3 ニゲラとの建国祭デート
改めて、みんなで認識阻害の魔道具を付け直した。ここにいるメンバー以外には、ここにいるメンバーがわからない。そんな小さな秘密が楽しい。
マクロフィア家の馬車に乗って、建国祭のメインストリートに向かう。王宮の前の広場から放射状に延びている5本の大通りがすべて会場になっていて、馬車で行けるのはその手前までだ。
「では、拙とアリサはここで」
(え)
馬車を降りたところでニゲラからそう言われ、一瞬驚いたけれど、元々そういう話だったのを思いだす。
「そうですわね。ニゲラ様からのデートのお誘いですもの。ずっとみんなと一緒というわけにはいきませんものね」
できるだけ自然に見えるようにニゲラの横に立つ。
「人通りが多く、はぐれやすい故。手をとっても?」
「……はい。よろしくお願いいたしますわ」
壊れものを扱うように手が重なって、そっと握られる。ゆるく握り返すけれど、苦しくて、ちらりとフォンを見てしまう。その表情はいつも通りの仮面の笑みで、何も答えてはくれない。
手を引かれて、人波の中にまぎれていく。その間、フォンたちは一歩も動かなかった。
祭りの明るい雰囲気の中を、ニゲラと二人で歩いていく。元々ある店舗が店の前に商品を並べていたり、祭りの間だけ馬車が入れなくなっている馬車道に露店が並んでいたりと、目を引くものがたくさんある。
「アリサに似合いのネックレスを贈りたいのだが」
「光栄ですが、よろしいのですか?」
「ああ。他にもほしいものがあればなんでも言ってほしい」
「ふふ。そんなに尽くされると悪い女に騙されますわよ?」
「アリサ以外にはせぬから問題なかろう」
(本当に、いい人……)
ニゲラの表情からはいつもどこかアンニュイな感じがしていたから、もっととっつきにくいかと思っていた。そばにいるようになってから、ただ物事を深く考えすぎるところがあるだけで、本質的には優しい人だと思うようになった。
「……装身具も嬉しいですが。それより、一緒に珍しいものを食べませんか? わたくし一人だと食べられる量が限られてしまうので、ニゲラ様と分けられたら嬉しく思いますわ」
「その程度でよいのか?」
「はい。それが一番嬉しいですわ」
フォンは、自分がおいしいものを好きなことをよく知っている。ウルヴィもだ。それだけ二人は、自分のことをよく見てくれていたのだと思う。
ニゲラとは、すべてこれからだ。
貴族の結婚は家と家の契約で、思いというものは、共に歩むことが決まった相手と協力しあって育むもの。まだ正式な婚約ではないとはいえ、ニゲラといることを選んだからには、自分からも歩み寄る必要がある。
そんな話をした時にハイドから言われた言葉が浮かぶ。
「あなたは心がときめいたことがないのですか?」
「心が求める相手はいないのでしょうか」
(余計なこと、ですわ……)
そんな相手がいることに気づいてしまった今だからこそ、必死にそれを振り払う。
「まあ、このトウキビ、甘いですわね」
もぐもぐ。
「エアリオンの腸詰めとは、珍しいな」
もぐもぐ。
「メルルーサのフライもおいしいですわね」
「深海魚だったか」
もぐもぐ。
「サクサクふわふわのパンに、この具材の味つけは珍しいですわね」
「甘味と酸味が意外なバランスで心地いいな」
もぐもぐ。
「……うう、申し訳ありません。こちらは辛すぎて、わたくしにはムリですわ」
「拙は辛いものも食べられる故、もらうとしよう」
もぐもぐ。
「ニゲラ様、あのアイス、伸びておりますわよ!」
「その上、貼りついているようだな。どうなっているのか……」
もぐもぐ。
「クレープやワッフルは定番ですわよね」
もぐもぐ。
・
・
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たくさん食べた。ものすごく堪能した。楽しかった。これならニゲラの彼女でいるのも奥さんになるのも大丈夫そうだ。そう思ってから、ハッとした。
「……申し訳ありません。わたくしばかり楽しんでしまって」
ニゲラはもっと色気があるデートの方がよかっただろう。そう思って謝ると、首を横に振られた。
「いや。拙も楽しかった。食べ物を前にしたアリサは本当に生き生きとするな。特に好きなのは甘いものだろうか」
「お恥ずかしい限りですわ」
「かわいいと言っているのだが」
(え)
思いがけない言葉に続いて、ニゲラの顔が近くなる。
ほんのわずかに触れるか触れないかの、探るようなキスだった。
(ぁ……)
気がついた時にはもう、涙が流れていた。
「ごめん、なさい……、わたくし、驚いて……」
「……いや、すまない。拙が早計だった。かわいくてついそうしたくなったのだが……、言葉で意思を確かめるべきだった。もっとゆっくり、アリサのペースを待てたらと思う」
ハンカチで涙を拭ってくれるだけで抱きしめられないのは、きっとニゲラの気遣いだろう。
優しい、いい人だ。心が彼を求めていたら、どんなに楽だっただろう。
貴族の結婚は家と家の契約で、思いというものは、共に歩むことが決まった相手と協力しあって育むもの。そう信じていた。
今ならわかる。それがただの理想論なのだと。恋を知らない子どもだったから信じられたのだと。
一度愛してしまったら、心が求める人以外に触れられることを、心も体も拒否してしまうのだろう。夫婦としてその先を望まれるなら致命的な欠陥だ。
(フォン様……)
ニゲラのそばに立つことでフォンを守ると決めた。誠実に向き合ってくれるニゲラに、誠実に答えたいと思っている。
それなのに、ほんのひとときフォンと触れ合えたあの瞬間の愛しさを手放せない。唇を触れ合わせるのも身を許すのも、フォンだけがいい。
宝物だった時間が、自分を縛る呪いに変わっていく。
自分にも周りにも苦しさを振り撒くだけの、こんな感情は知らない方がよかったのかもしれない。




