第四十五話
「きゃっ!?」
ガタンっ!と一際大きな振動にルシアは体勢を崩しそうになり、思わず悲鳴のような声を上げた。
「(まさか……!)」
さすがに御者の様子がおかしいことに気が付いたルシアは急いで窓の外を確認する。
「(これはっ……あの役人も含めて罠だったんだわ!)」
窓の外を見ると、突然走り出した馬車にレオナルドが驚いた表情でこちらを見ているのが見えた。
そして、御者の顔が見慣れない男の顔に変わっていることにもルシアは気づく。
「( 首謀者はアニエス側妃が有力だけど、それ以外の怨恨や身代金目的の可能性もある。
どちらにしても、犯人の目的を探ることが最重要。)」
ルシアは冷静に状況を分析していく。
ノワールとしての最良の役割を推測し、最善の選択肢を探る。
自身の力量をどこまで見せるべきか、そして、この状況からどうやって情報を引き出すかを瞬時に思考を巡らせていった。
「(でも、よかった……。
レオナルド様が誘拐の対象ではなくて。)」
ノワールとしての思考の隅で、ルシアはレオナルドが誘拐犯の目的では無かったことに安堵する。
自分を攫った相手の目的がどんな理由にしろ、レオナルドの身が危険に晒されることをルシアは嫌だと思った。
「(レオナルド様の側にはアストルも、護衛騎士たちもいる。
だから、レオナルド様が危険に晒されることはない。)」
激しく揺れる馬車の中でルシアは微笑を浮かべるのだった。
※※※※※※※※※
王立歌劇場前の前で、己を呼び止めてきた役人と話していたレオナルド。
「……今一度確認するが、王命に関する書状は持参していない、と?
緊急を要すると言いながら、先ほどから本題に入ることを拒否されているとも受け止める。
貴殿の言動に不信感を拭えない。
既に王城に向けての確認の早馬も放った。
……もし、王命を語ったとあれば……おわかりですね?」
王命だと言いながらはっきりとしたことを告げない相手に苛立ちと不信感を抱き始めていた。
「ひっ……わ、私は……」
眉を寄せて不信感を顕にしたレオナルドの言葉に、役人は萎縮して顔を青ざめさせる。
「(……可笑しい。
これではまるで、私の意識を逸らす……まさかっ?!)」
役人と話していたレオナルドが考えを巡らせ、何かに気が付いたと同時に大きな物音がした。
「しまった!
狙いは馬車だ!」
レオナルドが叫ぶが早いか、馬車が突然発車してしまう。
馬車を護衛していた騎士たちも御者が落ちた音に気を取られた一瞬の隙の犯行だった。
「馬を!」
レオナルドは、傍らに控えていたアストルに叫んだ。
「……っ……」
アストルは、一瞬にして状況を理解した。
その上でレオナルドを止めるべきか迷う。
本来ならば執事長として主を諌め、止めることが正解なのだろう。
しかし、アストルにはルシアを失うことは、レオナルド自身の心も死ぬことになると理解していた。
「止めても無駄でしょうね」
早々に主の気質を理解しているが故に制止を諦めたアストル。
手早く近くにいた騎馬警備隊の馬を借り受け、レオナルドの元へと誘導した。
「その通りだ!」
レオナルドはアストルから手綱を奪い取るように掴み、馬に飛び乗った。
「ルシア!待っていろ、すぐに追いつく!」
レオナルドは馬を駆り、漆黒の闇の中を疾走する馬車を追い始めた。
ルシアへの強い想いが、彼の心を突き動かしていた。
「旦那様っ!
一人で行かれると危険です!
(オイッコラぁッッ!!
またこのパターンかよっレオナルド!
少しは護衛の意味を考えてくれっっ!!!)」
猛スピードで馬車を追いかけ始めたレオナルドを護衛騎士たち……というか、ハロルドが瞬時に追いかけ始める。
「死ぬ気で追いつけっっ!!」
「無理に決まってんだろうがっっ!!!」
無理難題をふっかける主へと、思わず普段の言葉遣いが顔を出してしまうほどにハロルドは必死だった。
「てっ?!うおっっ?!」
夜の闇に包まれた町中を疾走していれば、先頭のレオナルドとの僅かな距離を遮るように荷車が飛び出してきた。
「クソッ!
