復習、そして予習
あれから、エスポフィリア王国に一年の時が流れた。
「――わざわざお越しいただきまして、感謝の極みにございます」
南西の小さな村に、ルミナーラはいた。両脇にはファートとイニムが控えており、村の端に馬を繋ぐと、三人は静かに村の中のとある民家を訪れたのである。
一人の中年の男性が恭しく出迎えた。鼻筋の通った、日に焼けた男だった。
「そうかしこまらずとも良いケマー。むしろ私は謝らなければならない。君の父を……私は守れなかった」
ファート達は表に残り見張りをしていて、ルミナーラだけが一人中に入るとお茶でもてなされた。
しかし、お茶に口をつけるよりも先に、ルミナーラはその小さな頭を下げた。
「すまない。本当ならもっと早く来るべきだったのに、こんなに遅くなってしまった。そのこともお詫びしたい」
ケマーと呼ばれた渋みのある中年男性には、エッジの面影が残っていた。
ケマーはルミナーラに顔を上げるように促すと微笑みを向けた。
「ルミナーラさまがお気になさることではありません。お話はフーリィさんより伺いました。父も、最後にルミナーラ様をお守りできたことは星になった今でも誇りに思っていることでしょう。もちろん、私も誇りに思います」
そうか……。――ルミナーラがそれ以上の慰めるような言葉を言うことはなかった。
「……君たちの生活は保障する。どうだ、父に代わり、王都で政治に携わってくれないか?」
「私がですか?」
「うむ。姉上が仰っていたのだ。ケマーは優秀な文官だったと。かつては南西地域の町や村を包括的に統治していたと」
その職を追われた理由は、今改めて口にすることはなかった。したところで、ルミナーラも、ケマーも互いに辛い記憶をよみがえらせる結果になることがわかっているからだ。
「誠にありがたいお言葉ですが……私は静かに父の墓を見守りたいです」
「そうか……。ならば命ずる。ケマーよ、ロウマ平原にエッジの石碑を立ててくれぬか? 私や姉上も、折りに際してエッジと語り合うための場所が欲しいのだ」
「かしこまりました。謹んでお受けいたします」
頭を下げるケマーに向けたルミナーラの表情は、どこか諦めにも似た微笑だった。
「ルミナーラ様、この後はどちらにいくっすか?」
繋いだ馬のもとへ戻ると、ルミナーラはベージュ色の外套を被った。
お忍びの旅でもあるようで三人とも王族の煌びやかな服や鎧兜とは縁遠い、民の素っ気ない格好をしている。
「うむ、ここから北へ向かい、ロウマ平原でエッジを参ってから、ホリックの町、そしてルインズの村に向かおう」
「旧争乱の跡地ばかりなんだぬ」
「ああ。姉上の力による大地の浄化。その後の視察だ。『王家のあやまち』の修復作業も気になる」
今は主に旧ルインズ地区の人々を雇う形で窪地の復旧が行われている。
「それと……もう一つ、気になる噂がある」
「噂っすか?」
「なんでも……女神が出現したと言われている」
「め、女神っすか!?」
「それってもしかして……セイマなんだぬ!?」
セイマに付き添ってしばらく行動していた二人は、女神という言葉を聞いて、すぐにピンときたようだ。
「時折グライフ様もいなくなっているようだからな」
ルミナーラは微かに口角を持ち上げてみせた。
「もしそうなら、ぜひ会いたいのだ。……話したいことが、いっぱいあるからな」
ルミナーラは手綱を引くと、青い空と白い沢山の雲の下を走り出したのだった。
タウカン少尉の男爵家は、一挙に公爵家へと駆け上った。
議会政治では『議長』という立場を惜しみなく濫用しようと少し偉そうな態度を取ろうとするのだが、プレア、それにリーナに常に睨まれているので、もどかしい毎日を送っている。
「――ようしわかった。ここは俺が議会の意見としてプレア様にビシッと言ってやる」
ただ、そのままでは王家の言いなりとでも揶揄されそうなものだが、存外プレアにも意見する時はするので、他の貴族連中からは一目置かれているらしい。
「――リーナ師団長!」
臨時にこしらえられた謁見の間に兵士が飛び込んでくる。
王城の再建には時間がかかり、もう一年は必要だと言われている。
先の争乱と違い、この度の魔王再誕の乱では、町村や民の被害はほとんどなかったため、復旧作業に取り掛かることはそれでも早い方だった。
