清水くん編① ケーキを作りませんか?
「ケーキを作りませんか?」
俺の部屋を訪ねてきたのは、大塚さんだった。
先日からシェアハウスに入居した彼女は、明るくはつらつな女子・飯田ユキさんの親友だそうだ。料理が苦手な俺のために、よく一緒に作ろうと提案してくれる。
「どうして」
「あっ、でも……時間的に難しければ、今度でもいいです」
焦げ茶色の長い髪をかきあげ、細く白い指が星型の紙飾りに当たった。視線を落としながらも、少しだけ照れるように薄く笑う。
「多分大丈夫だけど、どのくらい、とか時間は」
「15分くらいですかね、あとは焼き時間が30分か40分。すごく簡単なケーキだからです」
そんなに簡単に?
じゃあこれから一緒に、と距離をつめようとすると少しだけ離れられる。
……まだ慣れないか。
俺たちがキッチンに行くと、すでにボウルなどの用意は整っていた。が。
「え? これだけ?」
並べられたテーブル上の材料の少なさに驚く。
「はい。グラニュー糖、サラダ油、卵と薄力粉です。泡立て機とケーキ型はどうせこれから自分で何度も作るので、この間買ってきちゃいましたけど」
手を洗って、「割ってくださいね」とボウルと卵を渡された。ガンガンとボウルの端で卵の殻を砕くが、殻が入り込んでしまう。慣れない。
「大塚さん……」
「大丈夫ですよ」
助けを求めるように大塚さんをみたら、ふわっと柔らかく笑った。心地よい声音。ボウルを俺から受け取り手慣れた様子でボウルの中の殻と黄身だけ取り出す。指示通りに卵黄を入れたボウルにお湯と油を入れた。泡立ててくださいね、といわれ慣れないハンドミキサーを使い軽くかきまぜた。
「あっ、そのくらいで大丈夫です」
前のめりになって近づいた大塚さんは、いつのまにか髪の毛を後ろで一つに束ねていた。次に移りましょうか、とボウルに視線を落としたままで。
ほんのりと花の香りが届く。先ほどよりずっと距離的には近いのだけど、料理に気が向いているから、そのあたりは気がつかないのだろうか。それか、俺のことを男だとは思わな……いや、なんだ?
思考を料理へと戻す。とりだしていた卵白をグラニュー糖を投入した。ハンドミキサーで混ぜて、みるみるうちに膨らんでいく。信じられないほど、ボリュームがアップしている。泡立っているというべきか。中身は空気、ってことだろうか。
「ほら、簡単ですよね。これだったら」
また大塚さんは優しく笑った。たぶん、これが彼女の素なんだろう。他の男性には見せない――と思うとなんだか特別感があるような。いや、俺、ちょっと今、また何を考えて。
「じゃ、ざっとなじませるように2つのボウルの中身を混ぜてくださいね」
あれだけの、材料だったのに型に流しこんで、ちょうどだった。2人で静かにリビングで課題をしながら待つ。気になって何度も大塚さんをみてしまう。彼女はこちらに視線を一切向けず、黙々と課題をこなしていたけれども。
キッチンにはパンのようなものが焼ける香りが広がる。焼き上がるオーブンの音が響く。
冷ましてでてきたのは――シフォンケーキだった。本当にできるのか不安だたけれども……少なくとも見た目は大丈夫そうだ。
「どうしてケーキを突然?」
思わず疑問が口をついてしまった。
「ひとりでホールケーキを食べたい、っていってたから。これだったら材料費も安いし、簡単だし……できるんじゃないかなって思って」
また笑った。
生クリームをかき混ぜ、カットしたシフォンケーキにかける。あたたかな湯気と生クリームが溶け合う。抜群においしそうだった。
「……次は、1人で。がんばります」
「いつでも一緒に作りますよ」
たとえセールストークだとしても嬉しい。向かい側に座って、大塚さんは静かに食べ始める。そういえば紅茶も買っていたことを思い出し、ティーポットを軽く洗ってお湯を沸かした。席に戻り、大塚さんの前にダージリンティーを出して、ありがとうございますと小さくいわれる。じっと紅茶を眺めて、大塚さんは口を開いた。
「……紅茶のシフォンケーキもいいですね」
「ん、そんなのあるの?」
「はい、簡単です。ほとんど一緒です、というか茶葉を入れるだけだし」
「じゃあ、今度一緒に作ってくれる?」
「もちろんです」
はい、と今日は何度も笑っている。自分では意識をしていないのだろうか。心がなんだかむずがゆく感じる。最初を思い返すと、ずっと俺たちの関係性はシェアハウスの同居人らしく、くだけてきている。向かい側に座って、食べれるくらいには――っと。
「クリームついてる」
大塚さんの頬についていた白いクリームをぐい、と指でぬぐった。ティッシュで指を拭き、視線を大塚さんに戻すと、顔を赤くし先ほどまでの笑顔はすっかり消えていた。
「ありがとうございます……」
……やってしまった。
さっさとティッシュを渡せばよかった……。
どうも砕けすぎると距離を置かれてしまう、気を付けないと。
じゃあ食べ始めよう。シフォンケーキをフォークでカットし、口へ運んでいく。ほんのりあったかい熱と混ざり合う生クリーム。口の中でとろけ合って、絶妙な甘さだった。甘過ぎたらどうしようかと思っていたら……。
「おいしい」
「丸ごと1ついけますか?」
「余裕で」
大塚さんは俺の顔をみて、またも嬉しそうに笑った。
すごく癒される笑顔で。
たぶん、本人は意識していない。
きっと俺の小学生時代の失敗を、取り返そうとしてくれたのだろう。ほんわりと温かくなる心の中は、優しさに満ちていた。
その日食べたシフォンケーキは、いつか俺が食べた誕生日ケーキや……いや、いままで食べたどんな高級なケーキよりも――ずっと――ずっと、美味しく感じた。
 




