第十四話
今宵、多くの貴族が招待された王が主催である城内で開催される晩餐会。
国境付近での小競り合いに勝利して凱旋したバルセロナ将軍の労をねぎらうために開かれたものだった。
煌びやかなシャンデリアの照明が照らす大広間は、すでに多くの貴族たちで賑わっていた。
華やかなドレスを身に纏い、美しさを競い合う年頃の令嬢達。
片や着飾った紳士達が、グラスを片手に談笑している。
華やかな香水の匂いと、甘い菓子とワインの香りが混じり合い、優雅な雰囲気を醸し出していた。
次々に名前を呼ばれ入場していく貴族達。
既に控えの間よりレオナルドとルシアは晩餐会の広間へ入場する扉の前に案内されていた。
「……緊張されていませんか、ルシア?」
「お気遣いをありがとうございます、レオナルド様。」
己をエスコートするレオナルドの問い掛けにルシアは微笑む。
「そうですね……緊張していないと言えば嘘になると思います。
今回は婚約後の初めての公式行事への参加ですし……。
レオナルド様に恥をかかせないように気を付けて参ります。」
「ルシア、そんなに気負わなくて構いません。
貴女が隣に居て微笑んでいてくれるだけで、私は構わないのです。」
「わかりました、レオナルド様。
(ふむ……要するに余計なことは言わない、しないと言うことね。
……何事もなく終われば良いけれど……既にお嬢様方の視線が痛いのなんのと言うやつだわ。)」
華やかな晩餐会の会場に入る前から感じる周囲の視線。
「さあ、行きましょう。
ルシア、安心してください。
何が有っても、私が貴女を守ります。」
「ありがとうございます、レオナルド様。
よろしくお願いします。」
周囲の貴族たちの目線が、まるで品定めをするかのように自分に向けられている。
「(公爵より社交辞令とは言え、ここまで言ってもらっている。
ならばこそ、ノワールの一人として決して失敗など許されない。
夜の闇を駆け、数多の斬撃を避けるよりも、視線を向けるしか無い貴族達の中を歩くことの何が恐ろしいのか。)」
レオナルドのエスコートに導かれるままにルシアは歩き出す。
「(胸を張れ、真っすぐに前を向け。
今、これよりは私はルシアではなく、ノワールのフィフス!
夜の闇を駆け抜け、斬撃を躱し、王国を影から守る者!)」
ルシアは己を奮い立たせる。
「白薔薇の名を賜り公爵家!
レオナルド・フォン・ブランシュ公爵閣下!
並びに婚約者のルシア・シュバルツ伯爵令嬢様のご入場です!」
入場する扉に立ち、名前を呼ばれ一拍置いてからレオナルドとルシアは晩餐会の会場へと歩みだす。
晩餐会の会場の空気がザワリと揺れる。
「ブランシュ公爵の横にいる令嬢がシュバルツ伯爵令嬢……?」
「シュバルツ伯爵家と言えば、あのヴィオレッタ・シュバルツ伯爵令嬢の生家か……」
「姉とはまた違う美しさ……あの立ち振る舞いも堂々としていますわ」
「あれ程の令嬢を隠していたシュバルツ伯爵の気が知れん。
やはり変わり者とは本当だったのだな。」
ザワリ、ザワリと周囲の囁きが水面の波紋のように広がっていく。
そして、最後には……
「あのブランシュ公爵を射止めただけはある。」
そう囁く貴族達。
「……っ!」
しかし、そんな貴族達ばかりではなく、一部の年若い令嬢達の中には顔をしかめる者達がいた。
その中でも取り分けキツめの顔付きの深紅のドレスの令嬢が、羽扇の影で唇を噛みしていたのだった。
「(えー……やっぱり視線が痛い。
視線だけで穴が開くなら、私はもう穴凹だらけね。)」
自分に向けられる好奇の視線、悪意、敵意……。
言い出せばきりがない感情が混じった視線を感じ取り、ルシアは心の中で苦笑する。
「(もう公爵は慣れっこなんでしょうね。
こうも色んな視線が突き刺されば、総無視して微笑みの仮面でも被ってなければやってらんないだろうな。)」
己をエスコートするレオナルドへチラリと視線を向ける。
セレスティナ王女からだけでなく、ノワールの情報網で聞いたレオナルドの恋愛話の数々。
きっと、レオナルドの隣に自分がいることに、多くの女性が不満を感じているだろうと、ルシアは思っていた。
「どうしました、ルシア?
