7時間目 LHR ⑥
ロウマ平原では、すっかり夜の静けさを取り戻し、遠くで渡り鳥たちが月を詠んでいた。
しきたりも作法も守る余裕はなく、ありあわせの布で体をくるまれたエッジを、月明りが優しく照らしていた。
赤く目を腫れあがらせたフーリィのそばで、ルミナーラはもはや涙も枯れ果てた瞳でその作業を見守っていた。
「姫様……」
鼻を啜ってからフーリィが囁く。
「……わかってる。エッジの為にも……行くぞ」
瞳の輝きを星の光で補うようにルミナーラは顔を上げた。
そして眠るエッジに背を向ける。
義勇軍たちのみならず、第六師団の兵士たちも、人の死に際し、重い空気を纏っていた。
そんな中、ルミナーラに近づいたグライフが、短く喉を鳴らす。
「――何? 私を?」
ルミナーラは驚いてグライフの顔を見上げた。
続けて語り掛けるように鳴き続けた。
「どうしたのです?」
トリヒスが訊き返す。「そもそも、グライフ様はどうしてこちらに?」
「うむ。グライフ様は、セイマやアイサに頼まれてここに来たようだ。私たちを守り、共に王都へ戻る様に、と」
ルミナーラが難しい表情のまま続ける。
「それが、グライフ様が私を乗せて王都へ向かいたいと仰っている」
グライフが言葉を繋げるように鳴く。
「どうやら、王都の方から妙な気配を感じているらしい」
通訳した途端、一同が騒めく。
「イサミたちに何かあったのか?」
「あのイサミたちに? それを言うなら逆では?」
真偽は定かではないが、聖獣が冗談や気まぐれを言うなどとは誰も思わない。
グライフがもう一度鳴く。ルミナーラ以外の者には、その鳴き声の調子が、次第に鈍みを含むものに変わっていることしかわからなかった。
「なっ……!」
ルミナーラの瞳孔が開く。
「何と仰ってるのですか?」
トリヒスが訊ねた。
――かつての闇の眷族の王、ジャルファの気配を感じる……だと?
「あ、あぁ。……何の気配かはまだわからぬが、急いだほうがいい、ということだ」
一瞬の間を置いてから、ルミナーラが肝心なところは省略して訳す。
今度は一同言葉を飲む。
グライフも嘴を閉じ、その鋭い瞳でルミナーラを見つめた。
聖獣が微かに瞼を持ち上げたことにリーナだけは気づいた。
「しかし、」
トリヒスが最初に言葉を発する。
「何かよからぬことが起きているのであれば……そこへ向かうのは危険すぎます」
「その点は大丈夫だ。向こうにはイサミたちがいる」
ルミナーラを見ていた全員が、大なり小なり驚いた。
「? ど、どうした?」
「あ、いえ……」
困惑したトリヒスの横でフーリィが微笑を浮かべる。
イサミたちのことを口にした途端、ルミナーラの表情が優しい笑みに変化したことを本人だけが気づいていない。
「それならば急ぎそうされた方がよろしいのでは?」
リーナが促す。
「あぁ。しかし……皆を置いて私だけというのは……」
ルミナーラは振り返った。
今はもう、丁寧に包まれてその顔すら拝むことができない。
「エッジ様のことならおいらたちに任せるんだぬ」
人混みを押し分けて鎧の似合わぬ巨漢が前に出てきた。「王都までお運びするんだぬ!」
「ファート! お前、無事だったのか!」
リーナが目を丸くする。いつも毅然とした彼女の口元が珍しくほころんでいるのが分かり、ルミナーラも小さく驚いた。
「り、リーナ様、ご無沙汰っす!」
背の低い兵士のイニムもまた人と人の隙間からむにゅりと這い出てくる。
リーナに続き、第六師団の面々も二人を口々に出迎える。沈んでいた一同の空気に隙間から漏れ入る光のような僅かな明るさが戻った。
「私たちもいるさ」
どんと胸を叩くのはフーリィだ。妙齢の女性らしく肝の座った振舞いだった。
「それに、まだ道中で私たちの到着を待っている者たちもいる。ルミナーラ様、王都で再会しましょう。すぐに追いかけますから」
同じかそれ以上に悲しんでいるはずのフーリィの強い姿を見て、ルミナーラも目を擦り、ぐっと口をへの字にした。
