第四十八話
「姉さまっ!姉さまっっ!!
ルウ姉さまっっ!!!
あーもうっ!良かったです!
大切な僕のルウ姉さまに傷一つでも付けようものならば、手足を先から磨り潰すくらいじゃ済ませませんよっあの下衆度も!!
なんて思ってましたけど!
傷を付けなかったとしても、ルウ姉さまを危険に晒したんだから足の裏に五寸釘をさ……」
「落ち着きない、シックス。
まだ任務中でしょう。」
「フ、フローリアン……姉さま……」
レオナルドを押しのけて勢い良くルシアに抱き着いた人物は、涙目のフローリアンだった。
ルシアへと抱き着き、止める間もなく立て板に水のように喋り続けるフローリアンを後から現れたヴィオレッタがパシリと扇で叩く。
「あ、あの、フローリアン?
レオナルド様が……」
「え?あれ?
おやまあ、申し訳ありません、公爵閣下。
僕の目は節穴だったのか、敬愛する僕の姉さましか視界に入りませんでした。」
「ほぅ……?気が付かなかった、と?
(ぜっったいに気が付いていただろうっ!)」
「ええ、申し訳ありませんね。
全くもって1ミリたりとも気が付きませんでした。」
まるで天使の如き笑顔でレオナルドへとフローリアンは答える。
その輝くように爛漫な笑顔は、敵を雑魚呼ばわりして鈍器を振り回していたは思えないものだった。
「それよりも姉さま!
姉さまをリンダス帝国の工作員達を一網打尽にするための餌にすると長が言った時は猛反対しましたが……僕の力が及ばず申し訳ありません。」
「長の決定は絶対とは言え、貴女が無事でよかったわ。
でも、ルシア……護身杖以外の暗器を持っていないのに無理しすぎよ。」
ルシアを囮にすることを止められなかったとシュンとした表情を浮かべ、ヴィオレッタはルシアの無事に安堵の息を漏らした。
「やはり姉様とフローリアンが彼らを無力化してくれたのですね。」
ルシアが尋ねると、フローリアンはにこやかにレオナルドへと視線を向けた。
その眼差しにはルシアには見せない、明確な闘争心が宿っていた。
「もともと、姉さまを狙っている者がいるという情報は掴んでおりました。
僕たちの公爵家への訪問時にブランシュ公爵家の出入りを見張る者たちがいることも確認できていました。」
ニッコリと微笑んでフローリアンは語る。
「そして、今夜のオペラ観劇の予定が入ったという報告。
今夜の外出がおとりになる可能性が高いと判断して僕達は控えていました。
僕たちは、長から奴らを生かしたまま捕らえるように指示されています。
もっとも……未来の宰相候補と名高い公爵閣下は当然把握されていたでしょうけれども。」
もしかして公爵家の手柄を奪っちゃいました?とフローリアンは邪気のない笑みをレオナルドへ向ける。
……だが、その笑みにも言葉にもふんだんに毒が含まれていたけれども。
「どのような噂かは分かりませんが、期待に応えることができずに申し訳ない。
しかし、ノワールではないからこそ、大切な女性を囮になどぜずに済む。」
ノワールという立場は大変ですね、とレオナルドはフローリアンへと苦笑を返す。
レオナルドもまた、フローリアンのその毒に気づいていた。
「おやまあ、僕が思っていたよりも情報収集できる範囲が狭いのですね。
大変失礼を致しました。
でもそれだと、先手先手を打つことが出来ずに大変ですよねえ?
やはり、危険というものは先に把握する方が排除しやすい。
増して、他者の目にも触れさせたくないほどの宝物ならば、全ての危険を跳ね除けることができる実力者こそが相応しい。
公爵閣下には全く関係ないことだと理解しておりますけれども。」
「いやいや、そのようなことは有りませんよ。
私にも掌中の珠のように大切に愛でたい人がいますから。
あなたの情報網には劣るかもしれませんが、私の使える手をすべて使ってでも必ず守り切ると決めています。
あぁ、申し訳ない。
貴殿のように年若い少年にはまだ分からない感情だったかな?
