第六十三話
王城内にある冬薔薇が咲き誇る庭園。
寒さに耐え、鮮やかな色を保つその花々は、これから起こる嵐を予見しているかのようだった。
冬薔薇の美しさについて言葉を交わしながらゆっくりと歩くレオナルドとルシア。
セレスティナ王女の招待を受け、冬薔薇を愛でるという名目で集まった貴族たちが、レオナルドとルシアの仲睦まじい様子にざわめきを広げていた。
周囲の視線を受けて、ルシアがそっとレオナルドの袖を引いた。
「なんだか少し落ち着かないというか……照れちゃいますね」
「落ち着かないは分かりますが……照れるとは?」
レオナルドは公爵としての顔を保ちつつ、ルシアの照れるという言葉に僅かに動揺した。
「うっ……あの……アニエス側妃殿下のお茶会の席での……レオナルド様との、やり取りが広まっているのかと思いますと……」
照れてしまいます、と微かに頬を赤らめるルシア。
彼女が指すのは、レオナルドがルシアを守るために大々的に愛を宣言した、あの事件だ。
「そ、れは……私は、その……その方が嬉しいかもしれない……」
レオナルドは顔の火照りが恥ずかしいのか、ルシアから視線を反らして答えた。
「え……?」
「ルシアへの私の想いが知れ渡っているということでしょう?
そうすれば……私の、大切な婚約者である貴女に近寄ろうとする男たちへの牽制となるでしょうから……」
真剣な口調で告げつつも、レオナルドは羞恥からかルシアを真っ直ぐに見ることが出来なかった。
「……ルシアは普段も綺麗ですが、今日はより一層美しく装った貴女を……私以外の人間に見せたくは無いと思っています」
レオナルドの独占欲を秘めた言葉に、ルシアは目を輝かせた。
「レオナルド様……私も、その……普段以上に格好良いと、思っています。
私もレオナルド様の隣を誰にも渡したくありません」
ルシアの素直で無意識の独占欲を滲ませた言葉に、レオナルドの耳まで真っ赤になった。
初々しい二人の甘い世界に周囲の貴族たちは、「あのブランシュ公爵が……」と驚きに満ちた視線を送る。
そんな雰囲気の中、庭園の入り口近くの貴族達が一斉にざわりと揺れた。
「フィリップ王子殿下だわ……」
「謹慎が解けたとか」
「あの、横の方は……」
「ルージュ公爵令嬢が婚約者ではないのか?」
「フィリップ殿下が婚約者を冷遇していることは本当だったのか……」
「いやいや……二人の婚約は破棄寸前らしくてよ」
「それ以前に、あの子爵令嬢は王城内へ入城禁止では……?」
「確かに、お触れが出ていたはず……」などとざわめきが広がる。
だが、件の二人は周囲のざわめきなど何のその。
可愛らしく着飾ったクラリスに頬を染め、談笑しながら歩みを進めているフィリップ王子の姿があった。
そして、会場内をキョロキョロと周囲を見渡し、何かを探しているフィリップ王子とクラリス。
チラリチラリと視線を交わし、様子を窺う貴族たちを尻目に、二人は一直線にルシアとレオナルドの元へとやってきた。
「久しぶりだな、ブランシュ公爵」
フィリップ王子は以前よりも高慢な笑みを浮かべた。
「……ご機嫌、如何ですか、殿下?
謹慎が解かれたばかりでございますのに、ご無理をなさらず」
レオナルドは、慇懃無礼な最低限の礼儀を失わない返事をした。
彼らの間には、数ヶ月前の階段のトラブルでフィリップが謹慎、クラリスが王城入城禁止となった因縁が横たわっている。
「今日は貴殿に話はないのだ。
私が話があるのは、そっちの伯爵令嬢にだ」
レオナルドの挨拶を鼻で笑うように答えたフィリップ王子。
面識も、名乗りもしたはずのルシアの家名も呼ばない無礼な物言いに、レオナルドは内心で嫌悪感を覚えた。
「私の婚約者に何か?」
「(……顔色が悪い。まさかとは思っていたけれど……やはり、禁薬を経口摂取させられている可能性が高い。
思考能力も、判断力も鈍っているということかしら?
それならば、この言動にも頷けないこともない)」
レオナルドとフィリップ王子のやり取りを横目に、ルシアは冷静に観察する。
そして、クラリスの方へとちらりと視線を向ければ、完璧な可愛らしい令嬢の微笑みの仮面を貼り付けている。
「貴殿では話にならんな。
伯爵令嬢、お前に良い話がある」
「……良いお話、ですか?」
「ああ、そうだ! 喜ぶがいい!
