6時間目 道徳 休み時間 後
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誰かの役に立ちたかった。
俺は終わりの始まりにそう思ったことをよく覚えている。
いつも誰かの世話になっていた。
だけど、誰かを助けた覚えはない。
自分のことが情けなくて仕方なくて、でも最後には泣くこともできなかった。
ほとんどが同じ景色の思い出ばかり。
白い部屋。
窓の向こうの変わらぬ空。
そんな短い人生だった。
生まれた時から、心臓だったか肺だったか、弱いとは言われていたみたいだ。
入退院を繰り返す日々だった。
それでも、生まれてからずっと病院にいなきゃいけない人に比べたら……。
俺は幸運だったと思う。
体が弱くても、俺は体を動かすことが好きだったみたいだ。
寝返り。
はいはい。
歩く。
できるたびに部屋の中を動き回ってたらしい。
一度だけ、保存されていた動画で観たことがある。
喜びながらうろたえる両親の声に思わず笑ったっけ。
そして本能的な憧れもあったんだと思う。
スポーツ選手の活躍をテレビで観るのが大好きだった。
アニメや子供向け番組なんかよりもだ。
どの種目がって訳じゃないけど。
とにかくスポーツ中継が映ってるとテレビの前から離れなかったみたいだ。
そしてなにより、強い人に憧れていた。
本は好きじゃなかったが、漫画を読んで、その流れで時代小説だけは読んだ。
漢字が難しいし表現もわからなかったけど、それでもなんとなく興奮した。
実際は、表紙の侍や刀に興奮してただけかもだけどな。
その中で、憧れの存在を見つけたんだ。
浪人の立場から、腕っぷし一本で武士へと駆け上がるその様は何よりも憧れた。
だから、剣道をしたいと俺が言い出した時、両親はさぞ困っただろう。
俺は必死だったから親がどんな顔をしてたかまでは覚えてない。
聞いとけばよかったかな。
まぁもう聞くこともできないけど。
それでも、親は道場の先生と相談してくれたみたいで。
おかげで少しずつだけでも走ったり、竹刀を振らせてもらった。
段位なんてもってのほか。まぁ年齢も関係あるけどさ。
最終的には5級……とかそんなだったかな。はは……。
でも、辛いこともあったけど、すごく楽しかった。
親も、そんな俺を心配しながらも頼もしく思ってくれたのかもしれない。
それからしばらくして、妹ができた。
俺はなんだか元気を貰えた。
俺より小さな存在が生まれて、俺より弱い存在が我が家に出来た。
今まで、ただ守られているだけだった自分が、守ってあげなきゃいけない。
そう思えた。
いや、妹が俺の指を握り返した時に、そう誓った。
だけどそこから、また人生は大きく変わった。
父さんが、突然倒れた。
そしてそのまま帰らぬ人となった。
同時に、俺も倒れてしまった。
最後に見た家の思い出は、父さんがリビングに倒れて、真っ赤な血で染まった所。
母さんはそんな中、俺を入院させるために、沢山無理をしたんだと思う。
家のローンだって、今ならわかる。まだまだ残っていたはずなのに。
いつも俺の病室に来た時は笑顔だった。まぁ怒ってた時もあったけど。
妹と二人、いつだって俺の見舞いに来てくれるときは笑っていた。
だけど今ではもう、昔を懐かしむこともできない。
母さんもまた、わずか三年後には、死んでしまった。
過労……だったんだろうか。
俺はその理由さえ教えてもらえなかった。
子どもに言うことじゃない。――そう先生や看護師さんが考えたのか。
ある日、すっかり見なくなった母さんのことが気になって訊ねた。
その時の哀しそうな看護師さんの顔は忘れたくても忘れられない。
母の死を告げられ、泣きわめく俺にそれ以上のことを言えなかったのだろう。
その母さんや父さんの生命保険のお金で、俺は入院を続けていた。
俺は結局、誰かに助けられてばかりだった。
病院でもそうだ。看護師さんや先生が、俺の命を何度も救ってくれた。
でも俺が誰かを助けることなんてできない。
何のために生きてる?
誰の為に生きてる?