今は半分残った城の残骸を、どうにか補強して、雨風をしのげる程度にまで修繕して使っている状態だ。
まずは城よりも、王都の町の復旧を急ぐようにプレアが命を下したのだ。
「今度はなんだ?」
リーナは今日も変わらず苛立たし気に答えた。
「はっ! 旧第三師団の残党が、第七師団を襲撃。港を占拠しようとしているとのこと。現在、第二師団長フーリィ殿が兵を連れて向かっております」
「フーリィ殿がいれば問題はないだろうが……、念のため第六師団も応援に向かわせろ」
「はっ!」
第三師団を筆頭に、プレア、そしてリーナ第一師団長兼護衛隊長が王国を牛耳ることを面白く思わない連中が大なり小なり存在していた。
最初の半年でかなり駆逐したのだが、それでも未だに山賊・海賊まがいのことを犯している連中がいる。特に第三師団は師団長を間接的にリーナに討たれたものだからその反感は強い。
そのことも含め、当初は新たに第一師団師団長になることなど、未熟な自分では無理だと断ったリーナだったが、説得したのはプレアだった。
「アタシが国王代理になるわ。ルミィが成人の儀を迎える十五歳になるまで代わりにね。アタシと一緒にこの国を守ってくれる人が必要なの。わかる?」
どこか高圧的な言い方ではあるが、自分が必要とされていることを真っすぐに伝えられて、リーナは胸が熱くなるのがわかった。
だがその熱だけでは、冷めた彼女の心を全て元に戻すには足りなかった。
「で、ですが、私はまだまだ未熟で……歴代の師団長のような実力はとても……」
自分で言っていて悔しいのか、リーナは口の端を噛みしめた。
俯いた彼女の視界に、プレアの、白い手袋をはめた手が現れ、リーナの籠手に包まれた手を取った。
「力だけじゃないの。今この国で、アタシが心を置ける相手は、ルミィの他にもう貴女しかいないのよ」
気丈なプレアの、初めて弱さを感じたその言葉に、リーナは顔を上げたのだった。
「ちぃっ! まぁったく、しつこいわね。今なら大人しく降参すれば、罪は流すって言ってるのに!」
仮初の玉座――は今も空席で、その近くにどこかから持ってきた簡素な椅子を置いてプレア国王代理はいつも座っている。
下唇を突き出し舌打ちをする国王代理はとてもではないが民には見せられない。
「予想はしていましたが、このまま内乱が長引いては他国につけ入られてしまいます」
進言したのはトリヒス第三師団長だった。
ルミナーラと共に挙兵した他の家臣たちも新しい王国体制の中で要職に就いている。
トリヒスは、彼もまた当初は自分はもう歳だと辞退したのだが、こっちはこっちでルミナーラに懇願されて断ることができなかったらしい。
「私が向かいましょうか?」
「いえ、トリヒス殿には先日帰国して頂いたばかり。第三師団の面々も、いくら付き添いだけで戦はなかったとはいえ、そう遠征が続けば疲労が重なってしまいます」
トリヒスは、海を渡って隣国のアイラグナス王国に先日まで外交に出向いていたところなのだ。王国の体勢の安定をアピールするためでもあり、一時期敏感になっていた関係性の修復を行ってきたところである。
「それを言うなら私も現場に出向きたい……しかし……」
王都を開けるわけには……。――リーナの歯がゆさが握る拳にも伝わっていた。
王家護衛隊は、王や王妃そして王城、ひいては王都の守備の要でもある。
兼任しているがそれはあくまで台所事情によるところだ。ただでさえ先の争乱の傷跡も満足に癒えていなかった王国にはあまりにも人が足りない。
タウカンを、とも一瞬考えたが、彼の実力では到底勤まるものではなかった。
「誰か……もう一人いれば、護衛隊長を任せられるのだが…………」
リーナは青い空を見上げたのだった。
青い空に白い雲がぽかりと浮かんでいる。
小鳥のさえずりがどこかから聞こえ、川のせせらぎと重なり合う。
そんな静かな音楽に、足音が混ざってきたので、イサミは閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
「こんなところがあったのね」
やってきたのはアイサだった。
