第十話
マリーナがルシアを追い掛けて、やっとの思いで追いついた頃……。
公爵家を出る前にマリーナが手配していた伝令が王城にいたレオナルドの元へと到着していた。
「シュバルツ嬢が……護衛なしで街へ出た?!」
マリーナからの伝言を聞いたレオナルド。
王城の執務室で報告を受けた瞬間、血の気が引くのを感じた。
「(な、なぜ急に外出など……!
今朝会った時はそんな素振りは無かったのに!
ま、まさか……私は気が付かない内にシュバルツ嬢が嫌がることをしてしまった……?!)」
「旦那様、顔色が悪い……」
「すぐにシュバルツ嬢を追い掛ける!
こちらの書類は宰相へ!
あちらも既に終わっているからヴェルト侯爵へ!」
「はっ?!
えっ、あ、あのっブランシュ公爵?!
ちょ、お待ち下さ……」
「本来、私は本日公休をとっていた。
それが火急の要件とのことで登城したんだが……?
その要件とやらは、とっくの昔に終わらせているんだが、な?」
「ひっ」
レオナルドは普段の冷静さを装い……全くもって装えていないが、部下へと指示を飛ばす。
「(あんのっ狸共!
私の邪魔をするために無理矢理に仕事を押し込んだな!)」
レオナルドは自分に火急の要件とやらを手配した犯人二人を脳裏に思い浮かべる。
その二人を思い浮かべただけで、ワナワナと身体が震えた。
「(今はそんなことよりも、まずはシュバルツ嬢だ!)」
怒りに蓋をしたレオナルドは、椅子を蹴るように立ち上がった。
彼の頭の中はルシアに嫌われたか、もしくはルシアが危険な目に遭っているのではという考えで一杯だった。
護衛の騎士達が付いて来ているかも振り返ること無く足早にレオナルドは進んで行く。
「旦那様っ、馬車に……」
「馬車では遅い!
私は馬で先行する!」
護衛の一人が馬車へ促すが拒否して馬に飛び乗り、レオナルドは王都の道を疾走した。
レオナルドは公爵邸へ戻る時間も惜しみ、直接ルシアを探し回るよう護衛へ指示を出す。
「旦那様!
旦那さ……レオナルド!
少しは落ち着け!冷静になれ!」
「私は冷静だ!ハロルド!」
「だーっっ!!
冷静な奴はそんな返しはしねえんだよっ!!」
疾走するレオナルドの馬に追い付き、併走しながら叫んだ護衛の一人。
「良いから一度落ち着け!
止まれっ!護衛が追い付けていないだろっ!!」
「死ぬ気で追いつけっ!」
「無理を言うなっっ!!
おまっ!幼馴染のオレが言うのも可笑しいがっ!
そんな性格だったかっっ?!」
ブランシュ公爵家に代々仕える騎士の家系であり、レオナルドと歳が近く、幼馴染であるハロルド。
長年、一緒に切磋琢磨して育って来たハロルドだったが、レオナルドのこんなにも激しい一面を知らなかった。
どちらかと言えば、女はどれも一緒とばかりにお座なりに相手をしている印象を持っていたのだ。
「(意味わかんねえっ!
それだけ、あのシュバルツ嬢とやらが特別ってことかっ?!)」
己の制止も効かずに暴走するレオナルドにハロルドは歯噛みする。
「彼女はどこにっ……!」
そんなハロルドの心を慮る余裕も無いレオナルド。
レオナルドの脳内はルシアのことで一杯だった。
幼馴染の声も聞こえないほどに熱くなっているレオナルドの心臓が嫌な音を立てていた。
ルシアに何かあったら、嫌われたら、と考えると、恐ろしくてたまらなかった。
その間にも、王城からの伝令が次々と飛び込んできた。
「旦那様っ!
広場の噴水の近くで貴族令嬢がゴロツキに絡まれているという報告が!」
「なにっ?!
