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第七話



「そうでした、公爵閣下。

私はちゃんと分かっておりますのでご安心くださいませ。」


「え……もしや……」


「はい!

公爵閣下は今後も私のことは気になされずに恋人をお作り下さい。

私は必要ならば、その方の隠れ蓑となり、決して邪魔をしてはならぬと父から重々言われております。」


レオナルドの声にならない問いかけを、ルシアは快活な笑顔で受け止めた。

まるで、それが当然の務めであるかのように、彼女の表情には微塵の躊躇いもない。


「お二人の時間を邪魔しないように弁えて過ごしますので、心配されないでくださいませ。」


彼女の言葉は、レオナルドの胸にグサリと突き刺さる。


恋人など作れ、その隠れ蓑になれと、一体どこの父親が娘に言うだろうか。


……いや、あのシュバルツ伯爵ならば言いかねない、と頭の片隅で冷静な自分が囁く。



「いや、ちがっ」


慌てて否定しようと、レオナルドは身を乗り出した。


だが、時すでに遅し。

ルシアは、彼の言葉を遮るかのように、にこやかに微笑んだ。



違うのだ、と頬を引きつらせながら引き留めるために持ち上げた腕にすら気付いて貰えない……。


レオナルドは、まるで目の前に壁を築かれたかのような絶望感に襲われた。


記憶にすら残っていないどころか、まさか「隠れ蓑」とまで認識されていたとは……。


「……旦那様……」


「……言うな、アストル」


始終を見守っていたアストルの生ぬるい視線を感じる。


「噂だけでは数々の浮世を流された旦那様が本命に対してはヘタレだったとは……」


「アストル、私の傷に塩を塗り込んで楽しいか?」


「申し訳有りません、旦那様。

あまりの驚きに心の声が漏れてしまいました。」


長い付き合いであるアストルの言葉に言い返したい気持ちをグッと飲み込む。

アストルへ一返せば、何倍にもなって返ってくることが分かっている。


「それにしましても、さすがは王国一の変人一家と名高いシュバルツ伯爵家のご令嬢。

緊張されているご様子も有りましたが……さてさて何処までが真実なのか。」


「…………」


苦笑するアストルに無言を返す。


緊張している様子は確かに有ったけれど、それは公爵位を持つ私に会うからではない。


シュバルツ、いやノワールの一人である彼女が、公爵に会う程度のことで怯むはずがない。


決して怯んでほしいわけではない。

ほんの少しでも良い、仕事ではない視線で私を見てほしい。


……だが、それは私の我儘なのだろう。


彼女が、シュバルツ嬢が公爵家に来訪する日が決まってからずっと落ち着かなかった。

今日も朝から落ち着かず、アストルに妙な目で見られていることにも気が付いていた。


だが、しょうがないだろう?


初めて出会ったあの日から、ずっと恋焦がれ、探していた相手なのだ。


やっとシュバルツ嬢を見つけ出し、彼女への求愛を父君に許して貰うために四苦八苦したこの数ヶ月。


父君であり、ノワールの長であるシュバルツ伯爵に提案された無理難題という賭け。


通常では考えられないほど短期間での軍事物資運搬を成功させるために、あらゆる知略と行動力を尽くした1ヶ月。


私の22年間の人生でこれほど必死になったことはなかった。


父君との賭けに勝ち、やっと許してもらえたと思えば、シュバルツ嬢本人と言葉を交わす暇も与えられず……まさかの婚約。


しかも、半年という期限の中でシュバルツ嬢が私を伴侶に選ばなければ、婚約は白紙という条件付きだ。


(もともと好意を抱いて貰えるような出会いでは無かったし、二度目も同じようなもの……。

その上、急に決まった私との婚約にシュバルツ嬢はどのように思っていたのか……。

せめて悪い感情を抱かれていなければ御の字と思っていたが……甘かった。

私の存在はシュバルツ嬢の記憶に残ってすらいなかった……)


それでも……諦められるような生ぬるい感情ではない。


あの一件……初めて会ったあの日。

あの日から彼女だけが私の心の中心にいる。



「……かの父君との賭けに勝ったとは言え、一筋縄ではいかないと思っていたが……此処までとは。」


まずは、シュバルツ嬢の気持ちも聞かずに婚約を進めてしまったことを謝罪することから始めるつもりだった。


それなのに……客間で本人を目の前にしたあの瞬間、思考は空回りして、まともに言葉を交わすことも出来なかった……。


何とか違和感がない程度には繕えた……繕えたよな?


シュバルツ嬢が退室した後に思いっきり頭を壁にぶつけて自己嫌悪することになるなど……


「私はこんなにもヘタレだったのか……?」


「普段は兎も角、本日のシュバルツ嬢に関しましては一片の疑いようもなくヘタレでしたな。」


躊躇いのないアストルの言葉にイラッとするが……今日に関してはヘタレと言われてもしょうがないのかもしれない……。


「絶っ対に彼女の誤解を解く。

そして、シュバルツ嬢に好意を抱いて貰えるように努力する。

(半年という期限の中で、必ず彼女の心を射止めてみせる。)」


何も始まらないうちから諦めてたまるか、と拳を握り、気持ちを新たにするのだった。





※※※※※※※※※※






公爵邸での生活は、ルシアにとって想定外の連続だった。


朝食、登城の見送り、そして数日おきの夕食。

レオナルド公爵との顔合わせがあまりにも多いことに、ルシアは首を傾げていた。


「(おかしいわ……いくら婚約者とはいえ、こんなに一緒にいる必要があるかしら?