校舎の裏には川、そして穏やかな平原があった。というよりもこの不思議な空間ではいつでも理事長の思うがままに作られ、また破壊されていくのかもしれない。
あまり深くは考えないようにして、イサミは土手で一人寝ころんでいたのである。
無事に取り込まれていた力が戻ってきた理事長は、あの幼い姿を見せることは無くなった。
「ご苦労だった。次の任務があるまで、休んでおけ」
教室に戻ってきた三人を出迎えたのは理事長のそのたった一言だった。
「……え? そ、それだけですか?」
セイマが呆れた様子で言ったが、
「まぁそんなものじゃない? お金や地位があるわけではないし」
アイサは嘲笑するように言った。
イサミも特に望んでいたわけではなかった。
「欲しいものや食べたいものがあるなら速水に言ってくれ。できる限り用意しよう」
最後にそう付け足されたが、その時は誰も、何かを要求する気になれなかった。
イサミはその日、自分の部屋に初めて入った。
簡素なベッドが置いてあるだけの部屋。
そこに顔を埋めて泣いた声がアイサとセイマにだけは聞こえてしまったのだった。
アイサがその隣に座るのを待ってから、イサミは尋ねる。
「セイマは?」
「あの子はまたあの世界に行ってるわよ」
「またか。おかげでみんな元気そうだってことが分かるのは有難いけど……」
「グライフさんと女神の仕事をもう少しやりたいらしいわ。あの子、女神なんて呼ばれる日が来るなんてって喜んでたから」
「そんなに嬉しいのか? 女の子は女神って呼ばれるのが」
「私は全然興味ないし、多分違うわよ。あの子のこと知らないの?」
「へ?」
「あの子、昔は妖の類だったみたいよ」
「――さぁ、みなさん。神のご加護ですよ。一緒に歌いましょう」
エスポフィリア王国の南東のとある平和な村に、セイマこと女神様は降臨していた。
デューク先生に新調してもらった白いローブと背中の羽は、いかにもな女神の姿だった。何かをモチーフにしているのかセイマにはどこかで見た記憶があった。
なお、羽はあっても飛べないようで、移動は常に聖獣グライフに任せている。
「おお、女神さまのお歌が聴けるぞ!」
何も知らない民たちは、ありがたさが爆発して涙を流していた。
だが、それも最初の一声まで……。
ホゲェウェ~~~♪
「……あれ?」
一人満足した女神セイマは歌い終えてから、自分の目の前に死屍累々――ではなく民たちが気絶して倒れていることに気付くのだ。
「あちゃ~。私またやっちゃいました?」
『……』
後ろに控えていた聖獣グライフも何も答えない。
「私の歌、よっぽど気持ちいいんですね。みなさんいつも歌い終えた後眠っちゃってますし」
『!?』
「ま、いっか。ちゃんと新しい国王……って言っても代理ですけど、私とグライフさんの加護がある由緒正しき王家だって伝えはしましたしね」
『そ……そうですね』
グライフは、聖獣らしく、今は王都の北にある旧聖域――カージョン王の霊廟を根城にしている。
念のためにと結界をいつでも展開できるようにするためだそうだ。
王都の復旧よりも霊廟の建築が急がれたのは、王の訃報を聞き、国内から多くの参拝者が訪れたことが理由である。
やはりエスポフィリア王国の多くの民は、勇者に世界を救われたことを感謝していたのだろう。
「さて、今日はもう一つくらい周りましょうか」
『レニのいるアルの村を訪れるのはどうでしょう?』
「あ、それいいかもですね。最近お会いしてませんでしたし、この前行った時にはレニさんの相手ばかりでそれどころじゃなかったですから」
レニは、あの後ルミナーラから真実を特別に教えてもらった。
未来永劫、誰にも他言は無用だという条件の下に。
告げられた直後のレニは、酷く泣いていた。
イサミにとても悪いことをした、と。
会って謝りたい。だけどもう自分には会う資格などない、と膝から崩れ落ちた。
だが、ルミナーラが言った。
「君と、君が大切にしていた勇者の姿を大切にしようと思ったからこそあんな言い方になったんだろう」
「――あ、セイマさん」
「しーっ!」
再会したばかりで、セイマは慌てて人さし指を立てる。
「私の名前は秘密です! それに私たち、一応生け捕り対象なんでしょ!」
「あ、そうでした」