枕元に置かれた木刀に問いかける。
いつか元気になったらいつでも振れるようにって友達が置いてくれた木刀。
修学旅行で買ったらしい。母さんがそう説明してくれた。
かつて同級生だった友達は、一人、また一人とお見舞いには来なくなった。
まぁ当然だよな。俺は何も答えてあげられなくなっていたから。
今の学校の状況や流行ってる娯楽など、何一つわからないのだ。
テレビはいつも点きっぱなしだった。でもその時は何一つ面白くなかった。
だから、何も答えてあげられない。
それに、口に呼吸器を当てられていては喋りたくても喋られなかった。
気づけば皆は義務教育から解放されようとしている。
夢への一歩をより具体的に踏み出し始める頃だ。
俺だけ、まだ小学生の頃のままだ。
今更、仮に明日にでも退院できたとして、俺はどうすればいいんだよ。
もう夢も希望も、持つこともできないのかよ……。
病室ではいつも泣いていた。
それでも、妹のあかりは、いつも俺に笑って話しかけてくれた。
父さんも死んで、母さんも死んで……俺は泣くばっかりなのに。
あかりは、いつも笑って俺の病室に入ってきてくれた。
学校であんなことがあった、施設でこんなことがあったって、話してくれた。
あかりだけは、せめて元気に生きてほしい。
俺にできることがあったらどんなことがあっても、何でもしたい。
でも俺には……何もできない。
この体を呪った。
だったらせめて……、妹の足かせにならないようにしたい。
それからしばらくして、施設の先生とあかりが一緒に来た。
あかりが、お金持ちの老夫婦に引き取られると聞いて、俺はすごく安心した。
「前が見えないと、気持ちまで暗くなるよ」
あかりはそう言って、俺の前髪をかき上げると、赤いヘアピンでとめてくれた。
小柄なあかりが、必死にベッドのそばから体を伸ばして着けてくれた。
満足に髪を切ることもできない俺に、せめてものプレゼント。
最初で、最後の、プレゼント。
そしてあの日――。
今度は老夫婦が二人だけでやってきた。あかりは学校らしい。
俺の知らない小学校の高学年生活を楽しんでるようだ。
もう満足に手を挙げることもできない俺。
おじいさんとおばあさんはそれでも丁寧に頭を下げてくれた。
「君のことも、できるだけ支えるよ」
その言葉以外覚えてない。
だけど、その言葉だけで十分だった。
俺はどうにか首を伸ばして、肯いた。
色んな管が一緒になって伸び張り詰めたからだろうか、二人は酷く慌ててた。
これでもう、俺に思い残すことはない。
……いや、ある。
それは俺自身だ。
その夜、体のあちこちに通されていた管を引きちぎり、病院の屋上に向かった。
お守り代わりに置いていた木刀を杖代わりに廊下を進んだ。
屋上への扉は鍵がかかっている。
それくらい知ってる。まだもう少し体がマシな時に何度か行ったからな。
夜勤の看護師さんがステーションを開ける時間くらい、なんとなくわかっていた。
今夜は特に、新人のナースだ。俺の方がこの病院の歴は長い。
屋上から見渡す夜空は星一つない曇り空だった。
それもまたいい。
ここで綺麗な月夜だと、躊躇ってしまうかもしれない。
そして俺は、木刀とあかりのくれたヘアピンを握りしめて、空に舞った。
「勇くん!」
新米看護師の声が聞こえた気がした。
ちょっと遅かった……かな。
もし生まれ変わることができるのなら、今度こそは誰かの役に立ちたい。
名前もどうせなら、似せるんじゃなくて、同じ名ま――。
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――ごめん、ルミナーラ。
王の左大腿から右肩にかけて、一閃の元、逆袈裟斬りを見舞う。
――人の命を……心を軽んじるこいつだけは、許せねぇ……!
「グッハッハッ――バァアア!」
イサミの頭上を過行く王の体から血煙が舞い、口からは血が噴き出している。
王の血と、イサミの刀の纏う炎の蒼さが混ざり、紫の帳を空間に生み出した。
刀を持つ手を額の上に載せる。
柄頭が、赤いヘアピンに乗った。
――俺が言えた義理じゃねえけどな……。
ごめんあかり。
俺、バカだから。死んでからようやくわかったよ。
今度こそ俺は……。
誰かの為に、戦うんだ……!――
王の剣は体と共に断ち斬られ、その鋒が天井へと突き刺さるのであった。
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