第三十二話
「え……?
レオナルド様……?
どうなさったのですか?」
自室の扉を開けたルシアは、扉の前に立つレオナルドの姿に驚いた。
「(え?えーっと……?
しばらく前から人の気配を感じていたけど……まさかレオナルド様だったなんて……。)」
人の気配を感じ取っていたが、全く入って来る様子が無かったことに不審を感じていたルシア。
相手が動かないならば此方から仕掛けるか、とルシアは扉を開けてみたのだ。
だが、扉の前にいたのはまさかのレオナルドという結末。
「(あれ……?
レオナルド様だったなら、ご多忙でしょうになんで私の部屋の前に立っていたのかしら?
しかも……笑顔が少しぎこちない……?)」
扉を開けて見えたのは、まるで無理矢理貼り付けたかのような笑顔のレオナルドがそこに立っていたのだ。
その表情は、どこかぎこちなく、彼の心中を推し量るのは難しくなかった。
そんなレオナルドの様子にルシアは首を傾げてしまった。
「…っ?!
や、やあ!
ルシア、良い天気ですね!
一緒に乗馬でもどうかと思いまして、お誘いに参りました。」
心の準備が整う前にルシアと直接対峙することになったレオナルド。
何を言えばいいか迷いに迷い……しかし、黙っている訳にもいかないために、無理やり言葉を捻り出す。
「あの……レオナルド様?」
「はい、ルシア。」
動揺しているレオナルドの言葉に、ルシアはチラリと窓へと視線を向ける。
「(……綺麗な……夕焼け、よね?)」
ルシアの視線の先は、レオナルドの背後に広がる窓の外へと向けられている。
そこには、見事な夕焼けが広がっていた。
今にも遠くにカラスの鳴き声が聞こえそうなほどの夕日。
焼けの光が窓から差し込み、部屋の中を赤く染めている。
「今日は天気もいいですし、乗馬日和ですね。」
ルシアは、困惑しながらレオナルドの顔を見つめた。
レオナルドの提案と外の景色が、まるで噛み合っていない。
「…………。
(な、なにか選択を誤ったような……)」
レオナルドはルシアの視線に耐えきれず、わずかに視線を逸らした。
焦っていたとはいえ、レオナルドは薄々言葉選びを間違ったような予感を感じていた。
「……レオナルド様……もう、夕方ですよ?
あっ、でも、そのっ!
ゆ、夕日を楽しみながら、夕方から夜に掛けての乗馬も素敵ですよね……!」
「……………」
ルシアの指摘と気遣いに、レオナルドは完全に言葉選びを間違ったことを悟った。
「…………すみません、ルシア……!
今の言葉はすべて忘れてください……!」
ルシアの指摘に一瞬だけ沈黙を返したレオナルド。
沈黙のあとに、レオナルドは絞り出すような声でルシアへと懇願した。
「(レオナルド様は……お疲れなのかしら?)」
ルシアは思案する。
白薔薇の家紋を授かったブランシュ公爵家の当主。
その責任は重く、広い領地を有するが故に執務量も膨大である。
しかも、レオナルドは王城内で高位の政務官まで歴任しているのだ。
いくら若いとはいえ、その重圧はルシアが想像するよりも遥かに重く、レオナルドの負担になっているのだろう。
「えっと……もし宜しければ、私とお茶でも如何ですか?
(疲れている時はリラックス効果のある薬草茶なんかが良いと思うのだけど……。
お姉様に香草茶の淹れ方を教えて頂くべきだったわ……。
でも、普通の紅茶でも休憩にはなるでしょう。
あ……ダメだわ……私が相手のお茶なんて気が休まらない)」
ズシーンと重たい石でも背負ったかのように落ち込んだ雰囲気のレオナルド。
その両肩に重く伸し掛かる負担を思い、少しでも休まればとルシアはレオナルドへ声をかける。
しかし、自分が相手では気が休まらないと思い直す。
「是非!」
そんなルシアの葛藤をよそに、レオナルドはルシアの誘いに背負っていた重たい雰囲気をはね飛ばした。
全身から喜びのオーラを溢れさせるレオナルドにルシアは思わず笑ってしまう。
「……レオナルド様はとても優しい方ですね。
凄く素敵なことだと思います。」
私を気遣ってくれる優しい人だなぁ……としみじみと思い、心から微笑みを浮かべるルシア。
そんなルシアの笑顔に魅了されるレオナルド。
「……私は……ルシアの素直な笑顔の方が、可愛らしくて、とても魅力的だと思います。」
「え……あ、ありがとう、ございます」
「あ……その……」
レオナルドから返された言葉に目を瞬かせ、照れてしまうルシア。
そんなルシアにレオナルドも照れてしまう。
まるで、歴戦の仲人さんが見守る初々しい二人のお見合い状態である。
「……旦那様、そろそろ宜しいでしょうか?」
「「え?!」
自分たち以外にいないと思っていたルシアとレオナルドは、横からかけられた声にビクリと肩が飛び跳ねる。
「ルシア様、此方を。」
「え?!