レニはぺろりと舌を短くだして茶目っ気をみせるほど、すっかり明るさを取り戻していた。
「今日は……その、イサミさんは……」
頬を赤らめながら、視線をあちこちに彷徨わせながら、耳に髪をかける。
そんなレニに、セイマは苦笑いを浮かべた。
「あの二人は……まだ時間が必要なんだと思います」
「そう、ですか……」
しょぼんと肩をすくめてしまった。
「あ、その、そういう落ち込んでるとかじゃなくて。多分本当は、この国の為に色々したいんだと思いますよ。でもやっぱり、私たちはこの国の……この世界の人じゃないんで。遠慮っていうか……これ以上は関わらないようにしようと思ってるんですよ」
自分のことは棚に上げてセイマは言った。
「そうなんですね……。それでもレニさんは来てくださるとは……やっぱり女神様は違いますね」
「もっともっと、この国が落ち着いて、本当の意味で平和になったら、一度くらいは連れてきます。きっとイサミさんも会いたいと思いますから」
――わかんないけど。
「わぁ、本当ですか!? ありがとうございます!」
レニは目を輝かせた。
「レニさんってホント……」
「はい? なんでしょ?」
「……いえ、なんでも」
――アイサさんは、
「年頃のレニの近くに若い男が徴兵されていなかったから、たまたま若いだけのイサミくんに出会って勘違いしたんじゃない?」
って言ってて、イサミさんも「そうかもな」って言ってましたけど……違うんじゃないです?
まぁ私には人間の恋する気持ちなんてわかりませんけどね。――
ちなみにレニの父であるコナッツ氏は、娘が王都よりタウカン少尉たちに連れられて戻ってきてからというもの、しばらくは虚ろな表情を浮かべたまま、
「イサミさん……」
と悩ましいため息を吐き、またある時には、
「どうして……信じてたのに……」
などと言った悲しい独り言をつぶやくばかりだったので、次にイサミと出会ったら悪戯に娘の純潔を穢した恨みで殺してしまうかもしれないと悩んでいるようだ。
「……まぁ、期待せずに待っててください」
「お願いします。私もその時までには完成させますから」
「へ? 何をです?」
「あ、これなんですけど」
とレニは一冊の紙の束を取り出した。
「絵、ですか?」
「紙芝居なんです。私、皆さんの活躍を描いたんです!」
レニの目が爛々と輝く。
「ええ!? レニさん、言われなかったんですか!? 私たちのことは秘密だって」
「ええ。だからお話にしてみたんです。不思議なことが起きても、お話の中なら本当だって思わないでしょ? でも、私が色んな所でこのお話を広めれば、みなさんの名前は伝わっていく……ステキじゃないですか!? 私、これをいずれ王都で観たお芝居みたいに、演じてもらうのが夢になりました」
「そうですか……。うん、それならいいと思います。私が許しましょう」
女神は小さな胸を張る。自分が非公式の存在であることもやはり棚に上げていた。
「ありがとうございます!――あ、そうでした。セイマさん」
「はい?」
「先日、あなたを探してる方がいらしたんです。今頃はリーの町に向かわれてるかと」
女神セイマはその後、アルの村でもオリジナルの歌をうたい上げ、村人たちの目を白黒させると一人満足げに微笑んだ。
そして、レニから教えられて、アルの村から向かうのはリーの町。女神セイマにとっては懐かしい始まりの町だった。
その町が見えてくる…………よりも早く、見えてくる一人の影があった。
なにせあの巨体が隠れることは難しく、またセイマは忘れていなかったのだ。
「ルルウバンさん!」
と呼びかけた声に振り返り見降ろしてきたルルウバン元師団長は、すっかり見違えていた。
背の高さは変わらず、ちょっとした木々よりも高いままだったが、あの時よりさらにやつれていた。あの時禿げ上がった頭は微かに毛が生えてきたのか青くなっており、石でも被ってるみたいだった。
しかし、その瞳には澄んだ輝きがあった。
「おぉ……」
セイマとグライフだと分かると、ルルウバンは感嘆の吐息を漏らす。
「このような場所で女神さまに会えるとは……まさにお導きの通り……」
両膝をがくりと地面に着き、左掌に右手の拳を当てるこの国独特の礼をしてみせた。
