第五話
「わー……こんなに広い部屋を一人でどう使えば……?
元の私の部屋の何倍……?
え?掃除だけでも大変そうだし……服を収納するだけの部屋も……元の私の部屋より広いっていう……」
執事長に案内されたブランシュ公爵家内での私の部屋。
白を基調とした素敵な部屋だとは思うけれど、広過ぎて逆に落ち着かないという……。
しかも、服を収納する部屋、ドレスルーム?クローゼット?にはキラキラとしたドレスや装飾品が盛り沢山。
ゆっくりして良いと案内されてしばらく経つけれど……まだ慣れない……。
それに、あのキラキラなドレスを着た私というよりは、着られた私と言うべきか……。
私の顔面力ではあのドレスの戦闘力には勝てない。
こぢんまりとしたトランク一つ分の私の荷物が場違い感半端ない。
「失礼致します。」
ノックの音に返事をすれば、ブランシュ公爵家の侍女服を着た御婦人と若い侍女が一人。
「初めまして。
私はブランシュ公爵家の侍女長を任されておりますマリーナと申します。
どうぞ、マリーナとお呼び下さいませ。」
「初めまして、マリーナ。
私はルシア・シュバルツです。
家名で呼ぶのも変ですし、どうぞルシアと呼んで下さい。」
柔らかな雰囲気の侍女長に笑顔を返しておく。
「ルシア様、この者はルシア様の側仕えとなります。
身の回りのことで何か御座いましたら、この者にお申し付け下さいませ。」
「"はじめまして"、サリィと申します。
精一杯お仕え致しますので、どうぞよろしくお願い致します。」
「よろしくね、サリィ。」
物静かで控えめな……そう、個として突出した特徴を持たない埋没しやすい雰囲気。
噂話を励むこと無く、口も硬い年単位で雇っている侍女。
公爵家に嫁ぐことになる令嬢には同じ年頃で信頼が出来る者を付けますよね。
「ルシア様、旦那様よりルシア様が宜しければ屋敷の案内をしたいとのことです。」
「わかりました、マリーナ。
準備ができましたら、すぐに参ります。」
笑顔のマリーナが退室し、十分に足音が遠ざかり、周囲に人の気配が無いことを確認した瞬間……
「お会い出来て嬉しいです、ルシア様っ!
昨年ご尊顔を拝見したっきりだったので、ルシア様がいらっしゃると聞き嬉しくて、嬉しくてっ!
もうもうもうっ!
あの公爵がルシア様を娶るかもってお聞きした時には心底コノヤロって呪っ……思いましたけど!
でもっでもっ!
誰よりも、何よりも敬愛するルシア様のお側に侍ることが出来るなんてっ!
ああっっ……本当にアタシっ生きてて良かったです……!」
「えーっと……サリィ、ちょっと大袈裟だと……」
「大袈裟では有りませんっ!
アタシのような下っ端にも心を砕いて下さり、優しいお声を掛けて下さるのはルシア様だけでした!
辛い辛い隠密の修行の中で、ルシア様が辛くて泣いていた幼いアタシに分けてくれた林檎の味!
今でも覚えています……!」
力いっぱい力説していたかと思えば、泣きそうに、そして感動に染まったりと忙しないサリィ。
このアルカンシェル王国の捨て子などを中心に集められ、鍛え上げられた我が一族を頂点とした隠密達。
目の前でくるくると表情を変えているサリィも我が家の隠密の一人であり、ブランシュ公爵家に潜入中なのである。
「まー……うん。
聞いているとは思うけれど、潜入に加えてしばらく私の補佐役をお願いすることになる。
サリィ、通常任務に重ねての特別任務。
とても大変だと思うけれど、私の補佐をよろしくお願いします。」
「そんな……!
そんなよろしくだなんて……!
こんな下っ端相手に頭を下げないで下さいっ!
んもうっ!このサリィっ!
ルシア様のためならば地獄の底にだって飛び込んじゃいますっっ!」
何なりとお任せ下さいっ!と鼻息荒くやる気に満ちているサリィ。
確かに幼い頃に泣いていたサリィに林檎をあげたことはある。
自分も同じ厳しい隠密の訓練を受けていたから、その辛さが分かるので森で見付けた林檎を分けただけのこと。
「(あの頃のサリィは小柄だったから年下だと思ってたのよね。
自分より小さい子が泣いているから優しくした……まあ、自己満足みたいなものだったのに。)」
此処まで感謝されて慕われていることがくすぐったい。
……感謝されて悪い気分はしないけれども。
「早速で申し訳ないのだけれど、公爵に会う前の身支度って何をすれば良いと思う?
婚約者に会うために何を身支度すれば良いのかよく分からなくて。」
朝も夜も修行に、任務にと励んでいた身としては、年頃の娘の機微というものがイマイチ分からない。
姉様はそこら辺が得意だったから、いつも令嬢としての任務が入った時は助言を貰っていた。
厳格な母に言わせれば、私の女性としての身嗜みの疎さは自分似らしい。
「分かりました、ルシア様。
……あの、えーと……ご持参された荷物って、コレだけで間違いないですよね……?」
「その、まあ……はい。
何を持参すれば良いのか迷いに迷いまして……。」
一応形とも貴族の令嬢なのに荷物が少ないって驚きますよね……
姉様にも少なすぎると叱られたけれど、元々そんなに服や装飾品は持ってないし。
お茶会や夜会の時はお母様の若い頃のドレスを借りてリメイクしてたし……ね?
