7時間目 LHR ③
「あぁ~ん、いいわぁ~!」
第三師団長シャドウは風を操り、ルミナーラを斬る。
深くはない。だが服と肌は切られ、赤い血を流させる。
背中に一筋、そして腕や足には無数の小さな傷を作っていた。
シャドウは、ひと思いに斬るわけではなく、いたぶる。
ルミナーラはエッジの体にしがみついていた。
いや、エッジの体に覆いかぶさっていた。
「あぁら残念、逸れちゃったぁ~」
わざとらしく宣告し、分かりやすく風の刃を向ける。
そうすることで、ルミナーラが必死にエッジの体を庇おうと、その身で刃を受け止めるからだ。
逃げることができないエッジの体を、シャドウの攻撃から守るために。
「ひめざま……」
口の端から血を零し、エッジが乾いた声を漏らす。
「さっきの不思議な光には驚かされちゃったけど――」
襲い掛かる直前、ルミナーラの体が一瞬強く光った。
その光に一時的に視力を奪われ、また気配を恐れたシャドウは、攻撃の手を止め、素早く距離を取った。
しかし、結果としては光っただけで、その後は何も起きなかった。
周囲に倒れた者たちが息を吹き返すわけでもなく、ルミナーラが何か力を発動するわけでもなかった。
「――何よあれ? とんだ子供だましね」
ルミナーラは何も答えなかった。
「さぁ、いつまでもつかしら? そのまま醜く歪めておいてちょうだい。あ、その前に死んじゃうとか寂しいからやめてよね?」
自分の快楽の為に加減してやっているようにも取れる物言いだった。
しかし、その顔の険しさからは悦に入る様子は見受けられないだろう。
もっとも、今彼の顔を見る余裕がある者はこの場にはいなかった。
ロウマ平原に集まった義勇軍たちは、その悉くが第三師団の兵士たちに翻弄されている。
数での優位は働いていないに等しいが、それでも今なお半分ほどが立ったままでいられるのは、力よりも数字の有利が大きかった。
しかし、ルミナーラを助けに行くことはできない。初手にフーリィを狙われたことも大きかった。トリヒスが一人獅子奮迅の働きをしていた。
「くっ……」
ルミナーラの両肩が弾む。
一度震えた体は、簡単には止まらなくなってしまった。
「うぅ……ぐずっ!」
その様子を見て、シャドウは目を輝かせた。
「泣いた、泣いたわ! やっと泣いたわねあなた!」
舌を舐めずりまわす。しゅるりとした耳障りの悪い音がルミナーラの泣き声をかき消す。
「痛いでしょ? 怖いでしょ? 助けてほしいでしょ? ざぁ~んねん、誰も助けになんか来ないわよ!」
「違う……!」
「は?」
「悔しいのだ……。貴様のような下劣な者から、私は誰一人救えない……!」
ルミナーラの薄汚れてしまった頬を、洗うように涙がこぼれていく。食いしばった歯が軋む音は、誰にも聞こえていない。
「おぉん? アッハッハッハ! これは傑作だわ。アタクシの想像の上を言ったわねルミナーラ、あなた最高ヨ。あーんたなんか誰も救えるわけないじゃなぁい。ビックリしたぁ」
「ひめさま……」
皺枯れた声がルミナーラの耳元に届く。
「じい」
エッジの瞼は開かれているが、瞳孔が動く気配はない。
「姫様……あなたは王家の人間じゃ。わしのような者の命一つで泣いてはなりませぬ……!」
「じい!」
「まだ息が合ったの? アタクシの芸術に、あんたは邪魔なのよおお!」
シャドウが右手を開いて、天に向かって突き上げる。
その腕を中心に、風が渦を巻く。
「喰らいなさい!」
シャドウが叫ぶ。
ルミナーラは目を閉じ、エッジの体を強く抱きしめた。
――風が体を撫でていくのがわかった。
――否。
「――えっ」
声を先に漏らしたのはシャドウの方だった。
風ではない。空気が変わったことが、風が吹き抜けるように肌を通して伝わってきたのだ。
その流れも、シャドウの立つ位置とは反対側――ルミナーラとイサミが駆け下りてきた丘の上から運ばれてきた。
瞬時に周囲が冷え込み、吐息が白く染まる。肌が凍てつき、怜悧なひりつきを覚えた。
