第五十話
オペラ鑑賞の一騒動から数日後の昼下がり。
ブランシュ公爵邸に、王城からの使者が訪れた。
アストルが恭しく受け取った書簡は、第一側妃を示すマークが真紅の封蝋が施されたものだった。
つまり、それはアニエス側妃からの正式な招待状ということとなる。
「失礼します。」
差出人が誰であれ、宛名に書かれた名前の人物に手紙を渡す必要がある。
「あら、アストル。
顔色が悪いけれど、どうしたの?」
……手紙に書かれた宛名、それはルシアの名前だった。
「ルシア様、こちらを……」
アストルは、銀の盆に載せた招待状をルシアの前に差し出した。
ルシアは、その厳かな雰囲気に、僅かに身構える。
「アニエス側妃殿下より……?」
ルシアが書簡を開くと、流麗な筆跡で丁寧な言葉が綴られていた。
「拝啓 ルシア・シュバルツ嬢
この度、貴女の類まれなる才能と、先日王宮でお見せになられた勇敢な振る舞いに、わたくしは深く感銘を受けました。
つきましては、来る三日後、王宮にてささやかなお茶会を催したく、貴女をお招きしたく存じます。
ぜひ、一度お目にかかり、ゆっくりとお話しさせて頂ければと願っております。
第一側妃 アニエス・ヴァスト」
招待状を読み終えたルシアの眉間にシワが寄る。
フィリップ王子の名前こそないものの、アニエス側妃がただのお茶会に誘うはずがない。
王宮に深く関わることはシュバルツ家として、そしてノワールとして、最も避けたい状況の一つだった。
しかし、同時に、彼女の心にひとつの決意が宿った。
「(これは……きっと罠だわ。
だけど、私が行かなければ……アニエス側妃は次の手を打ってくる。
そして、レオナルド様まで巻き込んでしまうかもしれない。)」
ルシアはオペラ鑑賞の夜のレオナルドの焦りや、自分を守ろうとする必死な姿を思い出していた。
これ以上、レオナルドを危険に晒すわけにはいかない。
そして、ノワールとして、アニエス側妃の真意を探り、可能ならばその企みを阻止する必要がある。
アストルはルシアの顔色の変化に気づき、心配そうに声をかけた。
「ルシア様、何かございましたか?」
ルシアは、書簡をアストルに渡し、深く息を吐いた。
「アストル……アニエス側妃殿下より、お茶会への招待状です。」
アストルの表情が、一瞬にして凍り付いた。
書簡の内容を一瞥すると、アストルはすぐに公爵の執務室へと急いだ。
「旦那様!大変でございます!」
アストルの慌てた声が、執務室に響き渡る。
レオナルドは、その声に顔を上げた。
山積みの仕事に不機嫌そうな顔をしていたレオナルドだが、アストルのただならぬ様子にすぐに表情を引き締めた。
「どうした、アストル。何かあったのか?」
レオナルドは問題の手紙をセバスチャンから受け取ると、その内容に目を通した。
一行、また一行と読み進めるごとに、レオナルドの顔がどんどん険しくなっていく。
「……ルシアをお茶会に、か。
オペラ鑑賞の件といい……何かを探っている?
(アニエス側妃……あの女の目的はフィリップ王子を次代の王とすることのはず。
……ならば、何故ルシアに目を付けたのか?
翠の薔薇の家紋を持つヴァスト侯爵家が生家だ。
だが、侯爵令嬢だろうと側妃だろうとノワールの秘密を知る立場では無い。
ノワール=シュバルツ家の図式を知らない上でルシア個人を求める。)」
レオナルドは、書簡を強く握りしめた。
「……可能性としては中立派であるブランシュ公爵家、私を己の派閥に取り込む算段。
そして、ルシア個人が私への人質になるという価値を見出したか。」
ルシアを王宮に、あの狂った女の側に置くなど、レオナルドには考えられないことだった。
「この件は私の方から陛下へと即刻伝え、断固拒否する。
そうすれば、この手紙の招待については終いだ。」
「いいえ、レオナルド様。」
その時、ルシアが執務室の扉を開け、毅然とした表情で足を踏み入れた。
「ルシア! 何時からそこに……!」
「立ち聞きをしてしまい申し訳ありません、レオナルド様。
しかし、私は側妃の招待を受け、王宮へ参りたいと思います。」
毅然としたルシアの言葉に、レオナルドは驚きに目を見開いた。
「ルシア!? 何を言っているのです!
あんな危険な女の巣窟に、貴女を行かせるわけにはいかない!」
レオナルドは、ルシアの元へ詰め寄りその細い肩を掴む。
「レオナルド様。
これは、わたくし個人の問題だけではございません。
シュバルツ家、そして、この国に関わることです。
アニエス側妃殿下の真の目的を探るためにも、私が行かねばなりません。」
ルシアの声は、静かだが、強い意志に満ちていた。
彼女は、すでにノワールとしての覚悟を固めていた。
「しかし……! 万が一のことがあったら……!」
レオナルドの顔には、明確な恐怖が浮かんでいた。
ルシアを失うことへの恐れが、彼の理性を揺るがす。
「例え危険があったとしても、私は参ります。
私はシュバルツ家の一人として、覚悟は決めております。」
暗にノワールの一人として、危険も死も覚悟しているのだと言い切ったのだった。




