放課後 後
「お、おい! あれって……!」
避難した民たちを整理していた兵士たちが指をさしたのは、王都を囲む城壁の門だった。
「あの色は……第六師団の鎧か……?」
まだ夜が続く明けの前の暗い中では、確かなことはわからなかった
燃え盛る炎に背を向けているその人物の顔は影になっていて、誰かまではわからないが、時折炎のうねりに照らされて見える色に、兵士たちは見覚えがあった。
「え……!?」
一人の兵士が目をごしごし擦っては瞬かせる。
長い金色の髪が炎で乱れた風に弄ばれているのが見えたのだ。
「リ、リーナ師団長!?」
その声に、周りの兵士たちも気付き始める。
「ほ、本当だ。リーナ師団長だ!」
「どうしてあんなところに……それに馬がいないぞ」
「ほかの第六師団の兵士たちもいないぜ? いやでも誰かついて来てるな……」
現れたのはリーナと、聖域で倒れていた王国軍の兵士――第七師団の兵士数名だった。
「と、とにかく、今は師団長様が一人でもいてくれるとありがたい!」
兵士たちはリーナを出迎えようと駆け出す。
リーナは王国軍の中では人気があった。それを本人が望んだものかは別として。
また、民たちからの人望も悪くない。
兵士に続いて、王都の民たちもリーナの元に向かう。
「リーナ様! ご無事でしたか!」
「今までどちらへ!?」
ざわめきが一等加速する。
ただの興奮だけではなく、不安もまたその行動原理である以上、一歩間違えれば収拾がつかなくなる。
「それよりさっきのあれはなんだったんですか!?」
「巨大な三日月が出て、あの魔王みたいなのも……もう消えちまったけど、リーナ様がやっただか?」
リーナは後ろを振り返る。
城壁の上から伸び盛る炎の向こう側に見えていた魔王ジャルファの姿は消えてしまっていた。
「イサミ……」
ぽかりと口を開いてその名を呟いた。
「うちの爺様が言ってます、魔王ジャルファの復活じゃないかって」
そんな言葉が彼女の背中を追い抜いていく。
「はっ……」
リーナの口元が不敵に笑った。
「り、リーナ様……?」
ふつふつと揺れるリーナの両肩に、首を傾げた兵士たちが声をかけた。
甘い金色の髪を揺らしながらくるりと振り返ったのは、リーナの、逞しさを備えた微笑だった。
「王国軍の兵士諸君!」
リーナが声を張り上げる。
兵士たちが一斉に息を飲み、背筋を正す。
呼びかけたのは兵士だが、つられて民衆も静かになった。
「今王都の中で第七師団の兵士たちが消火活動にあたっている。水を扱える者は私に続け! 被害を最小限に食い止めるぞ。今は師団の枠を超えて協力し合うのだ!」
リーナの檄に、兵士たちは互いの顔を見合ったり、固唾を飲んだりと躊躇う様子を見せた。
だが、それも僅かの出来事だった。
誰にも気づかれない流れ星が一筋、彼女たちの上空に現れ、消える。
一人の兵士が手を上げた。
「自分たちは第二師団の生き残りです。多少はお役に立ちますぜ」
すると、後れを取るわけにいかないとばかりに我も我もと手が上がる。
「お、俺も水属性です!」
「私は地属性ですが、火を消すなら砂を操ればいいですよ!」
「ぼ、僕は……ようやく詠唱なしで水を撒ける程度ですが!」
「よい。今は一人でも多くの人間が必要だ。他のものは引き続き救護や逃げ遅れた者がいないかの確認を徹底するように。それと、夜明けには第六師団がここにやってくる。混乱しないよう出迎えてくれるか?」
『はっ!!!』
いくつもの声が重なり、リーナの腹に響いた。
それがくすぐったいように、リーナはもう一度口元をほころばせた。
よし、こい!――リーナは指示を終えると率先して赤く燃え続ける王都の中に飛び込んでいく。
勇気を振り絞った兵士たちが慌てて追いかける。
そして残された兵士や民たちもまた、精気を取り戻していく。
「よし、衛生兵は引き続き救護にあたれ!」
「第一師団は盥でもなんでもいい、水を汲んで運べるものを集めて消火活動に向かうぞ!」
「それなら俺たちだってできる! 俺たちの町は俺たちが守るんだ!」
官民問わず、皆が奮い立ち、王都を守ろうと動き始めたのだった。
「――ん?」
「どうした?」
「今、地面が揺れなかったか?」