唐突に完璧に整えられたティータイムセット?!」
いつから居たのか、完璧な笑顔で微笑むアストルとマリーナからティータイムに必要なもの一式を手渡されたルシア。
「では、旦那様、ルシア様
お食事の準備が整いましたらお声掛け致します」
「失礼致します」
ルシアとレオナルドをいつの間にかティールームへと押し込む隠密もビックリな早業。
ペコリと頭を下げてそそくさと退室したアストルとマリーナ両名。
温かな微笑みを称えた二人は、いつの間に用意したドアストッパーを挟み込む周到さだった。
まさに、油断のない完璧な布陣、流れるような黄金のコンビネーション。
「…………」
「行ってしまいましたね……」
強引ともいえるアストル達のセッティングに頭を抱えるレオナルド。
しかも、アストルに至ってはルシアに気が付かれないように「恋愛成就!告白必勝!」と書いたプラカードを掲げる周到さ。
何がなんだか分かっていないのは、頭にハテナを飛ばしているルシアだけだった。
「「…………」」
一部の隙もなく完璧に整えられた強制ティータイム。
何とも言えない沈黙の中で取り敢えずは向かい合った位置でテーブルに着く二人。
「「そのっ……(あの……)」」
何かを話さなくてはと口を開けば、同じタイミングでお互いに声が重なる。
「あ、ルシア、貴女からどうぞ」
「いえ、レオナルド様の方から」
お互いに譲り合っていれば何だか可笑しくなって、顔を見合わせて笑いが漏れてしまう。
「ふふ……今日は何だか可笑しいですね」
「そうですね、変なところで気が合うと言うか」
顔を見合わせてクスクスと笑い合うルシアとレオナルド。
「実は……マリーナからルシアが何やら荷物を整理していると聞いたんです。」
「……(まあねえ?
元々の荷物も少ないし……バレますよねえ)」
「私が何か粗相をしてしまったのかと心配で……
……貴女に嫌われるような事をしてしまったでしょうか?」
意を決して問い掛けつつも、少しずつ小さくなっていく言葉尻。
シュンとした仕草に、ルシアは再び子犬が耳を垂らして落ち込んでいる幻影がレオナルドに重なった。
レオナルドの心配そうな瞳が、ルシアの心を締め付けた。
「レオナルド様が何か粗相をなさったなんて、滅相も有りません。
ただ……その……」
ルシアは言葉を止めて、なんと答えるべきか悩んだ。
ここで正直に、ノワールの本質を垣間見たレオナルドがルシアを恐れているのではないか?
隠密業の女を嫌がり、ルシアが別れを切り出されると勘繰っているとは言えなかった。
「えっと……」
レオナルドの真剣な眼差しから、彼が本気で心配していることが伝わってくる。
「……私の方に、レオナルド様と釣り合わない事情がありまして……。
それで、その……迷惑をかけたくないと思い、心の準備をしていたのです。」
ルシアの言葉に、レオナルドの表情はさらに曇った。
「……そう、ですか……。
……ルシア、一つだけ教えてください。
私の……私の言動が貴女を誤解させ、不安にさせている……などと、言うことはありますか?」
「えっ?!」
レオナルドは一瞬だけ肩を落としたが、意を決したように問い掛けた。
「やはり、そうでしたか……」
己の問い掛けに目を瞬かせたルシアの反応を見て、レオナルドは確信する。
不甲斐ない自分の言動がルシアを不安にさせたのだと。
「男として、とても恥ずかしい話なのですが……」
「レオナルド様?」
顔を赤く染め上げて、唐突に語りだしたレオナルドの言葉にルシアは首を傾げる。
「私は、その……貴女とバルセロナ将軍の間に絆のようなものを感じて、それに……。
それに……貴女はバルセロナ将軍のような異性を好ましいと感じているのではないかと……」
レオナルドの言葉にルシアはキョトンとしてしまう。
自分の想像の範囲外の言葉にルシアは虚を突かれた。
「バルセロナ将軍ですか?」
「はい……その!
