第十五話
「どうやら余程素晴らしい淑女教育を受けているようですね。」
レオナルドは、ルシアに対して失礼な言葉を吐いた女に言い返す。
その顔には、ルシアを侮辱したことへの怒りがはっきりと浮かんでいた。
「レオナルド様、こちらの貫禄のある御婦人はどなたでしょう?
先ほどレオナルド様と知り合いだと仰っていましたが、全くもって存じ上げませんでしたわ。」
しかし、レオナルドを止めたのは他でもないルシアであった。
そして、普段のルシアでは考えられない毒を含んだ言葉を吐いた。
「……有り得ないとは思いますが……この御婦人は、レオナルド様のことを若かりし頃の思い出の中の何方かと勘違いされているのでしょうか……?」
ルシアはレオナルドの腕を軽く掴み、上目遣いで微笑む。
その微笑みには、レオナルドに対しては隠しきれていない含みを持たせる完璧な笑みだった。
「レオナルド様の婚約者である私にとっては、過去も未来も含めて……その……レオナルド様以上に素敵な方なんて居ないと思うのですけれど……。」
まるで花も恥じらう乙女の如く、桜色の頬をさらに薔薇色に染め上げて恥ずかしそうに語るルシア。
「でも……うふふ!
私の愛するレオナルド様と見間違う程ですもの!
きっとこの御婦人にとっては、とても素敵な……そう、高嶺の花のような方だったのでしょうね。
……ねえ?そうでしょう、妙齢の御婦人?」
ルシアはにこやかに、しかし明確な皮肉と毒を込めてクリスティーヌへと尋ねた。
「なっ……なっ、なんてことをっっ!?」
クリスティーヌはルシアの言葉に、顔色を纏っている深紅のドレスよりもなお赤く染め上げて戦慄く。
「貫っ……しかもっ妙齢の御婦人ですって……!?」
クリスティーヌは誰がどう見ても十代後半、いっても二十代にしか見えない。
その外見の持ち主に対して「貫禄ある妙齢の御婦人」という言葉。
誰がどう見ても、ルシアの答弁は皮肉と分かる内容だった。
「 失礼なっ、私はまだ18ですわ!
レオナルド様っ、この無礼な小娘は一体……!」
クリスティーヌは逆上して声を荒げた。
その甲高い声は、煌びやかなホールの空気を切り裂くかのようだった。
周囲の貴族たちの視線が、一斉にルシア達に集まる。
貴族達の興味津々といった顔や、品定めをするような顔、あるいは面白がるような顔など、様々な視線が二人へと注がれた。
「あら……?申し訳ありません。
私のことを幼く感じたようですから、つい年上の方かと思ってしまいましたわ。
それに……品格の伴う貴族令嬢なら分かるはずの礼儀すら分からないなんて……。
私のような未熟者にも、公的な場で相手の身分を軽んじる発言をしたり、婚約者のいる男性に馴れ馴れしく話しかけるのは無礼だと、父から厳しく教えられております。
礼儀作法も忘れてしまうご年齢でしたら……ねえ?
物忘れも激しいでしょうから、仕方がありませんわね。」
ルシアはさらに追い打ちをかけるため、クリスティーヌへ見せ付けるようにレオナルドへと密着した。
その言動は、その場にいた貴族たちの間に静かなざわめきをもたらし、次の一手により一層の注目が集まった。
「ましてや恐れ多くも陛下主体の催し物で、このような無様な振る舞いをするなんて……。
レオナルド様もそう思いませんか?」
「そうですね、愛しいルシア。
陛下のいらっしゃる公の場で、このような無謀な立ち振舞いをするなど……。
厳しい礼儀作法を学んだ貴族の一員とは思えませんね。」
レオナルドは、ルシアの意図を瞬時に察し、クリスティーヌを一瞥することなく美しい微笑みを讃えて頷いた。
ルシアの普段の大人しい姿からは想像できないほどの、反撃にレオナルドは驚いていた。
しかし、自分の過去が招いた災いを怯むことなく真っ向勝負で叩き斬ってくれているルシアに感謝していた。
そんなルシアの奮闘に負けないためにも、ルシアへ見せる情けな……ヘタレ……ではなく……。
……ルシアには弱い一面もある部分が鳴りを潜め、一瞬にしてまるで精悍な獅子のような雰囲気へと様変わりした。
「そもそも、私が数年前にバラ園に誘った淑女はいましたが、この御婦人ではありませんね。
第一、その淑女は前ブランシュ公爵である父のご友人の令嬢です。
貴女のような無礼な真似をする方ではなかったと記憶しています。
このような場で迷惑な人違いで騒がれるなど、甚だ遺憾ですね。」
レオナルドの言葉に、女の顔から血の気が引いていく。
「レオナルド様……!な、何を仰るのですか!」
レオナルドはクリスティーヌの言動を迷惑と切って捨て、父親の交友関係で仕方なく付き合ったに過ぎないと個人的な親交を否定した。
「先ほどから思っていたのですが、誰の許可を得て私の名前を呼んでいるのですか?
