6時間目 道徳 ⑨
「ひゃあ覚悟しろ……形勢逆転だな異界の使徒アイシャ」
痺れる体に少し慣れたのか、イノスの言葉はいくらかわかりやすくなっていた。
アイサが言う。
「残念だけど、十分察することができたわよ。タウカンさん、無事にお妃様を助けたみたいね」
タウカンからの返事はない。イノスに顔を踏みつけられ、最後の体力を削られてしまったのだろうか。
「そ、そうなんですか?」
セイマが怪訝な表情を浮かべる。「お妃様は――……って、続きが気になるところで終わってましたけど?」
「もしまだお妃様があの人の手中にあるなら、ここにタウカンさんよりもお妃様をつれてくるべきでしょ?」
「確かにそうですね。すごいですタウカンさん!」
セイマが興奮して黄色い声で叫ぶ。
タウカンが「ふっ」と笑ったように、口元を緩めたがそれは二人には見えない。
アイサが前髪をかき上げる。
「あ、私の推理が外れてるならどうぞお妃様をここへご案内してくれるかしら?」
「いい加減にしろ貴様らぁぁぁぁあああああ!」
イノスはいよいよ声を荒げた。魔力の圧のような気配が体から放射状にあふれ出し、風となって周囲を払う。
アイサとセイマは目を細め顔を背けるが、一歩も引くことはなかった。
やがて、アイサは鼻から大きなため息を漏らし、肩を下げる。
「あなたもうボロボロじゃない。そんなんじゃ勝てないわよ私たちに」
事実、イノスはふらふらだ。今の叫びが残った最後の力を振り絞ったのかもしれない。
口から血を吐き、もはや痺れてまともに重力を操れない状態だった。
タウカンのことを踏みつけるだけで精いっぱいらしく、膝が笑っている。
「一歩でも動いてみろ、この男を殺す」
腰に忍ばせていた小刀を手にし、タウカンへその鋒を向ける。
かつてのイノスの品がある余裕の振舞は見る影もなくなった。必死の形相を浮かべ、汗や涎がだらだらと流れている。
「あっそ」
「あっそって……」
アイサの返答に言葉を詰まらせたのは、隣にいるセイマだった。
「で? 私たちが大人しく、一歩も動かない場合、あなたはどうするわけ?」
それでも止めることなくアイサが言った。その挑発にセイマは一人ハラハラしている。
「あああ、アイサさん! そんなこと言ったらマズいですよ。タウカンさん、人質になってるんですよ?」
「そうだ! 貴様、状況分かってるのか!」
一言怒鳴る度に、肩で大きく息をするイノスだった。
「あなたこそ自分の体のことわかってるの?」
アイサは肘を支えるように腕を組む。
「今更もう逃げられはしないわ。それにそんな卑怯な手を使ってる段階で私たちへの敗北宣言だとなぜ気づかないのかしら? 逃がすわけないし、逃げられるわけないわよ」
「ぐっ……!」
イノスは体を支えることができなくなり、壊れた機械体のように、不自然な動きで膝をついた。
そして、タウカンの体から少し離れた所で、倒れてしまう。
「きっ……貴様は闇の眷族か? 毒など操りおって……」
「毒……ね」
アイサがほくそ笑んだ。
「あぁ!? アイサさん、笑ってる」
とセイマが驚く。
「ええ、ごめんなさい、つい色んな意味でね」
「でも……アイサさんは私たちの力を強くしてくれたり、癒してくれたりするお薬を作ってくれてましたよね?」
アイサがきょとんとした顔を傾けた。
「毒は薬にもなるし、薬は毒にもなるのよ。要は化学反応式だもの」
アイサは指先についていた自分の血を、口づけするように舐めた。
「な、ならば……この男だけでも道連れにしてやる!」
倒れてもなお、イノスは気を吐く。小刀を再度掴むが、手が震えている。
「残念だけど、タウカンさんの命を気遣うほど、私たち親しくはないわ」
「なっ……!?」
言葉が続かないイノスだったが瞼を大きく開き、目玉が零れ落ちそうになる。
「でも私、義理堅いの」
アイサは髪をかき上げた。
「タウカンさん、残念だけどこの人、このままだとあなたのことを殺すみたい」
