第二話
夕暮れの僅かな明かりが照らす海岸沿いの古い倉庫群。
用事がなければ好き好んで誰も近寄らない場所。
古今東西、そんな場所を根城にする者は余程の人嫌いか…………脛に傷を持つ犯罪者と相場は決まっているのかもしれない。
古い倉庫群の中で一番海に近い大きな倉庫。
昼でも薄暗い倉庫内の一室にうら若い少女達が閉じ込められていた。
少女達は身を寄せ合うように、扉から一番遠い壁際に集まって啜り泣いている。
悲壮感で一杯の少女達を嘲笑うように、ガシャリと重たい扉の開く音が響く。
「っ……」 「ひうっ……」 「う、あ……」
扉の音に啜り泣く少女達の体がビクリと震え、小さな悲鳴が零れ落ちた。
「オラよっと!」 「きゃあっ」
開いた扉から現れたガッシリとした体付きの男が、掴んでいた金髪の少女を乱暴に放り投げた。
「へへっ、良い子にしていたかぁ?
可愛い可愛いお嬢ちゃん達ぃ?」
「ひっ……」
ニヤニヤと甚振るような声音で話し掛ける男に、部屋の隅に固まって震えている少女達から悲鳴が漏れる。
「あ、あのっ!
貴方がたはいったい……?」
放り投げられた体を起こし、怯えた様子で尋ねる金髪の少女。
「ん~、怯えた顔も可愛いねえ」
「頭ぁ、一人二人くらい味見させてくれても良いんじゃないっすかぁ?」
「そうッスよぉ!
せえっかく攫ってきたのに! 生殺しじゃないッスか!」
扉から人相の悪い男達がゾロゾロと現れ、ガヤガヤと喋り始める。
下卑た男達の視線に少女達は一層体を寄せ合い、震えてしまう。
「バカヤロー!
大切な商品に傷が付いたら安く買い叩かれるじゃねえかっ!」
しかし、リーダー格の体格の良い男が下っ端の男達を一喝した。
「コイツラはなぁ、大切な金蔓なんだ!
海の向こうの遠い国にはな、貴族階級の生娘を鎖に繋いで楽しむ金持ちがわんさか居るんだよ!
騎士爵や子爵でも、貴族は貴族。
たんまりとお代を貰うためにも、商品に傷を付けるんじゃねえっ!
ヤりたきゃ、そこら辺の別の女でヤッて来い!」
リーダー格の男の言葉に下っ端達は不満そうに「へーい」と答えた。
「かしらっ、かしらっ!」
その時、倉庫の入り口付近で番をさせていた下っ端の一人が慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「何を騒いでやがるっ」
「いでぇっ!
か、かしらっ、侵入者が……」
「ああっ?
侵入者だと?!
まさか騎士団に見つかったんじゃ……」
「ちげえっす!
き、騎士団じゃねぇっ!
あ、アレは人間じゃねえっ!
きっとバケモンだっっ!!」
殴られた痛みも忘れたように髪を掻きむしり、錯乱した様子で喋り続ける見張り役。
仲間達は気味悪そうな視線を向け、お互いに顔を見合わせる。
「あ゛あ゛?
テメェ、頭でも可笑しくなった……」
「可笑しくなってねぇっ!
だって、だってよぉ……く、暗がりに一瞬で何人もの男を連れ去って、吊るせるかっ?!
そんなことが出来る人間がいるはずがねぇっっ!!」
怯え、頭を抱えてブツブツと呟き初めた見張り役にリーダー格の男の肌が粟立つ。
他の仲間達も尋常ならない見張り役の様子に動揺してしまう。
「おい、テメェ……コレからが女共を売るっていう一番大切な時なんだよ。
これ以上テメェのふざけた与太話に……」
「きっきたぁっっ」
リーダー格の男の声を遮るように見張り役が飛び込んできた扉が鈍い音を響かせて開く。
開いた先にはパイプが剥き出しになった天井と廊下しか無い。
「……おい、見て来い」
「えっ、オ、オレがっ?!」
適当な仲間の一人にリーダーが声を掛けるが、嫌がる素振りを見せる。
しかし、リーダーに「早くしろっ!」と武器を振り上げられれば渋々と動き始める。
「な、何も無さそうですけど……ぎひっ」
廊下に出て周囲を伺うも何も無いと思ったその瞬間。
頭上より何かが伸びて来て、男の首を捕まえた。
「がっ、はっ……!」
男の首を捕らえた何かは瞬時に釣り上げられ、代わりに黒い塊が落ちて来た。
「な、なにモンだ、テメェ! って、何だこの煙は……?!」
黒い塊が黒い服を着た人間だと認識するが早いか、部屋の中には白い煙が充満していた。
「こ、この……やろぉ……!」
どんどん鈍くなる思考と動かなくなる体にリーダー格の男は焦る。
既に部屋の中にいた仲間達は倒れ伏し、最後の悪あがきとばかりにリーダー格の男は扉の方へと進んでいく……が、
「いい加減眠りなよ、筋肉ダルマ」
金色が翻り、鋼鉄の塊がリーダー格の男の脇腹にめり込んだのであった。
※※※※※※※※※※
つい先刻の静けさが嘘のように、海岸沿いの倉庫群は喧騒に包まれていた。
「状況はどうなってるの?」
先程まで走り回っていた倉庫群の喧騒を離れた雑木林の中から見詰める。
父……長より私達に与えられたのは、低級とはいえ貴族の娘を攫っていた賊を無力化すること。
「フィフス様、騎士団が賊を全て捕縛しました。」
黒装束に身を包んだ私と同じような格好をした部下の報告に静かに頷いて返す。
……あの子はちゃんと逃げ出したかしら……?
