5 ニゲラにかけられた狂おしい呪い
ゆっくりと食べ歩きをしながら、装飾品や珍しいおもちゃなども眺めていく。
繋いだ手は、昨日よりもしっかりと繋がっている気がする。
あんな思いをさせたのに許してくれるなんて、本当にいい人だ。たとえ政治的な思惑があったとしても、大事にされているのには違いない。
「まあ、ケーキの形のペンダントトップがありますわよ」
「おもしろいな」
「これはお嬢さん、お目が高いね。最近開発されたばかりの樹脂加工技術だよ」
「まあ、それでこのお値段ですの? ゼロが2つくらい間違っておりませんこと?」
「そう言ってもらえるのは嬉しいねえ。どうだい、彼氏さん? ここは男を見せるところじゃないかい?」
(彼氏さん……)
知らない人からもそういう関係に見えるのだろう。その通りだけど、少し違和感がある。
「アリサ嬢が望むならと思うし、アリサ嬢には似合うとも思うが。これでよいのか? それこそゼロが2つ3つ違っても構わないが」
「あっはっは! こいつはすごい。王侯貴族みたいに太っ腹な彼氏さんじゃないか」
(この国の第一王子ですわ……)
認識阻害の魔道具の効果で認識されていないのだろうが、ついそう思ってしまう。
高くて残るものをプレゼントされるのは申し訳ないと思うけれど、このくらいなら甘えてもいいだろうか。
「ありがとうございます。では……、こちらをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「へ、それでいいのかい? 半分ジョークで作ったんだが」
売り手が驚いたように言って頭をかく。
生クリームに赤いイチゴのショートケーキも捨てがたかったが、選んだのはただの白い塊に見えるものだ。
マシュマロ。
大小セットで細身のチェーンに通されているそれは、かわいらしくはあってもそれほど見栄えがするものではない。けれど、目を離せなかった。
「マシュマロ、ですわよね」
「お嬢さん、よく知ってるね。まだ市井には出回り始めたばかりで高級品だろうに、好きなのかい?」
「……はい」
僕のかわいいマシュマロちゃん。
なぜフォンが自分をそう呼んでいたのかはわからない。ただその柔らかい響きが愛しさとともに残っている。一緒に食べていた穏やかな時間にはもう決して戻れないけれど。
思って、ハッとした。フォンを思い出すようなものをニゲラに買ってもらうわけにはいかない。
「あの、わたくし、自分で買いますわ」
「いや、そこは拙を立ててもらいたいのだが」
「そうそう。甘えられるところには甘えておきなよ。まいどあり!」
2対1で押し切られて、ニゲラにマシュマロネックレスを買ってもらってしまった。
「すみません……」
「謝られる理由がない」
そう言ってもらっても、自分には謝る理由がある。
「……だが、許されるなら、拙がアリサ嬢に付けても?」
頷いて、邪魔にならない場所に移動する。
ニゲラが慣れない手つきで、ネックレスはこうなっているのかと言わんばかりに苦戦しながら、なるべくこちらに触れないようにそっと付けてくれた。
(かわいい……)
フォンとはまったく違うタイプだけど、ステキな人だと思う。
そっとペンダントトップに触れる。本物のマシュマロみたいに、柔らかく受け止められる。こうしてニゲラのそばにいれば、マシュマロが口の中で溶けてなくなるように、いつかフォンへの思いも溶けて消えていくのだろうか。
「あの、ニゲラ様」
「ん?」
「アリサ、と。呼び捨てにしていただいても大丈夫ですわよ?」
「……よいのか?」
「はい。あと……、唇へのキスより手前までなら、スキンシップもとれると思いますわ。ワガママを申し上げて申し訳ないのですが」
「いや……」
ニゲラがどこか迷うようにしながら、そっと頬と頬を触れ合わせてくる。控えめなそれは気遣いを感じるのと同時に、確かに求められている感じもする。
そっと彼の背に腕を回すと、柔らかく抱きしめられる。大事にしてくれる彼を、自分はちゃんと大事にしたい。
いろいろな店を回って、休憩のために建国祭のメインエリアからは少し離れた公園に行った。木陰のベンチに並んで腰掛ける。
建国祭に人が集まっているからか人影はまばらで、落ち着いて話せる気がする。
