第十九話
公爵家の執務室で、レオナルドは頭を抱えていた。
昨夜の晩餐会の出来事を思い出し、最悪の気分だった。
フィリップ王子の挑発的な言葉も腹立たしい。
だが、ルシアが自分の「愛の告白」を完全に誤解しているという事実が、レオナルドの心を深くえぐっていた。
「最っ悪です……!
少しでも印象を良くするつもりが、全く何の成果もないどころか……ルシアに私が別の男を愛していると誤解され続けているし……!
あげくの果てに、彼女は私の恋愛を応援するとまで……!」
レオナルドは礼儀作法も放り投げて机に突っ伏した。
その姿は、普段の完璧な公爵像からは想像もつかないほど情けない。
まるで、お気に入りの骨を埋められたヘタレな犬のようだった。
「もともとルシア様からの印象はプラス・マイナス0ですから、大した変わりはありませんよ。
むしろ、今回の件でルシア様の心に少なからず旦那様の存在が刻み込まれたでしょう。
これは大きな進歩と言えるかと。」
執事長アストルは、冷静にそう告げた。
彼の表情は、相変わらず淡々としていた。
「つーか、その勘違いに巻き込まれている俺の方が可哀想だろうが。
どこをどう考えたら、このナイスなイケメンの俺が男の恋人を作ると思うわけ?」
レオナルドの幼馴染であり、護衛でもあるハロルドがソファに深く凭れかかりながら呟いた。
不貞腐れた様子のレオナルドに呆れたように天井を仰ぐ。
「うるさい、ハロルド。
想い人に勘違いされている私の方がよほどかわいそうだろう。
そして、アストル。
私の心にこれ以上塩を塗り込まないでくれ。」
レオナルドは、顔を上げずにそう言い放った。
「塩を塗り込むというのは、ルシア様は全くもって旦那様に対して興味を持たれていないと言うことを告げることかと。」
少なくともアストルの言葉は、常に的確で、時にはレオナルドの心を抉るものだった。
レオナルドは顔を上げ、アストルとハロルドを睨む。
その目には、少しばかりの恨みがこもっていた。
「言いますね、アストル。
落ち込んだ主にもう少し優しくしようとは思わないのですか?
私の心は今、深い谷底に突き落とされた気分なのですが?」
「旦那様の身から出た錆でしょう。
ブランシュ公爵夫人の座を狙う女性達を牽制するための婚約も頷かない。
先代様の指示を断ることが面倒だと適当に相手をした女性達からの噂の数々も放っておいたと記憶しております。
だから、先代様が口が酸っぱくなる程に繰り返しお諌めしたと言いますのに。
それを旦那様は聞き入れようとされなかった。
その結果が、今のルシア様の誤解を招いているのです。」
アストルの容赦ない言葉は、レオナルドの過去の怠慢を正確に指摘していた。
「まーな。
あれはとっかえ、引っ変えと誤解される要素は無いとは言えないな。」
ハロルドもまた、アストルの言葉に同意した。
味方が皆無な状況と容赦ない言葉にレオナルドはぐうの音も出なかった。
レオナルドは自分の過去の行動が、今になって己の首を絞めていることを痛感した。
言い返す言葉もないレオナルドは机に顔を伏せ、深く溜息をついた。
「わかった! 私の自業自得だ!
はあ……ルシアはどうすれば私を視界に入れてくれるだろうか……?
彼女の瞳に、私が異性として映る日は来るのだろうか……?」
机の上で頭を抱えるレオナルドの姿は、公爵とは思えないほどに情けない。
しかも、頭を抱える内容が婚約者にどうすれば異性として意識してもらい、好意を得ることができるのかという内容だ。
ハロルドとアストルの脳裏には、ヘタれた犬が飼い主を求めてキュンキュンと鳴いているイメージが浮かんだ。
「(権力もあり、容姿も整い、文武両道。
この国で最上位の血筋に生まれ、誰もが羨む立場の旦那様。
そんな旦那様が、一人の女性にここまで振り回されるヘタレ……ではなく……ヘタレですな。
しかし、これこそが、旦那様の本当の姿なのでしょう。)」
アストルは心の中で呟き、小さく嘆息する。
……しかし、こうも思うのだ。
「(少し本気を出せば何事も普通以上の結果を出せた旦那様。
幼い頃より、どこか生きるということを一歩引いた目線で、本気になることはなかった。
何事も器用にこなせてしまうがゆえに、人生に深みを見出すことができなかったのかもしれない。
そんな旦那様が、一人の女性の愛を得ようと必死でもがいている。)」
未だに机の上で頭を抱えているヘタ……ではなく、レオナルドの姿を見詰めアストルはクスリと笑う。
「(なんと得難き経験だろうか。
誰かを想い、必死で生きる。
それはきっと旦那様の世界を鮮やかに色づかせるだろう。
これまでモノクロだった旦那様の人生が、ルシア様という存在によって、色彩豊かに塗り替えられようとしている。
幼き頃より見守ってきたお坊ちゃま。貴方様の幸せをセバスチャンは祈っております。どうか、ルシア様との愛が実を結びますように。)」
思い悩むレオナルドの幼い頃を思い出し、アストルは目を細めた。
そして、少しだけお節介を焼くことにした。
「では、旦那様。
こういった事は如何でしょうか……?
