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その令嬢、隠密なり〜白薔薇の公爵は黒薔薇の令嬢へ求愛する〜  作者: ぶるどっく


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第五十七話



 突然の来賓の登場に、広間は一瞬にして静まり返った。   

 アニエス側妃の顔は驚きと動揺に染まっている。


「……陛下!

 まさか、このような場にご光臨いただけるとは……夢にも思いませんでしたわ。

 私のささやかな茶会に陛下がお越しくださるとは、光栄の極みでございます。」


 一瞬は動揺したものの、すぐに心を立て直したアニエス側妃は優美な微笑みを浮かべた。

 

「驚かせて済まぬな、アニエス。」


 エドワード王は穏やかな口調で、しかしその声には有無を言わせぬ威厳を込めて告げる。


「ブランシュ公爵より、婚約者であるシュバルツ伯爵令嬢との顔合わせがまだ済んでいない、との進言があった。

 それに加え、ルージュ公爵とヴェルト侯爵も、互いの派閥の均衡を保つため、この機に王宮を訪れる必要が生じたと申すのでな。

 ならば、この機会に国王たる私も顔を出しておくべきと判断した次第だ」


「まあ……そのような……」


 エドワード王の言葉は、完璧な建前だった。


 ルージュ公爵は氷の宰相の名にふさわしい無表情で頷き、ヴェルト侯爵は表面上は穏やかに微笑む。


 しかし、ヴェルト公爵は内心ではアニエス側妃へと厳しい視線を向けていた。

 アニエス側妃はヴェルト公爵にとって血を分けた娘ではある。

 ……だが、いかに娘とあれど国を揺るがす行いを許すことはできない。


 そして何よりも、己の娘が国を傾けようとしていることに、彼は内心で怒りと殺意を燃やしていた。


 エドワード王の言葉の裏に、アニエス側妃のお茶会、ひいては彼女の動向に対する明確な牽制があることを、その場にいた誰もが感じ取った。


「(……側妃様が陛下の登場に動揺されている……?

 父君であるヴェルト侯爵より連絡を受けていないということ……?)」


「(どうして、側妃様が驚かれるのかしら?

 穏健派筆頭が父君なのだから、派閥の動向については連絡が来るものじゃなくて?)」


 それに気が付いた穏健派に属する令嬢たちも顔を見合わせる。

 なぜなら、穏健派の筆頭であるヴェルト侯爵が、娘であるアニエスを擁護する雰囲気がないことに気づいたからだ。

 この時、彼女たちは初めて、アニエスがヴェルト侯爵の意を全く汲んでいない可能性に思い至った。


「ルシア」

 

 そして、レオナルドは、迷いなくルシアの元へと歩み寄った。


「(間に合って良かった……!

 もし、もしも……禁薬とやらを飲まされていたら……!)」


 表面上は普段通りの表情をレオナルドは浮かべていた。


「(よくも……よくもっ!

 ルシアを此処まで追い詰め、命を奪おうとするとはっ!!

