相撲部屋の豚
「えー、これからうちの相撲部屋は養豚場も兼業することになるから。そういうことで、よろしく」
おれは驚いた。以前、親方がおれたちにそう言ったときは、いつも気難しそうな顔をしているのに、うちの親方もなかなか面白い冗談を言うんだなぁ、と思った。しかし、まさか本当に豚を育てることになるとは。
なんでも知り合いから良い豚を安く手に入れたらしい。うちの相撲部屋はおれ含めてたった四人しか所属しておらず、最高位は幕下。それも先輩一人だけという、自他ともに認める弱小相撲部屋だ。ゆえに後援会の援助も期待はできず、金に困っていたのかもしれない。養豚場の話は我々を豚だと揶揄した皮肉とさえ思ったが、ある朝、稽古場を乳離れした八頭の子豚がうろついているのを目にし、さらに親方から豚たちを家族のように扱えと言われ、これは夢でも何でもなく親方は本気なのだと、おれたちは思い知った。
稽古場には土が足されて、豚が寝転がれるようフカフカの状態になった。さすがに神聖な場所である土俵はきちんと整備しており、大事な豚であっても、そこには一切入れさせまいと、みんな意志を固くしていた。しかし、親方の目を盗んで土俵の上で取組もどきのじゃれ合いを始めるまで、それほど時間はかからなかった。
豚は何でも食べるとは聞いていたが、ちゃんこ鍋の材料から出た野菜のくずなどをモリモリ食べているのを目にすると面白く、他にもいろいろと与えてみたくなった。先輩が激辛のお菓子を与えると、豚が「グエェ」と鳴き、それを見てみんなで大笑いした。しかし、おれたちは決して豚を疎ましく思っていたのではなく、風呂に入れてやったり、一緒に寝たりしてとても可愛がっていた。
豚の人気は、おれたちの間だけに留まらず、豚と一緒にその辺をぶらりと散歩すると、通行人、特に女性から「触らせて」と声をかけられる。なので、最初は世間や他の相撲部屋のいい笑い者だと思っていたおれたちだったが、誰が散歩に連れて行くかでリードの取り合いになることがしょっちゅうあった。
時には稽古部屋と隣接している風呂場の蛇口とホースをつなぎ、稽古場に放水して、豚と一緒に泥遊びをした。
豚がここに来たときは、生後約二週間で体重はわずか十キロ程度だったが、ひと月でおよそ三倍の三十キロになった。そこからさらにひと月が経つと、体重は六十キロになり、「良い稽古相手だなぁ」というのは冗談でもなくなってきた。
豚は一般的には(おれたち力士も時にそう言われるが)デブの代名詞に使われることが多く、おれもそういったイメージを持っていたが、実際は筋肉質で、触れ合ってみるとそれがよくわかる。
その頃になると親方は、豚を土俵に上げることを注意するどころか、率先して豚と取組ませるようになった。
ただ、それは運動不足にならないようにと、おれたちよりも豚の健康を重んじてのことかもしれない。
豚がここに来てからおよそ半年が経ち、その体重が百キロを超えたとき、親方はいつも以上に苦い顔をして言った。
「……出荷だ」
出荷当日。わかっていたはずだが、相撲部屋の前に停められたトラックを見て、先輩もおれも泣いた。親方も泣いた。
豚たちを乗せたトラックの後ろ姿を見送り、部屋に戻った後も言葉を忘れたかのように誰も口をきかず、やがて稽古の時間になっても、おれたちは誰一人として稽古に励もうとしなかった。床に横になったり、稽古場の隅に作った泥遊びコーナーに足先を入れ、べちゃべちゃと足で泥をこねたりして、各々いなくなった豚たちに思いを馳せていた。しかし……。
「なに! 豚が!?」
親方の大声を聞いたおれたちは飛び起きた。
どうやら豚が大暴れし、トラックから逃げ出したらしい。テレビを点けると速報のテロップの下、画面の中で豚たちが通行人と相撲を取っていた。
そのまま豚の何匹かは逃げ果せ、捕まることはなかった。
その後、しばらくが経ってからこの近くで豚を見たという話を耳にした。だからきっと元気でやっているのだろう。ただ、子豚を連れていたという話には、みんな一様に顔を下に向けるだけで、誰もある疑問を口にすることはなかった。雄豚はすべて去勢されており、この近くに猪が出る山などないのになぜ、と。
おれもまわしを触り、位置を調整した後、黙々と稽古に励むのだった。