歩調が速かったでしょうか?」
「いえ、レオナルド様の横顔が素敵だと思っただけですわ。」
「えっ?!
え……あの……あ、ありがとう、ルシア。」
チラリと見上げたルシアの視線に反応したレオナルドの問い掛け。
仲睦まじい婚約者を演じるためにも、姉のヴィオレッタ直伝の微笑と賛辞を返す。
「ルシア……その、深い青のドレスを纏った貴女は夜の女神よりも美しい。
出来ることならば……他の誰にも美しい貴女を見せたくは有りません……。」
「まあ……レオナルド様。
貴方様に褒めて頂けて嬉しいですわ。
(さすがは国の重鎮のお一人。
まるで本心を語っているかのような迫真の演技だわ。)」
微かに頬を染め、愛しい想いを隠すことなくルシアを見詰めるレオナルド。
しかし、レオナルドの心は小指の甘皮ほども、全くもってルシアに伝わることは無かった。
レオナルドとルシアは仲睦まじい婚約者同士を演じながら(レオナルドは本心からである)、周囲を観察している間に時は流れた。
ファンファーレに似たラッパの音が鳴り響くと、上座にある王族専用の扉が開く。
賢王と名高き王、リチャードが堂々とした立ち振舞いで第二側妃を伴って入場する。
王のエスコートで入場する第二側妃、オーロラも静かな水面のような美しさだった。
その後に続くように入場する一組の男女。
「あ……」
「やはり第一王女殿下も参加されましたね。
お加減が悪いと伺っていましたが……」
視界に入った白銀に、思わずルシアの小さな声が漏れる。
「(セレスティナ様……大丈夫かしら?
熱が出る予定だって仰っていたし……)」
ルシアの勘違いかもしれないが、入場するセレスティナ王女と一瞬だけ視線が有った気がした。
最も、こんなにも広くて大勢の貴族の中で、そんなことは有り得ないだろう。
それでも、ルシアは青白く見える顔色のセレスティナ王女の体調が心配だった。
「王女殿下が心配ですか?
顔色が優れないように見えますね。」
「はい、レオナルド様……。
公務のためにご無理をされているのではないかと思って……。
最も、私が心配してもしょうがないことだとはわかっているのですが……」
「そんなことはありませんよ、ルシア。
友人を心配することは可笑しいことではないと思います。」
「……レオナルド様……ふふ、ありがとうございます。」
自分とセレスティナ王女の友情を認めた上でのレオナルドの言葉に微笑むルシア。
「……いえ、当たり前の事を言ったまでですがら……」
「その当たり前だと思って下さるレオナルド様のお気持ちが嬉しかったのです。」
ルシアがノワールで有ることを知っているはずなのに、理解を示してくれるレオナルド。
……その気持が何よりも嬉しかった。
「(こ、これは……少しは私の株が上がったのでしょうか?