もし、もしも、ルシアが彼のような御仁を好ましいと思っているならば!
私も中身も外見も彼に近付けるように努力しますので!
だから……だから、その……」
「えっと……バルセロナ将軍のことは好ましいと思っております。
一見寡黙な方ではありますが、面倒見が良いお優しい方ですもの。
それに、己の実力に溺れることなく、常に上を目指す姿勢も尊敬に値すると常々感じております。」
「そ、そうですか……流石はバルセロナ将軍、ですね……」
ルシアのバルセロナ将軍に対する高い評価にレオナルドは撃沈する。
ルシアの目の前でなければ、机に突っ伏して頭を打っていたかもしれない、が……
「はい!
自慢の従兄弟、もう一人の兄のように慕っている方ですから!」
「そうですか……従兄弟で、もう一人の兄……え?」
「え?」
何故か俯いていくレオナルドを不思議に思っていたルシアの目の前で、勢い良くレオナルドが顔を上げる。
「バルセロナ将軍とルシアが従兄弟……?」
「え?
あの、ご存知ありませんでしたか?
私とバルセロナ将軍の母同士が姉妹なのです。
以前、お話をしました母が庇った姉のご子息にバルセロナ将軍は当たります。」
「いとこ……従兄弟!
そうですか!
もう一人の兄のように慕っている方なのですね!」
「(レオナルド様は何を喜んでらっしゃるのかしら……?
んん?王城内でグウェン兄さ、バルセロナ将軍とお会いした時に、何か変な会話をした覚えはないのだけれど……?)」
バルセロナ将軍とルシアが従兄弟だということを知ったレオナルドの顔には輝かんばかりの笑顔が戻った。
何故そんな反応をレオナルドがするのかわからないルシアだけが頭に疑問符を掲げる。
「申し訳ありません、ルシア。
とても恥ずかしい話なのですが、貴女とバルセロナ将軍が恋仲だったのではないか、と。
もしも、二人の仲を引き裂いてしまったのならば申し訳ないと思って、ここ数日悩んでいたのです。」
「ええっ?!
私とバルセロナ将軍が恋仲っ?!」
微妙に嫉妬していた部分を覆い隠しながら、晴れやかな笑みで語るレオナルド。
そして、まさかのレオナルドの勘違いに驚くルシア。
「決してバルセロナ将軍に対して恋心など欠片もありませんわ!
バルセロナ将軍には幼い頃から武術の練習相手を務めて頂いて感謝しておりますけれど!
決して恋などという甘酸っぱいモノではなく!
どちらかと言うと泥や汗にまみれて鍛えて頂いた方ですものっ!
兄のように慕うことは有っても、恋心なんて微塵も抱く余裕はありませんし!
第一、バルセロナ将軍はセレスティナ様一筋です!」
ルシアはレオナルドの誤解を訂正しようと前のめりになり、激流のような勢いで言葉を重ねる。
「はい!
ルシアがバルセロナ将軍に恋心など微塵も!絶対に!
決して抱くはずがないことは理解しました。」
心の底から嬉しそうにレオナルドはニコニコと微笑んでいる。
「レオナルド様にわかって頂けて安心しました……!
あれ……?
では……最近、レオナルド様が私に対して可笑しかった原因は……」
「はい、バルセロナ将軍とルシアの関係に悩んで、ですね。」
「そうだったのですか……私ったら、てっきり……」
優しく微笑むレオナルドの返答にルシアは胸を撫で下ろす。
レオナルドの返答に対して、無意識に自分が安堵していることにルシアはまだ気がついていなかった。
「…………」
そして、そんなルシアを見て、レオナルドは一つの覚悟を決めた。
「……ルシア。」
レオナルドは、意を決したようルシアを真っ直ぐに見つめ口を開く。
「貴女に話しておきたいことが有ります。
そう、私が貴女に初めて会った日のことを。」
その瞳には、これまで見たことのない、強い光が宿っていた。




