控えている。
彼らは人々の視線を集めながら堂々と広間を進む。
……だが、フィリップの側にいる取り巻き達の目は虚ろで、その姿はまるで幽鬼のようだった。
「陛下!どうか、お聞き下さい!
この祝いの席に相応しくない罪人がこの場にいることを私は訴えたい!」
フィリップの高慢な顔には、今日で全てが自分のものになるという確信が浮かんでいた。
「ルージュ公爵!
貴殿は自分の娘と私を結婚させて、この王国を乗っ取るつもりだったという信頼できる筋からの報告を受けている!」
フィリップは貴族たちの面前で立ち止まると、傲慢に声を張り上げた。
「皆様! 今宵、この場で宣言する!
我が婚約者だったルージュ公爵令嬢フレイヤとの婚約をこの時をもって破棄する!」
フィリップの声は、広間の隅々まで響き渡る。
「理由は、彼女が我が愛するクラリスの無知を責め、陰湿な嫌がらせを繰り返したためだ。
親が親ならば、子も子だ!
そのような心根の卑しい女は、王家にふさわしくない!」
会場のざわめきは轟音へと変わり、人々は衝撃と好奇心に満ちた視線をフレイヤに向けた。
「…………」
フレイヤはただ静かに、顔色一つ変えず、その不当で屈辱的な言葉を正面から受け止めた。
彼女にとっては、フィリップの言動は全てを織り込み済みなのだ。
「図星を突かれて言葉も出ないようだな、この汚らわしい売国奴め!!」
フィリップは高揚感に顔を上気させ、勝利者の笑みを浮かべて続けた。
「そして! 私はクラリスを己の正妃として迎える!
さらに、あの日の無礼を詫びるならば、慈悲深い私は、ブランシュ公爵の婚約者の伯爵令嬢を側室に迎えてやろう!」
堂々とした息子の傲慢な振る舞いに、アニエス側妃は満足げに扇を叩く。
アニエス側妃は王が以前言っていた次期王位継承者についての発表が、この舞踏会で行われるという事実も含めて確信していた。
フィリップの勝利、すなわち自分の勝利を……。