「あれからどうされていたんですか?」
「旧戦場跡地へ赴き、戦いに沈んだ者たちの魂に祈りを捧げておりました」
優しい声でそう言った彼はほろりと涙を頬骨の上に転がらせる。
「そうですか……。いいお顔をされてます」
セイマは何だか嬉しくなったようで、にこにこしていた。
「いえ、まだまだ修行の身でございます」
どこかで施されたのか、薄い布をいくつか重ねて体に巻いているその姿はすっかり僧侶のよう。
「ご立派になられて……。あ、そうだ。ルルウバンさん、実はお願いがあるんです」
「女神様が、ワタシにでございますか?」
ルルウバンは痩せこけた頬を縦に伸ばして驚いてみせる。
「はい。王都を見守られているグライフさんが、」
とセイマが振り返り見上げると、グライフも喉を鳴らした。
「今の貴方にならお願いしたいことがあると仰ってます」
女神の勧めでルルウバンが王都に戻り、プレア国王代理の護衛隊長に就任するのはもう少し先のことであった。
「――に、二回目!?」
イサミは思わず寝そべっていた上半身を起こした。「せ、セイマって転生二回目だったの?!」
「みたいよ。あんまり詳しくは聞かなかったけど、かつては妖というか魔の存在で……それこそ、英雄だかなんだかに浄化されて、転生してたみたいね」
――あの小柄でふんわりした感じのセイマが……!? ……あーでも、時々こう、なんていうか雰囲気に似合わない言動あったし、最後なんてもう完全に人格変わってたけど……マジか。
「そ……それで、普通の人間になった……と?」
「普通って何?」
「いや今そういう哲学的なの要らないだろ」
「今回のことに際して、無理やり魂引き抜かれたみたいよ。理事長と、おそらく白衣のおば様にね」
「あぁ、あの……」
イサミは斜めを見上げてその存在を思い出す。今となっては、今朝見た夢のようにおぼろげにしか思い出せない。
「あの人、何者なんだ結局……」
「さぁ。もしかしたら、神様かもしれないわね」
アイサが素っ気なく答えた。
「え!? あの人神様だったの?」
「あくまで予想。そんなことができるなんてそれくらいの存在じゃない? っていう」
「はぁ……」
「セイマの持つ潜在的な妖しい力を、いずれ何かの役に立つとばかりにストックされてたんだと思う……ってセイマが自分で言ってたわ」
――そういや、デューク先生も最初からセイマの力が凄いみたいなこと言ってたな。
「セイマは最初相当嫌だったみたいよ。せっかく平和な世界でのんびり生きてたのに、いきなり奪われた挙句、また血生臭い生活をするのが」
アイサは土手に投げ出していた足を組み替えた。右足首の上に載せたローファーを履いた左足のつま先を前後に揺らしていた。
「なるほどなぁ……それならあの時泣いてたのも納得かもな。まぁ今は吹っ切れたんだろ?」
「多分ね。ていうか今はその反動と言うか、女神、なんて言われるのが嬉しいらしいわよ。魔の存在から聖なる存在に変わったのが」
「……あいつ意外と単純だな……」
イサミは白い目で苦笑を浮かべるのだった。
「……イサミくんも吹っ切れたのかしら?」
アイサが目だけを動かして、隣に寝ころんだままのイサミと視線を合わせた。
イサミは逃げるように視線を川の流れへと戻す。
「うーん……正直に言って微妙」
「戻りたい? 地球に」
川で名も知らぬ小魚が一匹跳ねた。ちゃぷりとくすぐったい音を立てる。
「……実は前にさ、理事長に見せてもらったんだよ。ほら、理事長たちに俺たちの目的を教えてもらった時にさ。俺が戻った時の世界っていうか……死ななかったらどうなっていたか、を」
イサミは土手に寝そべりながら、流れゆく雲を見つめる。
「あら、そうなの?」
「……つっても、俺の体はやっぱり病気が進行してくし、寝てばかりだった。妹のあかりが自分の青春を投げ捨てて俺の看病してくれてさ……。泣いてばかりだったよ。はは、情けねぇ。……結局俺は、成人を迎える前には死んでた」
何も知らない鳥が、囀りながら二人の頭上を飛んでいく。
「あかりは最期の最期までずっと泣いてた。でもそれは……俺が自分で死を選んだ時もそうだったみたいだけど。でもその涙には、別の意味があるんだろうなって……思いたい」
ピリオドを打つように、イサミは再び瞼を閉じる。