タウカンからの返事はない。ただ短い鼻息を漏らすだけだ。
「アイサさん……?」
「だから、必ず仇を討つわ。生きてる方が辛いと思わせるように徹底的に」
イノスの顔が力なく歪んでいく。
タウカンは指先だけを微かに持ち上げてみせる。
「たっ……頼むぜ。俺が死んだ後のことも……な」
「ええ。安心して。あなたの行動には必ず報いる。ルミナーラに伝えるわ、タウカン少尉は第一級の功績を遺したってね」
アイサが一歩前に出た。
「きさまぁ…………いい加減にしろよアイサああああああ!」
怒りゆえ、精神が肉体を凌駕し始めたのか、イノスが立ち上がったのだった。
――その頃、聖域では、刀と剣が打ち合う金属音が鳴り響いていた。
一度気の迷いを見せたカージョン王は、再び妖しい気配をその身と剣に湛え、イサミを襲いかかった。
イサミの言葉の続きを拒むように。
王の剣に型はない。我流と言えば聞こえがいいのだろうか。転生時に与えられた能力の一部としてイサミの頭の中には無数の型が記憶されている。自分で使うことは鍛錬が必要だが、相手の型に合わせることはできるはずだが、ここでは意味をなさない。受けることで精いっぱいだ。
さらにイサミの足を止めるのは、剣を乱暴に振り回す間に挟んでくる、王の魔術だ。
空間に魔法陣にも似た円盤状の足場を作り、左右だけでなく上下にも自由に動き回る。
鍔迫り合いを嫌うように、イサミに一振りかましてはすぐに逃げ去り、また死角を突いて襲い掛かってくる。
それに加えて攻撃的な魔術も繰り出される。
黒い炎、紫電、血のように赤黒い水流。
そのどれをもイサミはまともに喰らってしまう。
アイサの鋼体効果の薬も少しずつ効果が薄れ始めていた。
「ぐあっ!」
イサミの体を電流が走り、衣服だけでなく、肌もいくらか焼け始めた。鼻につく嫌な臭いが立ち込める。
それでもダメージを軽減しているのだろう、
「本当に丈夫だねえ? これ以上の力となったらワタシ、狂っちゃうかもしれないなぁ」
首を傾げたり、イサミの身体能力に舌を出して興奮したりしているからだ。
皮肉の可能性も無きにしも非ずだが。
「ちくしょう……!」
イサミは鍔に埋め込まれているヘルメスの涙に視線を向ける。
一瞬で十分だった。
一切光っていないのだから。
いつもなら敵の魔術に反応し、即座に反転魔術の呪文をイサミの脳内に語り掛けてくるのに、今は沈黙を貫いている。
そう、王の言葉にさえもだ。
初めて会った時からそうだったらしい。
王とイサミが初めて対峙した時、近くでその様子を見ていたセイマが気づいていたらしく、ヘルメスの涙が光らずに会話をしていたことが、一体何を示していたのか、当時は分からなかった。
だが、今ならわかる。それが、王が自分たちと同じ立場であったことを。
「――うぐっ!」
刀を立てて構えて、突進を受け流すことしかできない。
「……ちっ」
王の醜い舌打ちが耳元を過ぎていく。
イサミの横を通り過ぎ、空間の上部に浮かばせてある魔法陣にたどり着くと、足を休めた。蝙蝠の如く頭を下に向けて立っている。
「なんだなんだぁ? さっきは力を返せだの、間違ってるだのえっらそうなこと言ってたのにぃ……。防御ばっかりでさぁ、随分つまらなくなったねえ」
王は唾を吐く。血は滲んでいない。
「まさか……ワタシに遠慮してる!? 冗談じゃないよイサミクン! もっとワタシを殺しに来てくれなきゃ。この体を切り刻んで肉片にして踏みつぶしてくれなくちゃあ!」
両手を広げて一言一言大仰に言う王に対し、イサミは苛立ちを募らせたかった。
だが、それとは裏腹に、彼の刀からは、闘志が消えて行くかのように、纏っていた青い炎が弱々しくなっていく。
「あんた……何がしたいんだよ……。こんな形で蘇らせても、誰も喜んでくれやしない……あんたの失ったものは、何も戻らないんだぞ……!」
イサミは肩だけでなく上半身を上下に大きく動かしながら荒い呼吸を繰り返していた。
「……。」
