第六十七話
「背中の傷……ですか?」
ルシアは、レオナルドの唐突で真剣な申し出に目を瞬かせた。
「急に可笑しいと思うでしょうが……。
その、私のせいで出来た貴女の背中の傷と向き合った上で、ルシアを選んだのだと証明しておきたいと言いますか……」
レオナルドの真剣な瞳には、邪な気持ちなど欠片もなかった。
ただルシアを安心させたいという切実な想いに満ちていた。
「あ、いや……申し訳ない……その、気が急いてしまったというか……。
ルシアに背中の傷など気にしていないことを早く証明しておきたかったと言いますか……。
素肌を晒して傷を見せろ、などと不躾でした。
そのようなことを女性に頼むなど……!
心より謝罪いたします!
どうか、身勝手な話ですが、忘れてくださると……」
レオナルドが、自己嫌悪と羞恥で顔を真っ赤にして早口で撤回しようとした……その時だった。
「わかりました」
ルシアは了承の言葉を言うが早いか、おもむろにネグリジェの首元のボタンを外し始めた。
「は……?
なっ、やっ、まっ!
な、なななななっ何故脱ぎ始めるのですか?!」
ルシアのあまりに大胆で素早い動きに、公爵としての威厳が一気に崩壊し、レオナルドの方が慌てふためいて飛び退いた。
レオナルドはすぐさま自分が普段から愛用している外套を掴み、ルシアへと慌てて被せる。
チラリと見えてしまったルシアの白い背中に、レオナルドは見てはいけないと必死で目をそらした。
「申し訳ありません!
心より謝罪を致します!
ですから、そんな自暴自棄にならずに自分を大切にしてください!
いいですか、ルシア!
貴女はとても魅力的な女性なのです!
そんな魅力的な貴女に好意を抱いている男の前で素肌を晒しては危険です!!
頼むから私の前で無防備な姿を……いや、私は良いのか?
いやいや……他の男どもなど論外だが、私も男だから駄目だろう……いやだが、わた……」
「レオナルド様は、私の傷を見ておきたいだけなのでしょう?
いかがわしい目的では無く、私の傷を見た上で……私を安心させてくれようとしていると思ったのですが……違いますか?」
覚悟を決めたようにうっすら微笑むルシア。
「私は覚悟を決めております。
例え、この背中の傷を見せてレオナルド様のお心が離れても致し方がないこと。
婚約が破棄になったとしても恨みま……」
「そのようなことは決してありえない!」
恨まないと告げようとしたルシアの言葉を遮り、レオナルドが瞬時に否定の言葉を叫ぶ。
「私はっ……私は決してそのようなことなどしない!
たかが背中の傷ごときでルシアを手放すなど死んでもしない!
その程度の想いならば……貴女を何年も探し続けたりするものか……!」
「レオナルド様……」
「……叫んですまない、ルシア。
……ルシア、どうか頼む。
……決して、嫌がることはしませんから……背中を見ても良いだろうか?」
真剣な瞳で懇願するようにレオナルドに問われたルシアは、安堵と信頼を込めて静かに微笑み頷いた。
「レオナルド様、失礼します」
ルシアは傷が見えやすいように、ベッドの上でレオナルドに背を向けてそっと座った。
そして、ルシアはゆっくりとレオナルドが被せた外套を外し、その白い背中を晒した。
「……醜いでしょう……?」
初めてレオナルドと出逢ったあの日。
レオナルドを庇おうとして負った、痛々しい傷跡がルシアの白く華奢な背中にくっきりと残っていた。
肩甲骨の下から背骨に沿って斜めに走る、赤みがかった大きな痕。
それは、まさに命を削った証だった。
「醜い……?
何処が醜いというのですか?」
「え……どこがって……」
レオナルドは、ルシアの背中の傷跡を醜いなどと欠片も思わなかった。
それどころか、他の男を寄せ付けない自分だけが知る特別な印。
彼女の命を奪いかけたとはいえ……その傷跡と、その行為によってレオナルドはルシアという光を得た。
その事実を思えば、ルシアの背中の傷を愛しいと想いこそすれ、醜いなどと思うはずが無かった。
「触っても、良いですか?」
「え、あの……気持ち悪くないのですか?」
「気持ち悪い……? 全く思いませんが?
どちらかと言えば……愛しい、の方が正しいかと」
決して不埒な真似はしないと、重ねて懇願するように尋ねるレオナルド。
ルシアが戸惑いつつも小さく頷けば、レオナルドはそっと指先を伸ばし、その傷跡に触れた。
「…………」
「…っ……」
まるで壊れ物を扱うように優しく触れるレオナルドの指先に、ルシアは羞恥からかビクリと震える。
何度も優しく触れるレオナルドの指先の熱が、ルシアの肌にじんわりと伝わっていく。
「貴女のこの傷も、貴女を作る全てのものが、私には愛しくてたまらない……貴女を愛しています、ルシア」
「……っ、レオナルド様……!」
背中の傷を見た上での迷いのない愛の言葉。
ルシアが涙を潤ませて振り返ると、レオナルドの熱っぽい瞳が彼女を見据えていた。
ルシアを見詰めるレオナルドの瞳に嘘はなかった。
「私も! 私もレオナルド様を愛してます!」
「ちょっ、ルシア?!
さ、流石にそのような状態で抱き着くのは……?!
嫌ではないっ!
嫌では無いのだがっ!
色々と問題があるんだっ!」
喜びに感極まったルシアは、目の端に涙を潤ませ、頬を上気させてレオナルドへと勢いよく飛び付いた。
ルシアを受け止めてベッドへと倒れることになったレオナルドは、理性の観点からルシアを止めようと必死で藻掻く。
「嫌です!
今日はもう嬉しいので離れません!
離しちゃ嫌です!」
「離しませんよ!
いや、離しませんけど、物理的に一度離れた方が、いや離れたくはないですけど……あー……」
しっかりと抱き付き、レオナルドの胸元でスリスリと猫が戯れるように頬を擦り付けるルシアに、レオナルドの毒気は完全に抜かれていく。
「大好きです、レオナルド様」
「……私の婚約者、可愛すぎるだろ……」
まるで幼い子供のようにニコォと無邪気に笑うルシアに、レオナルドは天を仰ぐ。
「(何ですか、この可愛い生き物は!
え? 私の婚約者ですよ。
この世界一可愛い、愛しいルシアは!
……と言うか、素直になったルシアは普段よりも子供っぽいというか……。
あの凛とした立ち振る舞いも美しいが、安心しきった顔で素直に甘えてくるルシアも可愛いの権化……。
真面目なしっかり者だけど、私にだけ見せる甘えたな無邪気な一面とか、一粒で何度も美味しいみたいな……?
……これが俗に言うギャップという奴ですか?!)」
レオナルドの脳内が大変なことになっているなど露知らず、素直に甘えて安心したのか船を漕ぎだすルシア。
「ん? え……?
ルシア? ルシア! この状態で寝ては駄目だ!」
「ん……んぅ……」
「かわい……ではなく!
駄目だ、ルシア!
頼む、起きてくれ! 私の理性が……」
安心しきったようにレオナルドの胸元をしっかりと掴み、引っ付いたまま眠り始めたルシア。
そんなルシアを前に、欲望と紳士としての矜持の板挟みで撃沈するレオナルドは頭を抱えてしまった。
背中を見せるために開けさせたネグリジェの胸元、晒されたままの背中……。
レオナルドの長い夜は始まったばかりだった。