「気のせいだろ? いや、みんな動き始めたからなその振動じゃねえか?」
「そ、そうか。そうだな」
その時――王都を挟んで反対側の郊外にて、聖域は完全に崩壊した。
わずかに残っていた天井が降り注ぎ、石柱は砕けて瓦礫となった。
砂塵が舞い、夜空に散っていき、星くずと溶け合っていく。
イサミたちは、再び橋まで戻ってきていた。
崩れていく聖域を、皆一言も話せないまま、眺めていた。
ひと際大きな流れ星が夜空を遡上していったことには、誰も気づいていなかった。
「――ルミィ!」
「お前たち、やったな!」
聖域から脱出していた四人のもとへプレア妃とタウカンが駆けつける。
しかし、喜ぶ二人とは対照的に、イサミたちは静かだった。
足取りに力はなく、地面の砂利を削るような音を立てていた。
彼らの反応を待つことなく、タウカンの背中からプレアは飛び降りて、イサミの後ろにいたルミナーラのもとへ向かう。
突き飛ばされそうになったが、イサミはひらりと躱した。というより、舞う紙のように力なくその勢いに圧されたようだった。
プレアはルミナーラをぎゅっと抱きしめる。
「よかった、無事だったのね……!」
「……」
「………………ルミィ……?」
抱きしめていたプレアが、力の入っていないルミナーラの様子に気付き、そっと体を離した。
「お姉様……」
「ど、どうしたの? どこか怪我でも?」
「お義兄様からの……遺言です」
ルミナーラはどこか優しい目つきで、プレアを見ていた。
「お、おにいさまって……え!?」
プレアの瞳が潤む。
ルミナーラの肩に置いていた手が小刻みに震え出した。
「お、王の……!? ど、どういうこと? 王様がいるの? 王様はどちらに――」
「『今までごめん。何もしてあげることができなかった。王として、いや君の夫として何一つ応えることもできなかった』」
うろたえるプレアの問いかけには答えず、ルミナーラは語り出した。
「ちょ、ちょっと待ってルミィ。いきなりそんな――」
「『罪滅ぼし、にはならないかもしれないが、魔王は俺の命を以て、永遠に封じる』」
目の前のプレアが戸惑っていることはわかっているはずだが、ルミナーラは言葉を止めない。止められなかったのかもしれない。
「そん……それって……」
「『今度こそ、平和な世になるだろう。肝心な時に一人にしてすまない。これからは君の優しい心で、王国の人たちを守ってやって欲しい。今までありがとう』……」
以上です。――ルミナーラの声は何かを堪えるように曇っていた。
「………………なによ」
俯いたプレアの銀色の長い髪が、彼女の顔をすっかり囲んでしまう。
「…………なんで今更……そんな……ふえええぇぇぇぇぇ……ひっく……うぅ……!」
「お姉様……」
今度はルミナーラが、泣きじゃくりへたりこんでしまったプレアの頭をそっと抱き締めた。
「うわああああああああああああん!」
小さな胸に顔を埋めたプレアは堰を切ったように叫び、次々と大粒の涙を流す。
そしてルミナーラもまた、プレアの頭の上に、静かに涙の雫を零すのだった。
「イサミ……」
その数歩先で立ち止まっていたイサミたちにタウカンが近づき、遠慮がちに声をかける。
「魔王は、どうなったんだ……?」
「……」
イサミは何も答えない。ルミナーラと同じように無気力になっていた。
「イサミ? おい、どうしたんだ?」
「魔王も、どうにか消し去った」
割って入ったのはアイサだった。
「も……ってことは……」
タウカンが苦い表情を浮かべる。
「……当初の計画から、変更はないわ」
「そ、そうだけどよ……」
タウカンの浮かない表情に、アイサが首を傾げる。
「なに? 特に問題ないでしょ? あなたとの約束も、果たしたようなものでしょ」
アイサが目線をルミナーラとプレアに向けた。
「そ、そりゃあ、俺にとってはそうだけど……あっ」
タウカンも振り返り、そこで言葉を止める。
いつの間にかプレアの腕から離れて、ルミナーラが紅く充血させた目をこちらに向けていたからだ。
「イサミ、アイサ、これはどういうことなんだ……」
ルミナーラの手には、件の手紙が広げられていた。
「この争乱の首謀者をイサミたちにするなんて……」