一匹の蝶が彼をからかう様に、慰めるようにひらひらと舞い、イサミの組んだ足の膝に止まった。
アイサは耳に髪をかけながら言う。
「理事長も厳しいのね。都合よく、健康な状態の姿は見せてくれないとか」
「まぁな。自分で選んでおいて、今更そこだけってわけにはいかねえみたいだぜ」
イサミは自分の腕で目元を覆った。
「だけど、わかんなくなってきた」
「何が?」
「確かに俺は自分で死ぬことを一度選んで……誰かを悲しませるような形になるのはダメだった。それこそ死ぬほど後悔したよ。だけど……自分の人生、自分の好きなように生きてみたかった。まぁ、ははは……、それで死を選んでちゃ世話ねえけど。でもあの時、俺にはもう、そこしか自由にできることなんてなかった気がしてさ……」
「そうね……」
アイサが今度は右足を左脚に乗せながら言った。
「自ら死ぬっていう行為自体は、決して褒められるものではないわ。だけど私は、そう考えることしかできなくなってしまった人を、突き放したくはないわね」
「アイサ……」
イサミは腕を外してアイサを見た。
彼女は真っすぐに川の流れへと目を向けていた。
「一個人が知ってる世界って、狭いでしょ?」
「……まぁな。それこそ、まさかこんな世界があるなんて、とても知りようがねえよ」
イサミは周囲へと目を向けながら、鼻で笑った。
「それがわかれば、別の場所に行くこともできるかもしれないけど、それは、簡単じゃない。不安や恐れ、痛み辛み……色んなことが視界を奪い、人の心を暗くて狭い場所に押し込もうとしてくる。でもそれを他人は簡単には知ることができない。……誰だって死にたくはないわ。だからそれが、良いことではないのは分かってるのよ。だけどもうそれしか手段が考え付かなくなってしまう人がいることを分かってあげられたら……またその人は違う生き方を見つけられたかもしれないのよね」
イサミは、自分に向けて言われているようで、その実他の誰かに、彼女自身に向けて言っている気がして、呆然とアイサを見上げてしまった。
「……アイサって、意外と優しいんだな」
「ただの経験則を話しただけよ。どういう意味?」
「いや、いつもキツいことをはっきり言うから、人が嫌いなのかと思ってたんだよ」
「私はもう、誰の顔色も、気にしない生き方をしてるだけよ」
「……そうか」
イサミは再び雲を見つめた。
さっきよりは少しだけ形を変えていたが、まだ彼のつま先の延長上をゆっくりと流れていた。
「まぁ、ある意味それも、自分で選んだ人生、だもんな」
止まっていた蝶が驚いたのか、膝から飛び立った。
「……レニのところにはいかないのね?」
またからかうつもりか――と白けた視線を向けたイサミだったが、アイサが自分に向けてきた表情にその気配がなく、真剣な目をしていたので、目を丸くしてから、薄く笑った。
「あいつってさ、一生懸命で可愛くて、絶対いい子だと思うんだよ。そんないい子は、俺みたいなやつのことはさっさと忘れて、ちゃんとあっちの世界でまともな人見つけて、幸せにならないとな」
そのイサミの微笑みに決して悲しさは現れていないが、細めた瞳はどこまでも遠くを眺めていた。
「そう……」
その一言、そして流れゆく川を見つめるアイサの横顔からは、やっぱり彼女の真意を察することはできないイサミだった。
「それに、あっちの世界の時間はもう何か月も先になってるんだろ?」
「ええ。セイマが女神様ごっこで行きまくってるから。行くたびに時間が記録されていく、とでも言えばいいのかしら」
「ごっこ……」
思わず苦笑を浮かべてしまう。――まぁ確かに実際のアイツは妖とか魔の類なんだもんな。
「――それじゃ、行きましょうか」
アイサが突如立ち上がり、綺麗になったスカートのお尻を払った。
草の屑が舞い、イサミの顔に襲い掛かる。
「わぺっ! おまっ……――!!?」
つい反射的に睨んでしまったが、咄嗟に顔を明後日の方に向ける。
「なに? どこが見えたのかしら?」
「どこがってなんだよ! 何も見えてないから早く行けよ」
「そう。ところで今、白と赤とピンクならどの色が頭に浮かんでる?」
「その心理テストみたいな特殊な誘導尋問やめてくれっての!」