でも、流石に公爵家に持参する荷物の中に愛用の修行道具や暗器を持ち込んではいけないことは分かってます。
「ルシア様、御髪が乱れている部分を整えます。
あと、早急に長に連絡を取りましてヴィオレッタ様経由で改めて伯爵令嬢として恥ずかしくない身の回りの品を送ってもらいましょう。」
「ありがとう、サリィ。
仕事を増やしてごめんなさい。」
そんなことは有りません!、と気遣ってくれるサリィにちょっと申し訳なく思ってしまう。
でもね、一応兄様に確認したら問題ないと許可してくれたのよ……。
ちょっと自分のポンコツ具合に落ち込みながら、改めて考えるのはレオナルド・フォン・ブランシュ公爵のことだ。
王国の高位の政務官の一人であり、その政務能力は国王陛下も認めている。
改革派のトップかつ現宰相であるルージュ公爵と穏健派のトップかつ外務大臣のヴェルト侯爵とも関わりを持っている。
政務官として辣腕を振るい、騎士ではないものの王国内では上位に食い込む剣の実力者。
王国の令嬢達が色めく整った容貌、均整の取れた体つき。
そんな相手に国王陛下公認の婚約者同士となった私。
表向きには私は花嫁修業の一環としてこの公爵家に預けられ、時期を見て盛大な結婚式を挙げる予定である……が、何処までが真実なのやら。
そのため、大切なことだが現時点では部屋は別々である。
そんな事をつらつらと考えていれば、すぐに整う私の準備。
「シュバルツ嬢、誘いを受けて下さりありがとうございます。
その、少しでも貴女と親睦を深めることが出来れば、と思いまして。」
「お気遣い下さりありがとうございます、公爵。
このお屋敷に早く慣れることが出来るように努力致します。」
サリィの案内で公爵の下へと向かえば、相変わらずのキラキラしい笑顔で出迎えてくれた。
「シュバルツ嬢、その髪型もか、かわい……」
「はい?」
「い、いえ!
さあ、此方から案内しますね!
此処が普段使用している食堂となっています!」
何故か微妙に頬が赤くなっている公爵が、慌てた様子で案内を始めたけど……風邪かしら?
屋敷を案内してくれる公爵の話を聞きながら、内心は首を傾げてしまう。
「(情報では女性をとっかえ、ひっかえしていたと聞いたけど……目の前の人物はそんな風には見えない。
もしかして、私のことを女性ではなくて、子供と思っているから対応に困っているのかしら?)」
仕入れていた情報と目の前の公爵本人の相違を分析する。
「(本当に可笑しいことばかり……セレスティナ様も公爵についての噂は否定されなかったのだけれど。)」
ブランシュ公爵家へと来訪する数日前。
王城内でお会いした第一王位継承の持ち主であるセレスティナ王女との会話を思い出す。
あの日は珍しく表には出さないもののセレスティナ様は不機嫌な様子だった。
そんなセレスティナ様と社交界に出回るブランシュ公爵の噂について話した際に、珍しく不快そうな表情を浮かべていた。
「社交界には背びれ、尾びれを付けてお話することが大好きな方々が盛り沢山ですわ。
最も、火のないところに煙は立たないとも言います。
己の身辺整理も出来ぬ輩に私の大切なルシアを嫁がせるなど以ての外ですわ!」
私的な場で有ったからこそではあるけれど、公爵に私はもったいないと怒ってくれたセレスティナ様。
私のことを大切に思ってくれているのかと嬉しかったな。
ただ、一定以上の地位がある若い貴族の男などそんなものと思う私は無機質な思考なのだろうか?
噂その1!
来るもの拒まず、去るもの追わず
噂その2!
しっかりとした凹凸のある女性が好き
噂その3!
身分違いの恋人がいる(既に別れて数カ月?)
噂その4!
芸術家や研究者に資金援助をしている
以上の噂より、数年前の飢饉の際のシュバルツ伯爵家の行動・研究に目を付け、資金援助と交換に婚姻適齢機の娘を貰い受けた。
資金援助さえしておけば、立場の弱い伯爵家の年下の娘など、公爵の交友関係に口出し出来ない的な?
……なんて噂だけを信じれば考えがちだけど、そこはこっちもその道の玄人。
調べれば調べるほどに噂とは違った公爵の言動が見えてくるわけで。
「(灯台下暗し……噂ばかり信じていては足元をすくわれる。
実際の本人を観察した上で対応を考えていくことが先決。
そのためにも、ある程度の信頼関係を築くための接触は必要不可欠。)」
案内してくれる公爵を見詰めながら腹を括る。
「……友好関係を築くって壊滅的に苦手なんだけどなぁ……」
「シュバルツ嬢……?」
小さく嘆息した私の言葉が公爵に届くことはなかった。
「申し訳ありません、公爵閣下。
伯爵家とのあまりの違いに驚いてしまって……。」
「申し訳ない、一度に案内をしすぎましたね。
お茶でも如何ですか、シュバルツ嬢?」
公爵の誘いに是非と答え、満面の笑顔を送るのだった。