9 ほんのひとときの逢瀬
お茶会のホストはめちゃくちゃ疲れた。
他にも気難しそうな貴族を何組か接待したけれど、国王夫妻に比べたら楽なものだった。
お茶会の終わりに国王がニゲラと話しに行き、王妃は母と少し立ち話ができたようだった。お互いの誤解が解けたならいい。
(国王様と王妃様は……、一度もお互いを見ておりませんでしたわね)
信頼関係を感じられないというより、お互いに口をききたくないくらい嫌っていそうな印象を受けている。
子どものころフォンと遊んでいた時には王妃にしか会っていなかった。遠目にしか国王と王妃が共にいるのを見ていなかったうちは気づかなかった。
その影響もあるのだろうか。国王がフォンに向ける視線には温かみを感じなかった。父と息子というよりも王と臣下、あるいはそれより遠い感じだろうか。
王妃からフォンへは期待が見て取れたけれど、一挙手一投足にマルバツをつけている感じがした。そんな印象は昔からあったと思う。
(フォン様……)
彼はどんな心境で微笑んでいたのだろうか。
誰もいない生徒会室に入ってソファで息をつく。時々生徒会メンバーが寄る可能性があるくらいで、そんなに人は来ないはずだ。自室に戻るより次の武術大会の会場に近いから横着した。
付き人兼護衛のミズキがお茶を淹れてくれたけれど、それに手をつける気力もない。
トントンと扉が叩かれる。
「はい」
返事をすると扉が開いて、フォンの付き人が顔を出した。その後ろからフォンが入ってくる。
「さっきはありがとう。お疲れ様」
「当然のことしかしておりませんし、粗相がなければいいのですが」
「あの人たちの前であれだけ立ち回れれば十分じゃないかな」
(あの人たち……)
フォンの言葉だとは思えないくらい響きが冷たい。
ふいにフォンがミズキを向く。
「きみ、アリサの付き人だよね? 少しだけ外してくれる?」
「申し訳ありません、王太子殿下。私はアリサ様の護衛を兼ねているので、王太子殿下のご命令であっても聞くわけには参りません」
「ミズキ、この部屋には他の人は入れませんし、進入経路になりえる窓もありません。フォン様は大丈夫ですわ。少しだけ外してくださいませ」
普段はこんなことは言わないけれど、それはフォンも同じだ。付き人に外してほしいと言われたのは初めてだから、何か理由があるのだろう。
「……かしこまりました」
「ごめんね。僕の方も外させるから」
フォンが言って視線を向けると、白髪のフォンの付き人はただ頷いて部屋を出た。ミズキが続いて扉が閉められる。
「フォン様、改めてどうなさ……」
言い終わるより早く、その腕の中に抱きこまれていた。
「……ごめんね。少しだけこうさせて」
耳に落ちる囁きに、伝わる体温に、今にも心臓が爆発しそうだ。
(少しだけ……)
ほんの一時、2人きりになれた今だけは、学友の距離を保たなくてもいいということだろうか。
おそるおそる腕を回して、そっとフォンを抱きしめる。と、背に回された腕に力がこもった気がした。
(このまま時が止まってしまえばいいのに)
この先には何もないのはわかっている。日常に戻って、そして、自分はニゲラの元に行く。
そうなったら、フォンはどんな顔をするのだろうか。そう思うと息ができないくらい苦しくて、何度も決意した最善が揺らぐ。
「……エマ」
大切そうに特別な名前を呼ばれる。
(今だけ……)
今だけなら、いいだろうか。
「シオン」
フォン・シオン・テオプラストス。彼の特別な名前を呼ぶことは生涯ないと思っていた。けれど、今だけ。お互いに特別だと錯覚しても許されるだろうか。
フォンが腕を緩めて、顔が見える位置になった。視線が絡んで、目が離せない。
「イヤなら抵抗して」
かすかにそう聞こえたのと同時に、ふわりと唇が重ねられる。
(???!!!)
ほんの一瞬触れあっただけなのに、全身が悦んだような多幸感があった。息ができない。
再び強く抱きしめられる。
「エマ……。ごめんね。僕はどうしようもなく身勝手だ……」
「……フォン様……?」
「シオン」
「……シオン」
そう呼ぶことを求められた感じがした。世界がパステルカラーに塗り替えられていく。
耳元で愛しい音の囁きが続く。
「きみを巻き込みたくないのに……、きみに認められたのが、他の誰に認められたのより嬉しくて……、手を取り合うのならきみじゃないとイヤだって思ってる」
(!!!!!!)
なんということを言うのだろう。そんなの、この上なく嬉しいに決まっている。
「シオン……」
好きと言う代わりに特別な音で彼を呼ぶ。見上げるとそこには、いつもの笑顔ではない泣きそうな顔がある。
「けど……、今のままだと、ただきみを巻き込んで危険な目に遭わせちゃうだけだから。本気でなんとかするから、待っててくれる?」
ドクンと、心臓がイヤな跳ね方をした。彼は影に立ち向かう決意を固めたのだろう。それは、彼がより一層の危険に身を投じるのと同義だ。なんとしても防ぎたい。
そっと彼の頬を撫でる。それが許される距離が愛おしい。
「あなたが安心してこの国を治められるように、わたくしはわたくしにできる最大限をするつもりでいますわ。
この先でどのような道を歩いても、わたくしの心はあなたの元に。それを信じてくださいますか?」
返事の代わりに与えられた2度目のキスは、少し長くて情熱的だった。
「きみが危ないのはダメだよ? エマ」
「はい。それはもちろん、お約束いたしますわ」
離れないといけないのがわかっていても離しがたくて、もう少しだけと抱きしめて甘える。
このほんのひとときはきっと、一生の宝物だ。




