料理を教えて
なんだかんだ、こちらに気を使ってくれたのだ。晩御飯を一緒に食べるのは――恥ずかしいので、せめて、スープの一杯だけでも食べてもらえないだろうか。返答を待たず、私はあらかじめ用意しておいたスープ皿にミネストローネを盛り付ける。
ふわっと香るオレガノの香辛料が食欲をそそる。緑の色合いも相まって、見た目だけならば店で出すものと遜色ないと私は思っている。モノトーンのランチョンマットに猫型の箸置き。さらにスプーンをコトリと置き、「どうぞ」と声をかけた。
「……いいの?」
私が頷くと、清水くんはカウンターキッチンの近くにあった椅子に腰かけ、「いただきます」といった。スプーンでそっとすくってふうふうと息を何度かした後、口元へ運ぶ。ウインナーを入れてあるので、パリッと心地よいした音がした。ほどよく煮込まれたニンジンも、うまみと彩りを足している。
食べているのをずっと見られているのはイヤだろう。さて私は他の料理を作ろう。
背後からの視線を感じる。とても緊張するからやめて欲しい。包丁を持つ手が震え、自分の指を切らないように集中した。
「大塚さんは……料理得意なの?」
「……わかりませんね。家族以外に食べてもらったことないから……別に普通だと思うんですけど」
「普通? これで? 美味しいよ、本当に」
ストレートに投げてくる嬉しい言葉。
……キッチンに立つのは嫌いだった。
包丁が怖いし、火も怖いし。でも――そのうちに自分で美味しいものをたくさん作れるって気づいて。これほどの幸せがあるだろうかってことにも気づいて。
「……ごちそうさま」
それだけをいうと、横でスープ皿を洗いはじめる。なるほど基本的に彼は静かで、人との距離が控えめなのかもしれない。少しだけ、清水くんに親近感を覚える。
終わった後にソファーに座りにいったかと思うと、思い返したように再び立ち上がり私の横に立つ。
沈黙が辺りを包む。
「……どうかしました?」
たどたとしい私の言葉に、清水くんはじいっと私の顔を見た。
コミュ力ゼロの私に、空気を読むという高度な技を求めないで欲しい。少しだけ不満を抱えつつ、考えていると――
「……よかったら教えて欲しいんだけど……」
とても言いづらそうに、清水くんは口を開く。
「何をですか?」
「料理。ここの人たち、って料理得意じゃないし……俺も、自分で作れるようになりたい。すごく、美味しかったから」
即答できず少し考える。私も得意、というか……別に腕前は普通だ。でも、チラリと見ると清水くんはとても深刻な表情を浮かべている。無下にもできない。包丁やピーラーはやろうとした証拠。料理をするきっかけがなかっただけなのかも。
「いいですよ、材料費をちゃんと出してくれるなら……」
「ありがとう、大塚さん」
お互い聞こえるか聞こえないかの大きさで、そういってから、すぐに玄関の扉が開く音がした。江口先輩だ。おもわず、目をそらしてキッチンの片づけの作業に集中する。食器を洗い終わった清水くんは、江口先輩に気づくと声をかけた。
「おかえり」
「ただいま~、なんだ。瑛太、帰ってたのかよ。……って、旨そうな匂いがするな、何作ってんの?」
タッパーにつめていたときに江口先輩に近寄られ、気まずい気持ちが湧き上がる。もちろん、あちらはそんな私の様子など全くもって意に介していない。いまだ痛み続ける心臓を無視すべく、私はすっと目線を外して食器を拭く。
「ミネストローネです。もう作り終わりましたので、キッチン使うならどうぞ」
緊張していたからか、少しだけ冷たい口調となってしまったかもしれない。
「使わねぇ。だって料理なんて面倒じゃん、コンビニいってこよ」
けれど江口先輩は、気にしないといった様子で、再び玄関から出ていった。残された清水くんは、怪訝な顔で私の方をチラリと見た。
「もしかして、あいつのこと……嫌い?」
ハッキリいってしまっていいのか、一瞬だけ躊躇した。でも、きっと誤魔化した方がいいだろう。フラれたことを、いまだ引きずっているなんて、先輩にとっては迷惑でしかないのだから。
「いえ、別に……」
それだけが、精一杯だった。嘘を上手くつくこともできず、中途半端な対応になってしまって、私は清水くんの視線を振り切るように部屋に逃げ帰る。
バタンと部屋の扉を閉め、扉を背にしゃがみ込む。
心から情けなくてあふれ出そうになる涙を、袖でぐいとぬぐった。