広場へ急行するっ!」
「まて!レオナルド!」
伝令の報告に、レオナルドは顔色を変え、急いで現場へと向かった。
「シュバルツ嬢!」
広場に到着すると、まさに一人のゴロツキがルシアの背後からに覆いかぶさろうとしている光景が目に飛び込んできた。
「危ないっっ!!」
レオナルドの視界は、その光景を見て真っ赤に染まった。
怒りと、恐怖が混ざり合った叫びが、彼の喉から迸る。
「しゅ、ルシア!」
レオナルドは思わず、悲痛な叫びを上げた……
「っ?!
は……え?」
……が、すぐにレオナルドの叫びは間の抜けた声になってしまう。
「…………」
果たして何があったのか?
それは簡単なことだった。
叫んだレオナルドの横スレスレを、ゴロツキが勢いよく宙を舞って飛んでいったのだ。
「……その……ぶ、無事ですか、シュバルツ嬢?」
レオナルドの背後でドサッ、と地面に叩きつけられた鈍い音が響く。
先ほどまでのシュバルツ嬢に嫌われたら、危険に晒されていたら……という考えがスッポリと抜け落ちた。
どうするべきか考えあぐねたレオナルドは呆然と立ち尽くす。
レオナルドの視線の先では、ルシアが優雅に、まるで踊るように残りのゴロツキを次々と投げ飛ばしている。
その動きはしなやかで、見る者を魅了するほどに美しかったが、繰り出される技は容赦なく、確実に相手を無力化していく。
「口ほどにも有りませんね。
マリーナ!サリィ!
怪我はありませんか……え゛っ?!」
破落戸達を戦闘不能にしたことを確認したルシアがマリーナ達へと振り返る。
そうすれば、マリーナ達だけではなく周囲へも視線が向くこととなる。
そう、やっとルシアはレオナルドがいることに気がついたのだ。
「えっと?!公爵閣下??
い、いつからそちらにっ?!
す、すみません?!大丈夫ですか?!
私ったら、さっきそちらに破落戸を投げ飛ばしたような……!?
あっ、あのっ!わざとではないのです!
破落戸が勝手にそちらへ飛んでいったのです!」
ルシアはワタワタと慌ててレオナルドに駆け寄る。
「えっと、あの……本当にごめんなさい。
お怪我はありませんか……?」
レオナルドへ近寄り、眉毛をハの字にして恐る恐る問い掛けるルシア。
その顔には、レオナルドに心配をかけたことへの申し訳なさが滲んでいた。
「貴女が無事で良かったです……。
あ、私に怪我はありません。
大丈夫ですよ、シュバルツ嬢。」
レオナルドの返答に良かったです、と微笑むルシア。
その姿だけを切り取れば、破落戸達を相手に大立ち回りをした人物には到底見えなかった。
「ルシア……貴女は……」
レオナルドは分かってはいた。
分かってはいたのだ。
ルシアが守られるだけのか弱い女性ではないことを……。
いや、か弱くはないが、守りたいという気持ちは揺るがなかった。
むしろ、彼女の強さに、さらに惹きつけられた。
レオナルドの心の中で、ルシアという女性は愛らしくも強い。
己が肩を並べて共に生きて行きたいと想うたった一人の存在だと改めて思い知らされた。
広場に集まっていた人々も、ルシアの戦う姿に驚く者もいた。
しかし、あの飢饉の時……普段よりも治安が乱れていたあの頃。
王都の民が困った時に手を差し伸べ、その背に守り、戦ってくれたルシアの……いやシュバルツ家の面々のことを知っていた。
普段は温厚で優しい「ルシア嬢」が、こんなにも強く、そして美しい武術の使い手だった思い出した。
優しいだけではないルシアの強さに、改めて彼らは尊敬の念を新たにする。
そして、駆けつけたレオナルドと騎士たちの存在が、その場に秩序をもたらす。
「旦那様、破落戸達は全て捕縛しました。
もうすぐ警邏隊が到着しますので、引き渡します。」
「ああ。
頼んだ、ハロルド。」
「御意。
(ルシア・シュバルツ嬢……。
母親の家系は知っているが、あの動き……アレは誤魔化して入るが剣士の動きではない。
アレは……アレは……暗殺者のソレだ……!)」
捕らえられた破落戸たちは、すぐに警邏隊へと引き渡され、厳重な取り調べを受けることとなったのだった。
そして、この一件にて一人の護衛騎士がルシアに対して懸念を抱くこととなった……。