「ほら、イサミくんも早く立って」
アイサは後頭部のやや高めの位置で髪を束ねると、大きなクリップで挟んだ。
「は? 俺も? どこ行くんだよ」
イサミの頭部にはもう赤いヘアピンはなかった。血のりで固まってしまった髪は、速水先生に切ってもらった。
『特徴も何もないシンプルな髪型ね』
『どうせならモヒカンくらいにすればよかったのに』
とアイサとセイマには酷評を頂いた。
「理事長が呼んでたわ。また別の世界でトラブルがあったみたいよ」
アイサに腕を引っ張られながらイサミは立ち上がった。長いこと寝ていたのか、大きくのびをする。
「なんでも、今度の世界では、転生した英雄たちが邪神に捕まっちゃったんですって」
「ええ!?」
のびを中断して固まってしまった。
「笑っちゃうわよね」
「笑えねえよ! ていうか、そんなにあちこちに邪神やら魔王やらいるのか?」
「むしろ私たちの科学文明が進んでた世界の方が珍しい方なのかもね。科学が進むということは、神という存在を脅かすことになるもの」
「なるほどな。そりゃあでも、魔法とかもそうなんじゃねえの?」
「いずれにしろ、そういった世界に発生するイレギュラーみたいなものね。本来なら、その世界の人たちで倒すべきでしょうけど、それができない時が、私たち『神の傭兵』の出番なのよ」
「なんだよ……だったら最初からもっとちゃんと人選しとけよな」
「そんなこと言ってたら理事長のペットにかみ殺されるわよ」
「あのケルベロスな……。何が大天使だよ。ペットが地獄の番犬って、悪魔じゃねえか」
「案外そうなんじゃない?」
「聞こえてるぞイサミぃ!」
どこからともなくその声は響き渡った。ここは理事長の力で生み出された世界なのだ、一挙手一投足、常に監視されているようなものだ。
イサミの前方に浮かんで現れた。ここの教師たちは人知を超えた存在であることを今更ながらに訴えるように、三人並んで、堂々と。
「げっ!? 理事長!?」
「私の仕事にケチをつけるとは……しかもそれだけでは飽き足らず、神の御業をもあげつらうか……!」
黙っていればもれなく美人のホーム理事長は、瞼をぴくつかせながら八重歯をむき出しにしていた。
「いいい、いやいや、ケチだなんてそんな――」
「今から1分以内に教室に戻ってこい。さもなくば、私の可愛いペットたちの散歩を担ってもらおう!」
長い髪を優雅にたなびかせながら、理事長は煙のように半透明になっていく。
「ちょ、待ってくれよ! なんで俺だけ!?」
「どう考えてもただのお散歩じゃなさそうね」
などとイサミとアイサが言っても待つことはなく、理事長は消えてしまう。瞬間移動だろうか。
「早く来なさいとあの秋から言ってます! って、どこ見てるんですかイサミ君!」
速水先生も怒鳴りながら、スカートの裾を抑えつつ消えた。ある意味でこれはいつも通りだ。
「どの秋だよ! ていうか勝手にあんたたちが浮かんで現れたんだろ! 何も見えてねーから!」
「さらに1分以上遅れると教室を爆発する。いいな?」
デューク先生は一人冷静に、とんでもないことを言った。
「よくねーよ! ていうかそれダメージ受けるのそっちじゃね!?」
「――おーい、イサミさーん! アイサさーん! 早く行きましょー!」
いつの間にか帰ってきていたセイマが土手の上から呼びかけてくる。遥か向こうに校舎が見えていた。
「さ、早く行きましょう」
アイサに引かれるように、イサミもまた土手を駆け上っていく。
左手に通した数珠を見つめながら、
――勇者……ありがとう。俺はもう躊躇わない。これが俺の……選んだ運命だから……。
予備校生としていつか転生できるかもしれないその日まで、『神の傭兵』として戦い続けることを誓って。
最後までお読み下さった皆様、ありがとうございました!!
読んで下さったことがとても励みになって、最後までたどり着けました。感謝しきれません!
リアクションもです!本当にありがとうございました。また短編とか書いたらあげますのでお読み下さると幸いです。
それではこのあたりで、シャバダバ~
P,S 近日中に活動報告を書きます。
弱小筆者として、同じく(?)悩んでいる方に向けての応援になればと思います。