お前らっ大丈夫かっっ!!」
慌てて手綱を引いて障害物を回避するハロルド。
数人居る護衛騎士たちの中には障害物を避けきれずに悲鳴を上げて落馬するものもいた。
仲間の無事を確認するハロルドの目の前に黒い服に身を包んだ見るからに怪しい者たちが現れる。
「馬車の件といい、テメエら……何者だ?」
明らかに不審な奴らの出現にハロルドの口から剣呑な言葉が飛び出す。
「テメエらと遊んでいる暇なんざねえんだよ。
コッチはなぁ、ウチの無鉄砲な旦那様を追いかけてるんだよ」
「我らは我らの任務をこなすのみ」
「チッ!
テメエらっ!
速攻でぶっ潰して旦那様を追いかけるぞっ!」
ハロルドが仲間たちを鼓舞するために気炎を上げた。
月明かりに照らされた広場に、剣戟の火花が散った。
先頭に立つハロルドは、鋭い眼差しで敵を見据える。
「さっさと退け!
コッチはなぁ!
せっかちな旦那様に追いつかなきゃならねぇんだよ!」
応じるように、影のような黒装束の男たち八人が散開し、疾風のごとく刃を繰り出してくる。
動きは獣めいて速く、音もなく迫るその様はまさしく隠密の暗殺者達だった。
「ぐっ!」
ハロルドは咄嗟に剣を横薙ぎに振るい、迫る一撃を受け流す。
重い衝突音が壁に響き、互いの武器が跳ねた瞬間、部下の騎士たちが背中を預け合い陣を組む。
「隊長の剣を通せ!」
「付け入る隙を与えるな!」
五人の騎士たちが剣を構え、波のように押し寄せる暗殺者たちを食い止める。
一人の敵が低く跳び、木の枝を蹴って背後に回り込む。
しかし、その動きを読んでいたのか、ハロルドは振り返りざまに剣を閃かせ、闇を裂いた。
「させるかっ!」
「ぐっ……」
短い悲鳴と共に黒装束が倒れ込む。
「っ!」
だが敵も鍛え上げられた手練れだった。
二人が同時に一人の騎士を狙い、剣を絡め取り、刃を滑り込ませる。
鮮血が飛び散り、仲間の一人が呻き声を上げて崩れた。
「くっ……!
まだ戦える、陣を乱すな!」
騎士の声が夜気に響き、仲間たちは血を押さえながらも踏みとどまる。
八人対五人。
数では劣るが、ハロルド率いる騎士たちの防御と連携は崩れない。
その中でも、ハロルドの剣はまるで狼の牙のように鋭く、敵を圧し、仲間の隙を埋めるように舞った。
闘気を帯びた斬撃が、次の瞬間に黒装束の肩を裂き、闇を赤に染め上げる。
「お前たちでは、我らを止められん!」
敵の頭目らしき男が、手裏剣のような短刀を無数に投げ放つ。
鋭い光が雨のように降り注ぐ。
「避けろ!」
騎士達が散開し、無数の短刀を避ける。
その隙を突こうと踏み込んだ暗殺者を、ハロルドが渾身の突きで迎え撃つ。
刹那。
鋼の音と悲鳴、土を蹴る足音が乱舞し、夜の広場は修羅場と化した。
騎士達の息は荒く、額には血と汗が滲む。
それでも彼らは決して諦めなかった。
だが、一人の騎士の腕を狙った刃が突き刺さり、二人目の部下が膝をついた。
「ぐっ……! すまない、隊長……!」
「謝るんじゃねえっ!踏みとどまれ!」
ハロルドが叫ぶが、数の差はいかんともしがたい。
陣形が乱れ始めたことにハロルドは歯噛みする。
この好機を逃すまいと暗殺者たちは一気に距離を詰めてきた。
鋭い刃が振り下ろされる……その瞬間。
キィン!、と月光を反射する細い線が戦場に走った。
鋼が擦れる甲高い音と共に、暗殺者の手首が絡め取られ、宙に吊り上げられる。
「な、なんだっ?!」
「……光る、いと……?」
驚愕の声があがるより早く、線は次々と分岐し、蜘蛛の巣のように敵の武器や腕、脚を縛り上げた。
「なっ……糸だと!?」