ルシア様は、表面的な飾りよりも、本質的なものに価値を見出される方。
貴族的な社交よりも、自然体で過ごす時間を好まれる傾向がございます。
それに、ルシア様はご自身の出自や、シュバルツ家の家訓を非常に大切にされている。
そこを起点に攻めてみてはいかがでしょうか。」
アストルは、レオナルドの耳元でそっと囁いた。
レオナルドの顔に、再び一筋の光明が差す。
彼の瞳には、新たな希望が宿っていた。
「なるほど……アストル!
アストルはやはり天才だ!
よし、早速手配する!」
レオナルドは勢いよく立ち上がり、新たな作戦の準備に取り掛かった。
彼の表情は、まるで新しいおもちゃを見つけた子犬のように輝いていた。
アストルは、そんなレオナルドの背中を静かに見守っていた。
ルシアの誤解は根深い。
しかし、レオナルドの情熱が、いつか彼女の心を開くことを信じていた。
だが、そんなレオナルドの行動に待ったをかける者がいた。
「レオナルド、いや、旦那様。
一臣下として無礼を承知で進言させて頂きます。
彼女は、ルシア・シュバルツは何者ですか?」
それは、レオナルドとアストルの会話を見守っていたハロルドだった。
レオナルドの恋路を見守ると決めたアストルの心とは裏腹に一つの懸念をハロルドは口にした。
その表情は、いつになく真剣だった。
「ハロルド?
それはどういう意味ですか?」
アストルはハロルドの質問の意図を測りかねて怪訝な表情を浮かべた。
「……シュバルツ伯爵家の令嬢以外に言うなら、私の婚約者……」
「違う」
レオナルドは一瞬口を噤んだ。
無難な答えを返そうとしたレオナルドに対してハロルドはピシャリと跳ね除けた。
「そういう事を言っていないと分かっているだろう。」
ハロルドの厳しい言葉に、レオナルドは思わず言葉を詰まらせた。
「旦那様、己は貴方の幼馴染で有る以上に、貴方の臣下であり、護衛の一人です。
だからこそ、旦那様を守ることが己の使命であると心得ております。」
普段の軽い雰囲気を一変させ厳しい空気をまとったハロルドが強い視線をレオナルドへ向ける。
ハロルドの表情は、一切の妥協を許さないものだった。
「あの時、破落戸相手に見せたあの戦い方。
アレは一見すれば騎士の戦い方を装っていたが……あの戦い方は暗部の……」
「それ以上言わなくても分かっている。」
レオナルドは、ハロルドの言葉を遮った。
その眼差しは真っ直ぐにハロルドに向かっていた。
「ならばっ」
ハロルドは、さらに追及しようとする。
「彼女は、彼女に関することは代々の薔薇の家紋を持つ公爵家当主が申し送る内容だ。
アルカンシエル王国の暗部にも関わる。」
「……なっ……そんなヤバい存在なのか?!」
「…………それは……」
レオナルドは、セバスチャンとハロルドを真っ直ぐ見据えて言った。
その声は、重く、そして真剣だった。
レオナルドの告げた内容に、ハロルドとアストルは驚きの声を上げた。
「二人は覚えていますか?
……私が十二歳の頃に誘拐された一件を。」
レオナルドは懐かしい思い出を語る。
そう……初めてレオナルドがルシアと出会った出来事を。
レオナルドより語られたその過去にハロルドとセバスチャンは驚く。
そして、レオナルドのルシアへの深い、そして根源的な想いに納得してしまうのだった。
懐かしさに目を細めるレオナルドの瞳には、遠い日の記憶が鮮やかに蘇っていたのだった……。