何処がルシアの琴線に触れたかは分かりませんが……)」
表面上ではないルシアの心からの微笑みに、レオナルドは内心でガッツポーズを決める。
「血塗れの獣騎士と婚約など……哀れな」
「可哀想な王女殿下、あんなに青い顔をされて」
「なんでも血に飢えた獣へ生贄にされているようなものでしょうに」
その時、囁くように話す一部の貴族の声が聞こえてきた。
「(こいつら……!)」
一瞬だけルシアの心の中で怒りが燃え上がる。
しかし、すぐに心を落ち着け、平静を保つ。
「(はあ……任務中に余計な私情は禁物。
彼らが何と囀ろうと放って置けば良い。
グウェン兄様との婚約はセレスティナ様は嫌がってないもの。
確かに、グウェン兄様は見た目は厳ついし、誤解を生みやすい一面は有るけれど。
……私の修練に付き合って下さったり、お優しい方だわ。)」
実はセレスティナ王女の婚約者であるグウェン・ド・バルセロナ将軍はルシアの母方の従兄弟にあたるのだ。
幼い頃より修練の相手も務めてくれたもう一人の兄のように慕っている人物。
そんな敬愛する相手を悪く言われることをルシアは苛立ちを覚えたのだ。
ルシアが苛立ちを覚えても、晩餐会自体は恙無く進んでいく。
今宵の晩餐会で一番の見せ場である王直々の英雄達への賛辞、勲章や褒美を与える場面。
どんどん進んでいく晩餐会をレオナルドの隣で微笑みながら見詰めるルシア。
褒章の場面さえ終わってしまえば、あとは社交の場へと変化する。
多くの貴族たちが、一緒に晩餐会へと来た相手と優雅に踊り始める。
「退室されてしまいましたね……」
ルシアは、セレスティナ王女とバルセロナ将軍がホールを後にするのを見て呟いた。
「顔色もよくありませんでしたから、婚約者のために多少のご無理をなされていたのかもしれませんね。
バルセロナ将軍も、王女殿下を心から案じていらっしゃる様子でしたから。」
「……そうですね。」
周囲の耳を気にして主語を使わずに呟くルシアに、レオナルドも深く頷き返す。
ルシアは従兄弟の外見で判断しなかったレオナルドの言葉が嬉しくて微笑みを返す。
「ルシア、もし……もし宜しければ私と一曲踊って頂けませんか?」
ルシアの微笑みを見て、レオナルドは勇気を出してダンスに誘った。
レオナルドの瞳には、純粋な、そして少しだけ切ないような光が宿っていた。
「(これでルシアが少しでも私のことを意識してくれたら嬉しいのだが……)」
差し出されたレオナルドの手には、淡い期待が渦巻いていた。
「はい、喜んで。
(私の婚約者としての)立場を考えて誘ってくれているのね。
公爵は、本当にお優しい方だわ。」
レオナルドから差し出された手に、ルシアがその手を重ねようとしたその時……
「レオナルド様!」
突然呼ばれた己の名前に眉を顰めてが振り返れば、派手な深紅のドレスをまとった令嬢が一人。
レオナルドと言うよりはルシアへと挑むような視線を送って立っていた。
「貴方は……」
レオナルドは、その令嬢が父親の命令で家同士の付き合いという建前で対応した相手の一人だと思い出した。
正確には、貴族間の付き合いとして社交辞令的に応じた相手だ。
「レオナルド様、お会いしたかったですわ。
クリスティーヌですわ!
うふふ、先日はバラ園にお連れ下さりありがとうございました。
……とても楽しい、そう……特別なひとときでしたわ。」
クリスティーヌは、まるでレオナルドと親密を超えて、異性としての特別な関係であると自信満々な態度で立っていた。
「うふふ……レオナルド様、今宵は私と踊ってはくださらないのですか?」
クリスティーヌは扇で口元を隠して、意味ありげな視線を送り、レオナルドへ微笑みかける。
その言葉には、明らかに「私とレオナルド様は特別な関係にある」というメッセージが込められていた。
「は?
(何を言っているんだ、この女は?
数年前にお互いの親同士の付き合いで対応しただけだが?
しかも、あまりの媚具合に途中で退席した記憶がある。
何故ルシアの前でわざわざ誤解を招くようなことを言うんだ?)」
レオナルドは思わず低い声を漏らしてしまった。
そんなレオナルドの反応に気が付くことなくクリスティーヌはルシアへと視線を向けた。
その視線は、ルシアを見下すような、嘲りの色を帯びていた。
「あら……?
そちらのお可愛らしいお嬢様は親戚の方ですか?
まさか、公爵の婚約者殿?
お茶を淹れるのがお上手な、地味な男爵家の娘さんだと伺っておりましたが……」
フフッ、と自信満々で揶揄するクリスティーヌにルシアはカチンと来た。
ルシアは、自分のことを言われるのは構わない。
しかし、レオナルドの「隠れ蓑」として、彼に恥をかかせるような真似は許せなかった。
そして何よりも、クリスティーヌのレオナルドに対する執着と、自分への侮辱の言葉に静かな怒りが湧き上がったのだった。