 私はこの女を決して許してなるものかっっ!)」


 しかし、アニエス側妃に向けた明確な怒りにレオナルドの腸は煮えくり返っていた。


 何よりも、ルシアが流した一筋の涙。

 死ぬ覚悟をさせるまで彼女を追い詰めたことへの憤怒と殺意がレオナルドの瞳の奥に宿っていた。


「ルシア。

 折角のお茶会だったとは思いますが、以前より陛下にお伝えしていたお目通りを、今ならばとご提案いただきました」


 レオナルドは、ルシアが震える指先で持っていた白磁のカップを静かに下ろさせ、優しく指を絡めて微笑んだ。


「レオナルド、様……私……」


 ルシアは言葉を失い、レオナルドを見つめる。


「泣くほどに喜んでいただけて光栄ですが、今は陛下への挨拶が先ですね」


 レオナルドは、周囲の視線も顧みず、ルシアの手を強く握りしめた。


 その掌は、微かに震えていたが、ルシアへの揺るぎない想いが込められているのが伝わってくる。


「はい、レオナルド様。」


 ルシアはレオナルドの予想外の訪問、そして国王、ルージュ公爵、ヴェルト侯爵までが同席している状況に、ただ目を見開くばかりだった。


「さあ、ルシア。こちらへ。」


 レオナルドはルシアをエスコートし、ゆっくりと広間に集まった貴族たちを見渡した。

 その視線が、アニエス側妃の凍りついた顔で一瞬止まるが、すぐに何事も無かったかのように通り過ぎる。


 そして、エドワード王と重鎮たちの前で、レオナルドは、その場にいる誰もが息を呑むような言葉を放った。


「国王陛下、ルージュ公爵閣下、ヴェルト侯爵閣下、そして皆様方。

 ここにいる私の愛しき女性、シュバルツ伯爵令嬢ルシアを、皆様にご紹介いたします」


 レオナルドの声は静かだが、広間に響き渡るほどに力強かった。


「そして、同時に皆様に誓いを立てたい。

 私の心は彼女、ルシア・シュバルツただ一人に捧げられております。

 この想いは、決して揺らぐことはございません。

 この愛を、生涯かけて守り抜くことを、ここに誓います」


 レオナルドの言葉に、広間は再びざわめいた。


 エドワード王は満足気に彼を見つめ、ルージュ公爵は微笑みを深め、ヴェルト侯爵は無言でレオナルドの背後を支えるように立っている。


 王も、重鎮達も、この大胆な宣言を容認しているのだと分かるものだった。


 レオナルドはルシアの手をさらに強く握り締め、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。


 彼の視線は、ルシアに問いかけていた。


「ルシア。

 貴女も、私のこの誓いに応えてくれますか?

 この場で、私と共に歩む意思を示してくれませんか?」


 ルシアは、突然のレオナルドの問いかけに、全身が震えた。


「ルシア……貴女を愛しています。

 貴女と歳を重ね、死が二人を分かつまで……いや、その先も、永遠に貴女とともに在りたい。」


 彼の瞳には、真剣な愛と、彼女を失うことへの根源的な恐れが入り混じっていた。

 周囲の貴族たちの好奇の視線が、ルシアに突き刺さる。

 そして、アニエス側妃の冷たい視線が、彼女を射抜かんとばかりに注がれていた。


 ……だが、ルシアの心はもう揺るがなかった。


「レオナルド様……私は……」


 ルシアは迷いを振り払うように、深呼吸をした。


 ノワールとしての使命も、自身の出自も、今は関係ない。

 ただ、目の前のこの男性が、これほどまでに自分を求めてくれている。


 ……恋多き男という噂。


 レオナルドの真意を迷推理してきた自分の愚かさ。

 そして、レオナルドがどれほど自分を大切に思い、護ろうとしてくれていたのか。


 アニエス側妃がどんなにルシアの心を揺さぶろうとしても、その言葉はただの空虚な響きでしかなかった。


 レオナルドの優しさ、真摯さ、そして今、目の前で全てを賭けてまで自分を護ろうとする心に。


 その真っ直ぐなレオナルドの愛情を、ルシアは確かに知っている。


 ルシアは震える手で、レオナルドの手を強く握り返した。

 そして、その透き通った翡翠の瞳で、レオナルドの真っ直ぐな視線を受け止めた。


「はい、レオナルド様。

 私も、レオナルド様を……愛しています。

 この先を永遠に、共に歩むことを、ここで誓います」


 頬を薔薇色に染め、ルシアはレオナルドの想いに応えて幸せだと微笑む。


「ルシア……!」


 レオナルドの顔に安堵と、そして言いようのない喜びが広がった。


 貴族たちから、驚きと感嘆の声が漏れる。


 ルシアの愛の言葉。

 愛していると言うたった一つの言葉。


 たが、それはルシアとレオナルドの婚約の行方を決定づけるものだった。


 この瞬間、レオナルドとルシアの関係性はアルカンシエル王国の公の場で確固たるものとして刻まれたのだった。



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