ふん……とアイサは鼻からため息をもらし、イサミを横目に見る。
イサミは、乾いた微笑を見せた。
「……俺たちはこの世界の歴史に名を遺すわけにはいかない。だから……都合がいいだろ?」
「そうね。王国軍や王城に務める人たちに病みたいなものを伝染させたのが私なのは事実だし」
アイサも続けて言うが、その言葉とは裏腹に悪びれた様子もなく、腕を組む。
「そ……そんなの、何が都合よいものか!」
初めはルミナーラも鼻を摘ままれたように戸惑ったが、すぐにも怒鳴った。
「ともに戦ってくれた仲間ではないか! これからも共に王国を……」
ルミナーラは言いかけた言葉をぐっと飲みこみ、イサミとアイサを睨む。
イサミとアイサは、着ていた服はぼろぼろに、敵の返り血や自分が流した血で浅黒く汚れていた。
「どうしてそれだけ傷だらけになったお前たちを……讃えこそすれ、名前を残すことも許されぬのだ! 罪人にしろと言うのか!……イサミ、セイマ、アイサ……お前たちは一体何者なのだ……」
ルミナーラの両肩が震えていた。
「……それはルール違反よ、ルミナーラ」
アイサが言う。
「私たちは目的が一致して協力してただけよ。そして、目的は果たされた」
「もう行かなくちゃならないんだよ」
イサミは、ルミナーラから託されていた腕輪を外す。
ルミナーラの前に歩き、そしてそっと差し出す。
彼女は、腕輪と、イサミとを交互に見比べた。だが、手を出そうとはしなかった。
「ルミィ、」
プレアが後ろからそっと肩に手を乗せた。
そのはずみで、ルミナーラの目からは大粒の涙がこぼれだした。
「あなたは本当に強い子ね……。いいのよもう、我慢しなくても」
「うぅ……うわああああああああああああん!」
ルミナーラが幼く泣き叫ぶ。
その後ろからプレアは手を伸ばし、イサミから腕輪を受け取った。
「ずるいぞ、うぅ! そんないきなりなんて……!」
それでもすぐに涙を堪えようとして、肩を、体を弾ませながらどうにか話そうとする。
「……大丈夫だよ、ルミナーラは――」
「イサミさん!」
そこに現れたのはレニだった。
「れ、レニ? ど、どうしてここに」
戸惑うイサミにタウカンが近づき、囁く。
「多分、イノス宰相が連れてきたみたいだ」
「イノス? なんであいつが……」
「恐らく、お前たちのことを止めるために人質にしようと考えていたんだろ」
「そうだったのか……。レニ、だいじょうぶ――」
「どうしてなんですか! イサミさん……!」
レニの瞳からは光が失われていた。強い拒絶を突きつけてくる。
「どうして王様を……殺したのですか?」
「……み、見てたのか……」
イサミが声を詰まらせる。
「イサミさんは異国の人でしたよね? まさか……王様を暗殺に来たのですか!? 私たち、エスポフィリア王国人にとって、英雄である勇者様を……? そんな、人殺しだったなんて……! あの時助けなければよかった……うぅ……!」
レニは自責の念を感じたのか、膝から崩れ落ちて顔を手で覆う。
「なに、この子?」
アイサはレニを見降ろしながら言った。
「いいよアイサ。ほとんど、その通りだし」
イサミは唇を薄く開けて言った。
「……悪かったなレニ。騙すつもりはなかったんだ」
レニは何も答えられず、ただ泣いていた。
「色々ありがとうな。一緒に手に入れた……」
イサミは左手首に通した数珠を見せる。珠の一つが、緑色に今も光っている。
「これのおかげで、何度も救われたよ」
「……そんなこと言われたって!」
泣き濡れていたレニは、叫ぶように言う。声量の調節が覚束ないのだろうその声は、聞く者の胸をぎゅっと締め付ける。
「どうして……否定してくださらないのですか……嘘だと言ってください……!」
「それは……――」
「待て……」
鼻声だったがそれでも気丈さを取り戻したルミナーラが、イサミの言葉を遮った。
「レニと言ったか。君はそう思ってるかもしれないがイサミにも――」
しかし、さらにイサミが手でルミナーラを遮った。
もう刀は握られていないその左掌は、血で汚れ、皮が剥がれていた。
見上げるルミナーラと目が合うと、イサミは困ったように笑みを見せながらも静かに首を左右に振った。
