第六十一話
フレイヤはルシアの言葉に、僅かに眉間にしわを寄せた。
「ご友人という表現は都合が良いものですわ。
月の如きあの方とはそれも成立するでしょう。」
その猫のような瞳は、ルシアをじっと見つめている。
「……しかし、果たして太陽の如きあの方との間にそれは成立するのかしら?」
「少なくとも、私は掛け替えのない友人だと、そう思っております。
一人の人間としてお互いのことを好意的に思っていても、それ以上では有りませんわ。」
ルシアはフレイヤの瞳をまっすぐに見つめ返す。
「失礼かもしれませんが、セレスティナ様の世界は広くは有りません。
陛下の直系、しかも、正妃であるアナスタシア様を母に持つ数少ない王族。
そのため、守りと教育を優先した環境では出会える人も限られている。
その中で畏れ多くも会うことを許された私は、セレスティナ様にとって数少ない齢の近い存在でした。」
「ならばこそ、数少ない齢の近い存在は特別なものではなくて?」
「そうかも知れません。
……ですが、それはルージュ公爵令嬢様にも当て嵌まるのでは?」
「え?私が……?」
真っ直ぐなルシアの言葉にフレイヤは虚を突かれてしまった。
「フレイヤ様、失礼ですが……小さい頃は木登りはお好きでしたか?」
「ふなっ?!
そ、そのようなことはありませんわ!」
分かりやすい反応にルシアはクスリと笑ってしまう。
「申し訳ありません、私の勘違いですね。」
「ええ、そうですわ!
産まれながらの淑女である私が木登りなど……」
微かに頬を赤くして視線を逸らす様子は年相応の可愛らしい少女のそれだった。
「あの方が仰っていたのですが、とある場所で猫が木の上に登っていたからと木登りをしていた幼いご令嬢がいたそうです。」
「そ、そのようなことは私には関係……」
「目の前で落ちて来た小さな身体を慌てて受け止めたそうですが……」
「え……」
「輝く満月のような瞳に、紅玉のように美しい髪。
まるで好奇心旺盛な可愛らしい薔薇の妖精が舞い降りたのかと思ったそうです。」
「うそ……まさか……」
驚きに目を瞬かせるフレイヤにルシアは安心させるように微笑む。
「その時は、あの月の女神の如き容貌をお隠しになっていたそうですよ。」
「…………」
「その時より、あの方の心には薔薇の妖精しか目に入らないそうです。」
「っ……!」
ルシアの言葉に、フレイヤはとうとう顔を赤く染め上げてしまった。
「ルージュ公爵令嬢様、私はセレスティナ様と親交を持って十年ほどが経ちます。
その中で月の如きあの方はバルセロナ将軍を、太陽の如きあの方は貴女様を選んだ」
「……貴女だって……誰とは言いませんけれど、側室の話が出ていたのでしょう……?」
フレイヤの言葉に、ルシアは冷静に答える。
「はい。私は母譲りの武術の心得があります。
そのため、両親より王族を守る最後の砦となる覚悟を持つようにと言われて育ちました。
ゆえに、何方のセレスティナ様であろうとも、緊急時にはこの身を盾として使う所存です。
そして、そのための側室の話が持ち上がっていたことも知っています」
ルシアは、ノワールの血筋という真実を伏せ、建前として母譲りの武術という言葉を選んだ。
「通常時ならば兎も角、情勢が緊迫している時や暗殺の可能性が高いと情報が入った時。
王族の直ぐ側で剣と盾になれる存在として、私に白羽の矢が立ったのです。」
「でも、貴女にはブランシュ公爵との婚約が持ち上がった」
フレイヤの言葉はルシアの心に影を落とす。
ルシアは一瞬だけ言葉に詰まり、瞳を伏せる。
「……その通りです。
私は側室の話は光栄なことだと思っています。
……ですが、レオナルド様に出会い、想いを通わせた以上は側室の話を受けることは……それが王命だと言うならば従いますけれども……」
ルシアは言葉を濁した。
レオナルドを愛しているからこそ、他の男に嫁ぐことは身を引き裂かれる思いだった。
「……そう……」
フレイヤは、ルシアの態度を見て、小さく息を吐いた。
「……貴女は……想い想い合える相手に出逢ったのね」
その言葉は、どこか諦めにも似た響きを持っていた。
ルシアは、フレイヤの心を慮り、そっと言葉を紡いだ。
「フレイヤ様……先ほども言いましたが、太陽の如きあの方のお御心には一輪の真紅の薔薇しか咲いてはおりません。」
フレイヤは、ルシアの言葉に伏せていた瞳を上げる。
「王族ともなれば、色とりどりの花々を献上されることがあるでしょう。
でも、どの薔薇よりも、どの花よりも、深紅の薔薇をこよなく愛でられていると、私は聞き及んでいます」
ルシアの言葉は、フレイヤの心に温かい光を灯した。
彼女の不安な乙女心は、その一言で少しだけ救われたのだ。
「そう……ふふ。
そうね、現状を悲嘆しても何も変わりませんもの。
ふふふ……下を向くなど、私らしく有りませんわね。」
強い輝きを取り戻したフレイヤは美しく微笑み、髪をかき上げた。
「貴女と話せてよかったわ。
……どうかしら?私のお友達になってくださる?
