少しの進歩
ガチャリと玄関が開けられた音で、私たちはバッと離れた。
やってしまった。
……トンでもないことをやらかしてしまった。
「ただいまあ」
この声はユキちゃんだ!
天の助けのユキちゃんだ!!
持つべきものは、ユキちゃんだ!!!
キッチンから玄関までを全力ダッシュして、「おかえり!」と抱きつく。
「美奈、どしたの」
抱きつき黙ったままの私を、いつも通り撫でてくれる。
「瑛太くんも、ただいまぁ~」
「……おかえり」
私たちの様子の変化には気づかなかったのか、ユキちゃんはキッチン台の上に置かれたタッパーを見つめている。
「ああ、二人で料理作ってたんだ? いいね、私も今度一緒に作るのお願いしようかな。美奈って結構料理上手いよね」
そういってユキちゃんは「暑い」と、泣きそうな私をむりくり引き剥がし、非情にも部屋へと戻っていった。
気まずい空気の中で、どうしようか考えていた直後にまた玄関が開かれ、ひょっこりと江口先輩が現れた。
「ただいま、……ってまたあんた料理作ってるの? って……瑛太まで?」
私の体が思わずこわばる。
そのちょっとした私の異変に気付いたのか、清水くんは傍に立ちポンと軽く肩を置かれた。
「おかえり、江口」
「おかえりなさい、江口先輩。は、はい……一緒に作ってます」
がんばって、下を見ながらだけれども普通の口調で声を出した。相当に小さい声だったけれど。でも、清水くんのフォローに救われたのは事実だ。
「俺もやりたくて料理作ったけど思ってたよりかは難しくなかった。……次から3人で作るか?」
「……んー、瑛太が上手くなったら、俺も考えよっかな。でも面倒だよなあ」
そういって、「部屋戻るわ」と、片手をあげ先輩は去っていった。はあ、とため息をついた後、清水くんは口を開く。
「……できたね」
その言葉が私の心に沁みわたる。
そう、間違いなく言えた、おかえりなさいも、ほんの少しだけの会話も。
「……ありがとう、ございます……」
私の心は少しだけ楽になった。
うん、そうだ。
江口先輩に少しだけ挨拶できた。
私は少しずつ、本当に少しずつだけれども、私は、進んでいる。
「……本当に、ありがとうございます」
じんわりと心が少しずつ温かくなっていき、清水くんの顔を少しだけ見る。
すると彼はとても、優しい表情を浮かべ、
そのまま――
そしてそれ以上何も言うことなく、
ただ静かに私を見てくれていた。