公爵様には他に想い人がいるはずだし……。

噂では恋多き殿方って聞いていたのに、女性の影一つ見えないなんて……。

それに、私へこんなに気を使ってくださるなんて、何か裏があるのかしら?)」


ルシアは、公爵が自分のような伯爵家の娘の機嫌を取る必要はないと考えていた。


ましてや、婚約相手の実家である伯爵家公認で遊び歩いて構わないと宣言されているのだ。


そんな身分違いの婚約者に、気を遣うはずもないだろう。


彼の行動原理がまるで読めず、ルシアは大きなため息をついた。


公爵こ行動の一つ一つが、ルシアには過剰な親切心、あるいは何らかの策略にしか見えなかった。


「(もしかして、父と公爵様の間で何かまた賭けをしているのかしら?

そうでもなければ……説明がつかないと思うのだけど……。

一般的な婚約者相手ならばまだしも……婚約者はこの私ですよ?

私に異性としての好意なんて、万が一にも億が一にもあるはずがないわ。

理由が全くもって見当たらないもの……。)」


そんなルシアの様子を見て、侍女頭のマリーナが心配そうに声をかけた。


マリーナは公爵とルシアの関係を間近で見ており、公爵のルシアへの真剣な好意に気づいていたが、ルシアの誤解の根深さに頭を抱えていたのだ。


「ルシア様、お加減が悪いようでしたら本日のご予定は中止するように手配を致しましょうか?

顔色があまり良くないようですわ。」


「ありがとう、マリーナ。

でも、大丈夫よ。

少し考え事をしていただけ。

公爵家に嫁ぐ以上、学ばなければならないことは山積みだもの。

弱音なんて吐いている暇はないわ。

それに、貴族として恥ずかしくないように、きちんと学んでおかなければ、父にも顔向けできませんから。」


ルシアはマリーナに微笑んだ。

この婚約が期間限定の潜入捜査の可能性が高い以上、真面目に婚約者としての役割を学ぶことは重要だ。


そう、どこからほころびが出るか分からないのだから。


それに、公爵家で長く働く使用人たちの信頼を得ることも、今後の任務遂行には不可欠だろうと、ルシアは戦略的に考えていた。

彼女は、与えられた役割を完璧にこなすことに集中し、それ以外の感情的な側面は一切排除しようとしていたのだ。




ルシアが多忙な毎日を過ごす一方で、レオナルド公爵の焦燥は募るばかりだった。


朝食を共にし、ルシアを間近で見ることはできるが、彼女の誤解は一向に解けない。

それどころか、自分がルシアに気を遣っていると勘違いされているのだから、レオナルドは頭を抱えるばかりだ。

ルシアが自分のことを「単なる形式上の婚約者」「遊び歩くための隠れ蓑」だと信じ込んでいることに、レオナルドはどうしようもない切なさを感じていた。


「(一体どうすれば、ルシアは私の真意に気づいてくれるんだ……?

私の視線、私の言葉、私の行動。

全てが彼女には届いていないのか?)」


レオナルドは、自身の不器用さに辟易していた。


最も、昔から武術でも、学習面でも、才能あふれ、容姿にも恵まれていたレオナルド。

ルシアの前ではヘタ……不器用な少年のようだった。


何を言っても、何をしても、彼女はまるで違う方向に解釈してしまうことが歯がゆかった。


そんな主人の姿に、執事のアストルやメイドたちはやきもきしていた。


彼らはレオナルドの真剣な想いは既に周知の事実だった。

だからこそ、ルシアの天然な誤解と、それに全く気づかないレオナルドの鈍感さに、公爵本人よりも歯がゆさを感じていた。


「まさか、我らが主がこれほどまでにヘタ……恋に奥手だったとはねぇ。」


「旦那様がこんなにもヘタレだったなんてねぇ……お茶目すぎだわ。」


メイドたちの陰口にも気づかず、レオナルドはルシアの心を得るために必死だった。


ルシアの多忙なスケジュールを減らそうと画策したり、彼女の興味を引くような話題を探したり……。


普段の冷静沈着なレオナルドからは想像もつかないほど、うろたえていた。


ある日、アストルがレオナルドの執務室で、書類の山に埋もれているレオナルドを見て、静かに口を開いた。


「旦那様。

ルシア様への想い、そのままで伝わるものではございませんよ。

特に、ルシア様のような聡明な方は、物事を深く考えすぎる傾向がございます。

婉曲な表現は、かえって誤解を生む可能性がございます。」


「…… わかっている。

だが、どうすれば良いのか……わからないんだ。

どうすれば、シュバルツ嬢は私の言葉に、行動に裏がないのだとわかってくれる?

私は、シュバルツ嬢以外の女性など目に入らないのに……」


アストルへと言葉を返すレオナルドは、まるで迷子の子供のようだった。

だか、どこまでもルシアを想うその真剣な眼差しに、セバスチャンは確信を得た。


「では、ルシア様へドレスを贈られてはいかがでしょう?

女性は、贈り物、特に心を込めた贈り物に弱いものです。

それが、旦那様からの『特別』な品であれば、きっとルシア様も何かを感じ取られるはず。」


レオナルドの顔に、一筋の光明が差した。


「ドレス……!

そうか、彼女の好みを知るために、それとなく尋ねることもできるし、何より私の気持ちを形にして贈ることができる!」


公爵はすぐにデザイナーを呼ぶ手配をするようにアストルに命じた。


ルシアが喜ぶ顔を想像すると、レオナルドは胸の高鳴りが抑えきれなかった。


その日のレオナルドは、普段の何倍も仕事が手につかなかったという。


アストルは、そんな主人の様子を微笑ましく見守っていた。



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