母上の勧めもあり、お前を私の側室に迎えてやろう!」
「「……は?」」
フィリップは高慢な態度で、ルシアとレオナルドに告げた。
その態度からは、自分の言葉にルシアが泣いて喜ぶと信じて疑っていない様子だった。
「最も、クラリスを階段から落とそうと無礼を働いたことを地面に頭を擦り付けて謝罪をすれば、だがな!
母上は武術に秀でたお前は私やクラリスの肉盾になって役に立つとは言うが、女のくせに武術を嗜むような奴は御免だ。
だがまあ、クラリスや私を守る盾と思えば許容してやろうと言っているのだ」
「(訂正します。
コイツはきっと元より救いようのない阿呆だわ。
相手にする価値もないけれど……)」
ルシアの隣には、あまりの侮辱に地獄の鬼も裸足で逃げ出すほどの怒気を放っているレオナルドがいた。
「そうだ!
ブランシュ公爵、貴殿には元は私の婚約者だったルージュ公爵令嬢フレイヤを下賜してやろう!
なに、あの女は性格は最悪だが外見と肉体美は素晴らしい!
きっと貴殿を満足させるような振る舞いができるだろう。
そう思うわないか、クラリス!」
「ふふふ!
名案ですわ、フィリップ様!
フレイヤ様は外見はお美しいですから、きっと女性が大好きな公爵様と仲良くなれますわ!
あ、でも……公爵様は彼女みたいに幼気な可愛らしい女の子の方がお好きかしら……?」
フィリップ王子の名案とやらはレオナルドの怒りに油を注ぐ。
その上、フィリップの名案にクラリスは賛同し、さらに油を大量に放り込む。
「……おやおや、どうやら殿下は謹慎中に頭部を殴打されたらしい。
目だけではなく、頭にまで御持病を持ってしまわれるとは……王冠を戴くことは困難なご様子」
「何をっヒィっ?!」
ヒュンっとフィリップの顔面スレスレを何かが通る。
「これは申し訳ありません、殿下。
貴殿の顔を狙った大きな害虫がいましたもので。
刺されては大変だと払わせて頂きました」
完璧な貴族の微笑を浮かべ、その瞳に剣呑な光を宿したレオナルド。
その手にはいつの間に摘んだのか、冬薔薇の棘がついた細い枝が握られていた。
「えー? 冬薔薇の季節に大きな虫なんて……」
「あら?クラリス嬢は見えませんでしたの?
腐りかけた花の蜜でも吸ったのか、ヨロヨロと見苦しく飛ぶ虫が。
それとも……花の蜜と見せ掛けた毒でも吸ってしまったのかしら?」
「ええっ! 毒のある花の蜜なんて……クラリスは怖いですぅ」
レオナルドの言葉を否定しかけたクラリスへと、ルシアが笑顔で制する。
「虫など放って置きたいのですが、私のこよなく愛するただ一輪の花を狙われては迷惑極まりない。
毒を撒けば寄ってこないと言うならば、幾らでも毒を撒くというのに。
その毒にすら気が付かない虫には困ったものだと思いませんか?」
「そうですね、レオナルド様。
私も他の花を譲り受けるお姿は見たくありませんわ。
その場に咲くと決めた花を摘んだ以上は、愛でて頂かなければ、すぐに枯れてしまうものですもの。
増してや、無理やりに切り取られた花の命はより一層に短いものになると思います」
王族を前にしているにも関わらず、仲睦まじく、しかし容赦のない言葉を交わすレオナルドとルシア。
周囲の貴族たちはざわめく。
レオナルドは、白薔薇の紋を賜りし公爵家の当主として暗に言ったのだ。
王冠を戴くことは困難、即ち……お前に王冠は相応しくない、と。
それを読み取った貴族たちはそれぞれの立場を改めて模索し始める。
ルージュ公爵令嬢との婚約が破棄ともなれば、フィリップ王子は白薔薇と赤薔薇の家紋を持つ二つの公爵家から背中を向けられる。
しかも、公衆の面前で無様を晒すあの王子は王に見限られるのではないか、と。
「ど、どちらにしても無礼ではないかっ!
私を誰だと……」
自分の無礼を棚に上げたフィリップが叫ぼうとした時、場の空気を一瞬で凍らせる声が響いた。
「何事かしら?」
貴族たちが恭しく道を開き、悠然と現れた一人の王族。
「私の園遊会で騒ぎを起こすなど許しませんわ」
月の女神の如き美貌を亡き王妃より譲り受けたセレスティナ王女が、ルージュ公爵令嬢フレイヤを伴い現れたのだった。




