第六十ニ話
午後の陽光が差し込むブランシュ公爵邸の執務室は、静かにハーブティーの香りに満たされていた。
レオナルドが書類に目を通す傍らで、婚約者のルシアが淹れたばかりのカップを両手で包んでいる。
「……完璧な淹れ具合ですね、ルシア。
君の淹れるハーブティーは、どんな公務の疲れも忘れさせてくれる」
「光栄です、レオナルド様。
私も、こうしてレオナルド様のお仕事を手伝い、共に過ごす時間が、一番穏やかで好きです」
穏やかに微笑み合うルシアとレオナルド。
そんな穏やかな空気を破るのは、いつも同じ人物だった。
重厚な扉がノックされ、執事長のアストルが恭しく入室した。
「失礼致します、旦那様」
アストルの手には、王家の紋章が刻まれた深紅の封蝋が施された豪華な招待状のトレイがある。
「旦那様、王城より書状が届いております。
一通目はセレスティナ王女主催の園遊会へのご招待状。
二通目は卒業式後の舞踏会のご招待状で御座います」
レオナルドは僅かに眉を上げた。
病弱だとされているセレスティナ王女は滅多に公式の催しを開かない。
ましてや卒業式後の舞踏会はレオナルドとルシアの賭けの期限が来ることになっていた日だ。
……最も、王や重鎮達の立ち会いのもとでルシアとレオナルドは愛を誓い合った。
そのため、その賭けはレオナルドの勝利で終わっているが。
「ありがとう、アストル」
レオナルドは二通を受け取り、一通をルシアに手渡した。
「ルシア、私たちへの招待状ですよ」
王家の招待状にルシアの名前が並ぶことに、もはや誰も驚かない。
ルシアは既に王家に認められた、レオナルドの正式な婚約者である。
レオナルドから受け取った招待状をルシアも早速目を通した。
「冬薔薇を愛でる園遊会、ですか。
セレスティナ様らしい、雅な催しですね」
レオナルドは自らも招待状に目を通しながら、静かに尋ねた。
「表向きは、だろう。
王女の目的は、きっと冬薔薇ではない」
ルシアはハーブティーのカップをソーサーに戻す。
その表情に、ほんの僅かに悪戯めいた色が宿った。
「その通りかと、レオナルド様。
セレスティナ様は冬の寒さに耐えて咲く薔薇も好まれますが、今回は建前です」
レオナルドはペンを置き、ルシアをまっすぐ見つめた。
……その瞳に、ルシアへの強い独占欲が滲む。
「では、セレスティナ王女殿下の真の目的は何だと思いますか?」
ルシアは一呼吸おき、茶目っ気を含んだ笑みで、しかし真実を告げた。
「一つはセレスティナ様が、私の正式な婚約者となったレオナルド様に直接会いたいとおっしゃったからかと。
私との定期的なお茶会の度に、直接レオナルド様に会って言葉を交わしてみたいともう随分と前からおっしゃっていましたから」
「……セレスティナ王女殿下のお気に入りの友人であるルシアの相手に相応しいかを見定めるということですか……」
レオナルドの声に、わずかに拗ねたような響きが混じる。
王女にさえもルシアを取られそうだと感じているようだった。
「ええっ?!」
ルシアは目を見開いて、レオナルドの言葉に慌てて否定する。
「相応しいとか、見定める、なんて……。
いえ、そんな事は……無い、と思いますけれど……?
でも、セレスティナ様は悪戯っぽいところもあるし……?
単純に私等を選んだ殿方への好奇心で仰っているとばかり……」
ルシアは招待状を眺めながら、本当にそうかと記憶を辿り始める。
「あれ……?
そう言えば……レオナルド様の女性関係の噂って、半分くらいはセレスティナ様がから聞いたような……?
しかも、レオナルド様には隠したい恋人がいて、その恋人の盾にするために私と婚約的な話を聞いたような……?」
「…………」
レオナルドは、ルシアの無自覚な天然ぶりに言葉を失った。
「(ルシアは無自覚なタラシなのか?
それとも 愛されやすい体質なのだろうか?
だから王女殿下すらも魅了して……。
しかも、先日はルージュ公爵令嬢もたらしこんでいた。)」
レオナルドの背中に冷たい汗が流れ落ちる。
「(これは……決して油断できない戦いになるだろう。
やっとの思いでルシアと想いを交わし、正式な婚約者となったのだから、余計な邪魔や妨害を入れられないように気を引き締めないと……)」
ルシアはレオナルドの顔が妙に険しくなったことに気づき、小首を傾げる。
「レオナルド様?
もしかして、私、何か失礼なことを……?」
「いや、何でもない。大丈夫だ、ルシア。
決して油断してはならないことを理解した。」
「えっと……油断、ですか?」
レオナルドが何の覚悟を決めたのか、よく分からないルシアは頭の上に疑問符を浮かべる。
「いや、私の気持ちの問題と言うか……うん、気にしなくて大丈夫と言うこと、かな?」
レオナルドは即座に表情を引き締め、公爵としての威厳を貼り付けた。
……しかし、その瞳は微かに泳いでいる。
「ただ……」
レオナルドは咳払いをする。
そして、不自然にならないように意識しながら、極めて事務的な口調で言った。
「王女殿下が言葉を交わしたいとおっしゃったのは、私の恋の狩人としての過去の評判を聞き付けていたからだろう。
そんな噂の持ち主が、大切な友人であるルシアと正式に婚約した。
大切な友人を任せるに足るかを見定めたいのかもしれない。
……何しろ、世間では私の不躾な噂が未だに根強いらしい。」
「分かりました、レオナルド様。
私もレオナルド様の婚約者として、不名誉な噂を払拭できるように努めたいと思います。」
頑張りましょう!と微笑むルシアに、レオナルドも微笑みで返すのだった。