王が狂った笑みを固め、そのまま自信に満ち満ちた強い瞳を向けてくる。
つり上がった口角の側で頬の筋肉が痙攣していた。
「君ぃ……君は何を言ってるのかな?」
「俺も……辛い別れは三度あった。戻ってきてほしいと二回願った。だけど、このやり方は間違ってる。それだけは言える」
イサミは一滴の涙を目尻から流した。
「あっはっは。だから言ってるだろう? ワタシ以外のニンゲンのことなんて、死のうがどうなろうがどうだっていいのさ」
「はぁ!? だったら、あんた……何がしたいんだよ」
「君に教える義務はない。さぁ、もう準備は整っているんだ」
王が余裕をもって振り返る。
水晶は肥大化を続けていた。
七色の光が眩しい。いつ弾けてもおかしくないのだろう。
「この世界への復讐の旅を、君の力を以て始めようじゃないか!」
「てめぇ……! 腐っても王じゃねえのかよ!」
「グッハッハ! もう腐ってるから王なんてやめてるよ? 王位なんて、あのルミナーラにでもあげてもいいくらいだね」
「な、なに……!?」
「久しぶりに気配を感じたよ。こりゃ妃に何かあったかな?」
イサミの動揺は気にも留めず、つらつらと語り始めた。
「まぁ報告も受けてたけど。なーに考えてんだかあいつらは。もう用はないんだから、大人しくしておけば、もう少し生き延びれたかもしれないのに。邪魔くさいったらないねえ」
「おい……」
「でもこの力……」
王は目線を右上に向ける。「こんなにも強くなるとはねぇ。これならあの時一緒に殺しておけばよかったよ、」
「もういい、やめ――」
「先代の王を、目の前で殺してやった時にね」
イサミの瞳孔が開く。
「な、何言ってんだてめぇ……適当なこと言うな!」
「あれぇ? 疑ってるの? だってやったの誰だと思ってんのさ?」
ただでさえ雑音の無い聖域の中、イサミの耳は塞がったように音を拒んだ。
――め、目の前で……? こ、殺されたのは知ってたけど……。
「あんなところ見られちゃったら、どこで言いふらされるかわかんなかったからねえ。でももう、今となってはどーでもいいんだけどね。かっはっは!」
ルミナーラ……あいつ、あの小さな体で……そんなもんを一人で、背負いこんでたってのかよ……!
「おらあああああああああああああああああああああ!」
イサミが吠えた。
全身から気配が滾り、圧となり空気を震わせる。
「おほお!?」
カージョン王の目が輝いた。
イサミの刀に青い炎が再び宿る。
先程とは違い、強い炎は刃渡りを三倍にも膨れ上がらせた。
「ふざけんな……!」
イサミの脳裏に、ルミナーラの顔が浮かび上がる。
――いつもむすっと険しい表情をしていたのは、もしかして…………。
――くそうっ! なんだってみんな、肝心なことを言わねえんだよ!
イサミの頬を涙が伝い、手元の刀に宿る炎の中へと落ちる。
音もなくか細い水蒸気を生んだ。
「理事長との約束ももうどうだっていい。今更言葉は取り消せねえからな……!」
「待ってましたよその力ぁ! さぁ今度こそ、開演といこうかぁ!」
カージョン王は魔法陣を蹴った。
魔術を使ってるのか弾丸のような速度で間合いを詰める。
イサミは滾る心の内の炎と、盛る刀の炎に反して静かに待ち、刀を下段に構えた。
青い炎がイサミの体を隠す。
王は剣を上に掲げ、体をイサミに対して真正面を向ける。
加速度で威力を増した王の剣が降り下ろされた。
しかし、その剣ごと、イサミは斬った。
王の左大腿から右肩にかけて――一閃の元、逆袈裟斬りを見舞う。
「グッハッハッ――バァアア!」
イサミの頭上を過行く王の体から血煙が舞い、口からは血が噴き出していてもなお、
カージョン王は高笑いをするのだった。
いつもお読み下さったりリアクションしてくださったりありがとうございます!
もうほんと、月並みに聞こえてしまうかもしれませんが、ホントに嬉しいです!励みになります!
次回更新は日曜日予定です!よろしくお願いします!




