清水くんはもしかして。
想像以上にトラブルもなく、入居してから3日目の夜。
みんな帰宅時間もバラバラだし、基本的に挨拶程度しかしない。杞憂だったかと安堵しつつ、過ごしやすいシェアハウスに、正直にいうと私としては満足していたのだ。……この日、までは。
さて、今日は料理を作ろうとキッチンに立つ。今のうちにたんまりと、つくり置きをして食費を浮かそう。まずは、と大学からの帰り道、スーパーによって買ってきた食材を並べる。
玄関がガチャリと開く音がした。
「ただいま」といった先を見ると清水くんだった。黒い髪の毛を片手でわしゃっとしながら、少しだけ眠そうに目をこする。すうっっと私の後ろを通っていく時に花みたいな香りがほんのり鼻に届く。「おかえり」とぎこちなく返答し、料理へと視線を戻した。すると清水くんは、荷物だけを置きに自室にいったのか、すぐさまキッチンへと戻ってきた。
「大塚さん、料理するんだ? 何を作る予定?」
「……とりあえず晩御飯を、ポトフかミネストローネですかね。あとは作り置きをいくつか」
「そうなんだ……」
そのままじっと私を見てきたので、なにごとかと私も清水君を見返した。挙動不審になっていたかと思うけれども。私は視線を振りきるように包丁を探してみる。
「えっと、包丁とピーラーはたぶんその引き出しにあるよ」
いわれて、私のお腹近くにある引き出しを探した。驚くべきことに、ケースから出してもいない包丁と皮むき器がでてきた。誰も、料理をしないのだろうか。そんなことを思いつつケースから出し、簡単に洗う。
――ううん、ラップもざるも見当たらない?
どうやら、足らないものがいくつか。
あちこちを探し回らないといけないらしい。
キッチンの見やすいところに置いてある鍋を取り出し、ざるを探した。
「ちょっと待って――紐がほどけそう」
「え?」
声をかけられ、私は動きを思わず止めた。
清水くんは後ろへと回ると、ぐい、と私の腰辺りにあったエプロンの紐を引いた。いったんほどかれ、紐はぐいと持ち上げるように再び引かれた。なんだか腰周りがやたらとくすぐったく、しゅっと紐を結ぶ音だけが部屋の中に響く。お互いの息遣いが聴こえるくらいの距離で、なんだか緊張してしまう。
「うん、これで大丈夫」
平然としているから、向こうはあまり気にしてないのだろう。むしろ、異性としてみなしてない……? そんなことを、思うくらいの。こんなことで顔を赤くしている自分がなんだか恥ずかしくも思える。振り返って目線を外しつつ、なんとか「ありがとうございます」と応えた。
「まな板いるよね、それはここ」
パタンと棚を開け、ビニール梱包されたままのまな板が出てくる。あるけど、誰も使っていないような。
「どうしてこれも新品……なんですか?」
「俺がそのうちに、料理をやろうかななんて思ってて――でも、結局買っただけだったけど……でも、やろうとは思ってて……」
言いわけをする子供のような声音で、清水くんは肩をすくめた。
「ありがとうございます、でもそれならなおさら、私が新品を使ってよかったんですか?」
「いや別に、構わないよ。このままじゃ置き飾りになっちゃうし」
不思議と清水くんはリビングのソファーに座ったまま、スマホを片手に動かない。私が何かを新たに探し始めると、立ってきて、「それはここ」と丁寧に教えてくれた。
……もしかして。
私が困ったら、いつでも手伝えるように、ここに、いてくれてる?
そう考えると合点がいった。
準備は万端となったので、さっそく材料を下ごしらえしていく。
トントンと軽快な包丁の音が響く。
軽めの春キャベツ。甘くておいしく、色合いも良い。そこに同じく柔らかな新たまねぎ出した。食べやすいように、四角くさいのめ切りにしていく。
トマトを入れるか、いれないかで迷う。半分をサラダにして、半分をスープに入れてしまおうか。入れるのはウインナーかベーコンか。結局まな板から細かく切ったトマトを入れた。コトコトとスープが煮込まれる。コンソメを入れ……味を整える。
味をみていると、清水くんは近くにきた。仕上げに入ったことを悟って、もう大丈夫だと思ったのだろうか、スマホをポケットにしまい、部屋の方向へと向かっていった。
「あの」
私が声をかけると、清水くんは振り向いた。
「よければ、ミネストローネ、食べませんか?」