私が名前を呼ぶことを許している女性は唯一人。
私の愛する人、ルシア以外にいませんが?」
会場のざわめきがさらに大きくなる。
野次馬をしていた貴族達は、レオナルドの普段の態度からは想像できないほどの厳しい言葉と行動に驚きを隠せない。
しかも、女性関係が派手だと言われていたあのブランシュ公爵が!
婚約者の令嬢をたった一人の女性だと言い切ったのだ!
「そ、そんな……レオナ……」
クリスティーヌはショックを受けた様子でレオナルドを見つめる。
「くどい方ですね。
……もう一度言う。
見ず知らずの相手に名前を呼ぶことを許した覚えはない。
真実、バラ園に共に行った相手であるならば忘れることは無いでしょう?
これ以上、私の愛する婚約者を侮辱するならば、ブランシュ公爵家としてお付き合いを改めなければなりませんね。」
レオナルドは冷たい視線をクリスティーヌに向けた。
「ああ、そうだ。
そろそろ薔薇が咲き誇る美しい季節になりますね。
どうです、ルシア?
美しい貴女を薔薇園に誘う栄誉を私に頂けますか?
薔薇がお好みでなければ、他の花でも構いません。」
レオナルドはそう言いながら、見せ付けるようにルシアの髪を一房すくい上げ、優しく口づける。
その瞬間、会場のざわめきがさらに大きくなった。
貴族たちの間には、驚きと興奮が渦巻く。
その中には、羨望の眼差しを向ける者もいれば、嫉妬に顔を歪める者もいた。
「最も、私がこの世で一番美しい、愛しいと思う存在は貴女ですが……」
レオナルドの言葉は、ホールに響き渡る。
ルシアは、近距離で見ることになったレオナルドの真剣な眼差しにドキリと胸が鳴った。
「(え……?!
ちょ、ちょっとやり過ぎでは……!?
あー!もうっっ!!
こんなことを世の中の女性にしていたら!
勘違いされても文句は言えませんからねっっ!!)」
ルシアはレオナルドの言動に顔が熱くなるのを感じる。
レオナルドの言葉は、あまりにも直接的で、ルシアの「隠れ蓑」という認識を揺るしかねなかったからだ。
「まあ……!
嬉しいですわ、レオナルド様!
(隠密でなければクラっと来たかもしれないわ……!
公爵様……恐ろしい方ね……!)」
レオナルドの魅力に精神力で勝利したルシア。
世の中の人間がレオナルドの誘惑の前にコロッと行くはずだわ、と改めて思った。
「ルシア、余計な邪魔が入りましたが、改めまして。
幾千本の花々よりも美しい貴女と踊る栄誉を私に頂けますか?」
「はい、喜んで。
(……ほんとーに……顔が良いってお得だなぁ……)」
大勢の人間を骨抜きにしたであろう顔面を前にルシアは思う。
こうやって勘違いをさせた挙句の果てに、あの女遊び云々の噂は出来上がったのだとルシアは把握した。
「(まあ……少なくとも、噂はやはり違ったということだわ。
でも……私がこの程度の情報収集で気が付く情報がなぜ私のもとに来たのかしら?
なんだか……ノワールからの情報も操作されている気がするわ。)」
微笑みながらレオナルドの手を取ったルシアはダンスホールへとエスコートされて行く。
いかにも二人の世界だと表面上は見つめ合うふたり……片方は本気だが。
「(やはり……この公爵との婚約の裏には何か私には知らされていないことがある。
何かが起こっても良いように、気を引き締めて行かないと!)」
隠密としての任務をより一層認識を新たにしたルシアだった。