「な、何……?」
やがて本当に風が吹いてくる。
白い雪を纏った突風だった。
視界が白い膜に覆われていく。
「――氷の雷!」
華憐な大喝が平原を駆け抜けた。
リーナ師団長率いる第六師団がローマ平原に現れた。
槍先から放たれた水流が、放物線を描き宙に舞う。やがて飛沫の一つ一つが氷の針となり、雷の如く鋭く大地を襲った。
「ちいっ!」
シャドウは歯噛みしてその場からさらに下がる他なかった。
「何やってんのよリーナ! あんたアタクシの邪魔をするわけぇ?」
「リーナ……?」
草原の向こうから現れたのはリーナ師団長。そして彼女が率いる第六師団だった。
瞬く間に蹄の音が草原を駆け抜け、ルミナーラや、彼女と共にここまでたどり着いた皆の周りを囲う。
ホリックの町で出会った時より兵士の数が増えていた。
二十を超える騎兵が月明かりの下草原をかける様は、荘厳たるものだった。
騒めく義勇兵たちだけでなく、ルミナーラもまた、安堵のような吐息を漏らして眺めていた。
「ルミナーラ様! おい、誰かルミナーラ様のお怪我を!」
リーナの指示が飛ぶ。
「私はよい! エッジや、他のみんなの救護を頼む!」
ルミナーラの指示に、兵士たちは騎馬を降り、手際よく治療にあたっていく。そして残りの兵士は義勇兵に力を貸し、第三師団の兵士たちと早速刃を交えた。
傾きかけていた数の優勢を取り戻し、義勇軍の士気が上昇していくのは火を見るよりも明らかだった。
「よし……我らも後れるな!」
トリヒスの檄に義勇兵たちも声を荒げ、第三師団に向かっていく。
リーナ自身は馬を止め、ルミナーラたちを隠すように馬の側面をシャドウに見せつけて対峙した。
「ちっ……田舎貴族のマーケイ家の箱入り娘が……」
シャドウは唾を吐き捨てると、腕を組んだ。
「リーナ! 質問に答えなさいよ。返答次第によっちゃあ、ついでに片づけてあげるわよ?」
シャドウは怒りと興奮が混ざった狂気的な笑みを浮かべていた。
「シャドウ様、どうか力をお収めください」
リーナは穿つほどの睨みを聞かせているが、冷静に振舞おうと努める。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!? 随分イキがってくれてんじゃない」
「すでに周囲には水気を散らしております。風は水気と、気温の変化に弱いと習いました」
リーナの周囲に吹く風は、一足早く冬を迎えたように凍てついたものとなっていた。
「誰よ喋ったの。ミラーロかしら? 確かに、アンタの水属性の力と、温度を操る力はアタクシにとって相性悪いわね」
いつの間にかシャドウは長い鉤爪を右手の甲に乗せていた。
「だけど、それだけであんたに後れを取ると思ってるの?」
「……」
リーナは黙って睨み続けた。
「何も言わないのね。でもあんたのその態度で十分よ。アタクシがイノス様の命令で動いてること、知らないとは言わせないわ。アタクシに歯向かうということは、イノス様、いえ、王国に歯向かうということ……おわかり?」
「……私は……」
「あん?」
「私は、何も知らなさ過ぎた……だから今、それを知るために動いてます。その上で、こちらにおわす先代王の娘であるルミナーラ様を、少なくともここで処するようなことには賛成できません」
リーナは左手に握っていた槍を、下へと一度大きく振った。
空気を斬る小気味の良い音がした。
「あっそ」
シャドウも身構える。
「あんたのその気の強そうな顔、前から涙と鼻水と血でぐちゃぐちゃにしてやりたかったのよね」
そして、左手に握った無数の吹き矢を宙にばらまき、
「あんたがアタクシに勝つなんて100年早いわよ!」
一斉にリーナへ向けて直進させる。
リーナもまた、手綱を強く引いたのだった。
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ちょっと楽しみになってますw
次回は木曜日更新です。
7月中には完結予定です!