――もう泣かない。最後まで戦うんだ……私は。エッジよ、見ていてくれ。
「……わかった……!」
ルミナーラはふとポケットにねじ込んでいた手紙が気になり手を突っ込む。
シャドウの攻撃を受けた際に破れたりしていないかと思ったが、くしゃりとした指先の感触で、どうにか無事だったことがわかり、安堵した。
「みんな、私は一足先に王都に向かう。みんなも必ず、生きて王都にたどり着いてほしい。……もうこれ以上、誰も死ぬな」
『はっ!』
気合で引き締める者、未だ涙を流し続ける者……それぞれの思いを胸に、義勇軍の面々は声を重ねたのだった。
気付けば第六師団の兵士たちもその返答に加わっていた。
「お前たち……」
リーナは不思議な高揚感が胸の奥からこみ上げてくるのが分かり、喉を震わせた。
そんな折、人混みの中からもう一人が這い出てくる。
鎧は身に着けておらず、他の義勇兵たちと同じ庶民の格好をしていた。
「リーナ様もお乗りになられては」
「ん?……あ、ノーマ? お前いたのか!?」
中肉中背の兵士、ノーマだった。
「どうせ私は地味ですよ……」
彼はキョゥーカの宿場町で分かれた後エッジたちと共に行動していたのだが、鎧を着ていると目立ってしまうということで、普通の格好をしていたのだ。
「とにかく、誰か一人護衛がいた方が万が一のことを考えてもよろしいかと。王都がどうなっているのか……ルミナーラ様にとって都合の良い状況であるかどうかはわかりません」
皆の視線がリーナに集まる。
その気色に誰一人として反対の色が見えないことに、リーナは喜ぶどころか表情を強張らせ拳を固く握ると、俯いてしまった。
「……それなら私よりもフーリィ殿やトリヒス殿の方が相応しい。私は……」
――結局、シャドウ殿には勝てず、イサミにも負けて……。お飾りだと謗られても、それを跳ねのける実力はない。そんな私が師団長などと……とんだ笑い話だ。
黙ってしまったリーナを皆不思議そうに眺めていたが、フーリィがそっと肩に手を置く。
「フーリィ殿……」
振り返った先のフーリィの微笑にはどこかもの悲しさがあった。
「言ったろ? 私は、エッジ様の代わりの仕事がある。あんたしかいないんだ。頼むよ」
「私も同感です」
一歩前に出たのはトリヒスだった。
「ノーマの言う通り、王都が今どのような状況かわからない以上、王国軍の師団長であられるリーナ様がご同行される方が何かと都合はいいはずです」
「……わかりました」
リーナは一度、強く肯き、言葉を終えた時もう一度肯いた。
――今は気落ちしている場合ではない。それでも今は師団長である以上、走るしかないのだ。
「――第六師団、ルミナーラ様の同志たちと共に最大戦速で王都に向かうのだ。夜明けに王都で再会せよ!」
「よ、夜明け!?」
と驚きの声が義勇兵たちから漏れるが、
「ここからなら道中の町々に第六師団専用の駅がある。馬を乗り継いでいけばいい」
第六師団の兵士の誰かが答えた。
「あぁ、師団長の命令に間に合わないたぁ『茨の騎士団』の名折れだぜ! 乗れないやつぁ馬に括り付けてやるから安心しな」
師団の兵士たちは冗談めかしたその言葉に笑い合った。それは自信があるゆえの笑いだったのかもしれない。
果たして兵士たちにつられるように、義勇軍の兵たちも緊張が解れて笑いが起こり、士気が上がった。
「――良い部下に恵まれてますな」
「トリヒス殿……」
「優秀な部下を持つことは、己の武を上げることよりも難しい。……姫様のこと、どうかよろしくお願いいたします」
トリヒスは頭を下げる。
「……わかりました。必ずやルミナーラ様のことはお守りいたします。トリヒス殿も、私の部下をよろしく頼みます」
顔を上げたトリヒスを出迎えたのは、照れくさそうにはにかんだリーナだった。
いつもお読みくださいましてありがとうございます!
⑤と⑥、長くなったので二つに分けましたが、わけておいて正解だったかもしれません。
次回は木曜日更新予定です。頑張りますのでよろしくお願いします!