セレスティナ様と貴女のような友情を築きたいわ!」
フレイヤと読んで構わなくてよ、と笑うフレイヤ。
「ふふふ……はい、喜んで。
よろしくお願い致します、フレイヤ様。」
明るいフレイヤの笑みに、ルシアも肯定の意を返すのだった。
ルシアとフレイヤの話が終わると、少しの間を置いて扉が静かに開いた。
「失礼」
ソワソワと心配そうに待っていたレオナルドが、そろそろ頃合いかと応接間に入って来た。
「ルシア、そろそろ話とやらは終わったかな?」
レオナルドは真っ先にルシアに歩み寄り、その無事を確認する。
フレイヤはそんな彼の姿を見て、面白そうにクスリと笑った。
「ブランシュ公爵様、お早いお戻りですね。
まあ、ルシアのことが心配で、いてもたってもいられなかったのでしょう?」
フレイヤのからかうような言葉に、レオナルド当然だろうとばかりに微笑み浮かべた。
「ルシアは、私の大切な婚約者ですから当然だ。
……どうやら、この短時間でルシアと親交を深めたようですね。
どのようなつもりかは知らないが……あまり気まぐれに動くものでは無い。」
今の情勢ならば特にね、とレオナルドは暗にフレイヤの行動を嗜めた。
「あら、そうかしら?
ふふ、それならば、少し残念だわ」
フレイヤはレオナルドへ向けていた視線をルシアへと向け、ツンとした口調で告げた。
「ルシア。貴女ならば、あの方の側室でも構わなくってよ。」
「フレイヤさまっ?!」
突然のフレイヤの発言にルシアは驚く。
そして、己の背後に佇むレオナルドの機嫌が一気に急降下したことを感じた。
「フレイヤ・ルージュ公爵令嬢、それはどのようなつもりかな?」
暗に己を敵に回すつもりか?という意味を込め、表情こそ微笑んでいるが冷たい眼差しをレオナルドはフレイヤへと向ける。
「あら、余裕のない殿方は嫌われましてよ。
……でも、そうね。
ルシア、貴女は白薔薇に染まることを望んでいるからすごく残念だわ」
「はい、フレイヤ様。
私は虹色の側よりも純白を選びましたの。
だから、純白の一人として生きていければと望んでおります。」
ルシアはフレイヤの言葉の真意を理解し、微笑みを浮かべる。
「ルシア……」
フレイヤへとキッパリとレオナルドを選ぶと宣言したルシア。
そのルシアの言葉にレオナルドの表情が和らぎ、喜色が浮かぶ。
「お聞きの通りです、フレイヤ嬢。
ルシアは誰の側室にもなりません。
そのようなことは断固として阻止しますから。」
レオナルドはルシアの肩を抱き寄せ、威嚇するように微笑む。
「ふふん……さて、どうかしらね?」
フレイヤは面白そうに笑い、応接室の扉に手をかけた。
「ルシア、白薔薇に飽きて気が変わったら何時でもおっしゃってね。
貴女のことは何時だって大歓迎よ。
それでは、ブランシュ公爵様、失礼しますわ」
「ルシアが飽きることも、気が変わることも、決して有りません!」
猫のように気まぐれな笑みを残し、レオナルドの威嚇を聞き流してフレイヤは公爵家をあとにするのだった。




