第六十八話
どんな夜でも、いつかは明けるように空が白み始める。
繊細なレースのカーテンが引かれた窓から、朝日の優しい光が差し込んできた。
その刺激で眠っていたルシアの意識が、ゆっくりと浮上を始める。
「(ん……あったかい……)」
まだ微睡みの中にいるルシアは、本能的に温かく逞しい何かに擦り寄った。
肌に触れるシーツとは違う、しっかりとしたぬくもり。
何故か感じる安心感から、さらに深く顔を埋めた。
「(ん……なんか、いい匂い……)」
ルシアはぼんやりとした意識の中で、昨夜の記憶を少しずつ思い出していく。
「(あれ……わたし……なにを、してたっけ……?)」
満月の下で舞った剣舞、背中の傷跡を見せる決意、そして……傷痕を見た上でのレオナルドの愛の言葉。
そして、その後の……レオナルドに抱きついて、そのまま寝落ちしたという最大の失態。
「……きっ……っ?!」
昨夜の出来事を全て思い出したルシアは全身の血が逆流したような衝撃に襲われた。
「わっ……っ……?!」
ルシアは「私はなんてことを?!」と絶叫寸前で口を塞いだ。
「(なっ?!何でレオナルド様がっ?!
えっっ?!私、ええっ?!
なんでっどうしてっ?!
レオナルド様の顔面が目の前にある……えっ?)」
慌てて目を開けた先にあったのは、息が掛かるほど至近距離で眠るレオナルドの麗しい顔面だった。
「(えっ……?おそった……?
わたし……れ、おなるどさまと……?!)」
ルシアは硬直し、パニックで頭が真っ白になる。
「ん……るしあ、か……?」
そのルシアの微かな震えに反応したレオナルドが微かに身じろぐ。
夜通し理性の戦いを強いられ、朝方になってやっと眠れたレオナルドが、深い寝息とともにゆっくりと紅茶色の瞳を開いた。
「ひゃっ」
ルシアの短い悲鳴が漏れる。
寝ぼけた視界でルシアを捕らえたレオナルドは、考えるよりも早く本能的にルシアを強く抱き寄せた。
「……るしあ……あいしている」
半分夢の中のような寝ぼけたレオナルドの低く甘い声。
気怠げな色気を伴う微笑を浮かべたレオナルドは、そのままルシアの額に優しく口付ける。
「に゛ゃっ?!」
予想外なレオナルドの行動にルシアは真っ赤になって驚きに固まってしまう。
状況を脳内が処理しきれずにオーバーヒートを起こしたルシア。
そんなルシアの抵抗がないのを良いことに、レオナルドはさらに抱き寄せ、額だけでなく左右の頬、そして鼻先にも……。
レオナルドの愛おしさを込めた口付けが、ルシアへと降り注いでいく。
「んにゃっ……ひうっ……」
無意識に息を止めてしまったルシアは、酸素不足と羞恥で完全に機能停止し、魚のように口をパクパクさせている。
「旦那様っ」
その時、重厚な扉の外からアストルの焦った声が響いた。
「旦那様、大変でございます!
ルシア様のお姿が、どの部屋にも見当たらず……」
レオナルドの自室の扉をアストルはノックと共に開いた。
アストルの言葉は部屋の中の光景を認識した瞬間に、途中で途切れてしまう。
「アストル……? 何を騒いで……」
寝ぼけているレオナルドは無意識にルシアを抱き寄せたまま、ドアの方を向いて答えた。
「ちょっ?!まっ、まって!
ちがうっちがうのですっ!!」
ルシアは慌ててレオナルドから離れて隠れようととするが……間に合わなかった。
「………………」
広い寝台の上で抱き寄せるレオナルドから離れようと顔を真っ赤に染め上げ、涙目で弱々しく抵抗するルシア。
そして、ルシアの戯れるような微かな抵抗も愛しいとばかりに抱き寄せるレオナルド。
「…………………………」
アストルの方から見れば、掛け布団から覗くルシアの肩や腕は素肌のみ。
しかも、羞恥のためか涙目で顔を赤く染め上げたルシアを抱き寄せるレオナルドは、何処か気怠げにも見える。
「(……あんなにもヘタレだったのに……)」
ルシアがこの屋敷に来た当初のことを思えば、なんと成長したのだろうとアストルは現実逃避をした。
そう……昨夜ルシアが窓から飛び降りた事実は知らないアストルの目には……
レオナルドが自室へとルシアを連れ込み、朝まで離さなかった
……という解釈に達したのである。
「…………大変申し訳ありませんでした、旦那様」
アストルは瞬時に状況を察して静かに、しかし素早い足取りで後退りした。
「私は何も見ておりません。
ルシア様におかれましては、ごゆっくりとお過ごしくださいませ」
アストルはそう言うと、音もなく扉を閉めた。
「は? え? な、なっまてっ!
アストル!何を勘違いしているんだ!」
レオナルドはその場に至ってやっと覚醒して叫んだが、扉の向こうからは返事はなかった。
「……ルシア……その、すまない……」
「いえ……私の方こそ……すみません……」
寝惚けてルシアを抱き寄せ離さなかったレオナルド。
そして、レオナルドを抱き枕にして寝落ちしたルシア。
どちらに原因があるが、お互いに相手を責めるなどという気持ちは全く無く。
責めると言うよりはお互いに一緒にいることが出来たことの方が嬉しくて……。
何とも言えず、ルシアとレオナルドは顔を見合わせた。
そして、レオナルドは観念したように深いため息をつき、ルシアの髪を優しく撫でた。
「その……ルシア。
勘違いを解くことは諦めて……ゆっくり二人で過ごしませんか?」
「そうですね……ゆっくりしましょう。」
ルシアは諦めと安堵からくすりと笑い、レオナルドの胸元にそっと顔を預けた。
公爵邸の早朝の騒ぎは収まり、レオナルドとルシアは時間が許す限り、二人でゆっくりと寄り添い合うのだった。