ここで、今くらい距離が近づいていれば、もう少し踏みこんだことを聞いてもいいだろうか。そう思って、知りたいことの中から軽めの話題を選ぶ。
「……あの、ニゲラ様」
「ん?」
「ニゲラ様のお母様はどのような方だったのですか?」
そう尋ねた瞬間、ニゲラから血の気が引いて蒼白になった。
(え……)
こんな反応は予想外だ。
長い沈黙があった。
その長考を邪魔してはいけない気がして、ただ隣に座ってじっと待つ。
自分の緊張感は長く続かなかった。甘いものを食べたい、食べるなら何がいいだろうかと思い始めたころに、足元を見ていたニゲラが顔を上げた。
「……アリサ」
「はい」
「これから話すことは、拙とアリサだけの秘密にしてもらえるだろうか」
「はい、それはもちろん」
母親の話をするのに大袈裟な気もするけれど、二人きりの場所で話されたことを人に言う趣味はない。
今は付き人たちとも少し距離がある。小声なら聞こえないだろう。ニゲラが口元を耳に近づけてきて声を落とす。
「拙の母上は……、拙を第一王子とするために、自らの命を捧げるような激しい女だったそうだ」
(え……)
前に母から聞いた話では、ニゲラの母親は暗殺され、お腹の子どもが助けられた結果、ニゲラが予定日より早く誕生したのではなかったのか。
(それって……)
「……まさか、ご自身の暗殺をさせることで、ニゲラ様を早くこの世界に……?」
ゾッとした。それはお腹の子どもにとっても危険極まりないことではないか。
「アウラ王妃……、フォンの母君が産気づいたら、国王陛下の前で自分の首を切るようにと。陛下は必ず子どもを助け、第一王子となった我が子を王太子にするはずだと」
絞りだすような告白に言葉が見つからない。
子どもの性別は、妊娠半年ごろには魔道具でわかる。王子だと言い切れるのはその時期以降だからだろう。
もっとも、姫であっても、この国では男女同権だ。通常は歳が上であれば継承順位が上になるため、女王が治めていたこともある。
歳が上であれば。例えそれがたった1日、あるいは数時間、数分であったとしても、通常なら継承順位は上になる。
アウラ王妃やその息子を直接狙えば、露見した時に大ごとになる。けれどこの形なら、万が一犯人が捕まったとしても自死に変わるだけで息子にお咎めがいくことはない。犯人がアウラ王妃の指示だと主張すれば冤罪をかけるのも簡単だ。
恐ろしいまでに考え抜かれた計画に感じた。
ニゲラの母親のもくろみどおり、国王陛下はニゲラを王太子にしようとしたと聞いている。それを貴族たちが阻止したことが、彼女の予想外だったのだろう。
こんな重大なことを自分に話してしまっていいのかとも思うが、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。選ばれた信頼には答えたい。
そっとニゲラの手に手を重ねて軽く握る。ニゲラが上に反対の手を重ねて続ける。
「アリサとのお茶会でトゥーンベリへの婿入りを打診した後、母の国の言葉で記された、亡くなる前の母からの手紙を渡された。拙が状況がわかる歳になるまで預かるようにとシノビに託されていたそうだ。
そこにはこの国に来た経緯と暗殺の真相に加えて、命を捧げるのは拙を次期国王にするためだと、父上から裏切られた母の代わりにこの国を手にするようにと書かれていた。
母に命を賭された拙には……、その願いを叶える義務がある」
泣きたくなったのをぐっと飲みこむ。
なんという狂おしい呪いだろうか。
ニゲラは優しい。それを跳ね除けて我が道を行けるような人ではない。だからこそ、困難しかない茨の道だとわかっていても、足を踏み入れようとしてしまうのだろう。
同時に、この人を王にしてはいけないと思った。
ニゲラの母がニゲラに託したのは、この国をよくすることではない。ただの私怨で、国王とこの国への復讐だ。王になることがゴールであって、その先がない。
自分はトゥーンベリ公爵令嬢として、偽りの王を戴くわけにはいかない。
「……ニゲラ様。国のことでわたくしとトゥーンベリがどれだけお力になれるのかは、状況次第なところもあり、できる限りとしか申し上げられません。
けれど……、ニゲラ様のお痛みは、一緒に引き受けさせてくださいませ」
伝えて、自分から軽く頬を寄せる。そっと撫でると、すがるかのように力いっぱい抱きしめられた。