恐らく、己の全てを犠牲にしても守り切りたい唯一無二の女性と出会った経験はまだとみえる。
最も、私はそんな唯一無二の女性に十代の頃に出会えた幸せを心より感謝しているよ。」
フローリアンへと見せ付けるようにルシアの手を握ったレオナルドの言葉。
わざわざ繋いだ手を見せてくるレオナルドへフローリアンの天使のような笑顔が、一瞬だけぴくりと揺れる。
「それは、それは……まことに喜ばしい限りですね。
まあ、公爵閣下の唯一無二の女性が誰かは存じませんが。
僕は若輩の身ですから、公爵閣下のように色とりどりの花々との色恋は早いですし、興味はないのです。
そんな花との時間よりも、心より敬愛するルウ姉さまとの時間こそが至福なのです。
それに、ルウ姉さまは僕がいないと、すぐに危ない目に遭うものですから。
これからもずっと、ずーっと!
僕がルウ姉さまの一番近くで護るつもりです。」
フローリアンはルシアに満面の笑みを向けながら、レオナルドへと釘を刺す。
レオナルドはその愛らしい弟の顔に、心の中で激しいライバル意識を燃やしていた。
「おやおや、まるで親離れ出来ない幼子のようだ。
ルシアのように素敵な女性が側にいれば離れたくない気持ちはよく分かる。
しかし、姉弟というものは如何かは別々の道に進むもの。
安心するといい、ルシアは私が必ず守る。」
「あはは!
どうやら公爵閣下は先ほどの戦闘で頭でも激しく殴打されたらしい。
……寝言は寝て言えよ、女ったらし。」
「本当のことを言ったまでですよ、義弟くん。」
レオナルドは、穏やかな口調を崩さず、しかしその言葉の裏で「彼女は私がいれば十分だ」と暗に示している。
フローリアンはあくまで姉を案じる愛らしい弟という建前を崩すことはない。
レオナルドとフローリアン、お互いが「ルシアの一番」の座を巡って静かに火花を散らす。
「はいっ!そこまでですわ!」
バチバチと火花を散らすレオナルドとフローリアンの間にヴィオレッタが割り込む。
「フローリアンはいざ知らず……公爵閣下、無粋でしてよ。
殿方二人に取り合われることを好む女がいることは否定を致しません。
しかし、取り合われている本人を不安にしてどうしますの。」
パチリと扇を閉じて示した先には、困ったように微笑んでいるルシアがいた。
「いや、その……」
困惑した様子のルシアを示されれば、レオナルドも二の句が継げなくなってしまう。
「フローリアン。
ルシアを大切に想う心を否定はしませんけれど。
あなたはまだ任務中でしてよ。
任務に私事を持ち込むのは如何なものかしら?」
「うっ……ヴィオ姉さま。」
「分かったのならば長のもとへ戻りましょう。
ルシア、また会いましょう。
いいこと?決して無理をしてはなりませんよ。」
「はい、姉さま。
フローリアン、あなたも気をつけてね」
「わかりました、ルウ姉さま!
……またお会いしましょう、公・爵・閣・下!」
ヴィオレッタとフローリアンは、夜闇の中へと姿を消した。
夜の路地には、レオナルドとルシアだけが残された。
レオナルドは、まだルシアの手を強く握りしめていた。
ルシアは自分の手がレオナルドの大きな手に包まれていることに気づき、心臓がドキリと音を立てる。
「レオナルド様……あの、もう大丈夫です。」
ルシアは、照れながらそう言った。
レオナルドは、ハッと我に返り、慌ててルシアの手を離した。
その顔は、真っ赤に染まっている。
「あ、ああ、す、すみません!
つい……その、あなたがご無事で、本当に良かった。」
レオナルドは、いつものヘタレな姿に戻っていた。
しかし、その瞳には、ルシアへの言葉にできないほどの愛情が宿っている。
ルシアは、そんなレオナルドの姿を見て、胸がキュンと締め付けられるような感覚を覚えた。
「(どうして……こんなに、ドキドキするのかしら?
……やっぱり……姉さまが言うように……私は、レオナルド様に……恋……してる?)」
ルシアは、レオナルドの行動が自分への好意を示していることをやっと痛感し始めていた。
……だが、明確な言葉がないことで、ルシアの心はまだ少しだけ宙に浮いたままだ。
「とにかく、早く屋敷に戻りましょう。
もう、二度とあなたを一人にはさせません。」
レオナルドは、真剣な表情でそう告げた。
ルシアはその言葉に小さく頷き、レオナルドと共に馬へと乗り込んだ。
二人の視線が交錯し、心に温かい光が灯る。
二人で乗った場上から流れる夜景を見つめるルシアは、レオナルドへの恋心を自覚し始めていたのだった。