そして、座り込んで泣き続けるレニに手を差し伸べることは、しなかった。
「ごめん」
「謝らないでください……私ももう、何がなんだか」
「だけど、ここで俺が嘘をつくことはできない」
「どうして!?」
「王を裏切ることになる」
崩落音も静まり、夜の静かな林の中を抜ける風の音さえもなく、イサミの言葉を遮る音はレニの泣き声だけだった。
「お……王様を……?」
レニの震えていた体が止まった。
「あぁ。王……そして、王に関わった全ての人を裏切ることになる」
「ど、どういうことですか……」
放心状態のレニに、イサミは微笑を向けた。
汗と埃が混じった泥や血のりが付いた顔で、それでも優しい笑顔だった。
「レニ、楽しかったよ」
「えっ……」
「元気でな」
イサミは走り出した。
その先には、グライフと、その背に乗ったセイマがいた。悟られぬよう、ひっそりとセイマが呼び寄せていたようだ。
「イサミさん!」
「おいイサミ!」
レニとルミナーラが続けて声を出す。
イサミは足を止めたが、振り返ることはなく、夜空に向かって言った。
「ルミナーラ!……楽しんでけよこれからの人生。これまで辛かった分、取り返してやれ」
「そんなこと……あるかわからんぞ。楽しいことなんて……」
「そうだなぁ、これから辛いこともいっぱいあると思う。でもな、楽しいこともいつかどこかで必ずあるから。その瞬間を逃さないようにいつでも楽しんどけ!」
そうしてイサミは再び駆け出した。ついぞ振り返ることのなかったイサミがどんな表情でそう言ったのかルミナーラには分からなかった。
追いかけようとした彼女の目の前に立ち塞がったのは、アイサだった。
「あ、アイサ。……ま、待て。もしかしてお前たち……」
ルミナーラに鋭さが戻って来る。
しかし、アイサは残念ながら、ルミナーラではなく、座り込んだままのレニに目を向ける。
「貴女、レニさん、だったっけ?」
「え、は……あなたは……確かイサミさんのお仲間……」
「熱心なのはいいけれど、もう少し冷静になりなさい」
アイサの気配に「ひっ」と小さな悲鳴を上げたのは、レニの――少し後ろに控えるタウカンだった。
「で、ですが――」
レニが何かを言おうとする。
アイサは前髪を払った。
「人には事情ってものがあるのよ。善悪はともかくね」
「…………ど、どういう意味でしょうか」
レニは、泣くのを止めたが、ぽかんとした表情を浮かべている。
「あとは自分で考えなさい。私はそこまで親切じゃないの」
「……」
一方でルミナーラは、観念したように腕をだらりと降ろし、
「行くのか……?」
「ええ。私も楽しかったわよ。いつか機会があれば、また会いましょう」
「……会う気があるやつの言葉には思えないがな」
ルミナーラは意地悪く口の端を吊り上がらせる。
「さすがね、あなたはイイ女になるわよ」
アイサも駆け出して行ってしまう。
すでにグライフの背中にはセイマとイサミも座っていた。
「ルミナーラさーん! レニさーん! お世話になりましたー! またねー!」
セイマが場違いな明るい声と共に思い切り手を振る。
やがて、アイサがその背中に飛び乗った頃、グライフは大きな嘶きと共に空へと飛び立った。
「勝手なことばかりだな……。なら、こちらも勝手にさせてもらうぞ」
ルミナーラはため息を吐きながら、微笑みをその背中に向けて空を見上げた。
王都の上空を焦がしていた炎は、いつの間にか消えている。
ルミナーラがイサミたち三人を見たのは、その時が最後だった。
「ルミナーラ……って、まさか、あの!?」
今更ながらレニは驚いた。
「レニ。私からきちんと事情は話そう」
「ルミィ……」
「お姉様、それにタウカン」
「はっ」
ルミナーラを中心に、プレア、タウカン、そしてレニが周りを囲うように並んだ。
「今から話すことは、我々五人だけの秘密にしてくれないか」
「五人……ですかい?」
タウカンが肩眉をつり上げる。
「あぁ、もう一人は――」
東の山の向こうが白み始め、夜明けを予感させたのだった。
いつもお読みくださいまして誠にありがとうございます。
次回、最終回です! 日曜日に必ず更新します!