騎士たちが目を見開く中、建物の影から一人の黒装束の少女が躍り出る。
茶色の髪を後ろで束ね、瞳だけが夜に光を宿す。
細身の体に似合わぬほど鋭い気配をまとい、指先には鋼鉄の糸を操る輪が光っていた。
「遅れて悪いわね。
けど……ここから先は、アタシの独壇場よ」
少女が指を軽く弾くと、鋼の糸は一気に収束し、捕らえられた敵を地面に叩き伏せた。
「ぐはっ……!」
「あがっ……」
骨が砕ける音が響き、暗殺者たちは呻き声をあげる。
「おのれっ……!」
反撃に転じた残りの敵が迫るが、少女は身を翻し、宙を舞うように舞踏する。
その軌跡に沿って糸が光を放ち、次の瞬間には敵の喉元や足首が切り裂かれていた。
「血の雨を浴びるのは嫌いなんだけど、ね。」
仲間を守るように立ちはだかった彼女の姿に、ハロルドは短く息を呑んだ。
「……助かった。
だが、お前はいったい……?」
「名乗りはあと。
今は生き残ることを考えて」
ハロルドの問い掛けに素気なく答えた少女。
再び糸が閃き、闇に紛れた暗殺者を縛り上げる。
その姿は、まるで戦場に舞い降りた鋼鉄の蜘蛛だった。
「仕事に時間をかけるのは好きじゃないの。
死にたい奴からさっさと来なよ。」
言うが早いか再び糸が唸りを上げ、闇夜を縦横無尽に駆け抜ける。
「アァァっっ!」
敵の一人が叫びながら剣を振り払ったが、すでに遅い。
「遅いわ」
腕に絡みついた鋼糸が瞬く間に締め上げ、肉を裂き、骨を砕いた。
「ギャアァァァッッ!!」
敵の悲鳴が広場に木霊する。
頭目らしき男が必死に後退しながら短刀を放つ。
短刀の鋭い刃が少女へ迫った……が、糸が絡み取り、宙で止まる。
「くだらない抵抗ね」
少女が手首を返した瞬間、短刀は逆に放たれ、主の喉へ突き刺さった。
「ッッ……!」
頭目は言葉にならぬ声を漏らし、膝を折る。
「ひっ……」
残る者たちは恐慌に駆られて散開しようとする。
……だが鋼の糸は彼らを逃さない。
建物から建物へと張り巡らされた見えぬ罠が、踏み込んだ瞬間に足を斬り飛ばし、跳んだ者を絡め取り、首を吊り上げる。
そう……敵に逃げ場など、どこにもなかったのだ。
わずか数呼吸の間に、八人の暗殺者は次々と地へ伏し、呻き声を残して沈黙する。
月光の下には、糸に絡まれた黒装束の死骸が蜘蛛の巣に囚われた獲物のように転がっていた。
少女は最後の糸を引き戻し、指先の輪を静かに外す。
「……終わりよ」
短く吐き捨てると同時に、広場を覆っていた殺気が霧のように消え去った。
荒い息をつく騎士たちは呆然としながらも剣を下ろす。
ハロルドだけが一歩前に出て、少女の背に向かって声をかけた。
「助かったよ。
君がいなければ、オレらはここで全滅していた……」
少女は振り返り、茶色の髪を揺らして小さく笑う。
「礼はいりませんよ、お仕事ですから。
あなたたちが立っていないと、主君は守れないでしょう?
…………まぁ、公爵はどーでもイイですけどね!」
最後の方はよく聞こえなかったが、ハロルドは少女の言葉に深く頷く。
「態勢を立て直して、すぐに旦那様に追いつくぞ!
君も……って、居ねぇっっ?!」
仲間に声をかけて少女へと振り返った時には、少女の姿は消え去っていたのだった。
「ま、アタシのお仕事は此処までなんですけど……ああっもう!
アタシもルシア様を助ける方に行きたかったですぅ……」
眼下でキョロキョロと自分を探しているハロルドから視線を逸らし、夜空を見上げる少女。
「ルシア様ぁ……どうか、ご無事で……」
夜空に浮かぶ月を見つめながら、少女……いや、サリィは呟くのだった。