まあ、私よりも腕が立つあの子のことだから大丈夫だとは思うけど、ね。
「そう……みんなご苦労さま。
先に帰ってしっかりと休んでね。
……私はあの子と合流してから戻るから。」
……やっぱり心配だしね。
私の返答に低く「是」と答えて瞬く間に姿を消してしまった部下達。
「……シックス……?
任務中だけど……フウ、フローリアン、お疲れさま。
怪我はしていない?」
たぶんだけど、皆が帰った後に出てくるつもりだったのかな?
なんとなくだけど、気配が近付いてきた気がして当てずっぽうで呼んでみる。
……もしも居なかったら微妙に恥ずかしいけど。
「ふふっ!
流石ですね、ルウ姉様、いえ今はフィフスと呼ばなければなりませんね。」
当てずっぽうで掛けた言葉は、どうやら大正解だったらしい。
夜の闇に嬉しそうな笑い声が響いた。
「あの程度の輩相手ですから、見ての通り怪我一つ有りません。」
笑いながら現れたのは、最後に攫われてきた金髪の可愛らしい少女………
「乱暴に掴まれたりしていたし、腕は痛くない? やっぱり私が囮役をした方がよかっ……」
「駄目です!
武術の心得が有るとは言え、ルウ姉様に危険な役回りをさせたく有りません!
囮役なんて大切な姉様がなされた暁には、クズ共が姉様の柔肌に触れた部分から細切れにしてやりますよ!
僕の目が黒いうちは絶対に姉様に囮役などさせません!
姉様に囮をさせるくらいならば、何度だって僕が女装しますから!」
「…………えっと……殺意高すぎないかしら……?
まあ、女の私よりもフウの方が美少女なのは認めるけども。」
「そんなことはありません!
姉様はこの世界で一番可愛くて、美人な女性です!
その上、代々の家業である隠密業を遂行するために武術や教養も磨いている勤勉さ!
心より尊敬できる僕の自慢の姉様です!」
「えっと……うん、ありがとう。
フローリアンも私の自慢の大切な弟だよ。」
熱意の籠もった言葉で私を励ましてくれるフウは、本当に良い子だなぁ。
歴代の一族の中でも最高の逸材と言われているフウが恥ずかしいと思わないように、私も頑張らなきゃね。
遠くに見える騎士団の動きから、どうやら無事に賊も攫われた娘さん達も含め移送が始まったらしい。
「さ、私達も帰りましょう。
あの倉庫はホコリだらけだったし、せめて水浴びがしたいわ。」
「そうですね、姉様。
そもそも……あの程度の人攫い共相手に僕達ノワールの力を借りなければ対応出来ないなど……騎士団の質も落ちたものですね。」
「フローリアン」
フローリアンの言葉に眉が寄ってしまう。
「囮以外にも面倒なことが絡んだ案件で嫌だった気持ちは分かるよ。
でも、賢い貴方なら分かっているでしょう……?」
「……すみません、姉様。
言葉が過ぎたことは認めます。」
表には表の役回り、沢山の柵、利権を争う貴族の思惑……。
表では足りない部分を、届かない速さを、薙ぎ払える思惑を王国の暗部を、裏側を飛び回る私達が担えば良い。
「さあ、帰りましょう」
「はい、姉様!」
それが初代国王より黒薔薇の紋を賜りし隠密一族の役目なのだから。
……そう、この時の私はまだ帰宅後に父親から爆弾とも言える任務を賜ることになるとは思ってなかったのである。