第十二話
ブランシュ公爵家に入るよりずっと前から、ルシアには一つの習慣があった。
それは、セレスティナ王女との定例のお茶会である。
王女とのお茶会は王城内の離宮の一室。
陽光が差し込む優雅な空間で行うか、天気が良い日は美しい庭やバルコニーで行われるのである。
「うふふ……ふふふ。」
麗しい王女は、くすくすと上品に笑いながらルシアに尋ねた。
セレスティナ王女は、ルシアが公爵との関係をどう解釈しているのか、興味津々だった。
「ふふ……それで、ブランシュ公爵はなんと言いましたの?
ルシアの『名推理』は、どこまで公爵に通じましたかしら?」
セレスティナ王女の問い掛けに、ルシアは待ってましたとばかりに身を乗り出した。
公爵との会話を誰かに話したくてうずうずしていたのだろう。
「明確な言葉は返ってきませんでした。
でも、あれはどうして分かったのかと驚いた顔でしたわ。
きっと私が真実に気が付いた事にに驚いたのだと思います。
公爵閣下、かなり動揺していらっしゃいましたもの。
あと、そうですね……公爵閣下が私のことを『あい』…とかなんとか言いかけていました。
やはり世間には公言できない仲なのだと確信いたしましたわ。」
ルシアは意気揚々と、広場での騒動から公爵邸での会話の内容まで、事細かに語った。
「そう、そうね……うふふ、ルシアの迷推理はとても凄いと思いますわ。
あのブランシュ公爵をここまで動揺させるなんて、貴女くらいでしょうね。
まさか、そこまで読み解くとは……ふふふ。」
クスクスと笑う姿も麗しい王女に、ルシアはほわ~んとする。
まるで月の女神を描いた絵画から抜け出たように美しいセレスティナ王女。
その優雅な笑い声は、聞く者の心を癒やすようだ。
そんなセレスティナ王女と向かい合ってお茶を楽しめるなんて自分は贅沢者だと心底思っている。
ルシアは王女の美しさと優しさに、いつも癒やされていた。
「セレスティナ王女殿下とお茶会が出来る私は世界一の幸せ者です。
いつも、私のくだらない話を聞いてくださって、ありがとうございます!」
ルシアは、純粋な感謝の気持ちを伝える。
彼女にとって、王女は心を許せる数少ない存在だった。
「ありがとう、ルシア。
でもね、貴女とお茶会ができる私の方が世界一の幸せ者ですわ。
貴女の話はいつも楽しくて、私の心を和ませてくれるわ。
それに、貴女の真剣な人柄には、いつも感銘を受けているのよ。」
うっとりするようなセレスティナ王女の笑顔に、ルシアは蕩けそうになる。
「本当に……貴女は人として美しい、大切なものを持っていますもの。」
セレスティナ王女は、ルシアの純粋で飾らない人柄を心から愛していた。
世俗の駆け引きに疲れたセレスティナ王女にとって、ルシアの存在は、まさに清涼剤のようなものだった。
「そう言えば、ルシア?
貴女は晩餐会に出席なさるの?
先日、陛下の勅命でバルセロナ将軍の凱旋を祝う夜会が開かれると伺ったけれど。」
セレスティナ王女は、話題を変えるように尋ねた。
表情は変わらないが、その瞳の奥には、どこか悪戯っぽい光が宿っている。
「あー……はい、おそらくは。
つい先日、サリィとマリーナがその晩餐会用のドレスを作成する必要があるって言ってました。
公爵閣下の婚約者として、初のお披露目の場だとか……」
ルシアは、途端にドヨーンとしたオーラを漂わせ始めた。
豪華な晩餐会は、ルシアにとって苦痛でしかなかった。
社交辞令と、堅苦しいマナーに縛られる時間は、彼女の自由な精神とは相容れない。
そんなドンヨリオーラを纏ったルシアに、王女は苦笑する。
「あら、あまり気乗りしない様子ね……。
何か嫌なことでも?」
「だってですね!
あんなにも美味しそうなご馳走が並んでいるのに!
きつく締め上げられたコルセットと淑女のマナーのせいで、食べたくても食べられないのです!
口に入れられる量も限られているし、ずっと笑顔でいなければならないし……!
もう、考えるだけで憂鬱になりますわ!
いっそ、あの苦しくて動き辛いドレスを着るくらいなら、騎士の鎧でも着た方がまだマシです!」
ルシアは、貴族の社交の場での苦痛を吐露した。
本人は隠しているつもりだが、食いしん坊なルシア。
そんなルシアは目の前の美食を前にして食べられないのは、まさに拷問だった。
「ふふふ……ルシアは食べることが好きだものね。
確かに、美味しそうなご馳走が目の前にあるのに食べられないことは苦痛ね。
私も、時々そう思うわ。
特に、陛下が用意させる甘い菓子などは、一口だけでは物足りないもの。」
セレスティナ王女は共感を示した。
彼女自身も、王族としての立場から、常に厳しい食事制限やマナーを求められているからだ。
「はい!
淑女のマナーの範囲で食べれる分だけでも食べたいのですが……あの締め付けには勝てません……。
いっそ、ドレスを着ないで、エプロン姿で厨房に入りたいくらいです!
それなら、心ゆくまで味見ができますもの!」
ルシアの素直な言葉に、王女はまたしてもくすくす笑った。
その笑い声は、先ほどよりも少しだけ、開放的だった。
「やっぱりルシアは可愛いわ。
私は貴族令嬢として枠をはみ出さないように気を付けつつも、素直な気持ちを吐露できる貴女が好きよ。
貴女のそういうところに、多くの人が惹かれるのよ。
…………ブランシュ公爵も、きっとその一人でしょうね。」
セレスティナ王女の最後の言葉に、ルシアは気づかなかった。
「私もセレスティナ王女殿下が大好きです!
王女殿下は私の心のオアシスですから!」
ルシアとセレスティナ王女は手を取り合い、微笑み合った。
二人の間には、身分を超えた深い友情が確かに存在していた。
それは、互いの立場や役割を理解しつつも、人間として純粋に惹かれ合う、かけがえのない絆だった。
「あ……!
ちなみに王女殿下は晩餐会に参加されるのですか?」
ルシアは、ふと疑問に思った。
セレスティナ王女も、公的な場では何かと苦労が多いはずだ。
彼女もまた、自分と同じような「枠」の中で生きているはずだと。
「いいえ。
私もぜひルシアと参加したいのだけれど、その日は熱が出る予定なの。
だから、今回は欠席することにしているわ。」
セレスティナ王女は、あくまで優雅な微笑みを浮かべたまま、そう答えた。
「そうなのですね。
体調が悪いのならば仕方ありませ……あれ?」
「ふふふ……」
ルシアは、王女の完璧な微笑みに「あ、これは答えてもらえないやつだ」と悟り、それ以上余計なことを問うことはなかった。
セレスティナ王女の言う「熱が出る予定」は、公務を回避するための巧みな言い訳であると、ルシアは瞬時に理解したのだ。
もしくは、その裏に別の謀が有るのか……。
「(グウェ……バルセロナ将軍はセレスティナ王女の婚約者。
その方の凱旋を祝う晩餐会に婚約者が出席しないのは有り得ない。
……私の知らなくて良い何かがあると言うことね。)」
そして、そんなルシアこそが、セレスティナ王女のお気に入りなのだった。
ルシアの察しの良さと、決して深追いをしない気遣いが、セレスティナ王女にとっては心地よかった。
二人は、それぞれの立場で抱える苦悩を共有しながらも、互いの存在に安らぎを見出す、かけがえのない友人だった。




